マラケシュ観光part3 [モロッコ]
2010年11月24日(水)晴
メナラ庭園に歩いて行きます。
新市街にありますので、道は歩道があって安心して歩けます。思っていたより遠くて1時間くらいかかりました。
中央に貯水池があります。
フナがいてて、フナのえさとしてパンを売っているおじさんがいました。めっちゃでかいフナで、パンを食べに来る姿は気持ち悪いくらいです。
貯水池に面してパビリオンがあります。入場料は10DHです。
19世紀に修復されたもので、スルタンたちのデートスポットだったところです。
こんな風にデートしていたのでしょうか。
2階建てで高くはないですが、テラスから眺めるとオリーブの林が広がっていて綺麗です。遠くにはアトラス山脈が見えています。
たいした庭園ではありませんが、訪れる人も多くて物売りやラクダ乗せもいました。Tシャツ売りが多かったですが、1枚200DHとべらぼうに高いです。
メディナに戻って伝統工芸館です。
モロッコの伝統工芸の実演風景が見られると書いてあったので行ってみたのですが、ほとんど作業していませんで、製品の販売が中心になっていました。良心的な値段のようで買い物をするには、ええかもしれません。
ティスキウィン博物館です。
最初に行ったときは閉まっていました。昼休憩が2時間半あります。
夕方に再度行きました。入場料は20DHです。
サハラ砂漠からモロッコにいたるまでのベルベル人の生活文化をテーマにした博物館で、モロッコ在住50年のオランダ人民族史研究家が集めたプライベートコレクションです。
これを被って祭りのときに使うようです。
アクセサリーの展示も多いです。
アフリカらしい彫刻です。
モロッコは7割くらいがアラブ人で、3割くらいがベルベル人です。ベルベル人は先住民族として長い歴史を営んできました。モロッコのルーツともいえる民族です。
夕食は、定番のタジンです。
いつも大衆食堂ばかり行きますが、タジンは25~30DHくらいです。
ええレストランで食べたら100DH以上しますが、味が違うんでしょうか。私には25DHのタジンでも充分美味しいですが。
お金が余りそうなので、ジャマ・エル・フナ広場の大道芸の写真でも撮ってチップをあげようと思っていたのですが、アクロバットや火吹きの大道芸はいてませんでした。もっとぎょうさん大道芸人がいてるんかなと思っていたので。ちょっと期待外れでした。
メナラ庭園に歩いて行きます。
新市街にありますので、道は歩道があって安心して歩けます。思っていたより遠くて1時間くらいかかりました。
中央に貯水池があります。
フナがいてて、フナのえさとしてパンを売っているおじさんがいました。めっちゃでかいフナで、パンを食べに来る姿は気持ち悪いくらいです。
貯水池に面してパビリオンがあります。入場料は10DHです。
19世紀に修復されたもので、スルタンたちのデートスポットだったところです。
こんな風にデートしていたのでしょうか。
2階建てで高くはないですが、テラスから眺めるとオリーブの林が広がっていて綺麗です。遠くにはアトラス山脈が見えています。
たいした庭園ではありませんが、訪れる人も多くて物売りやラクダ乗せもいました。Tシャツ売りが多かったですが、1枚200DHとべらぼうに高いです。
メディナに戻って伝統工芸館です。
モロッコの伝統工芸の実演風景が見られると書いてあったので行ってみたのですが、ほとんど作業していませんで、製品の販売が中心になっていました。良心的な値段のようで買い物をするには、ええかもしれません。
ティスキウィン博物館です。
最初に行ったときは閉まっていました。昼休憩が2時間半あります。
夕方に再度行きました。入場料は20DHです。
サハラ砂漠からモロッコにいたるまでのベルベル人の生活文化をテーマにした博物館で、モロッコ在住50年のオランダ人民族史研究家が集めたプライベートコレクションです。
これを被って祭りのときに使うようです。
アクセサリーの展示も多いです。
アフリカらしい彫刻です。
モロッコは7割くらいがアラブ人で、3割くらいがベルベル人です。ベルベル人は先住民族として長い歴史を営んできました。モロッコのルーツともいえる民族です。
夕食は、定番のタジンです。
いつも大衆食堂ばかり行きますが、タジンは25~30DHくらいです。
ええレストランで食べたら100DH以上しますが、味が違うんでしょうか。私には25DHのタジンでも充分美味しいですが。
お金が余りそうなので、ジャマ・エル・フナ広場の大道芸の写真でも撮ってチップをあげようと思っていたのですが、アクロバットや火吹きの大道芸はいてませんでした。もっとぎょうさん大道芸人がいてるんかなと思っていたので。ちょっと期待外れでした。
マラケシュ観光part2 [モロッコ]
2010年11月23日(火)晴
新スークです。
こちらのスークは観光客よりも地元の人が多いです。
ムアッシンの泉です。
ムアサン・モスクの脇にあります。ムアサン・モスクは、16世紀サアード朝時代に、以前はユダヤ人地区だった所に造られたモスクです。
ガイドブックには美しい泉と書いてあったので、このそばを通っていながら気が付きませんでした。地元の人に教えてもらって、ようやく分かりました。泉にはゴミが浮いていて、とても美しいとは言い難いです。
革なめし職人地区に行きます。
道が分からなくなって、少年がこっちやと教えてくれてずっと付いてきて案内してくれますが、方角が違うのに気が付いて、もうええとゆうて分かれました。どこに連れていくつもりだったのでしょうか。油断がなりません。
自力で革なめし職人地区に着きました。道端にも革が干してあります。
何人か作業場を見ていけと声をかけてきます。適当なところで中に入れてもらいました。
円形の水槽のところで、はがされた牛や羊の皮を溶液に漬け込みます。このときは羊ばかりです。犠牲祭のあとやから、よけいに多いのでしょう。生臭いのと革を漬け込む溶液の臭いが独特です。
洗った革を干しています。
革についている肉をこそげ落とす人、革を洗う人、革を柔らかくする人など行程に分かれて作業しています。作業しているところを写真に撮ろうとしたら撮るなと怒られました。
責任者らしき人にチップを10DH渡したら少ないとゆうてきます。もうちょっと渡そうかと思っていたのですが、一部しか写真を撮られへんのをゆわへんかったから、これで充分です。
マジョレル庭園の中です。
1920年代にフランスのアール・デコの画家ジャック・マヨレルが造園し、彼の他界後、イヴ・サンローランが買い取って修復、経営を始めた庭園です。入場料は30DHです。
イヴ・サンローランの記念碑です。
いたってシンプルな記念碑です。
マジョレルがアトリエとして使っていた建物です。現在は美術館として使用されているのですが、改装中で閉館していました。目が痛くなるようなブルーです。
植木鉢も派手です。
西洋人が造ったモロッコ風の庭園なので、お世辞にも美しいとは言い難いです。入場料も高いですし、お薦めはしません。美術館は別料金で25DH必要です。
先日も書きましたが、とにかくバイクが多くて歩いていると危なくてしかたないです。一度後ろから接触されましたし、他にもぶつかって喧嘩している人も何度か見かけました。排気ガスもひどいですし。全部とは言いませんが、メインロードだけでも歩行者専用にして欲しいです。
昨日はカメラが壊れて早々に引き揚げてきたので、もう一度ジャマ・エル・フナ広場に行きます。
釣り竿の先に輪がついていて、ジュースのビンに引っ掛けて釣り上げるゲームです。モロッコ版UFOキャッチャーとでも言いましょうか。見ていても、かなり難しいようで誰も成功していません。輪をビンに引っ掛けるのがまず難しいですし、うまく掛かっても持ち上がるのでしょうか。
人が輪になっているのは、音楽の生演奏か講釈師が語っているのを聞いている人の輪です。
この賑わいが毎日25時くらいまで続くとゆうのですから、モロッコ人のパワーは半端ないです。
新スークです。
こちらのスークは観光客よりも地元の人が多いです。
ムアッシンの泉です。
ムアサン・モスクの脇にあります。ムアサン・モスクは、16世紀サアード朝時代に、以前はユダヤ人地区だった所に造られたモスクです。
ガイドブックには美しい泉と書いてあったので、このそばを通っていながら気が付きませんでした。地元の人に教えてもらって、ようやく分かりました。泉にはゴミが浮いていて、とても美しいとは言い難いです。
革なめし職人地区に行きます。
道が分からなくなって、少年がこっちやと教えてくれてずっと付いてきて案内してくれますが、方角が違うのに気が付いて、もうええとゆうて分かれました。どこに連れていくつもりだったのでしょうか。油断がなりません。
自力で革なめし職人地区に着きました。道端にも革が干してあります。
何人か作業場を見ていけと声をかけてきます。適当なところで中に入れてもらいました。
円形の水槽のところで、はがされた牛や羊の皮を溶液に漬け込みます。このときは羊ばかりです。犠牲祭のあとやから、よけいに多いのでしょう。生臭いのと革を漬け込む溶液の臭いが独特です。
洗った革を干しています。
革についている肉をこそげ落とす人、革を洗う人、革を柔らかくする人など行程に分かれて作業しています。作業しているところを写真に撮ろうとしたら撮るなと怒られました。
責任者らしき人にチップを10DH渡したら少ないとゆうてきます。もうちょっと渡そうかと思っていたのですが、一部しか写真を撮られへんのをゆわへんかったから、これで充分です。
マジョレル庭園の中です。
1920年代にフランスのアール・デコの画家ジャック・マヨレルが造園し、彼の他界後、イヴ・サンローランが買い取って修復、経営を始めた庭園です。入場料は30DHです。
イヴ・サンローランの記念碑です。
いたってシンプルな記念碑です。
マジョレルがアトリエとして使っていた建物です。現在は美術館として使用されているのですが、改装中で閉館していました。目が痛くなるようなブルーです。
植木鉢も派手です。
西洋人が造ったモロッコ風の庭園なので、お世辞にも美しいとは言い難いです。入場料も高いですし、お薦めはしません。美術館は別料金で25DH必要です。
先日も書きましたが、とにかくバイクが多くて歩いていると危なくてしかたないです。一度後ろから接触されましたし、他にもぶつかって喧嘩している人も何度か見かけました。排気ガスもひどいですし。全部とは言いませんが、メインロードだけでも歩行者専用にして欲しいです。
昨日はカメラが壊れて早々に引き揚げてきたので、もう一度ジャマ・エル・フナ広場に行きます。
釣り竿の先に輪がついていて、ジュースのビンに引っ掛けて釣り上げるゲームです。モロッコ版UFOキャッチャーとでも言いましょうか。見ていても、かなり難しいようで誰も成功していません。輪をビンに引っ掛けるのがまず難しいですし、うまく掛かっても持ち上がるのでしょうか。
人が輪になっているのは、音楽の生演奏か講釈師が語っているのを聞いている人の輪です。
この賑わいが毎日25時くらいまで続くとゆうのですから、モロッコ人のパワーは半端ないです。
マラケシュ観光part1 [モロッコ]
2010年11月22日(月)晴
ここの宿は朝食付きです。
パンとパンケーキとオレンジジュース、コーヒーです。コーヒーはアラビア式ではないコーヒーです。
少しのんびりしてから宿を出ました。
クトゥビアです。
メディナの西に建つマラケシュのシンボルです。高さは77mです。4面それぞれ異なる装飾を持つムーア様式建築のミナレットです。
12世紀、ムワッヒド朝の創始者アブド・アル・ムーミンによって着工され、その息子ヤクーブ・ユーセフの時代に、モスク部分が完成、さらにヤクーブ・エル・マンスールによって、1192年にミナレット部分まで完成しました。現在モスク部分は残っていません。
アグノウ門です。
メディナの南にある門で、マラケシュで最も美しい門と言われています。スルタンが宮殿に行くために使われた門ですが、死刑に処された罪人の首をさらす場所でもありました。
アサード朝の墳墓群にある、12の円柱の間です。
イタリア産の大理石でできた12本の柱が、木や漆喰の装飾的なアーチを支えています。入場料は10DHです。
エル・バディ宮殿です。
サアード朝のアフメド・アル・マンスール王が、当時の技術の粋を集め、25年の歳月をかけて建造した宮殿です。後のアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王によって破壊され、現在は廃墟と化しています。入場料は10DHです。
コウノトリの格好の棲家になっています。
エル・バディ宮殿を出てから、近くにある王宮の写真を撮っていたら、写真を撮るなと注意されました。一般男性にです。王宮とゆうても一般道路に面したところで警備兵もいてないようなところです。
その男性は注意したあげく、罵詈雑言を投げつけてきます。こんな場所で撮影禁止なんて考えられませんし、よしんば撮影禁止やったとしても、罵ることはないでしょう。ちょっと、モロッコが嫌いになりました。
バヒア宮殿の中庭です。
周囲の建物は、4人の妃と24人の側女たちの部屋でした。
壁には細かな彫刻が。
天井はアトラスシーダー材に細密画が描かれていて、どこを見ても手が込んでいて美しいです。この宮殿は、ときどき国王が宿泊するそうで「輝く宮殿」と呼ばれるにふさわしい宮殿です。
外に出たらネコが集会していました。
ダル・シ・サイドの中庭です。
19世紀、アラウィー朝時代に、宮殿として建造されました。
工芸品が展示される博物館として利用されています。入場料は10DHです。
ジャマ・エル・フナ広場から見る夕陽です。
まさにマグレブ(日の没する大地)です。
朝見たクトゥビアも夜の顔です。
そして夕方になるとジャマ・エル・フナ広場には屋台が次々とできて、大道芸やヘナ描きや、ガラクタ売りなどで、まさにお祭り状態です。
屋台の光がまぶしいくらいです。上がっているのは肉やソーセージを焼く煙です。
テハンが食べたかったので、何軒か覗いてみて安くて流行っている屋台にします。スープとテハンを注文しました。周りの人はソーセージを食べている人が8割くらいです。特に地元の人は、ほとんどソーセージです。
スープは豆が入っています。
味は、まあまあです。5DHです。
テハンはレバーです。
大盛りをたのんだのですが、量が少ないです。20DHです。味は悪くないです。手づかみで食べます。パンがついてきたのですが、パンは有料で2DHです。
屋台は好きですが、マラケシュの屋台は観光地料金で高いです。
屋台で食べ終わってから、カメラを落としてしまって、シャッターやズームを操作するカバーが取れてしまいました。
宿に戻って直そうとしますが、カバーをはめ込む爪が折れてしまってグラグラの状態です。ボンドかテープがほしいなと考えていたら、バンドエイドを持っているのを思い出してバンドエイドで止めました。なんとか動いています。あー、自分のドンくささに嫌気がさします。
ここの宿は朝食付きです。
パンとパンケーキとオレンジジュース、コーヒーです。コーヒーはアラビア式ではないコーヒーです。
少しのんびりしてから宿を出ました。
クトゥビアです。
メディナの西に建つマラケシュのシンボルです。高さは77mです。4面それぞれ異なる装飾を持つムーア様式建築のミナレットです。
12世紀、ムワッヒド朝の創始者アブド・アル・ムーミンによって着工され、その息子ヤクーブ・ユーセフの時代に、モスク部分が完成、さらにヤクーブ・エル・マンスールによって、1192年にミナレット部分まで完成しました。現在モスク部分は残っていません。
アグノウ門です。
メディナの南にある門で、マラケシュで最も美しい門と言われています。スルタンが宮殿に行くために使われた門ですが、死刑に処された罪人の首をさらす場所でもありました。
アサード朝の墳墓群にある、12の円柱の間です。
イタリア産の大理石でできた12本の柱が、木や漆喰の装飾的なアーチを支えています。入場料は10DHです。
エル・バディ宮殿です。
サアード朝のアフメド・アル・マンスール王が、当時の技術の粋を集め、25年の歳月をかけて建造した宮殿です。後のアラウィー朝のムーレイ・イスマイル王によって破壊され、現在は廃墟と化しています。入場料は10DHです。
コウノトリの格好の棲家になっています。
エル・バディ宮殿を出てから、近くにある王宮の写真を撮っていたら、写真を撮るなと注意されました。一般男性にです。王宮とゆうても一般道路に面したところで警備兵もいてないようなところです。
その男性は注意したあげく、罵詈雑言を投げつけてきます。こんな場所で撮影禁止なんて考えられませんし、よしんば撮影禁止やったとしても、罵ることはないでしょう。ちょっと、モロッコが嫌いになりました。
バヒア宮殿の中庭です。
周囲の建物は、4人の妃と24人の側女たちの部屋でした。
壁には細かな彫刻が。
天井はアトラスシーダー材に細密画が描かれていて、どこを見ても手が込んでいて美しいです。この宮殿は、ときどき国王が宿泊するそうで「輝く宮殿」と呼ばれるにふさわしい宮殿です。
外に出たらネコが集会していました。
ダル・シ・サイドの中庭です。
19世紀、アラウィー朝時代に、宮殿として建造されました。
工芸品が展示される博物館として利用されています。入場料は10DHです。
ジャマ・エル・フナ広場から見る夕陽です。
まさにマグレブ(日の没する大地)です。
朝見たクトゥビアも夜の顔です。
そして夕方になるとジャマ・エル・フナ広場には屋台が次々とできて、大道芸やヘナ描きや、ガラクタ売りなどで、まさにお祭り状態です。
屋台の光がまぶしいくらいです。上がっているのは肉やソーセージを焼く煙です。
テハンが食べたかったので、何軒か覗いてみて安くて流行っている屋台にします。スープとテハンを注文しました。周りの人はソーセージを食べている人が8割くらいです。特に地元の人は、ほとんどソーセージです。
スープは豆が入っています。
味は、まあまあです。5DHです。
テハンはレバーです。
大盛りをたのんだのですが、量が少ないです。20DHです。味は悪くないです。手づかみで食べます。パンがついてきたのですが、パンは有料で2DHです。
屋台は好きですが、マラケシュの屋台は観光地料金で高いです。
屋台で食べ終わってから、カメラを落としてしまって、シャッターやズームを操作するカバーが取れてしまいました。
宿に戻って直そうとしますが、カバーをはめ込む爪が折れてしまってグラグラの状態です。ボンドかテープがほしいなと考えていたら、バンドエイドを持っているのを思い出してバンドエイドで止めました。なんとか動いています。あー、自分のドンくささに嫌気がさします。
カサブランカ~マラケシュ移動(バス) [モロッコ]
2010年11月21日(日)カサブランカ曇 マラケシュ曇後晴
8時前にチェックアウト。
CTMバスターミナルは宿から歩いて2分くらいのところなので、めっちゃラクです。モロッコのバスは出発時間がアバウトで定刻より早く出てしまうこともあるとゆうので、ちょいと早目に行きました。
飛行機と同じようにカウンターで荷物を預けます。一応、重量を量っていますが、一律5DH徴収しています。よっぽど重いと追加料金があるのかもしれませんが。これも飛行機と同じように荷物タグを荷物につけて、荷物預け券をもらいます。
バスは来ていますが、時間まで待合室で待ちます。
アナウンスがあってからバスに乗りますが、アラビア語の案内しかありませんので、周りの人に聞いて確認します。
バスは指定席になっています。定刻より10分遅れて8時40分出発です。
途中トイレ休憩があるかなと思っていたのですが、ノンストップでした。3時間15分かかって、マラケシュに到着。
宿まで3kmほどありますが、予定より早く着いたし歩いていきます。
今回は宿を予約しています。
メディナ内にある宿です。メディナの中心までは、すんなりと来れましたが、ここからスークの中を通っていくのでややこしいです。何人もの人に聞きもっていきます。でも、チュニスのスークよりは、まだ分かりやすいです。
今回の宿は、Amour De Riadです。
シングル、シャワー・トイレ共同で、1泊165DHです。綺麗な部屋ですが、めっちゃ狭いです。ベッドのほかは、ほとんどスペースがありません。2畳ちょっとくらいの広さです。寝られたらええんで文句はないです。ここの宿はネットが無料で使えますし、充分です。
ぶらぶらと歩いてみます。
メディナの中心にある、ジャマ・エル・フナ広場です。
昼間なので、大道芸とかは出ていませんが、ヘビ使いが何組かいてて、賑やかにヘビ使いの音楽を奏でています。
いっぱい、いろんなヘビがいてます。見たところコブラみたいなんもいますが、大丈夫なんかな。
観光の前に昼食です。
タジンとモロッカンサラダにします。
モロッコ名物のモロッカンサラダです。
ほとんどトマトです。香草が効いていて美味しいですが、ちょっと寂しいです。
タジンの具もチキンとジャガイモだけです。味はラバトのタジンより美味しいのですが。
タジン25DH、モロッカンサラダ4DHです。
腹ごしらえもできたところで、スークをそぞろ歩いてみます。
ジャマ・エル・フナ広場の北側一帯がスークになっています。
天井に日除けのすのこが敷いてあります。
モロッコ名物のバブーシュです。
バブーシュは、モロッコ独自の革のスリッパです。モロッコでは外履きにしている人も多いです。
スークを眺めながら歩くのは楽しいのですが、この狭い道をバイクや自転車がかなり通るので怖いです。
ダマスカスのスークよりは、観光客向けのスークとゆう感じです。実際、買い物に来ている人も地元の人より観光客のほうが多いです。特に欧米人が多いです。ヨーロッパからモロッコは近いですからね。
ベン・ユーセフ・モスクです。
ムスリム以外は中には入れません。
ベン・ユーセフ・マドラサに行きます。
マドラサは神学校のことです。1565年にサアード朝のスルタン、アブダラー・アル・ガリブによって建てられ、1956年まで使用されていました。入場料は、クッバ・バアディンとマラケシュ博物館と共通で60DHです。
マグレブ諸国のなかでも特に大規模なもので、この時代の建築技術の粋を集めた、イスラム建築の最高傑作といわれています。
中庭です。
周囲には回廊が巡らされ、建物の壁と柱は、モザイクタイルと、繊細な幾何学模様の彫刻が施された木と漆喰で覆われています。
回廊脇と2階には、学生の寄宿舎だった130の部屋が並んでいます。
当時の寄宿舎を再現しています。めっちゃ狭い部屋で、いま泊まっている宿みたいです。窓がない部屋もあり、勉強のためとはいえ厳しい生活やったんやろなと思います。
クッバ・バアディンです。
12世紀のムラービト朝時代に建てられた、水利設備です。クッバとは、もともとドーム状のものを示します。敷地内の貯水池の水は、はるか50km南のオート・アトラス山脈から流れてくるそうです。
マラケシュ博物館です。
この建物は19世紀後半に宮殿として造られました。1956年のモロッコ独立後には、マラケシュで最初の女学校として使われていました。1997年に博物館となりました。
博物館では、現代モロッコの芸術家たちの作品が展示されています。かつてのハマムなども展示場に使われていて、建物の雰囲気と相まって面白いです。
マラケシュは観光地料金になっていて、カサブランカより2~3倍物価が高くて、ちょっとビックリです。レストランも小奇麗なところが多くて、大衆食堂のようなところは少ないです。
8時前にチェックアウト。
CTMバスターミナルは宿から歩いて2分くらいのところなので、めっちゃラクです。モロッコのバスは出発時間がアバウトで定刻より早く出てしまうこともあるとゆうので、ちょいと早目に行きました。
飛行機と同じようにカウンターで荷物を預けます。一応、重量を量っていますが、一律5DH徴収しています。よっぽど重いと追加料金があるのかもしれませんが。これも飛行機と同じように荷物タグを荷物につけて、荷物預け券をもらいます。
バスは来ていますが、時間まで待合室で待ちます。
アナウンスがあってからバスに乗りますが、アラビア語の案内しかありませんので、周りの人に聞いて確認します。
バスは指定席になっています。定刻より10分遅れて8時40分出発です。
途中トイレ休憩があるかなと思っていたのですが、ノンストップでした。3時間15分かかって、マラケシュに到着。
宿まで3kmほどありますが、予定より早く着いたし歩いていきます。
今回は宿を予約しています。
メディナ内にある宿です。メディナの中心までは、すんなりと来れましたが、ここからスークの中を通っていくのでややこしいです。何人もの人に聞きもっていきます。でも、チュニスのスークよりは、まだ分かりやすいです。
今回の宿は、Amour De Riadです。
シングル、シャワー・トイレ共同で、1泊165DHです。綺麗な部屋ですが、めっちゃ狭いです。ベッドのほかは、ほとんどスペースがありません。2畳ちょっとくらいの広さです。寝られたらええんで文句はないです。ここの宿はネットが無料で使えますし、充分です。
ぶらぶらと歩いてみます。
メディナの中心にある、ジャマ・エル・フナ広場です。
昼間なので、大道芸とかは出ていませんが、ヘビ使いが何組かいてて、賑やかにヘビ使いの音楽を奏でています。
いっぱい、いろんなヘビがいてます。見たところコブラみたいなんもいますが、大丈夫なんかな。
観光の前に昼食です。
タジンとモロッカンサラダにします。
モロッコ名物のモロッカンサラダです。
ほとんどトマトです。香草が効いていて美味しいですが、ちょっと寂しいです。
タジンの具もチキンとジャガイモだけです。味はラバトのタジンより美味しいのですが。
タジン25DH、モロッカンサラダ4DHです。
腹ごしらえもできたところで、スークをそぞろ歩いてみます。
ジャマ・エル・フナ広場の北側一帯がスークになっています。
天井に日除けのすのこが敷いてあります。
モロッコ名物のバブーシュです。
バブーシュは、モロッコ独自の革のスリッパです。モロッコでは外履きにしている人も多いです。
スークを眺めながら歩くのは楽しいのですが、この狭い道をバイクや自転車がかなり通るので怖いです。
ダマスカスのスークよりは、観光客向けのスークとゆう感じです。実際、買い物に来ている人も地元の人より観光客のほうが多いです。特に欧米人が多いです。ヨーロッパからモロッコは近いですからね。
ベン・ユーセフ・モスクです。
ムスリム以外は中には入れません。
ベン・ユーセフ・マドラサに行きます。
マドラサは神学校のことです。1565年にサアード朝のスルタン、アブダラー・アル・ガリブによって建てられ、1956年まで使用されていました。入場料は、クッバ・バアディンとマラケシュ博物館と共通で60DHです。
マグレブ諸国のなかでも特に大規模なもので、この時代の建築技術の粋を集めた、イスラム建築の最高傑作といわれています。
中庭です。
周囲には回廊が巡らされ、建物の壁と柱は、モザイクタイルと、繊細な幾何学模様の彫刻が施された木と漆喰で覆われています。
回廊脇と2階には、学生の寄宿舎だった130の部屋が並んでいます。
当時の寄宿舎を再現しています。めっちゃ狭い部屋で、いま泊まっている宿みたいです。窓がない部屋もあり、勉強のためとはいえ厳しい生活やったんやろなと思います。
クッバ・バアディンです。
12世紀のムラービト朝時代に建てられた、水利設備です。クッバとは、もともとドーム状のものを示します。敷地内の貯水池の水は、はるか50km南のオート・アトラス山脈から流れてくるそうです。
マラケシュ博物館です。
この建物は19世紀後半に宮殿として造られました。1956年のモロッコ独立後には、マラケシュで最初の女学校として使われていました。1997年に博物館となりました。
博物館では、現代モロッコの芸術家たちの作品が展示されています。かつてのハマムなども展示場に使われていて、建物の雰囲気と相まって面白いです。
マラケシュは観光地料金になっていて、カサブランカより2~3倍物価が高くて、ちょっとビックリです。レストランも小奇麗なところが多くて、大衆食堂のようなところは少ないです。
カサブランカ観光part2 [モロッコ]
2010年11月20日(土)曇一時雨
観光の前に、CTMバスターミナルに行って、明日のバスチケットの購入です。
CTMは国営のバスです。マラケシュまで90DHです。英語が通じたので楽に買えました。
歩いてハッサン2世モスクに行きます。
ハッサン2世モスクは、モロッコ最大のモスクです。1986年から8年がかりで1993年8月に完成しました。ミナレットの高さは200mで、世界一の高さです。遠くから見ても高いなと思いますが、近くで見たら圧倒されそうな高さです。
知らなかったのですが、見学はツアー形式になっていて時間が決まっています。いつも無手勝流でいってしまうのですが、間に合ってラッキーです。入場料は120DHです。
中に入って、まずはそのでかさに圧倒されます。
2万5000人が収容可能です。
そして、その緻密な装飾にさらに圧倒されます。
モスク内はすべて手作りで、モロッコ全土から職人3300人を動員して造られました。
床の大理石はモロッコ絨毯の柄を掘り込んでいます。
地下1階には、参拝客のためのアブルーション(手や体を清める泉)が41あります。
回廊の地下は浴室になっています。
敷地内には、モスクのほかに神学校や図書館、博物館もあります。
これだけの施設が国民の寄付と税金で建てられました。でも、このモスクのために徴収される高い税金が国民の負担ともなっています。
イスラームの国では社会保障がほとんどない国も多いのですが、富めるものは収入の1割くらいをモスクに寄付して、モスクは貧しい人たちに施しをして、社会保障の代わりとして機能しています。
見学が終わってモスクを出たら、えらい雨です。
大西洋を見ながら散歩でも思っていたのですが、止めました。
メディナにあるリックス・カフェです。
映画「カサブランカ」の舞台となった店をイメージして造られた店です。中には入りませんでした。
メディナの店も、ようやく開いています。
カサブランカは港町で、ここに来たらシーフードを食べなければ。
とゆうわけで、メディナ内の食堂で昼食です。
シーフードの唐揚げ盛り合わせです。
白身魚を中心に、イカ、野菜、鳥、が盛られています。レモンを絞っていただきます。ほこほこで美味しいです。パンが付いていて30DHです。メディナの食堂は安くてお薦めです。
王宮です。
立派な造りではありますが、びっくりするような豪華な建物ではないです。中には入れません。
王宮の近くには、ハッブース街があります。
1923年にフランス人によって造られた新市街です。当時、地方から移住してきた人々を住まわせるために造られた町で、新メディナとも呼ばれています。
今まで見たスークと違って落ち着いた雰囲気です。
スークとゆうより商店街とゆう感じです。
石造りのアーケードは綺麗ですが、閉まっている店も多いです。
タジンを造る器も売っています。
プランス・ムーレイ・アブダラー通りです。
ブティックや靴屋などが軒を連ねる、カサブラン一の繁華街です。アイスクリーム屋の前は人だかりです。アラブ人は、ほんまにアイスクリーム好きが多いです。
ぶらぶらしていて、アルコールを売っているスーパーを見つけて、ビールを買いました。地元の人も、ぎょうさんアルコールを買いに来ていて、ムスリムもアルコール好きやねんなぁと思いました。
厳密に言えば、アルコール禁止との戒律はないそうです。ただ、犠牲祭のときに書きましたが自分の命さえもアッラーに捧げるくらいの信心をもっていますので、どんどんと戒律が厳しくなるんとちゃうんかなと思います。
観光の前に、CTMバスターミナルに行って、明日のバスチケットの購入です。
CTMは国営のバスです。マラケシュまで90DHです。英語が通じたので楽に買えました。
歩いてハッサン2世モスクに行きます。
ハッサン2世モスクは、モロッコ最大のモスクです。1986年から8年がかりで1993年8月に完成しました。ミナレットの高さは200mで、世界一の高さです。遠くから見ても高いなと思いますが、近くで見たら圧倒されそうな高さです。
知らなかったのですが、見学はツアー形式になっていて時間が決まっています。いつも無手勝流でいってしまうのですが、間に合ってラッキーです。入場料は120DHです。
中に入って、まずはそのでかさに圧倒されます。
2万5000人が収容可能です。
そして、その緻密な装飾にさらに圧倒されます。
モスク内はすべて手作りで、モロッコ全土から職人3300人を動員して造られました。
床の大理石はモロッコ絨毯の柄を掘り込んでいます。
地下1階には、参拝客のためのアブルーション(手や体を清める泉)が41あります。
回廊の地下は浴室になっています。
敷地内には、モスクのほかに神学校や図書館、博物館もあります。
これだけの施設が国民の寄付と税金で建てられました。でも、このモスクのために徴収される高い税金が国民の負担ともなっています。
イスラームの国では社会保障がほとんどない国も多いのですが、富めるものは収入の1割くらいをモスクに寄付して、モスクは貧しい人たちに施しをして、社会保障の代わりとして機能しています。
見学が終わってモスクを出たら、えらい雨です。
大西洋を見ながら散歩でも思っていたのですが、止めました。
メディナにあるリックス・カフェです。
映画「カサブランカ」の舞台となった店をイメージして造られた店です。中には入りませんでした。
メディナの店も、ようやく開いています。
カサブランカは港町で、ここに来たらシーフードを食べなければ。
とゆうわけで、メディナ内の食堂で昼食です。
シーフードの唐揚げ盛り合わせです。
白身魚を中心に、イカ、野菜、鳥、が盛られています。レモンを絞っていただきます。ほこほこで美味しいです。パンが付いていて30DHです。メディナの食堂は安くてお薦めです。
王宮です。
立派な造りではありますが、びっくりするような豪華な建物ではないです。中には入れません。
王宮の近くには、ハッブース街があります。
1923年にフランス人によって造られた新市街です。当時、地方から移住してきた人々を住まわせるために造られた町で、新メディナとも呼ばれています。
今まで見たスークと違って落ち着いた雰囲気です。
スークとゆうより商店街とゆう感じです。
石造りのアーケードは綺麗ですが、閉まっている店も多いです。
タジンを造る器も売っています。
プランス・ムーレイ・アブダラー通りです。
ブティックや靴屋などが軒を連ねる、カサブラン一の繁華街です。アイスクリーム屋の前は人だかりです。アラブ人は、ほんまにアイスクリーム好きが多いです。
ぶらぶらしていて、アルコールを売っているスーパーを見つけて、ビールを買いました。地元の人も、ぎょうさんアルコールを買いに来ていて、ムスリムもアルコール好きやねんなぁと思いました。
厳密に言えば、アルコール禁止との戒律はないそうです。ただ、犠牲祭のときに書きましたが自分の命さえもアッラーに捧げるくらいの信心をもっていますので、どんどんと戒律が厳しくなるんとちゃうんかなと思います。
ラバト観光 [モロッコ]
2010年11月19日(金)曇後晴
駅までは宿から歩いて10分くらいです。
カサ・ポール駅からラバトへ行きます。運賃は35DHです。モロッコの列車は高いです。
8時に列車は出発。
金曜日はイスラームの休日なので、列車はガラガラです。
2等車ですが、乗り心地もよくて快適な列車の旅です。
1時間あまりで、ラバト・ヴィル駅に到着。
ラバトはモロッコの首都です。
首都らしく綺麗な駅です。
サン・ピエール教会です。
中は、いたってシンプルです。
ハッサンの塔です。
未完のミナレット(尖塔)です。1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールがモスク建設に着手しましたが、その4年後彼の死亡により工事は中断しました。実際は高さ88mになるはずでしたが、未完でも44mの高さがあります。
ムハンマド5世の霊廟です。
フランスからモロッコの独立を勝ち取った元国王ムハンマド5世の霊廟です。1961年に没後、1973年に完成しました。モロッコの伝統的な建築技術と彫刻が調和した建物です。
美しい建物ですが、中の装飾も美しいです。
ウダイヤのカスバです。
17世紀にムーレイ・ラシッドによって建造された城塞です。18世紀に気性の荒いウダイヤ・アフブ族をここに駐屯させたことから、この名が付きました。
城塞の中です。
新市街とは対照的な町です。新しいもんと古いもんが同居しているのがモロッコの魅力です。
ウダイヤ博物館に行きました。入場料は10DHです、写真撮影は禁止です。あんまり大したもんはないです。モロッコはフランス語が幅を利かせていて、博物館の説明もアラビア語とフランス語はありますが、英語はありません。
博物館の周りは、ウダイヤ庭園になっています。
ガイドブックにはスペインのアルハンブラに似た造りで、アンダルシア庭園の傑作のひとつと書いてありますが、レベルが違います。最初、これがウダイヤ庭園と気がつかなくて、他の場所を探したくらいです。
メディナに行きます。
メディナのわりには、整然としています。人が少ないのもあるでしょうが。
7割がたの店は休んでいるので、スークも楽しくないです。
1件だけ開いているレストランがあったので昼食です。
モロッコの代表料理、タジンにします。
タジンは、モロッコ人が毎日食べているといわれる煮込み料理です。厚い陶製の皿に材料を入れ、そこに三角のふたをかぶせて弱火にかけます。
タジンです。
具は、ジャガイモ、ニンジン、羊肉、トマト、玉葱、グリーンピースです。少し甘味があります。もうちょっとスパイシーなほうが好きですが、美味しいです。料金は25DHです。
大時計と一緒になったPTT(中央郵便局)です。
ヤシの並木が綺麗です。
ラバトは別名、庭園都市とも呼ばれています。
ルフー門です。
ムワッヒド朝の塁壁の中でも、ほとんど昔のままの姿を残している門です。ルフーとは「風」とゆう意味です。門の内部には展示品があるそうですが、入れませんでした。
王宮に行こうと思ったら、警備の人に止められました。
金曜日やからかどうかは分かりませんが。
駅までは宿から歩いて10分くらいです。
カサ・ポール駅からラバトへ行きます。運賃は35DHです。モロッコの列車は高いです。
8時に列車は出発。
金曜日はイスラームの休日なので、列車はガラガラです。
2等車ですが、乗り心地もよくて快適な列車の旅です。
1時間あまりで、ラバト・ヴィル駅に到着。
ラバトはモロッコの首都です。
首都らしく綺麗な駅です。
サン・ピエール教会です。
中は、いたってシンプルです。
ハッサンの塔です。
未完のミナレット(尖塔)です。1195年にムワッヒド朝のヤクーブ・マンスールがモスク建設に着手しましたが、その4年後彼の死亡により工事は中断しました。実際は高さ88mになるはずでしたが、未完でも44mの高さがあります。
ムハンマド5世の霊廟です。
フランスからモロッコの独立を勝ち取った元国王ムハンマド5世の霊廟です。1961年に没後、1973年に完成しました。モロッコの伝統的な建築技術と彫刻が調和した建物です。
美しい建物ですが、中の装飾も美しいです。
ウダイヤのカスバです。
17世紀にムーレイ・ラシッドによって建造された城塞です。18世紀に気性の荒いウダイヤ・アフブ族をここに駐屯させたことから、この名が付きました。
城塞の中です。
新市街とは対照的な町です。新しいもんと古いもんが同居しているのがモロッコの魅力です。
ウダイヤ博物館に行きました。入場料は10DHです、写真撮影は禁止です。あんまり大したもんはないです。モロッコはフランス語が幅を利かせていて、博物館の説明もアラビア語とフランス語はありますが、英語はありません。
博物館の周りは、ウダイヤ庭園になっています。
ガイドブックにはスペインのアルハンブラに似た造りで、アンダルシア庭園の傑作のひとつと書いてありますが、レベルが違います。最初、これがウダイヤ庭園と気がつかなくて、他の場所を探したくらいです。
メディナに行きます。
メディナのわりには、整然としています。人が少ないのもあるでしょうが。
7割がたの店は休んでいるので、スークも楽しくないです。
1件だけ開いているレストランがあったので昼食です。
モロッコの代表料理、タジンにします。
タジンは、モロッコ人が毎日食べているといわれる煮込み料理です。厚い陶製の皿に材料を入れ、そこに三角のふたをかぶせて弱火にかけます。
タジンです。
具は、ジャガイモ、ニンジン、羊肉、トマト、玉葱、グリーンピースです。少し甘味があります。もうちょっとスパイシーなほうが好きですが、美味しいです。料金は25DHです。
大時計と一緒になったPTT(中央郵便局)です。
ヤシの並木が綺麗です。
ラバトは別名、庭園都市とも呼ばれています。
ルフー門です。
ムワッヒド朝の塁壁の中でも、ほとんど昔のままの姿を残している門です。ルフーとは「風」とゆう意味です。門の内部には展示品があるそうですが、入れませんでした。
王宮に行こうと思ったら、警備の人に止められました。
金曜日やからかどうかは分かりませんが。
カサブランカ観光part1 [モロッコ]
2010年11月18日(木)曇
旧メディナに行きましたが、開いている店はありません。
独立記念日なので、どこに行っても同じようなもんでしょう。
町をぶらぶらしてみます。
チュニスほどは寒くなく、過ごしやすいです。10~11月は雨季にあたり、それほど降水量は多くないですが、ほとんど曇りの日ばかりのようです。
旧メディナの前は国連広場になっていて、モニュメントがあります。
ムハンマド5世広場です。
鳩だらけです。
この広場に面して裁判所があります。
こちらは市庁舎です。
団体観光客も、このあたりで時間を潰していました。
少し歩いたところに、サクレ・クール聖堂があります。
中には入れません。
ムハンマド5世通りを歩きます。
この通りには1930年代にフランスの影響を受けて建てられた、アールデコ&モロッコ建築様式の建物があります。めちゃ綺麗とまではいきませんが、それなりに楽しめます。
カサブランカ港に行こうと思ったら、工事をしていていけませんでした。
どこに行っても開いているのはカフェくらいで、ほとんど観光にもなりませんでした。
犠牲祭と独立記念日が重なっては、どうしようもないです。長く旅していると、こうゆうこともありますってゆうか、ツアーで来ている人もあるくらいです。犠牲祭も独立記念日も年に1回しかなく、特に犠牲祭はイスラームの文化として貴重なものを見られたと考えます。今回の宿はユースではないので、宿で映画でも見て過ごします。
旧メディナに行きましたが、開いている店はありません。
独立記念日なので、どこに行っても同じようなもんでしょう。
町をぶらぶらしてみます。
チュニスほどは寒くなく、過ごしやすいです。10~11月は雨季にあたり、それほど降水量は多くないですが、ほとんど曇りの日ばかりのようです。
旧メディナの前は国連広場になっていて、モニュメントがあります。
ムハンマド5世広場です。
鳩だらけです。
この広場に面して裁判所があります。
こちらは市庁舎です。
団体観光客も、このあたりで時間を潰していました。
少し歩いたところに、サクレ・クール聖堂があります。
中には入れません。
ムハンマド5世通りを歩きます。
この通りには1930年代にフランスの影響を受けて建てられた、アールデコ&モロッコ建築様式の建物があります。めちゃ綺麗とまではいきませんが、それなりに楽しめます。
カサブランカ港に行こうと思ったら、工事をしていていけませんでした。
どこに行っても開いているのはカフェくらいで、ほとんど観光にもなりませんでした。
犠牲祭と独立記念日が重なっては、どうしようもないです。長く旅していると、こうゆうこともありますってゆうか、ツアーで来ている人もあるくらいです。犠牲祭も独立記念日も年に1回しかなく、特に犠牲祭はイスラームの文化として貴重なものを見られたと考えます。今回の宿はユースではないので、宿で映画でも見て過ごします。
チュニス~カサブランカ(モロッコ)移動(飛行機) [モロッコ]
2010年11月17日(水)チュニス晴 カサブランカ曇
7時35分チェックアウト。
歩いてバスターミナルへ。
一足違いで空港行きのバスが行ってしまいました。
20分間隔でバスは来ますので待ちます。
が、1時間以上待ってもバスは来ません。
いつも時間には余裕を持って行動していますが、もうこれ以上は待てないのでタクシーで行くことに。チュニジアのバス恐るべしです。
近くに止まっているタクシーがあったので、空港までなんぼと聞くとメーターです。荷物代も言わへんし、メーターが一番ええわと思って乗りました。
ちょっと走ってから空港と方角が違うのに気がついて、道ちゃうんちゃうとゆうとドライバーは間違いに気がつきました。
TGMで空港駅とゆうのがあるのです。そこと勘違いしたようです。空港駅とゆうても空港からはめっちゃ離れています。なんで、そんなややこしい名前をつけたんでしょう。
引き返して空港に向かいます。
メーターはD10を超えていましたがD10払ったら、えらい喜んでいました。通常メーターならD3くらいですが、遠回りさせたし気持ちです。
でも、これで空港から市内へ行くタクシーのD20とゆうのがいかにぼっているか、よく分かりました。
今回の航空会社はRoyal Air Marocです。航空運賃は£82で、税金と燃油サーチャージが£34.7です。
チェックインカウンターでチェックインしましたが、機内預け荷物を別のカウンターに持っていかないといけません。このシステムは初めての体験です。いろんなやり方があるもんです。
チュニジアの出国審査で、係員が別の人を呼んだので、なんか問題があるんかと心配しましたが、なにもなかったです。
その横に警察官がいてて、金を持っているか質問してきます。なんて答えたらええんか分からなくて、ユーロを少しとゆうと見せろと言います。理由が分からないので断って、クレジットカードで各国の金を引き出すとゆうと引き下がりました。
チュニジアの金を持っているかとも聞かれましたが、持ってないと答えました。チュニジアのお金は海外持ち出し禁止なので、ぎょうさん持っていたら没収されるのかもしれません。
手荷物のX線検査がすんだあとで、荷物をこねくり回して調べています。手帳の間も調べていますし、財布は底の底まで徹底的に調べています。チュニジアのお金を持ってへんか調べているんやと思いますが、外貨も入れへんほうが、ええように思います。
そのくせ、水はフリーパスです。厳しいんだか、緩いんだか、よう分かりません。
空港に入ったら、チュニスの宿で一緒やったアメリカ人男性が先に来ていました。私のほうが宿を出るのは早かったのですが、バスターミナルで1時間以上待っていたからでしょう。
チュニス空港はネットがつながりません。
定刻通り、11時45分に出発。
隣はアメリカ人男性です。なにかと縁があります。飛行機はガラガラですので、なにも窮屈に3人がけの席に3人座らせなくてもええのですが・・・。そこはアラビアーンです。
15分遅れで13時半(チュニジアとの時差はマイナス1時間)にカサブランカ空港に到着。
機内で配られた入国カードを提出して入国審査です。アラビアンペースで審査していますので、なかなか列が進みません。ようやく私の番で、何も質問もされずに入国できました。
30分ほどかかって機内預け荷物を受け取りに行ったら、まだ荷物が出てきていません。こちらもアラビアンペースです。
荷物を受け取って、列車で市内へ移動します。列車は1時間に1本と、のんびりしたペースです。
チケット売り場で二人の日本人に出合いました。一人は3週間の旅行で来ている女性です。
もう一人はアルジェリアで働いている男性です。高速道路を作っていて、3日の休みで旅行です。アルジェリアはテロの警戒が厳しくて気の抜けるときがないとゆうてました。家族を連れてくるのも禁止で、なかなか大変な仕事です。
15時に列車は出発。
カサ・ヴォワジャー駅に到着。
アメリカ人男性と日本人姉さんと、プチタクシー(小型のタクシー)をシェアして市内に向かいます。
アメリカ人男性はアラビア語が話せますので交渉してくれて、25DHで行ってくれることに。交渉ありがとう。1DH(ディルハム)=約12.2円です。
私はTMCバスターミナルの近くで宿を探そうと思うので途中で下りました。二人はユースに行くとゆうてました。よい旅を。
今回の宿はHotel Mon Reveです。
シングル、シャワー・トイレ付きで1泊150DHです。1泊90DHから値上がっています。時間も遅いので妥協して、ここに決めました。
宿の近くをぶらぶらしてみましたが、モロッコも犠牲祭で、ほとんどの店が休んでいます。マクドですら閉まっている店舗もあります。
旧メディナにある時計塔です。
ケーキ屋さんでパンを購入。一目見たときはハエがたかっているのかなと思ったら、蜂でした。蜂がたかるほど美味しいのでしょう。二つで7DHです。
明日も犠牲祭ですし、明後日は金曜日でイスラームの休みです。果たして観光できるでしょうか。
7時35分チェックアウト。
歩いてバスターミナルへ。
一足違いで空港行きのバスが行ってしまいました。
20分間隔でバスは来ますので待ちます。
が、1時間以上待ってもバスは来ません。
いつも時間には余裕を持って行動していますが、もうこれ以上は待てないのでタクシーで行くことに。チュニジアのバス恐るべしです。
近くに止まっているタクシーがあったので、空港までなんぼと聞くとメーターです。荷物代も言わへんし、メーターが一番ええわと思って乗りました。
ちょっと走ってから空港と方角が違うのに気がついて、道ちゃうんちゃうとゆうとドライバーは間違いに気がつきました。
TGMで空港駅とゆうのがあるのです。そこと勘違いしたようです。空港駅とゆうても空港からはめっちゃ離れています。なんで、そんなややこしい名前をつけたんでしょう。
引き返して空港に向かいます。
メーターはD10を超えていましたがD10払ったら、えらい喜んでいました。通常メーターならD3くらいですが、遠回りさせたし気持ちです。
でも、これで空港から市内へ行くタクシーのD20とゆうのがいかにぼっているか、よく分かりました。
今回の航空会社はRoyal Air Marocです。航空運賃は£82で、税金と燃油サーチャージが£34.7です。
チェックインカウンターでチェックインしましたが、機内預け荷物を別のカウンターに持っていかないといけません。このシステムは初めての体験です。いろんなやり方があるもんです。
チュニジアの出国審査で、係員が別の人を呼んだので、なんか問題があるんかと心配しましたが、なにもなかったです。
その横に警察官がいてて、金を持っているか質問してきます。なんて答えたらええんか分からなくて、ユーロを少しとゆうと見せろと言います。理由が分からないので断って、クレジットカードで各国の金を引き出すとゆうと引き下がりました。
チュニジアの金を持っているかとも聞かれましたが、持ってないと答えました。チュニジアのお金は海外持ち出し禁止なので、ぎょうさん持っていたら没収されるのかもしれません。
手荷物のX線検査がすんだあとで、荷物をこねくり回して調べています。手帳の間も調べていますし、財布は底の底まで徹底的に調べています。チュニジアのお金を持ってへんか調べているんやと思いますが、外貨も入れへんほうが、ええように思います。
そのくせ、水はフリーパスです。厳しいんだか、緩いんだか、よう分かりません。
空港に入ったら、チュニスの宿で一緒やったアメリカ人男性が先に来ていました。私のほうが宿を出るのは早かったのですが、バスターミナルで1時間以上待っていたからでしょう。
チュニス空港はネットがつながりません。
定刻通り、11時45分に出発。
隣はアメリカ人男性です。なにかと縁があります。飛行機はガラガラですので、なにも窮屈に3人がけの席に3人座らせなくてもええのですが・・・。そこはアラビアーンです。
15分遅れで13時半(チュニジアとの時差はマイナス1時間)にカサブランカ空港に到着。
機内で配られた入国カードを提出して入国審査です。アラビアンペースで審査していますので、なかなか列が進みません。ようやく私の番で、何も質問もされずに入国できました。
30分ほどかかって機内預け荷物を受け取りに行ったら、まだ荷物が出てきていません。こちらもアラビアンペースです。
荷物を受け取って、列車で市内へ移動します。列車は1時間に1本と、のんびりしたペースです。
チケット売り場で二人の日本人に出合いました。一人は3週間の旅行で来ている女性です。
もう一人はアルジェリアで働いている男性です。高速道路を作っていて、3日の休みで旅行です。アルジェリアはテロの警戒が厳しくて気の抜けるときがないとゆうてました。家族を連れてくるのも禁止で、なかなか大変な仕事です。
15時に列車は出発。
カサ・ヴォワジャー駅に到着。
アメリカ人男性と日本人姉さんと、プチタクシー(小型のタクシー)をシェアして市内に向かいます。
アメリカ人男性はアラビア語が話せますので交渉してくれて、25DHで行ってくれることに。交渉ありがとう。1DH(ディルハム)=約12.2円です。
私はTMCバスターミナルの近くで宿を探そうと思うので途中で下りました。二人はユースに行くとゆうてました。よい旅を。
今回の宿はHotel Mon Reveです。
シングル、シャワー・トイレ付きで1泊150DHです。1泊90DHから値上がっています。時間も遅いので妥協して、ここに決めました。
宿の近くをぶらぶらしてみましたが、モロッコも犠牲祭で、ほとんどの店が休んでいます。マクドですら閉まっている店舗もあります。
旧メディナにある時計塔です。
ケーキ屋さんでパンを購入。一目見たときはハエがたかっているのかなと思ったら、蜂でした。蜂がたかるほど美味しいのでしょう。二つで7DHです。
明日も犠牲祭ですし、明後日は金曜日でイスラームの休みです。果たして観光できるでしょうか。