イスタンブール観光part2 [トルコ]
2010年10月20日(水)曇後晴
国立考古学博物館です。
トルコの遺跡は、オスマン朝時代にイギリス・フランスにより発掘調査が行われ、発掘品の大半は持ち去られて両国の博物館に収められました。1881年以降の出土品はすべてイスタンブールに集められています。入場料は10TLです。
アレキサンダー大王の立像です。
紀元前3世紀のもので、現在のマニサ(イズミル近郊の町)で碑文とともに発見されました。
オケアヌス像です。
オケアヌスはギリシア神話の海の神です。紀元前2世紀のローマ時代のものとされ、セルチュク近郊のエフェスで発見されました。
ティケ像です。
紀元前2世紀のもので、ティケは幸福の神としてローマ時代にあがめられました。この像は幸運を擬人化したものだと考えられています。
リキアの石棺です。
紀元前5世紀に制作されたとされるギリシア時代の石棺です。屋根にはスフィンクスが彫られていて、その下にはケンタウロスの姿が彫られています。
アレキサンダー大王の石棺です。
1887年、レバノンのシドンで発見された古代フェニキア王室墓地の石棺のひとつで、紀元前305年頃に制作されたものと考えられています。アレキサンダー大王の石棺とは断定されていませんが、施された彫刻から、その名がつけられています。
考古学博物館と隣接して装飾タイル博物館と古代東方博物館があります。チケットは共通です。
装飾タイル博物館にある泉です。
色合いがとっても綺麗です。
古代東方博物館にある、カデシュの条約です。
カデシュの条約は、ヒッタイトとエジプト間で結ばれた世界最古の平和条約です。争いを避けることのできない人間の愚かさを表しているように思えるのは、私がへそ曲がりだからでしょうか。
リュステム・パシャ・ジャーミィです。
宰相リュステム・パシャのため、ミマール・スィナンが1561年に設計したものです。
内部はイズニックタイルがふんだんに使われていて、美しいです。タイルの赤色は1500年代の後半にだけ使われたとゆう珍しいタイルです。現在の技術でも、この色は出せない逸品だそうです。
ソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミィです。
入口は閉まっていたのですが、他の観光客が交渉したのか少し待って入れました。
このジャーミィも、ミマール・スィナンの設計で、彼の傑作のひとつと言われています。中は、ブルーモスクに負けないくらい青いタイルが美しいです。ゆっくりと見たかったのですが、管理人のおじさんが、もうええやろとゆう感じで追い出されてしまいました。
ソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミィから南に行くと、マルマラ海が見渡せます。
陽光きらめくマルマラ海、遠くには新市街が見えていて、近くでは猫がじゃれていて、何にもないけど幸せを感じる風景です。
夕食は、定番のロカンタへ。
クル・ファスエルとタウック・ソテにします。
クル・ファスルエです。
クル・ファスルエは、白インゲン豆の煮込みです。
タウック・ソテです。
タウック・ソテは、鶏肉の煮込みです。えんどう豆とニンジン、ジャガイモが入っています。レモンと唐辛子をかけていただきます。
エキメッキ(パン)を含めて、5.95TLでした。
停電していて、灯りが1灯だけの暗い中での食事でした。
いつから停電していたのか分かりませんが、よく見たらポータブル発電機を回している店もたくさんあります。
自家発電機しているところも多いです。
そのような設備を持っているとゆうことは、イスタンブールも停電が多いのかもしれません。
国立考古学博物館です。
トルコの遺跡は、オスマン朝時代にイギリス・フランスにより発掘調査が行われ、発掘品の大半は持ち去られて両国の博物館に収められました。1881年以降の出土品はすべてイスタンブールに集められています。入場料は10TLです。
アレキサンダー大王の立像です。
紀元前3世紀のもので、現在のマニサ(イズミル近郊の町)で碑文とともに発見されました。
オケアヌス像です。
オケアヌスはギリシア神話の海の神です。紀元前2世紀のローマ時代のものとされ、セルチュク近郊のエフェスで発見されました。
ティケ像です。
紀元前2世紀のもので、ティケは幸福の神としてローマ時代にあがめられました。この像は幸運を擬人化したものだと考えられています。
リキアの石棺です。
紀元前5世紀に制作されたとされるギリシア時代の石棺です。屋根にはスフィンクスが彫られていて、その下にはケンタウロスの姿が彫られています。
アレキサンダー大王の石棺です。
1887年、レバノンのシドンで発見された古代フェニキア王室墓地の石棺のひとつで、紀元前305年頃に制作されたものと考えられています。アレキサンダー大王の石棺とは断定されていませんが、施された彫刻から、その名がつけられています。
考古学博物館と隣接して装飾タイル博物館と古代東方博物館があります。チケットは共通です。
装飾タイル博物館にある泉です。
色合いがとっても綺麗です。
古代東方博物館にある、カデシュの条約です。
カデシュの条約は、ヒッタイトとエジプト間で結ばれた世界最古の平和条約です。争いを避けることのできない人間の愚かさを表しているように思えるのは、私がへそ曲がりだからでしょうか。
リュステム・パシャ・ジャーミィです。
宰相リュステム・パシャのため、ミマール・スィナンが1561年に設計したものです。
内部はイズニックタイルがふんだんに使われていて、美しいです。タイルの赤色は1500年代の後半にだけ使われたとゆう珍しいタイルです。現在の技術でも、この色は出せない逸品だそうです。
ソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミィです。
入口は閉まっていたのですが、他の観光客が交渉したのか少し待って入れました。
このジャーミィも、ミマール・スィナンの設計で、彼の傑作のひとつと言われています。中は、ブルーモスクに負けないくらい青いタイルが美しいです。ゆっくりと見たかったのですが、管理人のおじさんが、もうええやろとゆう感じで追い出されてしまいました。
ソクルル・メフメット・パシャ・ジャーミィから南に行くと、マルマラ海が見渡せます。
陽光きらめくマルマラ海、遠くには新市街が見えていて、近くでは猫がじゃれていて、何にもないけど幸せを感じる風景です。
夕食は、定番のロカンタへ。
クル・ファスエルとタウック・ソテにします。
クル・ファスルエです。
クル・ファスルエは、白インゲン豆の煮込みです。
タウック・ソテです。
タウック・ソテは、鶏肉の煮込みです。えんどう豆とニンジン、ジャガイモが入っています。レモンと唐辛子をかけていただきます。
エキメッキ(パン)を含めて、5.95TLでした。
停電していて、灯りが1灯だけの暗い中での食事でした。
いつから停電していたのか分かりませんが、よく見たらポータブル発電機を回している店もたくさんあります。
自家発電機しているところも多いです。
そのような設備を持っているとゆうことは、イスタンブールも停電が多いのかもしれません。
イスタンブール観光part1 [トルコ]
2010年10月19日(火)雨後晴
トラムヴァイに乗って、新市街のカバタシュ駅で下車。
ガイドブックの地図で見たらドマルバチェフ宮殿はもっと遠いと思っていたのですが、近かったです。トルコリラが少ないのでATMで下ろそうと思っていたのですが、ATMを見つける前についてしまって、もう一度駅に戻って、地下鉄駅にATMがありました。
ドルマバフチェ宮殿に戻って、チケット売り場に並んでいましたが、客がいっぱいになって、私でいったんチケットの販売が休止になりました。10分後に再開するとゆうてましたが、トルコの10分は30分でした。
チケットを買うてから、セラムルクの入口で並びます。入場料は20TLです。
左側は予約している団体客で、右側が一般客です。団体客が優先なので、なかなか入れないです。
ここでも30分並んで、ようやく入れました。
見学はガイドツアー形式になっています。写真撮影は禁止です。
ドルマバフチェ宮殿は、1843年から10年以上の歳月をかけて、31代目のスルタン、アブデュルメジドがそれまでの木造宮殿を現在のものに建て直しました。大理石を用いたヨーロッパのバロック様式とオスマン様式を折衷させた建築物です。
秘書の間や、大使の控えの間、図書室などがありますが、ツアーは進むペースが早くて、ゆっくりと見ている余裕はないです。
ツアーの最後に訪れるのは、儀式の間です。
高さ36mの天井からつるされたシャンデリアはイギリスから購入したもので、750のキャンドルが灯された特注のバカラ製で、重さは4.5トンもあります。天井等の装飾も見事で、3年かかって製作されたそうです。
ツアーは約45分でした。
次は、ハレム側の見学ですが、時間指定になっていて待ちます。
待っている間にどこからともなく猫がやってきて、女性が食べているパンをくれとゆうてます。トルコでは、ネコ・カフェいかんでも、どこでもネコ・カフェ状態です。お腹をすかせているところをみたら野良猫のようですが、綺麗です。ペルシャ系が入っているのか毛足の長い猫も多いです。
こちらは私的な建物となっていて、スルタンの寝室や側室たちの居室、浴室などがあります。
こちらも見学はガイドツアー形式になっています。
あまり説明はありません。ひたすら歩いての見学です。こちらも、ゆっくりとは見られません。ツアーは約30分で終了です。
オスマン朝スルタンの最後の居城として使われたあとには、共和国の父アタチュルクの執務室場所として使われました。アタチュルクの執務室も見学できます。
ドマルバフチェ宮殿の見学を終えてから、新市街の散策です。
タクスィム広場にある共和国記念碑です。
1928年に完成しました。銅像はイタリア人作家によるものです。
イスティクラール通りです。
アンティークなトラムヴァイが走っています。車は通行禁止です。
新市街側から見た旧市街です。
旧市街に戻って見学です。
ゼイレック・ジャーミィです。
世界遺産にも登録されているジャーミィですが、修復中で見学できませんでした。
ヴァレンス水道橋です。
ビザンツ帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建設が始まり、ヴァレンス帝時代の378年に完成した水道橋です。建設当時は約1kmの長さがありましたが、今は800しか残っていません。
石の建造物は地震には弱い反面、保存性はよく綺麗に残っています。
スュレイマニエ・ジャーミィです。
オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主スュレイマン大帝が造らせたジャーミィです。建築家はトルコ最高といわれるミマール・スィナンです。
内部の装飾も美しいと聞いていたので期待していたのですが、こちらも修復中で見学できませんでした。残念です。
イスタンブールは2010年の欧州文化都市になっています。
いろいろなイベントが開催されますが、音楽祭などの大きなイベントは夏で終わっています。
夕食は、エミノニュ駅近くにある屋台のサバサンドにします。
サバサンドは、その名の通りサバをエキメッキ(パン)に挟んだものです。
味は、サバです。普通です。行列ができるくらい売れていますが、他の場所で見たことがないので、人気なんだかどうなんだか分かりません。料金は4TLです。
以前テレビで見て、イスタンブールにきたら食べてみようと思っていました。
興味のある方は、日本のサバも一緒ですのでチャレンジしてみては如何ですか。塩サバのほかには、生の玉葱、レタスを挟んで、好みでレモン、塩をかけたら出来上がりです。
トラムヴァイに乗って、新市街のカバタシュ駅で下車。
ガイドブックの地図で見たらドマルバチェフ宮殿はもっと遠いと思っていたのですが、近かったです。トルコリラが少ないのでATMで下ろそうと思っていたのですが、ATMを見つける前についてしまって、もう一度駅に戻って、地下鉄駅にATMがありました。
ドルマバフチェ宮殿に戻って、チケット売り場に並んでいましたが、客がいっぱいになって、私でいったんチケットの販売が休止になりました。10分後に再開するとゆうてましたが、トルコの10分は30分でした。
チケットを買うてから、セラムルクの入口で並びます。入場料は20TLです。
左側は予約している団体客で、右側が一般客です。団体客が優先なので、なかなか入れないです。
ここでも30分並んで、ようやく入れました。
見学はガイドツアー形式になっています。写真撮影は禁止です。
ドルマバフチェ宮殿は、1843年から10年以上の歳月をかけて、31代目のスルタン、アブデュルメジドがそれまでの木造宮殿を現在のものに建て直しました。大理石を用いたヨーロッパのバロック様式とオスマン様式を折衷させた建築物です。
秘書の間や、大使の控えの間、図書室などがありますが、ツアーは進むペースが早くて、ゆっくりと見ている余裕はないです。
ツアーの最後に訪れるのは、儀式の間です。
高さ36mの天井からつるされたシャンデリアはイギリスから購入したもので、750のキャンドルが灯された特注のバカラ製で、重さは4.5トンもあります。天井等の装飾も見事で、3年かかって製作されたそうです。
ツアーは約45分でした。
次は、ハレム側の見学ですが、時間指定になっていて待ちます。
待っている間にどこからともなく猫がやってきて、女性が食べているパンをくれとゆうてます。トルコでは、ネコ・カフェいかんでも、どこでもネコ・カフェ状態です。お腹をすかせているところをみたら野良猫のようですが、綺麗です。ペルシャ系が入っているのか毛足の長い猫も多いです。
こちらは私的な建物となっていて、スルタンの寝室や側室たちの居室、浴室などがあります。
こちらも見学はガイドツアー形式になっています。
あまり説明はありません。ひたすら歩いての見学です。こちらも、ゆっくりとは見られません。ツアーは約30分で終了です。
オスマン朝スルタンの最後の居城として使われたあとには、共和国の父アタチュルクの執務室場所として使われました。アタチュルクの執務室も見学できます。
ドマルバフチェ宮殿の見学を終えてから、新市街の散策です。
タクスィム広場にある共和国記念碑です。
1928年に完成しました。銅像はイタリア人作家によるものです。
イスティクラール通りです。
アンティークなトラムヴァイが走っています。車は通行禁止です。
新市街側から見た旧市街です。
旧市街に戻って見学です。
ゼイレック・ジャーミィです。
世界遺産にも登録されているジャーミィですが、修復中で見学できませんでした。
ヴァレンス水道橋です。
ビザンツ帝国のコンスタンティヌス大帝の時代に建設が始まり、ヴァレンス帝時代の378年に完成した水道橋です。建設当時は約1kmの長さがありましたが、今は800しか残っていません。
石の建造物は地震には弱い反面、保存性はよく綺麗に残っています。
スュレイマニエ・ジャーミィです。
オスマン帝国が最も繁栄した時代の君主スュレイマン大帝が造らせたジャーミィです。建築家はトルコ最高といわれるミマール・スィナンです。
内部の装飾も美しいと聞いていたので期待していたのですが、こちらも修復中で見学できませんでした。残念です。
イスタンブールは2010年の欧州文化都市になっています。
いろいろなイベントが開催されますが、音楽祭などの大きなイベントは夏で終わっています。
夕食は、エミノニュ駅近くにある屋台のサバサンドにします。
サバサンドは、その名の通りサバをエキメッキ(パン)に挟んだものです。
味は、サバです。普通です。行列ができるくらい売れていますが、他の場所で見たことがないので、人気なんだかどうなんだか分かりません。料金は4TLです。
以前テレビで見て、イスタンブールにきたら食べてみようと思っていました。
興味のある方は、日本のサバも一緒ですのでチャレンジしてみては如何ですか。塩サバのほかには、生の玉葱、レタスを挟んで、好みでレモン、塩をかけたら出来上がりです。
デニズリ~イスタンブール移動(飛行機) [トルコ]
2010年10月18日(月)デニズリ曇 イスタンブール曇後雨
5時50分チェックアウト。
歩いて空港行きのバス乗り場に行きます。
すでにバスは待っていました。ちゃんとバスがあって一安心です。
定刻より10分遅れて6時55分にバスは出発。
途中、いろんなところから乗り込んできます。予約しておけば、他からも乗れるのでしょう。
1時間で空港に到着。出発の50分前です。
このバスはイスタンブール行きの便に合わせて運行されていますので、多少遅れてもほっていくとゆうことはないと思います。
空港に入る時に荷物のX線検査です。
時間がないときに限って、普段は引っかからないメインバックが引っかかりました。荷物を開けさせられて、いろいろとチェックしていて、メタルとゆうてますが、金属類はめっちゃ入ってるんやけど・・・。英語が通じないので、よう分かりません。
香取線香が入っているタッパーを外してもう一度、X線に通します。今度はOKでした。蚊取線香を立てるのんが、あかんかったようです。こんなもんでハイジャックはでけへんと思うけど・・・。
走ってチェックインカウンターに行ったら、まだ並んでいる人がいてたので大丈夫のようです。
今回も航空会社は、Turkish Airlinesです。運賃が£174で、税金と燃油サーチャージが£23.3と、国内便やのにめっちゃ高いです。
ほんまは、寝台列車で行きたかったのですが、列車が運休中で飛行機にしました。トホホです。
待合室に行くときに、もう一度手荷物のX線検査ですが、今度はウエストバックが引っかかりました。これも引っかかったのは初めてです。またまた、アセアセです。もう一度通してOKでした。
なんとか搭乗時間には間に合いました。
定刻より少し遅れて8時50分出発。
イスタンブール空港には9時50分到着しました。
空港からセントロまで、まずは地下鉄M1線に乗ります。
トルコの地下鉄は、ジェトン(トークン)を使っています。
自動販売機にお金を入れてから、OKボタンを押すとジェトンが出てきます。料金は1.5TLです。改札機にジェトンを入れて、ジェトンはそのまま回収されます。ヨーロッパ方式とは、ずいぶん違います。
ゼイティンブルヌ駅で、トラムヴァイ(路面電車)T1線に乗り換えです。こちらもジェトン方式で、料金も1.5TLです。
平日の午前中やのに、満員です。荷物置き場がなくて、満員電車で大きな荷物で、申し訳なく思います。
ギュルハーネ駅で下車。
ここから歩いて宿へ。宿の住所が通り名だけで地番がないので、ちょっと探すのに苦労しました。
今回の宿は、Erenler Hotelです。シングル、シャワー・トイレ共同で1泊€12.99です。
予約していたのですが、宿の人はチェックしていなかったです。私がゆうて、メールをチェックして予約があったとゆうてます。さすがトルコ人、のんびりしたもんです。
アヤ・ソフィアです。
西暦325年に建築が始まり、幾たびかの消失を経て537年に完成。ビザンツ帝国の時代が終わるまで、ギリシア正教の大本山としてあがめられていました。
1453年にコンスタンティノーブルが陥落すると、聖堂はジャーミィに変えられました。1700年代には残されていたモザイク画も塗りつぶされました。
1931年、アメリカ人の調査隊により、壁の中のモザイク画が発見され、アヤ・ソフィアは博物館として一般公開されるようになりました。
モスクの中に、ギリシア正教のモザイク画があるとゆう、イスタンブールの歴史を具現化したような建物です。
4年前に見学したので、今日は外から見るだけにしました。
スルタンアフメット・ジャーミィです。
トルコのジャーミィは丸天井のドームと尖塔(ミナーレ)が特徴です。
6本のミナーレと高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームがあります。ミナーレが6本もあるとゆうのは、イスラーム寺院では珍しいです。
中は、2万枚以上のイズニックタイルが使われ、青を主体としていて非常に美しいです。このため、ジャーミィはブルーモスクの愛称で親しまれています。
スィルケジ駅です。
ヨーロッパ側の玄関口です。オリエント急行の終着駅として、かつては上流階級の人々でにぎわっていました。
アガサ・クリスティは、この駅に降り立つとボートで金角湾を渡り、ベラ・パラス(ホテル)へチェックインしたそうです。
ガラタ橋から釣りをする人達です。
これも、イスタンブールの名物風景です。
エジプシャン・バザールです。
1597年から始まった市場です。香辛料を扱う店が多いので、スパイスバザールとも呼ばれています。
香辛料のほかにも、蜂蜜や乾物、お土産物などが売られていて、いつも人でごった返しています。
夕食は、ロカンタへ。
カルヌヤルクです。
ナスに挽肉を詰めてオーブンで焼いています。トマトが添えてあります。油っこいですが美味しいです。
こちらは、名前が分かりません。
インゲン豆とジャガイモ、ニンジン、ナスを煮込んでいます。こちらは、あっさり味で和食に近い味です。
ピラウととアイランを頼んで、全部で9.7TLでした。
イスタンブールは物価が高いですが、この店は安いほうでした。
イスタンブールは都会だけに、物売りや勧誘が多いです。
そんなにしつこくはないです。いらんとゆうたら、だいたいは大人しく引き下がりますが、しょっちゅう話しかけられると、うんざりするときもあります。
5時50分チェックアウト。
歩いて空港行きのバス乗り場に行きます。
すでにバスは待っていました。ちゃんとバスがあって一安心です。
定刻より10分遅れて6時55分にバスは出発。
途中、いろんなところから乗り込んできます。予約しておけば、他からも乗れるのでしょう。
1時間で空港に到着。出発の50分前です。
このバスはイスタンブール行きの便に合わせて運行されていますので、多少遅れてもほっていくとゆうことはないと思います。
空港に入る時に荷物のX線検査です。
時間がないときに限って、普段は引っかからないメインバックが引っかかりました。荷物を開けさせられて、いろいろとチェックしていて、メタルとゆうてますが、金属類はめっちゃ入ってるんやけど・・・。英語が通じないので、よう分かりません。
香取線香が入っているタッパーを外してもう一度、X線に通します。今度はOKでした。蚊取線香を立てるのんが、あかんかったようです。こんなもんでハイジャックはでけへんと思うけど・・・。
走ってチェックインカウンターに行ったら、まだ並んでいる人がいてたので大丈夫のようです。
今回も航空会社は、Turkish Airlinesです。運賃が£174で、税金と燃油サーチャージが£23.3と、国内便やのにめっちゃ高いです。
ほんまは、寝台列車で行きたかったのですが、列車が運休中で飛行機にしました。トホホです。
待合室に行くときに、もう一度手荷物のX線検査ですが、今度はウエストバックが引っかかりました。これも引っかかったのは初めてです。またまた、アセアセです。もう一度通してOKでした。
なんとか搭乗時間には間に合いました。
定刻より少し遅れて8時50分出発。
イスタンブール空港には9時50分到着しました。
空港からセントロまで、まずは地下鉄M1線に乗ります。
トルコの地下鉄は、ジェトン(トークン)を使っています。
自動販売機にお金を入れてから、OKボタンを押すとジェトンが出てきます。料金は1.5TLです。改札機にジェトンを入れて、ジェトンはそのまま回収されます。ヨーロッパ方式とは、ずいぶん違います。
ゼイティンブルヌ駅で、トラムヴァイ(路面電車)T1線に乗り換えです。こちらもジェトン方式で、料金も1.5TLです。
平日の午前中やのに、満員です。荷物置き場がなくて、満員電車で大きな荷物で、申し訳なく思います。
ギュルハーネ駅で下車。
ここから歩いて宿へ。宿の住所が通り名だけで地番がないので、ちょっと探すのに苦労しました。
今回の宿は、Erenler Hotelです。シングル、シャワー・トイレ共同で1泊€12.99です。
予約していたのですが、宿の人はチェックしていなかったです。私がゆうて、メールをチェックして予約があったとゆうてます。さすがトルコ人、のんびりしたもんです。
アヤ・ソフィアです。
西暦325年に建築が始まり、幾たびかの消失を経て537年に完成。ビザンツ帝国の時代が終わるまで、ギリシア正教の大本山としてあがめられていました。
1453年にコンスタンティノーブルが陥落すると、聖堂はジャーミィに変えられました。1700年代には残されていたモザイク画も塗りつぶされました。
1931年、アメリカ人の調査隊により、壁の中のモザイク画が発見され、アヤ・ソフィアは博物館として一般公開されるようになりました。
モスクの中に、ギリシア正教のモザイク画があるとゆう、イスタンブールの歴史を具現化したような建物です。
4年前に見学したので、今日は外から見るだけにしました。
スルタンアフメット・ジャーミィです。
トルコのジャーミィは丸天井のドームと尖塔(ミナーレ)が特徴です。
6本のミナーレと高さ43m、直径27.5mの大ドーム、4つの副ドーム、30の小ドームがあります。ミナーレが6本もあるとゆうのは、イスラーム寺院では珍しいです。
中は、2万枚以上のイズニックタイルが使われ、青を主体としていて非常に美しいです。このため、ジャーミィはブルーモスクの愛称で親しまれています。
スィルケジ駅です。
ヨーロッパ側の玄関口です。オリエント急行の終着駅として、かつては上流階級の人々でにぎわっていました。
アガサ・クリスティは、この駅に降り立つとボートで金角湾を渡り、ベラ・パラス(ホテル)へチェックインしたそうです。
ガラタ橋から釣りをする人達です。
これも、イスタンブールの名物風景です。
エジプシャン・バザールです。
1597年から始まった市場です。香辛料を扱う店が多いので、スパイスバザールとも呼ばれています。
香辛料のほかにも、蜂蜜や乾物、お土産物などが売られていて、いつも人でごった返しています。
夕食は、ロカンタへ。
カルヌヤルクです。
ナスに挽肉を詰めてオーブンで焼いています。トマトが添えてあります。油っこいですが美味しいです。
こちらは、名前が分かりません。
インゲン豆とジャガイモ、ニンジン、ナスを煮込んでいます。こちらは、あっさり味で和食に近い味です。
ピラウととアイランを頼んで、全部で9.7TLでした。
イスタンブールは物価が高いですが、この店は安いほうでした。
イスタンブールは都会だけに、物売りや勧誘が多いです。
そんなにしつこくはないです。いらんとゆうたら、だいたいは大人しく引き下がりますが、しょっちゅう話しかけられると、うんざりするときもあります。
パムッカレ観光 [トルコ]
2010年10月17日(日)晴
元オトガルのところから、パムッカレ行きのミニバスが出ています。15分間隔くらいで出ているので適当な時間に行きました。
少し待ってミニバスの乗って、30分くらいでパムッカレ村に到着。料金は2.5TLです。
早速、客引きのお兄さんがやってきました。地図をくれるとゆうので、一応話を聞いてみましたが、ツアーへの誘いでした。温泉は入らへんし、自分のペースで見たいので断りました。地図はくれませんでした。
石灰棚の入口がよく分かりませんが、方角だけを頼りにあるいていったら、観光バスが走っていたので、方角はおうてるようです。
少し歩くと白い山が見えてきました。
まるで雪山のようです。トルコに来て初めて晴れて、さらに綺麗に見えます。
坂を上ってゆくとチケット売り場がありました。入場料は20TLです。
石灰棚のところからは、裸足でいくように言われました。
靴を脱いでバッグに入れて歩いていきます。
つるつるのところはええのですが、でこぼこのとこや砂利のところもあって、かなり足の裏が痛いですが、サンダルも禁止ですので我慢して歩くしかないです。
パムッカレは、トルコ語で「綿の城」とゆう意味です。
見た目は確かに綿のようですが、足痛いです。
でも足の痛みを我慢しても見る価値はあると思います。なんとも幻想的な風景で感動します。
お湯が流れているところは、ぬるくていいのですが、石だけのところや溜まり水になっているところは、めっちゃ冷たいです。
天気がええ時は、サングラス必携です。雪目ならぬ石灰目になりそうです。
足だけ浸かって楽しんでいる人が多いです。石灰がたまっているところは、ぷニュぷニュしていて気持ちがいいです。緑色のところは藻がはえていて滑るので要注意です。
以前は、もっと湯量が多かったのですが、開発ラッシュのためか、温泉が枯れてきているそうです。写真なんかでは、この辺りからお湯が流れているのを見たように思います。
確かに素晴らしい風景なのですが、もっともっとすごいと思っていました。自然が創造する風景の素晴らしさと、自然の儚さを今は感じさせてくれるようになりました。
歩くところも制限されていて、違反すると警備員が笛を鳴らして注意します。あっちこっちで笛が鳴っています。上までのぼってきて、石灰棚の終わるところで靴を履きます。足を拭くタオルを持っていったほうがベターです。
上には遊歩道があって、他の部分の石灰棚も見ることができます。
大きな石灰棚のところは、もう湯が流れていません。その向こう側にちょろちょろと流れているだけです。以前は、この辺り全体を流れていたかと想像するだけで、すごかったやろなと思います。
石灰棚の上はヒエラポリスで、紀元前190年前に始まった都市の遺跡になっています。この時代のものとしては最も内陸部にあります。ペルガモン王エウメネス2世によって建造されました。
ヒエラポリス博物館です。入場料は3TLです。
2世紀に建造された南大浴場を利用した博物館です。
石棺のレリーフが綺麗に残っています。
円形劇場です。
ハドリアヌス帝により紀元前2世紀に造られたローマ劇場です。1万5000人を収容しました。勾配が、むっちゃ急です。
マルティリウムです。
80年にこの地で殉教した使徒フィリッポとその息子の墓です。聖人を祀るため、5世紀初めに建てられました。
ドミティアン門です。
84~85年にドミティアヌス帝を称えて造られました。ローマ様式をよく表しているため、ローマン・ゲートとも呼ばれています。非常に美しい門です。
北大浴場です。
紀元前2世紀の建築です。壁の表面は大理石で覆われていたそうです。当時の浴場は市民の社交場なので、このように大きくて立派なものを建てたのでしょう。
ネクロポリスです。
1000を超す墓が並び、古代共同墓地の規模としては、この国最大のものでしょう。いろいろな様式の墓が並んでいます。
北門までやって来て、ヒエラポリスを出て、歩いてカラハユットまで行きます。
カラハユットの入口です。
カラハユットは温泉村です。鉄分を多く含んでいて赤い色をしているので、レッド・スプリングと呼ばれています。
町の中心には温泉のモニュメントがあります。
温泉に入ろうかなとも思っていたのですが、今は全身南京虫に噛まれた斑点だらけで、自分で見ても気持ち悪いので、人が見たらビックリするでしょうから止めときます。
のんびりとした温泉町の風景です。
遅めの昼食はピデにします。
ピデは、トルコ風のピザです。
クシュバシュル・ピデです。
羊肉がのっています。場所によって生地が違うそうですが、ここの生地は舟形で薄いです。羊肉は、ちょっとクセがあります。
飲み物は、アイランを頼んだら店のお兄さんが嬉しそうにしていました。
このお兄さんは、トルコ語でむっちゃ話かけてきますが、さっぱり分かりません。トルコを愛してんねんなとゆうのだけ分かりました。ジャッキー・チェンの名前をゆうてたけど、なんだったのでしょう。ジャッキーが温泉に入りにきたのでしょうか。
ピデとサラダで5TL、アイランは1TLでした。
元オトガルのところから、パムッカレ行きのミニバスが出ています。15分間隔くらいで出ているので適当な時間に行きました。
少し待ってミニバスの乗って、30分くらいでパムッカレ村に到着。料金は2.5TLです。
早速、客引きのお兄さんがやってきました。地図をくれるとゆうので、一応話を聞いてみましたが、ツアーへの誘いでした。温泉は入らへんし、自分のペースで見たいので断りました。地図はくれませんでした。
石灰棚の入口がよく分かりませんが、方角だけを頼りにあるいていったら、観光バスが走っていたので、方角はおうてるようです。
少し歩くと白い山が見えてきました。
まるで雪山のようです。トルコに来て初めて晴れて、さらに綺麗に見えます。
坂を上ってゆくとチケット売り場がありました。入場料は20TLです。
石灰棚のところからは、裸足でいくように言われました。
靴を脱いでバッグに入れて歩いていきます。
つるつるのところはええのですが、でこぼこのとこや砂利のところもあって、かなり足の裏が痛いですが、サンダルも禁止ですので我慢して歩くしかないです。
パムッカレは、トルコ語で「綿の城」とゆう意味です。
見た目は確かに綿のようですが、足痛いです。
でも足の痛みを我慢しても見る価値はあると思います。なんとも幻想的な風景で感動します。
お湯が流れているところは、ぬるくていいのですが、石だけのところや溜まり水になっているところは、めっちゃ冷たいです。
天気がええ時は、サングラス必携です。雪目ならぬ石灰目になりそうです。
足だけ浸かって楽しんでいる人が多いです。石灰がたまっているところは、ぷニュぷニュしていて気持ちがいいです。緑色のところは藻がはえていて滑るので要注意です。
以前は、もっと湯量が多かったのですが、開発ラッシュのためか、温泉が枯れてきているそうです。写真なんかでは、この辺りからお湯が流れているのを見たように思います。
確かに素晴らしい風景なのですが、もっともっとすごいと思っていました。自然が創造する風景の素晴らしさと、自然の儚さを今は感じさせてくれるようになりました。
歩くところも制限されていて、違反すると警備員が笛を鳴らして注意します。あっちこっちで笛が鳴っています。上までのぼってきて、石灰棚の終わるところで靴を履きます。足を拭くタオルを持っていったほうがベターです。
上には遊歩道があって、他の部分の石灰棚も見ることができます。
大きな石灰棚のところは、もう湯が流れていません。その向こう側にちょろちょろと流れているだけです。以前は、この辺り全体を流れていたかと想像するだけで、すごかったやろなと思います。
石灰棚の上はヒエラポリスで、紀元前190年前に始まった都市の遺跡になっています。この時代のものとしては最も内陸部にあります。ペルガモン王エウメネス2世によって建造されました。
ヒエラポリス博物館です。入場料は3TLです。
2世紀に建造された南大浴場を利用した博物館です。
石棺のレリーフが綺麗に残っています。
円形劇場です。
ハドリアヌス帝により紀元前2世紀に造られたローマ劇場です。1万5000人を収容しました。勾配が、むっちゃ急です。
マルティリウムです。
80年にこの地で殉教した使徒フィリッポとその息子の墓です。聖人を祀るため、5世紀初めに建てられました。
ドミティアン門です。
84~85年にドミティアヌス帝を称えて造られました。ローマ様式をよく表しているため、ローマン・ゲートとも呼ばれています。非常に美しい門です。
北大浴場です。
紀元前2世紀の建築です。壁の表面は大理石で覆われていたそうです。当時の浴場は市民の社交場なので、このように大きくて立派なものを建てたのでしょう。
ネクロポリスです。
1000を超す墓が並び、古代共同墓地の規模としては、この国最大のものでしょう。いろいろな様式の墓が並んでいます。
北門までやって来て、ヒエラポリスを出て、歩いてカラハユットまで行きます。
カラハユットの入口です。
カラハユットは温泉村です。鉄分を多く含んでいて赤い色をしているので、レッド・スプリングと呼ばれています。
町の中心には温泉のモニュメントがあります。
温泉に入ろうかなとも思っていたのですが、今は全身南京虫に噛まれた斑点だらけで、自分で見ても気持ち悪いので、人が見たらビックリするでしょうから止めときます。
のんびりとした温泉町の風景です。
遅めの昼食はピデにします。
ピデは、トルコ風のピザです。
クシュバシュル・ピデです。
羊肉がのっています。場所によって生地が違うそうですが、ここの生地は舟形で薄いです。羊肉は、ちょっとクセがあります。
飲み物は、アイランを頼んだら店のお兄さんが嬉しそうにしていました。
このお兄さんは、トルコ語でむっちゃ話かけてきますが、さっぱり分かりません。トルコを愛してんねんなとゆうのだけ分かりました。ジャッキー・チェンの名前をゆうてたけど、なんだったのでしょう。ジャッキーが温泉に入りにきたのでしょうか。
ピデとサラダで5TL、アイランは1TLでした。
イズミル~デニズリ移動(バス) [トルコ]
2010年10月16日(土)イズミル曇 デニズリ曇
バスチケットを買うたオフィスの前からセルヴィスが8時15分に出ます。セルヴィスに乗るときはチケットを持っているかどうかも確認しないので、誰が乗っても分かれへんと思います。
セルヴィスはオトガルに出発時間の10分くらい前に着くので、ちょっと焦ります。出発前にトイレへ行きましたが、トイレは有料です。1TLです。
バスは9時にイズミルのオトガルを出発。今回のバス会社はパムッカレです。料金は21TLです。
バスはベンツ製で乗り心地もよく、各自にモニターがあって映画や音楽などが楽しめます。トルコの長距離バスは指定席になっていて、私のシートナンバーは1番でドライバーの真後ろです。車内サービスで、サンドイッチとドリンクが出て、飛行機並みのサービスです。
ガイドブックに書いてあったのですが、バス車内では靴を脱いだらあかんそうです。車内にはどこにも、そんなことは書いてありませんが、やめときます。海外では、バスの待合室で靴を脱いだらあかんと書いてあるとこもありましたので、あかんのでしょう。
このバスは速くて、他のバスをどんどん追い越していきます。
途中1回トイレ休憩を取って、料金は0.75TLでした。12時過ぎにデニズリのオトガルに着きました。客引きが多いかなと思っていましたが、シーズンも過ぎているので、ほとんどいませんでした。
ガイドブックに載っている宿に行こうと思うのですが、場所が分かりません。人に聞いても、そっちと教えてくれて、行ってみてもそれらしきものはないし、インフォでホテルを紹介してもらおうと思ったら、インフォは閉まっているし、さっぱわやです。
うろうろしていたら、タクシーの運転手が声をかけてきて、ここは2番のオトガルで1番のオトガルは5km離れていると言われました。
確かに地図を見ても、それらしい建物が見当たらへんし、ゆうてることは正しいように思います。
バスで行こうかと思ったのですが、1時間くらい歩いてしんどいし、もうタクシーでええわと思って、値段交渉をして12TLで1番のオトガルに行きます。高いようにも思いますが、相場がよく分かりません。
1番のオトガルに着いて、目が点になりました。オトガルがなくなって平地になっています。そやから、バスは2番のオトガルに止まったわけです。
ガイドブックの情報と違うとゆうのは、ままありますが、バスステーションがなくなっているとは驚きました。デニズリは鉄道が運休していて、バスもこんな状態では旅行客は、けえへんのとちゃいますか。ホテルは沢山ありますが、大丈夫なんでしょうか。人事ながら心配します。
運転手が高いホテルに連れていこうとしますが、安いホテルに行かせました。今回の宿は、Yetkin Otelです。シングルで1泊US$20です。
宿の主人に聞いたら、空港行きのバスは、だいぶ離れたところから出発するとゆうてます。パムッカレ行きのバスはあるようですが、これならデニズリに泊まることもなかったです。
次の移動が楽なようにと思って、デニズリ泊にしたのですが、パムッカレからもデニズリ空港行きのバスがあるようで、パムッカレに泊まればよかったです。
バス会社のオフィスから、バスは出発するのですが、宿の主人も詳しい場所は知りません。こっちへ歩いて30分とゆう情報だけで探しに行きます。
インフォへ行って聞いてみようと思ったら、土日はお休みです。
30分ほど歩いて、送迎バスの事を貼紙している旅行会社があったので聞いてみましたが、もっと先とだけ教えてくれました。
何軒もの旅行会社を当たりましたが、英語が全然通じなかったりで、もう諦めてタクシーで行こうかと思っていたら、ようやく詳しく教えてくれた旅行会社があって、オフィスが分かりました。
バスの運行状況と運行時間を確認して、ほっと一安心です。確かに宿から歩いて30分の距離でした。うまいこと見つけられてラッキーです。聞きまわった旅行会社の人たち、ありがとう。
デニズリは、鶏となんか関係があるのでしょうか。
町中に鶏のモニュメントがあったり、鶏に関するものが多いです。
綺麗なモスクがありましたが、デニズリは、ほんま見るものがないです。
夕食は、ケバブ屋さんにします。
ヨーロッパのどの国でもケバブはありましたが、やはり本場のケバブを食べなくては。
タウク・シシとドマテス・ケバブにします。
タウク・シシは、チキンのケバブです。ドマテス・ケバブは肉とトマトを交互に串に刺してあります。付け合せは、ブルグル・ピウラです。挽き割り小麦のピウラです。ケチャップライスのような味で甘いです。下にパンが敷いてあります。
前菜として、パンとヨーグルトが出てきて、パンにヨーグルトをつけて食べます。ヨーグルトはトルコが起源で、よく食べられています。
メインと一緒に、大きな薄焼きパンが2枚出てきます。ケバブに対して、パンが多すぎます。お腹がパンパンになります。
他にサラダと水とアイランを頼みました。
アイランは、飲むヨーグルトです。甘味はありません。
ケバブは1串、8~9TLです。
全部で21TLでした。お肉は、やっぱり高いです。
トルコはイスラームの国ですが、1923年にトルコ共和国となってから改革を行いました。改革の一部として、アラビア文字の廃止とトルコ文字の制定がありました。
イスラームでありながら、アラビア文字が見当たらなかったり、また政教分離を国政の柱としているので、イスラーム教ではお酒は飲まないが、それを一般社会生活には持ち込まないとゆうことで、お酒も堂々と売られています。
そんな点が、他のイスラームの国と違った面を多く見せてくれて、トルコの魅力の一つになっていると思います。
バスチケットを買うたオフィスの前からセルヴィスが8時15分に出ます。セルヴィスに乗るときはチケットを持っているかどうかも確認しないので、誰が乗っても分かれへんと思います。
セルヴィスはオトガルに出発時間の10分くらい前に着くので、ちょっと焦ります。出発前にトイレへ行きましたが、トイレは有料です。1TLです。
バスは9時にイズミルのオトガルを出発。今回のバス会社はパムッカレです。料金は21TLです。
バスはベンツ製で乗り心地もよく、各自にモニターがあって映画や音楽などが楽しめます。トルコの長距離バスは指定席になっていて、私のシートナンバーは1番でドライバーの真後ろです。車内サービスで、サンドイッチとドリンクが出て、飛行機並みのサービスです。
ガイドブックに書いてあったのですが、バス車内では靴を脱いだらあかんそうです。車内にはどこにも、そんなことは書いてありませんが、やめときます。海外では、バスの待合室で靴を脱いだらあかんと書いてあるとこもありましたので、あかんのでしょう。
このバスは速くて、他のバスをどんどん追い越していきます。
途中1回トイレ休憩を取って、料金は0.75TLでした。12時過ぎにデニズリのオトガルに着きました。客引きが多いかなと思っていましたが、シーズンも過ぎているので、ほとんどいませんでした。
ガイドブックに載っている宿に行こうと思うのですが、場所が分かりません。人に聞いても、そっちと教えてくれて、行ってみてもそれらしきものはないし、インフォでホテルを紹介してもらおうと思ったら、インフォは閉まっているし、さっぱわやです。
うろうろしていたら、タクシーの運転手が声をかけてきて、ここは2番のオトガルで1番のオトガルは5km離れていると言われました。
確かに地図を見ても、それらしい建物が見当たらへんし、ゆうてることは正しいように思います。
バスで行こうかと思ったのですが、1時間くらい歩いてしんどいし、もうタクシーでええわと思って、値段交渉をして12TLで1番のオトガルに行きます。高いようにも思いますが、相場がよく分かりません。
1番のオトガルに着いて、目が点になりました。オトガルがなくなって平地になっています。そやから、バスは2番のオトガルに止まったわけです。
ガイドブックの情報と違うとゆうのは、ままありますが、バスステーションがなくなっているとは驚きました。デニズリは鉄道が運休していて、バスもこんな状態では旅行客は、けえへんのとちゃいますか。ホテルは沢山ありますが、大丈夫なんでしょうか。人事ながら心配します。
運転手が高いホテルに連れていこうとしますが、安いホテルに行かせました。今回の宿は、Yetkin Otelです。シングルで1泊US$20です。
宿の主人に聞いたら、空港行きのバスは、だいぶ離れたところから出発するとゆうてます。パムッカレ行きのバスはあるようですが、これならデニズリに泊まることもなかったです。
次の移動が楽なようにと思って、デニズリ泊にしたのですが、パムッカレからもデニズリ空港行きのバスがあるようで、パムッカレに泊まればよかったです。
バス会社のオフィスから、バスは出発するのですが、宿の主人も詳しい場所は知りません。こっちへ歩いて30分とゆう情報だけで探しに行きます。
インフォへ行って聞いてみようと思ったら、土日はお休みです。
30分ほど歩いて、送迎バスの事を貼紙している旅行会社があったので聞いてみましたが、もっと先とだけ教えてくれました。
何軒もの旅行会社を当たりましたが、英語が全然通じなかったりで、もう諦めてタクシーで行こうかと思っていたら、ようやく詳しく教えてくれた旅行会社があって、オフィスが分かりました。
バスの運行状況と運行時間を確認して、ほっと一安心です。確かに宿から歩いて30分の距離でした。うまいこと見つけられてラッキーです。聞きまわった旅行会社の人たち、ありがとう。
デニズリは、鶏となんか関係があるのでしょうか。
町中に鶏のモニュメントがあったり、鶏に関するものが多いです。
綺麗なモスクがありましたが、デニズリは、ほんま見るものがないです。
夕食は、ケバブ屋さんにします。
ヨーロッパのどの国でもケバブはありましたが、やはり本場のケバブを食べなくては。
タウク・シシとドマテス・ケバブにします。
タウク・シシは、チキンのケバブです。ドマテス・ケバブは肉とトマトを交互に串に刺してあります。付け合せは、ブルグル・ピウラです。挽き割り小麦のピウラです。ケチャップライスのような味で甘いです。下にパンが敷いてあります。
前菜として、パンとヨーグルトが出てきて、パンにヨーグルトをつけて食べます。ヨーグルトはトルコが起源で、よく食べられています。
メインと一緒に、大きな薄焼きパンが2枚出てきます。ケバブに対して、パンが多すぎます。お腹がパンパンになります。
他にサラダと水とアイランを頼みました。
アイランは、飲むヨーグルトです。甘味はありません。
ケバブは1串、8~9TLです。
全部で21TLでした。お肉は、やっぱり高いです。
トルコはイスラームの国ですが、1923年にトルコ共和国となってから改革を行いました。改革の一部として、アラビア文字の廃止とトルコ文字の制定がありました。
イスラームでありながら、アラビア文字が見当たらなかったり、また政教分離を国政の柱としているので、イスラーム教ではお酒は飲まないが、それを一般社会生活には持ち込まないとゆうことで、お酒も堂々と売られています。
そんな点が、他のイスラームの国と違った面を多く見せてくれて、トルコの魅力の一つになっていると思います。
イズミル観光 [トルコ]
2010年10月15日(金)曇
古代アゴラです。
3階建て市場の跡です。
中の石組みが綺麗です。
グランドフロアには28の店舗があったそうです。
何度も地震の被害を受けています。
今も、修復作業が行われています。
コナック広場にある時計塔です。
1901年にスルタン、アブデュルハミト2世の在位25周年を記念して造られたものです。時計の部分はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からの贈り物です。
昼食は、サンドイッチに。
唐辛子が添えられているのがトルコらしいです。サンドイッチを渡してくれるときに、思い切り塩をかけていました。かなり塩辛いです。トルコのパンはすごく美味しいです。そやから、サンドイッチも美味しいです。料金は1.25TLです。
考古学博物館です。
主にエフェス、ボドルムなどで発見された石像などを展示しています。入場料は8TLです。
訪れる人が少ないので、センサー式で照明がつくようにしてありますが、壊れていて暗いままのところもあります。
以前は地下にも展示していたようですが、現在は地下は閉鎖されていました。エフェス考古学博物館に移設されたものもあります。
ランナーの銅像です。
美しいフォルムです。
隣には、民俗学博物館があります。入場料は無料です。
マネキンを使って、トルコの部屋を再現しています。
カディフェカレ城要塞跡からの眺めです。博物館から歩いたのですが、結構遠かったです。カディフェカレ城要塞跡となっていますが、なにも残っていません。児童公園になっています。
雲が多いですが、少し陽も射して、ちょっぴりエーゲ海らしい色合いです。
帰りは違う道を通ったのですが、地震で倒壊したままの家も沢山ありました。トルコも日本同様地震が多い国なので大変です。
トルコは猫がめっちゃ多いです。怒られることもないのでしょう。どの猫も、人が通っても逃げようともしません。猫好きの私は、いろんな猫が見られるので嬉しいです。
古代アゴラです。
3階建て市場の跡です。
中の石組みが綺麗です。
グランドフロアには28の店舗があったそうです。
何度も地震の被害を受けています。
今も、修復作業が行われています。
コナック広場にある時計塔です。
1901年にスルタン、アブデュルハミト2世の在位25周年を記念して造られたものです。時計の部分はドイツ皇帝ヴィルヘルム2世からの贈り物です。
昼食は、サンドイッチに。
唐辛子が添えられているのがトルコらしいです。サンドイッチを渡してくれるときに、思い切り塩をかけていました。かなり塩辛いです。トルコのパンはすごく美味しいです。そやから、サンドイッチも美味しいです。料金は1.25TLです。
考古学博物館です。
主にエフェス、ボドルムなどで発見された石像などを展示しています。入場料は8TLです。
訪れる人が少ないので、センサー式で照明がつくようにしてありますが、壊れていて暗いままのところもあります。
以前は地下にも展示していたようですが、現在は地下は閉鎖されていました。エフェス考古学博物館に移設されたものもあります。
ランナーの銅像です。
美しいフォルムです。
隣には、民俗学博物館があります。入場料は無料です。
マネキンを使って、トルコの部屋を再現しています。
カディフェカレ城要塞跡からの眺めです。博物館から歩いたのですが、結構遠かったです。カディフェカレ城要塞跡となっていますが、なにも残っていません。児童公園になっています。
雲が多いですが、少し陽も射して、ちょっぴりエーゲ海らしい色合いです。
帰りは違う道を通ったのですが、地震で倒壊したままの家も沢山ありました。トルコも日本同様地震が多い国なので大変です。
トルコは猫がめっちゃ多いです。怒られることもないのでしょう。どの猫も、人が通っても逃げようともしません。猫好きの私は、いろんな猫が見られるので嬉しいです。
セルチュク観光 [トルコ]
2010年10月14日(木)雨
今日はバスでセルチュクに行きます。
昨日チケットを買うた旅行会社の前からオトガル(バスターミナル)へ行くセルヴィス(送迎バス)が毎時30分に出るとゆうてたので、それに乗ってオトガルに行きます。
バス会社の名前は、セルチュク・エフェスなのですが、それらしい送迎バスが来ません。小さなバス会社なので、他社に送迎を頼んでいるのかもしれません。
周りの人に聞いてみましたが、トルコ人は親切ですが、ええ加減で英語が通じませんので
、トラブる危険性大です。
大手のバス会社の送迎バスが来ていたので聞いてみたら、合うてるのか、それとも可哀そうになって乗せてくれたのか分かりませんが、乗せてくれました。たぶん後者のほうやと思います。
チケットを売ってくれた旅行会社も、ええ加減です。
オトガルは、結構遠いです。
オトガルに着いた時には、出発時間が迫っていて、バス乗り場を聞いて走っていきました。なんとか出発時間に間にあいました。
8時過ぎにイズミルのオトガルを出発。バスではなくて、バンです。
1時間弱で、セルチュクのオトガルに到着。
イズミルでは雨は降っていませんでしたが、セルチュクはジャジャ降りです。
ここから約3km歩いて、エフェス遺跡に行きます。
雨の中、靴はびしょ濡れになるわ、車に水を掛けられるわで、ようやくエフェス遺跡に到着。
エフェスは、紀元前11世紀にイオニア(古代ギリシア)人により建設されました。現存するギリシア文明最大の遺跡です。入場料は20TLです。
雨やっちゅうのに、すごい人出です。しかも団体客が、ほとんどなので見学が大変です。
大劇場です。
ピオン山に沿って造られた劇場です。2万4000人を収容できたとゆう観客席は直径154m、高さ38mの半円形です。演劇の上演や全市民参加の民会の会場にもなりました。現在でもコンサートなどに利用されています。
アルカディアン通りです。
港から大劇場を結んだ大理石の道路で、幅11m、長さ500mの道路沿いには商店が並び、街灯も灯されていました。現在は、海岸線が西に移動してしまいました。
ケルケス図書館です。
ローマ帝国のアジア州執政官だったマルケスの死後、彼の息子が父の募室上に記念に築きあげたものです。ファサードは2階建てですが、内部は平屋です。ここには1万2000巻の書物が所蔵されていたといわれています。
丘の上の住宅です。
上流階級の居住区だったところです。入場料が別途かかります。15TLと高めです。
中にはフレスコ画やモザイクが残っています。
現在も気の遠くなるような修復作業が行われています。
公衆トイレです。
昔はトイレが情報交換の場だったので、仕切りがありません。下には水が流れていて水洗になっています。
ハドリアヌス神殿です。
2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた建物です。
奥の門には、両手を広げたメドゥーサが彫られています。
トラヤヌスの泉です。
102~104年に建立され、皇帝トラヤヌスに捧げられた泉ですが、ほとんど原型を留めていません。
ドミティアヌス神殿です。
ここには皇帝ドミティアヌスを祀る50m×100mの神殿が建てられていたのですが、家臣たちの手によって皇帝が殺された後に神殿は取り壊されました。
オデオンです。
収容人数約1400人の音楽堂です。
エフェス遺跡の見学を終えてから、近くに眠れる7人の男の教会とゆうのがあります。面白そうな名前にひかれて寄ってみましたが、中には入れませんでした。
名前の由来は後で調べたら、7人の男が一晩ここで眠っている間に309年経過していたとゆう話しから付けられました。なんかもっと深い意味があるのかと思っていたのですが、あんまり大した意味でもなかったです。
セルチュクに戻ってきて、アルテミス神殿跡に行きます。ガイドブックの地図がええ加減だったので迷いました。
紀元前550年頃に完成した、アルテミスを祀った神殿です。高さ19m、直径1.2mの円柱を127本もつ神殿の巨大さにより、古代の世界7不思議の一つとされていましたが、現在は柱1本だけ残っていて、往時の姿を想像するだに難しいです。
エフェス考古学博物館です。
エフェス遺跡からの出土品が展示されています。入場料は5TLです。
ここでの目玉は、アルテミス像です。
紀元前1世紀のものです。
エフェスのシンボルである蜂蜜や鹿の彫り物はともに豊穣を表しています。胸の回りにつけられた卵型のものは、女神の乳房とも、女神に捧げられた牛の睾丸ともいわれています。素晴らしい彫刻です。
ドミティアヌス神殿から発掘されたドミティアヌスの像の一部です。この像は高さ7mありますが、これを見て想像がつきます。
バスでイズミルに戻ってきましたが、イズミルのオトガルからセントロに戻るのに、セルヴィスがどれか分からないので、朝乗ってきたのと同じセルヴィスに乗りました。なんも言われませんでした。
夕食は、ロカンタへ。
今日もトルコ料理です。
ドルマにします。
ドルマは、トルコ語のドルマック「詰まる、いっぱいになる」からきています。野菜に米、肉などの具材を詰めた料理です。
ビベル・ドルマです。
ピーマンに肉、米が入っています。米が入っているのでボリュームがあります。
鳥のレバーとジャガイモの煮込です。
名前は分からず、指差しで注文しました。
2品とエキメッキ(パン)で、6.5TLでした。肉料理は、ちょっと高めです。
今日はバスでセルチュクに行きます。
昨日チケットを買うた旅行会社の前からオトガル(バスターミナル)へ行くセルヴィス(送迎バス)が毎時30分に出るとゆうてたので、それに乗ってオトガルに行きます。
バス会社の名前は、セルチュク・エフェスなのですが、それらしい送迎バスが来ません。小さなバス会社なので、他社に送迎を頼んでいるのかもしれません。
周りの人に聞いてみましたが、トルコ人は親切ですが、ええ加減で英語が通じませんので
、トラブる危険性大です。
大手のバス会社の送迎バスが来ていたので聞いてみたら、合うてるのか、それとも可哀そうになって乗せてくれたのか分かりませんが、乗せてくれました。たぶん後者のほうやと思います。
チケットを売ってくれた旅行会社も、ええ加減です。
オトガルは、結構遠いです。
オトガルに着いた時には、出発時間が迫っていて、バス乗り場を聞いて走っていきました。なんとか出発時間に間にあいました。
8時過ぎにイズミルのオトガルを出発。バスではなくて、バンです。
1時間弱で、セルチュクのオトガルに到着。
イズミルでは雨は降っていませんでしたが、セルチュクはジャジャ降りです。
ここから約3km歩いて、エフェス遺跡に行きます。
雨の中、靴はびしょ濡れになるわ、車に水を掛けられるわで、ようやくエフェス遺跡に到着。
エフェスは、紀元前11世紀にイオニア(古代ギリシア)人により建設されました。現存するギリシア文明最大の遺跡です。入場料は20TLです。
雨やっちゅうのに、すごい人出です。しかも団体客が、ほとんどなので見学が大変です。
大劇場です。
ピオン山に沿って造られた劇場です。2万4000人を収容できたとゆう観客席は直径154m、高さ38mの半円形です。演劇の上演や全市民参加の民会の会場にもなりました。現在でもコンサートなどに利用されています。
アルカディアン通りです。
港から大劇場を結んだ大理石の道路で、幅11m、長さ500mの道路沿いには商店が並び、街灯も灯されていました。現在は、海岸線が西に移動してしまいました。
ケルケス図書館です。
ローマ帝国のアジア州執政官だったマルケスの死後、彼の息子が父の募室上に記念に築きあげたものです。ファサードは2階建てですが、内部は平屋です。ここには1万2000巻の書物が所蔵されていたといわれています。
丘の上の住宅です。
上流階級の居住区だったところです。入場料が別途かかります。15TLと高めです。
中にはフレスコ画やモザイクが残っています。
現在も気の遠くなるような修復作業が行われています。
公衆トイレです。
昔はトイレが情報交換の場だったので、仕切りがありません。下には水が流れていて水洗になっています。
ハドリアヌス神殿です。
2世紀のローマ皇帝ハドリアヌスに捧げられた建物です。
奥の門には、両手を広げたメドゥーサが彫られています。
トラヤヌスの泉です。
102~104年に建立され、皇帝トラヤヌスに捧げられた泉ですが、ほとんど原型を留めていません。
ドミティアヌス神殿です。
ここには皇帝ドミティアヌスを祀る50m×100mの神殿が建てられていたのですが、家臣たちの手によって皇帝が殺された後に神殿は取り壊されました。
オデオンです。
収容人数約1400人の音楽堂です。
エフェス遺跡の見学を終えてから、近くに眠れる7人の男の教会とゆうのがあります。面白そうな名前にひかれて寄ってみましたが、中には入れませんでした。
名前の由来は後で調べたら、7人の男が一晩ここで眠っている間に309年経過していたとゆう話しから付けられました。なんかもっと深い意味があるのかと思っていたのですが、あんまり大した意味でもなかったです。
セルチュクに戻ってきて、アルテミス神殿跡に行きます。ガイドブックの地図がええ加減だったので迷いました。
紀元前550年頃に完成した、アルテミスを祀った神殿です。高さ19m、直径1.2mの円柱を127本もつ神殿の巨大さにより、古代の世界7不思議の一つとされていましたが、現在は柱1本だけ残っていて、往時の姿を想像するだに難しいです。
エフェス考古学博物館です。
エフェス遺跡からの出土品が展示されています。入場料は5TLです。
ここでの目玉は、アルテミス像です。
紀元前1世紀のものです。
エフェスのシンボルである蜂蜜や鹿の彫り物はともに豊穣を表しています。胸の回りにつけられた卵型のものは、女神の乳房とも、女神に捧げられた牛の睾丸ともいわれています。素晴らしい彫刻です。
ドミティアヌス神殿から発掘されたドミティアヌスの像の一部です。この像は高さ7mありますが、これを見て想像がつきます。
バスでイズミルに戻ってきましたが、イズミルのオトガルからセントロに戻るのに、セルヴィスがどれか分からないので、朝乗ってきたのと同じセルヴィスに乗りました。なんも言われませんでした。
夕食は、ロカンタへ。
今日もトルコ料理です。
ドルマにします。
ドルマは、トルコ語のドルマック「詰まる、いっぱいになる」からきています。野菜に米、肉などの具材を詰めた料理です。
ビベル・ドルマです。
ピーマンに肉、米が入っています。米が入っているのでボリュームがあります。
鳥のレバーとジャガイモの煮込です。
名前は分からず、指差しで注文しました。
2品とエキメッキ(パン)で、6.5TLでした。肉料理は、ちょっと高めです。
アテネ~イズミル(トルコ)移動(飛行機) [トルコ]
2010年10月13日(水)アテネ曇 イズミル曇時々雨
ついにやられました。
南京虫に・・・。
昨日から少し噛まれていたのですが、南京虫とは気が付きませんでした。おでこの真ん中も脹れていて、蕁麻疹かもしれへんと心配していたのですが・・・。
昨夜は暖かかったせいか、一気にやられました。顔も噛まれていますし、何十箇所噛まれているか分かりません。痒み止めを塗ったら、その時は我慢できますが、またすぐに痒くなってきます。南京虫、恐るべしです。
南京虫には初めて噛まれました。なんでも体験させてくれる旅です。南京虫って大きいねんなあと変なとこで感心しました。同室の人は白人ばっかりですが、噛まれた様子はなく、白人より東洋人のほうが美味しいんかと思ってしまいます。
4時チェックアウト。
空港まで行くのですが、地下鉄は走っていないのでX95番のバスで行きます。バス停は、シンタグマ広場の近くにあり、宿から歩いて20分ほどです。アテネの町は治安はいいほうなので歩いて行きます。
辺りはまだ真っ暗です。
4時40分のバスに乗ろうと思っていたのですが、4時20分のバスの出発が遅れていて、そちらに乗りました。料金は€3.2です。
1時間くらいかかると聞いていたのですが、40分くらいで空港に着きました。今回の航空会社はTurkish Airlinesです。チェックインカウンターは閉まっています。ギリシアは、東ヨーロッパと似た感覚なのでしょう。
出発2時間前に、チェックインカウンターが開きました。並んでいると後ろからカートをぶつけてくる人が、見たら中国人風です。ほんま困ったもんです。
航空運賃は£87、税金と燃油サーチャージが£80.8と高いです。
手荷物のX線検査のときに、パソコンをカバーから出してくれと言われました。これは2回目ですが、さらにパソコンを開いた状態にしろと言われ、その状態でX線検査にかけていました。ここまで入念に調べられたのは初めてです。パソコンを使ったテロがあるのでしょう。
アテネ空港は、ネットがつながりません。
定刻どおり7時45分出発。
到着も定刻どおり9時にイスタンブールに着きました。両方とも定刻どおりとゆうのは非常に珍しいです。
アテネ空港で、イスタンブールで荷物を受け取る必要があるかと聞いたら、あるとゆうので手荷物受取所で待っていましたが、荷物が出てきません。係員の人に聞いたら、荷物はそのままスルーとのことです。ええ加減な職員です。
イスタンブール空港で2時間の乗継待ちです。イスタンブール空港はネットは有料です。
イスタンブールには戻ってくるので、ここで下りて観光してもいいのですが、その次のフライトがないので、先にイズミルに行くことにしました。なかなか一筆書きで周るのは難しいです。
定刻の11時に出発したのですが、雨が激しいせいか離陸が出来ません。早く離陸して欲しいけど無理して落ちたら元も子もありません。45分ほど待って、無事離陸しました。
定刻より30分遅れて12時35分、イズミル空港に到着。
空港からセントロまで、バスがあるのですが、国際便に合わせての運行になっていて、次の国際便の到着まで待ちます。料金は10TLです。
1TL(トルコリラ)=約58.1円です。
トルコは4年振り2回目の訪問ですが、新通貨になっていてデザインが変わっていました。
セントロに向かう途中に、岩に顔が彫ってありました。
バスはセントロまで1時間ほどと聞いていたのですが、20分あまりでセントロに着きました。宿の客引きがいてるかなと思っていたのですが、全然いてませんでした。
今回は宿を予約していて正解かもしれません。
歩いて宿に到着。
今回の宿は、Vatan Otelです。宿に着いて、予約しているとゆうたのですが、知らんと言われました。
ある程度予測はしていましたが、いきなりイスラム社会の洗礼です。
予約メールを見せて、部屋が空いていたので泊まることが出来ます。いくら予約メールを見せても部屋がなかったら、あかんと思います。
そやから、イスラム圏では予約なしで旅するほうが、ええのかもしれません。
シングルで1泊€19です。デポジットを払っているのに、2重取りしようとするので注意しました。
シャワートイレ、エアコン、テレビ付きです。イズミルはまだまだ暑いので、エアコンがあるのは助かります。
荷を解いてから、インフォに行きます。
インフォの場所が分からずにいたら、声をかけてくれる人がいて、インフォに行きたいとゆうたけど、全然英語が話せない人でした。親切なんはええねんけど、よけいな親切です。
インフォに行って、地図をもらってバス会社を教えてもらいました。
イズミルの町中です。
イズミルはトルコ第3の都市です。エーゲ海観光の拠点ともなっています。ヤシの木があるのが、それっぽいです。
雨が降ったりやんだりで、暑いですがトルコも秋になっているようです。
バス会社に行って、明日のセルチュク行きのバスチケットを買おうと思ったら、そこでは取り扱っていませんでした。インフォのお姉さんもええ加減です。
デニズリ行きのバスチケットはありましたので購入しました。料金は21TLです。
セルチュク行きのバスは、セルチュク・エフェスとゆうバス会社が扱っているのですが、バス会社の場所が分かりません。他のバス会社に行って、知らん顔してセルチュク行きとゆうたら、他の旅行会社を教えてくれて、そこでチケットを購入しました。料金は8TLです。
町中には、当たり前ですがモスク(イスラム寺院)が沢山あって、ミナレット(尖塔)があります。そんな風景とアザーン(イスラム教の祈りの声)を聞いていたら、ヨーロッパ圏からイスラム圏にやってきたんやなと実感します。
うろうろしていたら時間が、だいぶ過ぎて雨も降っているので、早めの夕食です。
ロカンタへ行きます。ロカンタは大衆食堂のことです。
トルコ料理の、イズミル・キョフテとピラウとヨーグルトにしました。
イズミル・キョフテです。
キョフテは肉団子です。ジャガイモと一緒に煮込んでいます。イズミルと名前が付いているのでイズミルの名物なのでしょう。味は、懐かしい家庭料理といった感じです。
ピラウは、トルコのピラフです。
ケチャップライスのような味です。こっちは、いまいちです。
何がなんぼか分かりませんが、全部で7TLでした。思っていたより安いです。
ついにやられました。
南京虫に・・・。
昨日から少し噛まれていたのですが、南京虫とは気が付きませんでした。おでこの真ん中も脹れていて、蕁麻疹かもしれへんと心配していたのですが・・・。
昨夜は暖かかったせいか、一気にやられました。顔も噛まれていますし、何十箇所噛まれているか分かりません。痒み止めを塗ったら、その時は我慢できますが、またすぐに痒くなってきます。南京虫、恐るべしです。
南京虫には初めて噛まれました。なんでも体験させてくれる旅です。南京虫って大きいねんなあと変なとこで感心しました。同室の人は白人ばっかりですが、噛まれた様子はなく、白人より東洋人のほうが美味しいんかと思ってしまいます。
4時チェックアウト。
空港まで行くのですが、地下鉄は走っていないのでX95番のバスで行きます。バス停は、シンタグマ広場の近くにあり、宿から歩いて20分ほどです。アテネの町は治安はいいほうなので歩いて行きます。
辺りはまだ真っ暗です。
4時40分のバスに乗ろうと思っていたのですが、4時20分のバスの出発が遅れていて、そちらに乗りました。料金は€3.2です。
1時間くらいかかると聞いていたのですが、40分くらいで空港に着きました。今回の航空会社はTurkish Airlinesです。チェックインカウンターは閉まっています。ギリシアは、東ヨーロッパと似た感覚なのでしょう。
出発2時間前に、チェックインカウンターが開きました。並んでいると後ろからカートをぶつけてくる人が、見たら中国人風です。ほんま困ったもんです。
航空運賃は£87、税金と燃油サーチャージが£80.8と高いです。
手荷物のX線検査のときに、パソコンをカバーから出してくれと言われました。これは2回目ですが、さらにパソコンを開いた状態にしろと言われ、その状態でX線検査にかけていました。ここまで入念に調べられたのは初めてです。パソコンを使ったテロがあるのでしょう。
アテネ空港は、ネットがつながりません。
定刻どおり7時45分出発。
到着も定刻どおり9時にイスタンブールに着きました。両方とも定刻どおりとゆうのは非常に珍しいです。
アテネ空港で、イスタンブールで荷物を受け取る必要があるかと聞いたら、あるとゆうので手荷物受取所で待っていましたが、荷物が出てきません。係員の人に聞いたら、荷物はそのままスルーとのことです。ええ加減な職員です。
イスタンブール空港で2時間の乗継待ちです。イスタンブール空港はネットは有料です。
イスタンブールには戻ってくるので、ここで下りて観光してもいいのですが、その次のフライトがないので、先にイズミルに行くことにしました。なかなか一筆書きで周るのは難しいです。
定刻の11時に出発したのですが、雨が激しいせいか離陸が出来ません。早く離陸して欲しいけど無理して落ちたら元も子もありません。45分ほど待って、無事離陸しました。
定刻より30分遅れて12時35分、イズミル空港に到着。
空港からセントロまで、バスがあるのですが、国際便に合わせての運行になっていて、次の国際便の到着まで待ちます。料金は10TLです。
1TL(トルコリラ)=約58.1円です。
トルコは4年振り2回目の訪問ですが、新通貨になっていてデザインが変わっていました。
セントロに向かう途中に、岩に顔が彫ってありました。
バスはセントロまで1時間ほどと聞いていたのですが、20分あまりでセントロに着きました。宿の客引きがいてるかなと思っていたのですが、全然いてませんでした。
今回は宿を予約していて正解かもしれません。
歩いて宿に到着。
今回の宿は、Vatan Otelです。宿に着いて、予約しているとゆうたのですが、知らんと言われました。
ある程度予測はしていましたが、いきなりイスラム社会の洗礼です。
予約メールを見せて、部屋が空いていたので泊まることが出来ます。いくら予約メールを見せても部屋がなかったら、あかんと思います。
そやから、イスラム圏では予約なしで旅するほうが、ええのかもしれません。
シングルで1泊€19です。デポジットを払っているのに、2重取りしようとするので注意しました。
シャワートイレ、エアコン、テレビ付きです。イズミルはまだまだ暑いので、エアコンがあるのは助かります。
荷を解いてから、インフォに行きます。
インフォの場所が分からずにいたら、声をかけてくれる人がいて、インフォに行きたいとゆうたけど、全然英語が話せない人でした。親切なんはええねんけど、よけいな親切です。
インフォに行って、地図をもらってバス会社を教えてもらいました。
イズミルの町中です。
イズミルはトルコ第3の都市です。エーゲ海観光の拠点ともなっています。ヤシの木があるのが、それっぽいです。
雨が降ったりやんだりで、暑いですがトルコも秋になっているようです。
バス会社に行って、明日のセルチュク行きのバスチケットを買おうと思ったら、そこでは取り扱っていませんでした。インフォのお姉さんもええ加減です。
デニズリ行きのバスチケットはありましたので購入しました。料金は21TLです。
セルチュク行きのバスは、セルチュク・エフェスとゆうバス会社が扱っているのですが、バス会社の場所が分かりません。他のバス会社に行って、知らん顔してセルチュク行きとゆうたら、他の旅行会社を教えてくれて、そこでチケットを購入しました。料金は8TLです。
町中には、当たり前ですがモスク(イスラム寺院)が沢山あって、ミナレット(尖塔)があります。そんな風景とアザーン(イスラム教の祈りの声)を聞いていたら、ヨーロッパ圏からイスラム圏にやってきたんやなと実感します。
うろうろしていたら時間が、だいぶ過ぎて雨も降っているので、早めの夕食です。
ロカンタへ行きます。ロカンタは大衆食堂のことです。
トルコ料理の、イズミル・キョフテとピラウとヨーグルトにしました。
イズミル・キョフテです。
キョフテは肉団子です。ジャガイモと一緒に煮込んでいます。イズミルと名前が付いているのでイズミルの名物なのでしょう。味は、懐かしい家庭料理といった感じです。
ピラウは、トルコのピラフです。
ケチャップライスのような味です。こっちは、いまいちです。
何がなんぼか分かりませんが、全部で7TLでした。思っていたより安いです。