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チュニス観光part2 [チュニジア]

2010年11月16日(火)晴後曇

朝食がすんでネットをしていたら、宿の人に早く出ていけと言われました。宿の人は英語が出来ないので宿泊客に通訳してもらいました。

部屋に電源がないので、ミーティングルームでPCを使ったり充電したりしていますが、ミーティングルームは使えなくなると聞いていましたが、ミーティングルームだけではなく宿を閉め切ってしまうようです。ほんで18時まで帰ってくるなと言われました。

宿を出たら違和感が。町がシーンとしていて人通りも少ないです。なんかの祝日かなと思ってガイドブックを見たら、イード・ル・アドハー(犠牲祭)のようです。経営を投げているような宿ですので、そら客より犠牲祭を取るでしょう。

イスラームの犠牲は一般の意味の犠牲とは異なっていて、自分の欲望を犠牲にして、アッラーに帰依するという意味であって、このことによってイスラームの信者は、アッラーの道とその教えに従うためには、自分の持っているものすべて、自分の命さえもアッラーにささげる用意のあることを表現するものなのです。

ガイドブックには犠牲祭期間中の旅行についてとゆうページがありますが、そのページは千切ってしまっています。

犠牲祭のことは聞いたことはあったのですが、この時期とは知りませんでした。合点はいったのですが、さてどうやって時間を過ごしましょう。

町では犠牲となった羊の頭を金網の上で、焼いています。

肉の大部分は飢えた貧しい人に与えられ、残りは家族にお祝いの食事として分けられ、親族や友人を招いてこれを食べます。

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スークも全部店が閉まっています。
こんなにひっそりとしたスークが見られるのは1年でこの日だけでしょう。

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人通りが少ないので猫ものんびりしています。

ベイの墓に行って、やっぱり閉まっているなぁと思っていたら、扉が開いて入れてもらえました。入場料D4と写真撮影料D1です。

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オスマン帝国時代のベイ(王)、アリ・パシャ2世の代からのベイやその妃、大臣などが眠っています。

他も何箇所か行ってみましたが、みんな閉まっていますし、そうそう都合よく入れてもらえません。

メディナを離れて新市街へ。

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車もめっちゃ少ないです。心配していた公共交通機関やタクシーは走っていますので、明日の移動は問題ないでしょう。

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ベルベデール公園です。
公園とゆうより、ただ草や木が生えているだけです。

この日は雲が多くて風が強くて寒いです。
どこも行くとこがないのはいいのですが、宿にも入れないのは辛いです。寒いときは宿で映画でも見るのが一番なんですが・・・。

開いているのはカフェが少しだけで食事するところもないです。

暖かければ公園で昼寝でもと思っていたのですが、寒いのでそれもままなりません。じっとしていると余計に寒いので歩きます。

チュニジアを歩いていると、何回かチャイニーズとからかって笑う人に出会いました。チュニジアと中国にどうゆう経緯があったか知りませんが、人種によって差別するのは悲しいことです。

メディナに戻ってきて、ぶらぶらしていたら、今日はじめて開いているレストランを発見しました。

さっそく入って、メルゲズを注文。D2.5です。
メルゲズは、チュニジア版ウインナーです。

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いろいろな食べ方があるようですが、ここのはサンドイッチになっています。イスラームの国ですので豚肉は食べません。たぶん羊肉のソーセージだと思います。癖があって、かなり辛いです。食べなれているからかもしれないですが、ソーセージは豚肉のほうが好きです。

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シリアでよく見かけた、ファーティマの手がチュニジアにもありました。


シディ・ブ・サイド観光 [チュニジア]

2010年11月15日(月)晴

昨夜はコンサートがなくて安眠できました。たぶん、イスラームの休みに合わせて金曜土曜のみ行っているのでしょう。

早く出かける必要もなくてゆっくり眠りたいのですが、シャワーを浴びたいので早起きしないといけないのが辛いところです。

今日もTGMで移動です。

チュニス・マリン駅からシディ・ブ・サイドに行きます。料金はD0.7ですが、帰りはD0.68でした。

約30分でシディ・ブ・サイド駅に到着。
シディ・ブ・サイドは、チュニジアで最も美しいといわれる町です。

1231年に没した聖者アブ・サイドは、スーフィー教団の導師としてこの地で活動しました。死後、人々が彼の墓に巡礼を始めるようになったのを機に、この地方の太守により墓を包むような形でモスクが建設されました。

シディ・ブ・サイドの地名は、彼の名前に因んでいます。シディは聖人につける称号です。

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駅からすぐのところにモスクがあります。

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緩やかな坂を上っていきます。
町は白壁の家にチュニジアンブルーのドアや窓枠です。

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並木はオレンジの木です。

坂を上がりきったあたりに、ダール・エル・アンナビがあります。
町の富裕層の個人邸を再装飾して一般に公開しています。18世紀に建てられてから20世紀にかけての、シディ・ブ・サイドに住む家族の暮らしぶりを垣間見ることが出来ます。入場料はD3.5です。

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マネキンを利用して当時の生活の一場面を再現しています。
女性のゲストをもてなしているところです。装飾品が豪勢です。

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ハマムに入る前に泥パックをしているようです。

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祈りの間もあります。
壁のアンダルシア風タイルが綺麗です。

部屋の数は50を超えていて、優雅な暮らしぶりが想像できます。
ミントティーがサービスで飲めます。

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シディ・ブ・サイドのランドマークでもあるカフェ・デ・ナットです。

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ドアの模様もいろんなんがあって、そんなんを見ながら散策するのも楽しいです。

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展望台からの眺めです。
まさに一服の清涼剤です。感動的な美しさです。

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青いドアが圧倒的に多いのですが、中には黄色ドアもあります。でも、やっぱり青いドアのほうが綺麗に思います。

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地図も見やんと、ぶらぶらと歩くのが楽しいです。
白い壁、青いドア・窓、眼下にときおり覗く、煌めく地中海。幸福な時間に浸ります。車も少ないので、ゆっくりと歩けます。

チュニスに戻って、夕食です。

マグレブの代表的料理のクスクスにします。
マグレブとは、北アフリカのチュニジア、アルジェリア、モロッコの総称で、「日の沈むところ」とゆう意味です。

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セットメニューにしましたので、まずはスープからです。
白身魚と野菜のスープです。複雑な味わいで、めっちゃ美味しいです。

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メインのクスクスです。
クスクスは小麦粉から作る粒状の粉食で、パスタの最も小さな形です。野菜と牛肉がのっています。具に対してパスタが多いです。パスタをここまで小させんでも、ええやんと思います。味は、まあまあです。

デザートは、季節のフルーツを頼んだのですが、オレンジが2個ころっと皿にのって出てきました。

スープめちゃうま、クスクスまずまず、で最後がこれ?

なんか三段落ちの小話のようなコース料理でした。料金はD5.8です。

スーパーで買い物です。
ビールも売っていましたが、冷やしていません。どこに行ったら冷やしたビールがあるんでしょうか。


カルタゴ観光 [チュニジア]

2010年11月14日(日)晴

昨夜もコンサートがあって、また寝不足です。

ここの宿はシャワーの使用時間とか規則が厳しいのですが、そういえば宿によく書いてある何時以降は静かにしましょうとゆうのは、なかったです。そりゃそうです、宿が一番騒いでいるのですから・・・。

宿泊客は数名しかいないようですが、そりゃこんなことしてたら客もこなくなります。ミーティング・ルームや廊下は物置と化していますし、チェックアウトしたベッドのシーツは取り替えないし、宿としての経営を放棄しているとしか思えないような状態です。あー夜が怖いです。

TGM(郊外電車)に乗って移動です。

チュニス・マリン駅から乗車です。
カルタージュ・サランボ駅まで、運賃はD0.68です。

20分ほどでサランボ駅に到着。
ここからは、歩いての観光です。

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トフェに到着。
オープン時間より早く着いてしまったのですが、入れてもらえました。

チケットは、カルタゴ地区の遺跡の共通券になっていて8箇所入場できます。料金はD9です。有効期限は1日ですので、頑張って歩きます。写真撮影代はD1です。

殺風景なところですが、ローマ以前のカルタゴの面影を残す数少ない遺跡です。ポエニ時代には墓場と火の神といわれているバール・ハモン(フェニキアの古代宗教神)と、天と豊穣の女神タニト神(カルタゴの守護神)とゆうふたつの最高神が祀られていました。いわば聖域だった場所です。

当時カルタゴでは幼児を殺し神に捧げるとゆう、いけにえの習慣がありました。敷地内からは、炭化した幼児の骨が入った骨壷が発見されていますが、幼児死亡率の高い古代ですので自然死して火葬されたのか、生きたまま首を切られて焼かれ、いけにえになったのか、歴史に埋没して真相は分かりません。

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古代カルタゴの港です。
こちらは軍港です。直径300m、220隻の船を係留することができ、ロープなどで船を丘に引き上げる設備も整っていました。

南側には商業港もあり、ふたつの港は幅20mの水路でつながっていて、鉄の鎖で閉ざされる仕組みになっていました。

カルタゴが栄えたのが紀元前3世紀から2世紀にかけてです。当時これだけの人口の港を作ったとゆうのは、すごい技術力だと感心します。

港の中にある小島は陸続きになっています。
団体客が次から次とやってきますが、慌ただしく軍港の写真だけを撮って走り去っていき、島に行く団体は皆無です。

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島には港の復元模型が展示してあります。
こんな立派な建物があったなんて、ほんまかいなと思ってしまうくらいです。

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カルティエ・マゴンです。
近年ドイツの発掘隊により発見された住居跡で、名前はカルタゴ初期の王の名、マゴから付けられました。

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アントニヌスの共同浴場です。
2世紀にローマの五賢帝のひとり、アントニヌス・ピウスにより建設されました。

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当時、建物は2階建てで、風呂、サウナ、プール、談話室、噴水など100を超える部屋があり、壁にはフレスコ画、柱には彫刻、床には色鮮やかなモザイクが敷き詰められた贅沢な造りだったそうです。

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1階は冷浴室(フリギダリウム)で、この高さが5.6m、その上に復元された円柱の高さが15m、さらに当時はここからドームがせり上がっていたといいますから、天井の高さは少なくとも30mはあったでしょう。

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当時の想像図です。
今の時代よりも贅沢な暮らしをしていたように感じます。

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ローマ人の住居跡にある、ヴォリエールの別荘です。

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床モザイクのパネルが残っています。
パネルは競馬をモチーフにしたものが多いです。約20万人収容できた競馬場あともありますし、当時の人はかなり競馬好きなようです。

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ローマ劇場です。
最盛期には1万人を収容しました。修復されて、現在は毎年7~8月にはカルタゴ国際フェスティバルの会場として使われています。

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サン・ルイ教会です。
最初に礼拝堂が建てられたのが1840年。現在の大聖堂は、1890年にフランスによって建てられたものです。ここだけ、別入場料でD5です。

教会中は展示会に使われていて、この日は旗に描いたアートが飾られていました。

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カルタゴ博物館です。
1890年に建設。アフリカ宣教会の神学校を改造した博物館です。

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スフィンクスの形をした壷です。
紀元前7世紀後半の作品です。エジプト王の王冠をつけていて、ポエニ人は異文化を受け入れた多神教でした。

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博物館の敷地内には、ポエニ人の住居跡も残っています。

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ラ・マルガの貯水池です。
132km離れたザクーアンの泉から水が引かれ、市街やアントニヌスの浴場などに供給していました。当時は縦94×横12.5mのタンクが24個も並んでいました。

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円形闘技場です。
ローマ時代の闘技場で、その規模は156×128m、当時3万6000人の観衆を収容できたといわれています。しかし、数世紀にわたって石材が持ち出され、今では基部しか残っていません。


チュニス観光 [チュニジア]

2010年11月13日(土)晴後曇

昨夜は22時頃から、宿の中庭でコンサートみたいなんがありました。あほほど大きな音で演奏していて眠れたもんじゃありません。25時にようやくコンサートは終了しました。やれやれと眠りました。

朝5時に同室の人が起きて、お祈りを始めました。中東では、ほとんどシングルだったので気になりませんでしたが、モスリム(イムラム教信者)と同室になると、こうゆうこともあります。

ここの宿は朝食付きです。
パサパサのフランスパンとジャム・バターと飲み物だけと、ちょっと貧弱です。

メトロに乗って移動です。
メトロとゆうても地下鉄ではなく、路面電車です。フランス植民地時代に、造られたものです。

メトロ4号線でバルドー駅まで行きます。料金はD0.47です。
バルドー駅にもモザイクがあります。

バルドー博物館への道がが分からなくて、聞いてみましたが英語は通じません。フランス語は、かなり通じるそうです。

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バルドー博物館です。
オスマン帝国時代にチュニジアを統治していたベイ(地方長官)の宮殿を利用した博物館です。

現在、増築改装中で見られないところが多くて残念です。
入場料は通常の半額で、D4です。写真撮影代(通常D1)は無料になっています。

メインの2階が、ほとんど見られなくなっています。
これでは半額でも高いくらいです。

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魚づくしのモザイクです。
魚好きの人が注文したのでしょうか。

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今まで見たことのないモザイクです。
動物も生き生きと描かれています。

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オデュッセイアとセイレーンです。
ホメロスの叙事詩「オデュッセイア」の主人公の冒険譚の一場面です。


地中海航海の最大の難所、セイレーンの島。セイレーンの美しい歌声に惑わされ、この岩礁を通過できた船はありません。オデュッセイアは、その歌声を聞かせまいと船乗りたちの耳をロウで塞ぎます。

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しかし、好奇心の強いオデュッセイアは帆柱に身を縛り付け、その歌声を聞こうと試みます。

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セイレーンとは人魚のことですが、この叙事詩が書かれたギリシア時代に描かれた姿は波間を飛び交う女鳥人です。それゆえに、美しいセイレーンたちの下半身は鳥になっています。

ここまで描かれたモザイクは芸術作品ですね。モザイクへの考え方が変わりました。

博物館を出て昼食です。

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ラブラビです。
パンをもらって丼に自分で細かくちぎって入れます。それを渡したら、スープと半熟卵を入れてくれます。好みでトッピングも出来ます。カブみたいなんを注文しました。オリーブと唐辛子と一緒に出てきました。料金はD2です。

スプーンでよくかき混ぜていただきます。
ピリ辛味と半熟卵の甘味が相まって美味しいです。

チュニスのセントロに戻ってきて散策です。

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ハビブ・ブルギバ通りです。
オープンカフェがあって建物もヨーロッパ調で、とてもここがアフリカの町とは思えない風景です。ただし、アルコールを飲んでいる人は一人もいないのが、イスラムの国やと感じさせます。

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ハビブ・ブルギバ通りの東側には時計塔があります。
なかなか美しい時計塔です。

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そして西側には、大聖堂があります。
大聖堂の前の像は、チュニジアの14世紀の歴史家・哲学者、イブン・ハルドゥーンの像です。

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グランド・モスク(ジャマー・エズ・ジトゥナ)です。
入ろうと思ったら、モスクの中には入られないので止めといたほうがええと言われて、止めました。

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ならばと、シディ・ユセフ・モスクへ行きます。
1616年、オスマン帝国のユセフ王の時代に、アンダルシアの建築家によって建てられました。チュニス最古のトルコスタイルのモスクです。が、閉まっていて入られませんでした。

メディナの北のほうへ行ってみます。

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このあたりは、家の色使いが違っていて綺麗です。
人通りも少なくて、のんびり歩けます。

でも、このあたりのスークも、人人人で喧騒の渦です。
土曜日は買い物する人が殺人的に多いです。メインロードを歩いていると、いつ将棋倒しが起こってもおかしくないような状態で怖いです。


アカバ~チュニス(チュニジア)移動(飛行機) [チュニジア]

2010年11月12日(金)アカバ晴 チュニス晴

6時35分チェックアウト。
タクシーでアカバ空港に行きます。インフォでタクシーの相場を聞いていましたが、1台目で相場でいってくれるタクシーが見つかりました。料金は10JDです。

空港までに2箇所、パスポート・チェックポイントがありました。
えらい警戒が厳重です。

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15分ほどで空港に到着。
早く着きすぎて、中に入れてもらえません。空港の入口で待機ですが、日が当たっていて暑いです。

40分ほど待って、ようやく中に入れてもらえます。
アカバ空港でヨルダンの出国手続きです。出国税が5JDいるのですが、航空券に含まれているようで徴収はされませんでした。

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今回の航空会社は、ロイヤルヨルダン航空です。航空運賃は£246で、税金と燃油サーチャージが£92.2です。

アカバ空港はネットが無料でつながります。

予定より20分遅れて、9時10分に出発。
アンマン空港には15分遅れで、9時50分に到着。アンマン空港にてトランジットです。荷物は、そのままスルーです。

アンマン空港の待合室は、トイレがありません。
これは設計ミスとちゃうかなと思います。

予定より25分遅れて、11時50分出発。
アラブ人の小さな子供が乗っていたのですが、遊ばせ放題で走り回っています。欧米人の子供は大人しいですが、アラブ人は日本人同様、お子様状態です。

機内でチュニジアの入出国カードが配られましたが、アラビア語とフランス語しか書いていなくて手強いです。ガイドブックを参考に記入しました。

予定より15分遅れで、14時30分(ヨルダンとの時差はマイナス1時間)にチュニス空港に到着。
荷物はスルーだったので、ちょっと心配でしたが無事でてきました。

ATMでお金を下ろして、水でも買うてくずそうと思うのですが水が売っていません。まあ、そのままバスに乗ってセントロまでと思いましたが、バスは超満員で乗れません。

大きな荷物もあるし、他の乗客に悪いなと思いタクシーで行くことに。
1台目、なんぼと聞くのですが、英語が通じなくいのでパス。2台目、料金を聞いたらD20(チュニジアン・ディナール)と高いので止め。D1=約62円です。

3台目、メーターやとゆうので乗ったのですが、どこにもメーターがありません。走り始めてましたが下りました。

4台目、今度はメーターがちゃんと付いています。しかし、走り始めてから荷物は別料金でD5と言い出したので、また途中で下りました。最初から言えよな。

ガイドブックに1階のタクシーは、ぼるのが多くて、2階の出発ゲートのところの流しのタクシーなら、ぼらないと書いてあったので、そっちに行ってみます。

5台目、料金を聞いたらD20です。高いので止め。

気の長い私でも、ええ加減いやになってきて、やっぱりバスで行くことに決めて、US$を両替して小銭もつくりました。ATMは便利ですが、小銭がつくれないのが欠点です。

バスは時間帯にもよるようで、今度のバスはガラガラです。車掌が乗っていて、車掌から切符を買うシステムです。ですから、乗るときは後ろから乗ります。

料金はD0.5です。タクシーは、なんとバスの40倍もします。いくらタクシーが贅沢なもんやとゆうても、バスの40倍は、ぼりすぎやろ。ええとこ10~20倍が相場やと思うけどね。

25分くらいでセントロのバスターミナルに到着。
ここから宿まで歩いていきます。

宿は少し離れたメディナ(旧市街)にあります。

しかし、今日は金曜日やとゆうのをコロッと忘れていました。イスラームのお休みの日です。メディナの道は迷路のようで、しかも狭くて、でこぼこの石畳で、金曜の夕方でと悪条件がいくつも重なって前に進むのも、ままなりません。

一番人通りが多いところを離れてみたのですが、方角がさっぱり分かりません。地図を眺めていたら助けの手が、宿の名前をゆうたら知っていて、連れていったるとゆうのでついて行きます。

おじさんは歩くのが早くて、必死でついていきます。
迷路のような道をくねくねと歩いて、宿に到着。タバコちょうだいとゆうのですが、タバコを吸わないので、タバコ代としてD1あげました。おおきにありがとう。

今回の宿はAuberge de Jeunesseです。
ドミで1泊D14です。

シャワーは7時半から8時半の1時間だけと、厳しい条件です。朝食付きなのですが、朝食は7時半から9時と時間が重なっていますし、部屋は鍵がかからずセキュリティに不安があります。

洗濯は禁止です。部屋には電源がなくて充電が不便です。特に安いとゆう宿でもなく、あんまりお勧めしません。

空港からの移動で時間をくってしまって、もうあたりは暗いです。
迷子になりそうなので、近所をぶらぶらと。

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宿の近くです。
街灯の色が独特で、ええ感じです。

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夕食はフリカッセに。
フリカッセは、揚げパンにジャガイモやツナ、卵、オリーブが入っています。美味しいです。1個D0.3と安いのも嬉しいです。

コカコーラは330mℓでD1.5と、ちょっとビックリする高さです。


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