ベイルート~バールベック移動(セルビス) [レバノン]
2010年10月24日(日)ベイルート曇 バールベック晴
7時過ぎチェックアウト。
フロントは閉まっていたので、鍵はドアの隙間から入れといたんやけど、気付いてくれるかな。
バスでコーラ・バスターミナルまで行こうかなと思ってメインストリートでバスを待っていたのですが、バスの番号は分かれへんし、何分間隔で走っているのかも分かりません。
セルビス(乗り合いタクシー)なら安いかなと思って料金を聞いてみますが、向こうから料金を言いません。こっちが2000LPとゆうとあかんとゆうて、シャール・ヘロウ・バスターミナルにせえと言います。行き先を、お前が決めてどうするちゅうねんと思って断ります。
こら埒が明かんと思って歩くことに決めて、ひたすら歩きます。
タクシーのクラクションもセルビスの声掛けも無視して、ひたすら歩きます。朝早いし日曜日なので車が少なくて、いくぶん歩きやすいです。
50分歩いて、コーラ・バスターミナルに到着。
バスターミナルとゆうても建物があるわけでなし、看板が出ているわけでもありません。
ガイドブックの地図をみて、バスや車がたむろしているので、それと分かるだけです。
行き先はアラビア文字なので読めません。行き先をゆうて車を教えてもらいます。その国の人の親切に頼っての旅です。その点では、感謝感謝です。
バールベック行きの車は、ワゴン型のセルビスです。
満員になるのを待って、8時20分出発です。
ベイルートの町を走っている車を見ていても、運転荒っぽいなと思いましたが、バールべックへ向かう道はさらにひどくて、走行車線を無視して走ってくる車までいてて、命がけです。しかも、なぜか無視している車のほうが強くて、走行車線を守っているほうがよけています。不思議がいっぱいです。
車は1時間くらいでシュトゥーラに着きました。ここで車を乗り換えろと言います。それはええねんけど、料金は両方の車に払えと言います。2重取りやん。親切とゆうたんを取り消したいです。
それやったら最初からシュトゥーラまでと、ゆうてくれてたらよかったのですが。まあ仕方ないです。シュトゥーラまでが4000LPで、シュトゥーラからバールベックまでが2000LPです。
最初は乗客は私1人だけでしたから、ベイルートからのドライバーが嫌がるのも無理はありません。観光客激減のしわ寄せが、こんなところにも及んでいます。
ベイルートから走ってくると、軍隊の検問だらけです。シュトゥーラまでは顔パスでいけたのですが、シュトゥーラからは1回検問で止められました。ドライバーの違いかもしれません。
車に乗ったまま、パスポートチェックです。
厳しいときは、車から降ろされてボディチェックされる国もありますので、まだましかなと思います。
バールベックは、レバノン一の観光地ですが、小さな町です。ベカー高原にあり、標高1160mですのでベイルートよりは涼しいです。
10時10分バールベックに到着。バールベック遺跡のそばで降ろしてくれました。
まずは、宿探しです。
一番近場で安そうな宿にします。
部屋を聞いたら空いているとゆうので、部屋を見せてもらうことに。ええ部屋です。値段を聞いてビックリ。1泊$80です。そんなに金持ちに見えたんかな。一番安い部屋を見せてくれとゆうて、そこにしました。1泊$10です。
シングルでシャワー・トイレ共同です。
ベッドがぽつんとあって、壁は真っ白けで刑務所の独房のようです。冷房はないけどファンはあるし、充分です。
早く着いたので、今日のうちに遺跡を見学して明日は立つことにして1泊だけにします。
荷を解いたら、早速バールベック遺跡の見学です。
宿から歩いて数分でバールベック遺跡です。入場料は12000LPです。
バールベック遺跡の入口から入って、すぐのところです。
かつては幅43mあった階段は、マムルーク時代に石材としてはぎ取られ、狭い階段が付けられています。階段上の石柱は、エジプトから運んだ花崗岩で出来ています。
階段を上がって六角形の前庭を進むと、大庭園があります。長さ150m、幅110mの庭園です。
中央には犠牲を捧げたふたつの祭壇があります。
こちらは大きいほうです。
その左右には犠牲を清めた水槽があります。
大庭園から階段を上るとジュピター神殿があります。
現在は6本の列柱しか残っていませんが、かつては高さ20m、直径2.5mのこの柱が54本も、長さ85m幅47mの基壇に並び、神殿を支えていました。
それを想像するだけで、すごい神殿やったんやなと思います。
ジュピター神殿の東には、バッカス神殿があります。
ジュピター神殿よりは小ぶりですが、彫刻が綺麗に残っています。
どこを見てもすごくて、ホォーとゆうため息ばかりです。
危険を侵してまでレバノンに来た価値があるなぁと思います。時間があったので、入口に戻ってもう一周しました。
バールベック遺跡を出て東側には、ビーナス神殿があります。
入ることは出来ませんので、外から眺めるだけです。
バールベック遺跡の南にも、列柱が並んでいます。
真ん中のアーチが崩れているのが残念ですが。
町中をぶらぶらしてみましたが、特に見るものはありません。
いったん宿に戻って、ネット使えるか聞いたみましたが、使えないとのことで、ネットフェに行きました。ダイエットペプシを飲んでネットを1時間半くらいしたら、6000LPでした。高いのか安いのか、よう分かりません。
接続スピードは、めっちゃ遅くて、1時間半かかって、ようやくブログの記事を一つアップ出来ただけです。レバノンのネット事情は、いまいちです。
バッカス神殿の夜景です。
そんなに蚊は多くないですけど、蚊がいてますので蚊取り線香を焚きます。この旅では初めての使用です。
さあ、明日はうまく国境を越えられるでしょうか。
7時過ぎチェックアウト。
フロントは閉まっていたので、鍵はドアの隙間から入れといたんやけど、気付いてくれるかな。
バスでコーラ・バスターミナルまで行こうかなと思ってメインストリートでバスを待っていたのですが、バスの番号は分かれへんし、何分間隔で走っているのかも分かりません。
セルビス(乗り合いタクシー)なら安いかなと思って料金を聞いてみますが、向こうから料金を言いません。こっちが2000LPとゆうとあかんとゆうて、シャール・ヘロウ・バスターミナルにせえと言います。行き先を、お前が決めてどうするちゅうねんと思って断ります。
こら埒が明かんと思って歩くことに決めて、ひたすら歩きます。
タクシーのクラクションもセルビスの声掛けも無視して、ひたすら歩きます。朝早いし日曜日なので車が少なくて、いくぶん歩きやすいです。
50分歩いて、コーラ・バスターミナルに到着。
バスターミナルとゆうても建物があるわけでなし、看板が出ているわけでもありません。
ガイドブックの地図をみて、バスや車がたむろしているので、それと分かるだけです。
行き先はアラビア文字なので読めません。行き先をゆうて車を教えてもらいます。その国の人の親切に頼っての旅です。その点では、感謝感謝です。
バールベック行きの車は、ワゴン型のセルビスです。
満員になるのを待って、8時20分出発です。
ベイルートの町を走っている車を見ていても、運転荒っぽいなと思いましたが、バールべックへ向かう道はさらにひどくて、走行車線を無視して走ってくる車までいてて、命がけです。しかも、なぜか無視している車のほうが強くて、走行車線を守っているほうがよけています。不思議がいっぱいです。
車は1時間くらいでシュトゥーラに着きました。ここで車を乗り換えろと言います。それはええねんけど、料金は両方の車に払えと言います。2重取りやん。親切とゆうたんを取り消したいです。
それやったら最初からシュトゥーラまでと、ゆうてくれてたらよかったのですが。まあ仕方ないです。シュトゥーラまでが4000LPで、シュトゥーラからバールベックまでが2000LPです。
最初は乗客は私1人だけでしたから、ベイルートからのドライバーが嫌がるのも無理はありません。観光客激減のしわ寄せが、こんなところにも及んでいます。
ベイルートから走ってくると、軍隊の検問だらけです。シュトゥーラまでは顔パスでいけたのですが、シュトゥーラからは1回検問で止められました。ドライバーの違いかもしれません。
車に乗ったまま、パスポートチェックです。
厳しいときは、車から降ろされてボディチェックされる国もありますので、まだましかなと思います。
バールベックは、レバノン一の観光地ですが、小さな町です。ベカー高原にあり、標高1160mですのでベイルートよりは涼しいです。
10時10分バールベックに到着。バールベック遺跡のそばで降ろしてくれました。
まずは、宿探しです。
一番近場で安そうな宿にします。
部屋を聞いたら空いているとゆうので、部屋を見せてもらうことに。ええ部屋です。値段を聞いてビックリ。1泊$80です。そんなに金持ちに見えたんかな。一番安い部屋を見せてくれとゆうて、そこにしました。1泊$10です。
シングルでシャワー・トイレ共同です。
ベッドがぽつんとあって、壁は真っ白けで刑務所の独房のようです。冷房はないけどファンはあるし、充分です。
早く着いたので、今日のうちに遺跡を見学して明日は立つことにして1泊だけにします。
荷を解いたら、早速バールベック遺跡の見学です。
宿から歩いて数分でバールベック遺跡です。入場料は12000LPです。
バールベック遺跡の入口から入って、すぐのところです。
かつては幅43mあった階段は、マムルーク時代に石材としてはぎ取られ、狭い階段が付けられています。階段上の石柱は、エジプトから運んだ花崗岩で出来ています。
階段を上がって六角形の前庭を進むと、大庭園があります。長さ150m、幅110mの庭園です。
中央には犠牲を捧げたふたつの祭壇があります。
こちらは大きいほうです。
その左右には犠牲を清めた水槽があります。
大庭園から階段を上るとジュピター神殿があります。
現在は6本の列柱しか残っていませんが、かつては高さ20m、直径2.5mのこの柱が54本も、長さ85m幅47mの基壇に並び、神殿を支えていました。
それを想像するだけで、すごい神殿やったんやなと思います。
ジュピター神殿の東には、バッカス神殿があります。
ジュピター神殿よりは小ぶりですが、彫刻が綺麗に残っています。
どこを見てもすごくて、ホォーとゆうため息ばかりです。
危険を侵してまでレバノンに来た価値があるなぁと思います。時間があったので、入口に戻ってもう一周しました。
バールベック遺跡を出て東側には、ビーナス神殿があります。
入ることは出来ませんので、外から眺めるだけです。
バールベック遺跡の南にも、列柱が並んでいます。
真ん中のアーチが崩れているのが残念ですが。
町中をぶらぶらしてみましたが、特に見るものはありません。
いったん宿に戻って、ネット使えるか聞いたみましたが、使えないとのことで、ネットフェに行きました。ダイエットペプシを飲んでネットを1時間半くらいしたら、6000LPでした。高いのか安いのか、よう分かりません。
接続スピードは、めっちゃ遅くて、1時間半かかって、ようやくブログの記事を一つアップ出来ただけです。レバノンのネット事情は、いまいちです。
バッカス神殿の夜景です。
そんなに蚊は多くないですけど、蚊がいてますので蚊取り線香を焚きます。この旅では初めての使用です。
さあ、明日はうまく国境を越えられるでしょうか。
ベイルート観光 [レバノン]
2010年10月23日(土)晴
歩いての移動ですが、ベイルートは歩道が狭かったりなかったり、信号はないし、あってもほとんど使われていないし、使われていても車優先で渡れないし、車は飛ばしてるし、めっちゃ歩きにくいです。
ガイドブックの簡単な地図しかなくて、通りの名前を見てたどっていけばええやろと思っていたら、通りの名前がRueと数字しか書いてなくて分かりません。
あとは、方角と勘だけで歩きます。
道を聞こうにも英語は通じませんし、どちらかといえばフランス語のほうが通じるようです。
なんか目印になるものはないのかなと思って地図を見ていたら兵隊に、お前は中国人かと聞かれました。日本人やとゆうと、どこに行くと聞かれて、国立博物館とゆうと道を教えてくれました。パチンと合わせた手はごっつかったです。
1時間半くらい歩いて、ようやく国立博物館に着きました。
博物館の前にも兵隊が一人立っています。兵隊が写らんように写真を撮りました。
1919年に開館した博物館で、レバノン中の遺跡から発掘された遺物を展示してあります。入場料は、5000LPです。
ビブロスのアヒラム王の石棺です。
紀元前10世紀のもので、フェニキア文字が彫られています。
こちらは、2世紀の石棺です。
アキレスの人生が彫られています。
色が綺麗に残っているモザイク画があります。
金と準宝石のネックレスです。
紀元前20世紀のものです。
昨日行ったビブロス遺跡から発掘された青銅の兵士像です。
大きなものではありませんが、素晴らしいです。レバノンの国宝に指定されています。
これよりも小さな兵士像は、数多く発掘されています。
スフィンクスの青銅像もあります。
青く彩色されたカバは、エジプトでもありますが、関連があるのでしょうか。
小さいけど、美しい像があります。
こちらはジュピターの像です。
力強い作品です。
表情が面白いです。
博物館を出てサーエブ・サラーム通りを西へ行きますが、この通りは装甲車や兵隊だらけです。博物館の隣は競馬場なのですが、兵隊が駐留して、競馬どころではないようです。イスラームらしい町があるのかなと思っていましたが、近代的な建物ばかりでした。
バスの情報や国境越えの情報を聞いてみようと、インフォに行ったのですが、インフォはなくなっていました。危険やし情報はないしでは、旅しにくいこと、この上ないです。確かに観光客がいなければ、インフォを開いている意味もないですが・・・。
こんな時こそ、宿の情報ノートが欲しいところですが、今の宿には情報ノートがありません。あんまりバッパーが泊まる宿ではないのかもしれません。
中東を旅するのは、ヨーロッパを旅するより3~4倍のパワーがいります。
今日は晴れていて、気温は33℃。歩くだけで疲れます。
いったん宿に戻って、パソコンを持ってハムラ通りに行きます。宿の人にネットカフェがあると教えてもらったので。
しかし探せども探せども、ネットカフェはありません。
ショッピングビルにいた警備員に聞いてみましたが、ないと言われました。いつになったらネット接続できることやら。
宿に戻ったら、やっぱり停電していてファンも回せなくて暑いです。
歩いての移動ですが、ベイルートは歩道が狭かったりなかったり、信号はないし、あってもほとんど使われていないし、使われていても車優先で渡れないし、車は飛ばしてるし、めっちゃ歩きにくいです。
ガイドブックの簡単な地図しかなくて、通りの名前を見てたどっていけばええやろと思っていたら、通りの名前がRueと数字しか書いてなくて分かりません。
あとは、方角と勘だけで歩きます。
道を聞こうにも英語は通じませんし、どちらかといえばフランス語のほうが通じるようです。
なんか目印になるものはないのかなと思って地図を見ていたら兵隊に、お前は中国人かと聞かれました。日本人やとゆうと、どこに行くと聞かれて、国立博物館とゆうと道を教えてくれました。パチンと合わせた手はごっつかったです。
1時間半くらい歩いて、ようやく国立博物館に着きました。
博物館の前にも兵隊が一人立っています。兵隊が写らんように写真を撮りました。
1919年に開館した博物館で、レバノン中の遺跡から発掘された遺物を展示してあります。入場料は、5000LPです。
ビブロスのアヒラム王の石棺です。
紀元前10世紀のもので、フェニキア文字が彫られています。
こちらは、2世紀の石棺です。
アキレスの人生が彫られています。
色が綺麗に残っているモザイク画があります。
金と準宝石のネックレスです。
紀元前20世紀のものです。
昨日行ったビブロス遺跡から発掘された青銅の兵士像です。
大きなものではありませんが、素晴らしいです。レバノンの国宝に指定されています。
これよりも小さな兵士像は、数多く発掘されています。
スフィンクスの青銅像もあります。
青く彩色されたカバは、エジプトでもありますが、関連があるのでしょうか。
小さいけど、美しい像があります。
こちらはジュピターの像です。
力強い作品です。
表情が面白いです。
博物館を出てサーエブ・サラーム通りを西へ行きますが、この通りは装甲車や兵隊だらけです。博物館の隣は競馬場なのですが、兵隊が駐留して、競馬どころではないようです。イスラームらしい町があるのかなと思っていましたが、近代的な建物ばかりでした。
バスの情報や国境越えの情報を聞いてみようと、インフォに行ったのですが、インフォはなくなっていました。危険やし情報はないしでは、旅しにくいこと、この上ないです。確かに観光客がいなければ、インフォを開いている意味もないですが・・・。
こんな時こそ、宿の情報ノートが欲しいところですが、今の宿には情報ノートがありません。あんまりバッパーが泊まる宿ではないのかもしれません。
中東を旅するのは、ヨーロッパを旅するより3~4倍のパワーがいります。
今日は晴れていて、気温は33℃。歩くだけで疲れます。
いったん宿に戻って、パソコンを持ってハムラ通りに行きます。宿の人にネットカフェがあると教えてもらったので。
しかし探せども探せども、ネットカフェはありません。
ショッピングビルにいた警備員に聞いてみましたが、ないと言われました。いつになったらネット接続できることやら。
宿に戻ったら、やっぱり停電していてファンも回せなくて暑いです。
ビブロス観光 [レバノン]
2010年10月22日(金)晴一時曇
同室の人は24時過ぎに帰ってきたと思ったら、テレビをつけるわ、タバコを吸うわで、寝ていられません。欧米の非常識は中東の常識かな。我慢せな、しゃあないです。いつまでもテレビうるさいなと思っていたら、おじさんはグースカ寝ていました。朝5時です。
バスでもタバコ吸い放題で、喫煙者にとっては中東は天国です。水タバコもあるしね。
シャ―ル・ヘロウ・バスターミナルからミニバスに乗って、ジュベイルに行きます。何度も乗り降りするので扉は開けたままで疾走します。
めっちゃ飛ばすわ、車の間を縫うように走るわ(ウインカーなんてもちろん点けません)、路肩を走るわで、まるでカーチェイスです。心臓の弱い人は目をつぶっとかなあきません。帰りのバスのおじさんは、めっちゃゆっくりで周りの車にどんどんと抜かされていましたので、人によるのでしょう。
約1時間でジュベイルに到着。
運賃は2000LPです。
喉が渇いたのでジュースを購入。
1500LPと、ベイルートの倍です。観光地料金とはいえ、倍は取りすぎとちゃう。
ここから歩いてビブロスに行きます。
紀元前3000年頃、地中海交易で栄えたフェニキア人が世界で最も歴史の古い都市国家を建設しました。
世界中で使われている聖書を意味するバイブルは、ビブロスから来ています。ビブロスのギリシア名はパピルスで、書物を表しています。1984年に世界遺産に登録されました。
ビブロス遺跡への入場料は6000LPです。
十字軍の城です。
中には出土品の展示もあります。
ビブロスの町並みと地中海の取り合わせが、綺麗です。
バーラット・ゲバル神殿です。
前18世紀に建てられた神殿です。
アムル人征服時代の建造物です。
オベリスク神殿です。
紀元前3000年頃の青銅器時代に建てられました。この遺跡では、青銅で出来た兵士の群像が発見されていて、ベイルートの国立博物館に保管されています。
見学客は少ないですが、1組だけ団体客がいてました。ツアーを催行している国もあるのですね。
ビブロス遺跡を出て、近くに聖ヨハネ教会があります。
1115年に建設された教会です。南側の壁はローマ様式、北側の壁はアラブ様式となっているのが面白いです。中には入れませんでした。
ベイルートに戻ってきて、バスターミナルより手前で降ろされました。
ぶらぶらと町を散策してみます。
庶民的な町で、ええ雰囲気やと思って写真を撮っていたら、写真を撮るなと注意されました。軍隊でも警察でもなく、一般の男性にです。
西側のスパイとでも思ったのでしょうか。
ただの観光客が町の写真を撮るだけで気に障るとゆうのは、内紛やテロを恐れるからでしょう。
見かけは平和に見えても、その実、脅威を感じながら暮らしているやなあと、その人の一声で実感しました。まだまだ真の平和は遠そうです。
庶民の町のええところは、庶民の食べ物があるところです。
探していたけど見つからなかった、ファラーフェルがありました。
ファラーフェルは、すりつぶした豆にスパイスなどを混ぜてコロッケのように揚げたものです。それをつぶして、トマト、野菜、チリ、ソース(ヨーグルト、タヒーナ(ごまのペースト))をホブス(パン)に挟んでいます。
料金は1500LPです。
安くて美味くて最高です。
旧市街まで歩いてきました。
内戦の主戦場となった旧市街ですが、建物は復旧しています。
エトワール広場です。
この広場の周りには、兵隊がぎょうさんいてて、広場に入ってくる人に目を光らせています。ここでも平和が遠いのを感じます。
その東側には、ローマ時代の列柱が発掘途中で残っています。
さらに東にはムハンマド・アミーン・もスクがあります。
旧市街の色合いに合わせた真新しいモスクです。
中には、巨大なシャンデリアがあります。
モスクの隣には、大きな白いテントがあります。
ハリーリ前首相が暗殺された場所で、テントの中には彼の遺体が安置されています。冥福をお祈りいたします。
エトワール広場の西側に行くと、ローマ浴場の跡があります。
さらに西に国会議事堂があります。
写真を撮ろうとしたら、笛を吹いて注意されました。軍関係、国関係のものは撮ったらあかんようです。
同室の人は24時過ぎに帰ってきたと思ったら、テレビをつけるわ、タバコを吸うわで、寝ていられません。欧米の非常識は中東の常識かな。我慢せな、しゃあないです。いつまでもテレビうるさいなと思っていたら、おじさんはグースカ寝ていました。朝5時です。
バスでもタバコ吸い放題で、喫煙者にとっては中東は天国です。水タバコもあるしね。
シャ―ル・ヘロウ・バスターミナルからミニバスに乗って、ジュベイルに行きます。何度も乗り降りするので扉は開けたままで疾走します。
めっちゃ飛ばすわ、車の間を縫うように走るわ(ウインカーなんてもちろん点けません)、路肩を走るわで、まるでカーチェイスです。心臓の弱い人は目をつぶっとかなあきません。帰りのバスのおじさんは、めっちゃゆっくりで周りの車にどんどんと抜かされていましたので、人によるのでしょう。
約1時間でジュベイルに到着。
運賃は2000LPです。
喉が渇いたのでジュースを購入。
1500LPと、ベイルートの倍です。観光地料金とはいえ、倍は取りすぎとちゃう。
ここから歩いてビブロスに行きます。
紀元前3000年頃、地中海交易で栄えたフェニキア人が世界で最も歴史の古い都市国家を建設しました。
世界中で使われている聖書を意味するバイブルは、ビブロスから来ています。ビブロスのギリシア名はパピルスで、書物を表しています。1984年に世界遺産に登録されました。
ビブロス遺跡への入場料は6000LPです。
十字軍の城です。
中には出土品の展示もあります。
ビブロスの町並みと地中海の取り合わせが、綺麗です。
バーラット・ゲバル神殿です。
前18世紀に建てられた神殿です。
アムル人征服時代の建造物です。
オベリスク神殿です。
紀元前3000年頃の青銅器時代に建てられました。この遺跡では、青銅で出来た兵士の群像が発見されていて、ベイルートの国立博物館に保管されています。
見学客は少ないですが、1組だけ団体客がいてました。ツアーを催行している国もあるのですね。
ビブロス遺跡を出て、近くに聖ヨハネ教会があります。
1115年に建設された教会です。南側の壁はローマ様式、北側の壁はアラブ様式となっているのが面白いです。中には入れませんでした。
ベイルートに戻ってきて、バスターミナルより手前で降ろされました。
ぶらぶらと町を散策してみます。
庶民的な町で、ええ雰囲気やと思って写真を撮っていたら、写真を撮るなと注意されました。軍隊でも警察でもなく、一般の男性にです。
西側のスパイとでも思ったのでしょうか。
ただの観光客が町の写真を撮るだけで気に障るとゆうのは、内紛やテロを恐れるからでしょう。
見かけは平和に見えても、その実、脅威を感じながら暮らしているやなあと、その人の一声で実感しました。まだまだ真の平和は遠そうです。
庶民の町のええところは、庶民の食べ物があるところです。
探していたけど見つからなかった、ファラーフェルがありました。
ファラーフェルは、すりつぶした豆にスパイスなどを混ぜてコロッケのように揚げたものです。それをつぶして、トマト、野菜、チリ、ソース(ヨーグルト、タヒーナ(ごまのペースト))をホブス(パン)に挟んでいます。
料金は1500LPです。
安くて美味くて最高です。
旧市街まで歩いてきました。
内戦の主戦場となった旧市街ですが、建物は復旧しています。
エトワール広場です。
この広場の周りには、兵隊がぎょうさんいてて、広場に入ってくる人に目を光らせています。ここでも平和が遠いのを感じます。
その東側には、ローマ時代の列柱が発掘途中で残っています。
さらに東にはムハンマド・アミーン・もスクがあります。
旧市街の色合いに合わせた真新しいモスクです。
中には、巨大なシャンデリアがあります。
モスクの隣には、大きな白いテントがあります。
ハリーリ前首相が暗殺された場所で、テントの中には彼の遺体が安置されています。冥福をお祈りいたします。
エトワール広場の西側に行くと、ローマ浴場の跡があります。
さらに西に国会議事堂があります。
写真を撮ろうとしたら、笛を吹いて注意されました。軍関係、国関係のものは撮ったらあかんようです。
イスタンブール~ベイルート(レバノン)移動(飛行機) [レバノン]
2010年10月21日(木)イスタンブール晴 ベイルート曇
8時前に、チェックアウト。
支払いが、まだだったのですが、フロントのおじさんは寝ています。キーと一緒にお金を置いておいたのですが、大丈夫かな。
トラムヴァイと地下鉄を乗り継いで空港まで行きます。
通勤時間かなと思ったのですが、どちらも空いていました。トルコの通勤ラッシュは何時くらいなのでしょうか。
9時くらいにイスタンブール空港に到着。
ちょっと早く着きすぎて、チェックインカウンターが開いていません。
今回の航空会社はMidlle East Airlinesです。
航空運賃は£122、税金・燃油サーチャージが£38.4です。
チェックインするときに、イスラエルに行ったことあるかと聞かれました。あれば、レバノンには入国できません。
11時25分に出発しましたが、滑走路で45分も離陸待ちしました。理由は不明です。
13時40分にベイルート空港に到着。
パスポートコントロールでは、念入りにチェックしています。イスラエルの渡航履歴も調べているでしょう。レバノンは入国カードがあるのですが、記入の必要のない電話番号まで聞かれました。携帯は持っていないとゆうとホテルの電話番号を聞かれました。怪しく見えたのでしょう。
レバノンはビザが必要ですが、空路で入ると無料で1ヶ月のビザがもらえます。入国スタンプの上に手書きでone monthと書いてあるだけの簡単なビザです。
時間もあまりないので、手っ取り早くタクシーでセントロまで行くことに。
ぎょうさんのタクシードライバーが声をかけてきます。セントロまで相場はUS$15~30と聞いていました。
だいたいが$45とゆうてきます。一人$25とゆうてきたので、そのタクシーに決めて、ドライバーが荷物を運んでくれていたのですが、他のドライバーが強引に荷物を奪い取って走っていきます。慌てて後を追いかけます。
いろいろ経験してきて、多少のことでは驚かなくなりましたが、ここまで強引なのは初めてでビックリしました。
そのタクシーでもええけど、なんぼやと聞くと、やっぱり$45です。たぶん、なんらかの力関係があるのでしょう。ひょっとしたら、安いタクシーのお兄さんは、いじめられっ子(子ではないですが)なのかもしれません。
私は、そのお兄さんでええとゆうのですが、周りのドライバーがあかんといいます。他に$25とゆうドライバーがいてたので、そこにしました。今度は、周りのドライバーは黙っていました。
うーん、いきなりの中東の洗礼パンチです。
あとで宿の人に聞いたら、$20が相場だそうです。
ガイドブックに載っている宿に行こうと思い、ドライバーにこことゆうと、もっとええホテルがあるとゆうので、$10やったら行くとゆうと、黙ってしまいました。
今回の宿はPension Home Valeryです。
シングルで1泊1万5000LPと書いてありましたが、シングルはいっぱいでした。
100LP(レバノン・ポンド)=約5.4円です。
で、ドミが空いていて、ドミもシングルと一緒やといいます。そら、別々のもんやと心の中で突っ込んでおいて、料金を聞くと1泊$15といいます。ガイドブックの値段より2.5倍くらいにはね上がっていて、ちょっとビックリですが、時間も遅いし妥協して決めました。
荷を解いて少し町歩きです。
宿の近くに海があります。
地中海ですが、地中海性気候は、この時期天気が悪いです。
ベイルートは暑いです。
今日は曇っていますが、それでも30℃近いです。
ベイルートは人口100万人を超す大都会です。
大都会の例に漏れず、渋滞が激しいです。排気ガスで空気が悪いです。
西の海岸まで来ました。
灯台があったので写真を撮っていたら、撮ったらあかんと怒られました。テロを警戒しているのでしょうか。
西の海岸には、鳩の岩があります。
どこが鳩やねんちゅう岩ですが、レバノン人で知らない人はいないといわれるくらい有名な岩らしいです。確かに、ぎょうさんの人が記念撮影をしています。
西ベイルートのメインストリートです。
ハムラ通りです。この通りは、アラビア文字よりもアルファベットのほうが多いです。
道路には、スター?の名前が書いてあります。
ベイルートは安い食堂が見当たりません。ケバブ屋もないです。
ピザ屋が多かったのでピザにしました。ピザとペプシで3500LPです。これなら納得の値段です。
海岸のベンチに座って本を読みながら涼んでいたら、自転車に轢かれました。曲乗りをしていたみたいで後輪が私の肩を直撃しました。痛くてうずくまっていましたが、ぶつけたお兄さんは、ほとんど反省の色もありません。
下手くそは、人ごみの中で曲乗りせえへんこっちゃね。
ホリディ・インの跡です。
内戦でボロボロになりました。まるで墓標のようです。
ホリディ・インの下には、装甲車が何台も止まっていて、兵隊もたくさんいてました。まだ、何か危険性があるのでしょうか。
内戦は1975年からイスラーム教徒とキリスト教徒の間で、15年間続きました。その後はイスラーム教徒が住む西ベイルートとキリスト教徒が住む東ベイルートに二分されました。
その後、復興が進んでいきましたが、2005年には首相が暗殺され、政情が不安定に。
2006年には過激派ヒズボラが2名のイスラエル兵を拉致したことに端を発して、イスラエルがレバノン全土に大規模な空爆を実施し、その後南部に侵攻。
2007年には、北部のパレスチナ難民キャンプを拠点とする過激派と国軍が衝突、ベイルートでも爆弾テロが起こりました。
簡単に記しただけでも悲惨な状況です。
以前は日本からレバノンのツアーがありましたが、現在は行われていません。外務省の渡航情報でも、渡航の是非を検討して下さいとなっています。
町を歩いただけでは危険は感じませんが、紛争の火種は枚挙に暇が無く、いつテロや紛争が起こってもおかしくない状況です。
空港のタクシーはすごかったですが、町中のタクシーもやかましいです。止まっているタクシーからは、タクシータクシーと声をかけられるわ、走っているタクシーはクラクションを鳴らすわでうるさいです。観光客が少ない割りにタクシーが多いので必死なんは分かるけど、乗りたかったら手を上げるちゅうねん。
だいぶ涼しくなってから、宿に戻りました。
部屋は、入口のところだけしか灯りがなくて暗いです。設備はボロボロでトイレは詰まっているし、安宿の雰囲気満点です。これで1泊$5くらいなら、ぴったりなのですが、料金は中級並みやなあ。
8時前に、チェックアウト。
支払いが、まだだったのですが、フロントのおじさんは寝ています。キーと一緒にお金を置いておいたのですが、大丈夫かな。
トラムヴァイと地下鉄を乗り継いで空港まで行きます。
通勤時間かなと思ったのですが、どちらも空いていました。トルコの通勤ラッシュは何時くらいなのでしょうか。
9時くらいにイスタンブール空港に到着。
ちょっと早く着きすぎて、チェックインカウンターが開いていません。
今回の航空会社はMidlle East Airlinesです。
航空運賃は£122、税金・燃油サーチャージが£38.4です。
チェックインするときに、イスラエルに行ったことあるかと聞かれました。あれば、レバノンには入国できません。
11時25分に出発しましたが、滑走路で45分も離陸待ちしました。理由は不明です。
13時40分にベイルート空港に到着。
パスポートコントロールでは、念入りにチェックしています。イスラエルの渡航履歴も調べているでしょう。レバノンは入国カードがあるのですが、記入の必要のない電話番号まで聞かれました。携帯は持っていないとゆうとホテルの電話番号を聞かれました。怪しく見えたのでしょう。
レバノンはビザが必要ですが、空路で入ると無料で1ヶ月のビザがもらえます。入国スタンプの上に手書きでone monthと書いてあるだけの簡単なビザです。
時間もあまりないので、手っ取り早くタクシーでセントロまで行くことに。
ぎょうさんのタクシードライバーが声をかけてきます。セントロまで相場はUS$15~30と聞いていました。
だいたいが$45とゆうてきます。一人$25とゆうてきたので、そのタクシーに決めて、ドライバーが荷物を運んでくれていたのですが、他のドライバーが強引に荷物を奪い取って走っていきます。慌てて後を追いかけます。
いろいろ経験してきて、多少のことでは驚かなくなりましたが、ここまで強引なのは初めてでビックリしました。
そのタクシーでもええけど、なんぼやと聞くと、やっぱり$45です。たぶん、なんらかの力関係があるのでしょう。ひょっとしたら、安いタクシーのお兄さんは、いじめられっ子(子ではないですが)なのかもしれません。
私は、そのお兄さんでええとゆうのですが、周りのドライバーがあかんといいます。他に$25とゆうドライバーがいてたので、そこにしました。今度は、周りのドライバーは黙っていました。
うーん、いきなりの中東の洗礼パンチです。
あとで宿の人に聞いたら、$20が相場だそうです。
ガイドブックに載っている宿に行こうと思い、ドライバーにこことゆうと、もっとええホテルがあるとゆうので、$10やったら行くとゆうと、黙ってしまいました。
今回の宿はPension Home Valeryです。
シングルで1泊1万5000LPと書いてありましたが、シングルはいっぱいでした。
100LP(レバノン・ポンド)=約5.4円です。
で、ドミが空いていて、ドミもシングルと一緒やといいます。そら、別々のもんやと心の中で突っ込んでおいて、料金を聞くと1泊$15といいます。ガイドブックの値段より2.5倍くらいにはね上がっていて、ちょっとビックリですが、時間も遅いし妥協して決めました。
荷を解いて少し町歩きです。
宿の近くに海があります。
地中海ですが、地中海性気候は、この時期天気が悪いです。
ベイルートは暑いです。
今日は曇っていますが、それでも30℃近いです。
ベイルートは人口100万人を超す大都会です。
大都会の例に漏れず、渋滞が激しいです。排気ガスで空気が悪いです。
西の海岸まで来ました。
灯台があったので写真を撮っていたら、撮ったらあかんと怒られました。テロを警戒しているのでしょうか。
西の海岸には、鳩の岩があります。
どこが鳩やねんちゅう岩ですが、レバノン人で知らない人はいないといわれるくらい有名な岩らしいです。確かに、ぎょうさんの人が記念撮影をしています。
西ベイルートのメインストリートです。
ハムラ通りです。この通りは、アラビア文字よりもアルファベットのほうが多いです。
道路には、スター?の名前が書いてあります。
ベイルートは安い食堂が見当たりません。ケバブ屋もないです。
ピザ屋が多かったのでピザにしました。ピザとペプシで3500LPです。これなら納得の値段です。
海岸のベンチに座って本を読みながら涼んでいたら、自転車に轢かれました。曲乗りをしていたみたいで後輪が私の肩を直撃しました。痛くてうずくまっていましたが、ぶつけたお兄さんは、ほとんど反省の色もありません。
下手くそは、人ごみの中で曲乗りせえへんこっちゃね。
ホリディ・インの跡です。
内戦でボロボロになりました。まるで墓標のようです。
ホリディ・インの下には、装甲車が何台も止まっていて、兵隊もたくさんいてました。まだ、何か危険性があるのでしょうか。
内戦は1975年からイスラーム教徒とキリスト教徒の間で、15年間続きました。その後はイスラーム教徒が住む西ベイルートとキリスト教徒が住む東ベイルートに二分されました。
その後、復興が進んでいきましたが、2005年には首相が暗殺され、政情が不安定に。
2006年には過激派ヒズボラが2名のイスラエル兵を拉致したことに端を発して、イスラエルがレバノン全土に大規模な空爆を実施し、その後南部に侵攻。
2007年には、北部のパレスチナ難民キャンプを拠点とする過激派と国軍が衝突、ベイルートでも爆弾テロが起こりました。
簡単に記しただけでも悲惨な状況です。
以前は日本からレバノンのツアーがありましたが、現在は行われていません。外務省の渡航情報でも、渡航の是非を検討して下さいとなっています。
町を歩いただけでは危険は感じませんが、紛争の火種は枚挙に暇が無く、いつテロや紛争が起こってもおかしくない状況です。
空港のタクシーはすごかったですが、町中のタクシーもやかましいです。止まっているタクシーからは、タクシータクシーと声をかけられるわ、走っているタクシーはクラクションを鳴らすわでうるさいです。観光客が少ない割りにタクシーが多いので必死なんは分かるけど、乗りたかったら手を上げるちゅうねん。
だいぶ涼しくなってから、宿に戻りました。
部屋は、入口のところだけしか灯りがなくて暗いです。設備はボロボロでトイレは詰まっているし、安宿の雰囲気満点です。これで1泊$5くらいなら、ぴったりなのですが、料金は中級並みやなあ。