SSブログ
ミャンマー ブログトップ

ヤンゴン~大阪移動(飛行機) [ミャンマー]

2011年1月5日(水)ヤンゴン晴 大阪曇

8時前にチェックアウト。

流しのタクシーを拾ってヤンゴン空港へ。
料金は5000Kと、空港から来るより安いです。ミャンマー人、ほんまにぼりません。

30分ほどで空港に到着。
タクシーは空港に入るのにお金がいるのですが、今回のタクシーは自分で払っていました。

3本のフライトを乗り継いでの帰国です。それぞれの乗り継ぎは時間がありますが、フライトの遅れが出ないように祈ります。まずは、バンコク・エアウェイズでバンコクまでのフライトです。

ちょっと早く着きすぎて、まだチェックインカウンターが開いていません。
チェックインの前に空港使用料を払わないといけません。使用量は$10です。

ほどなくカウンターが開いてチェックイン、空いていてあっとゆう間に終わりました。パスポートコントロール、安全検査と問題ありません。

DSCF2500.jpg
空港内にネットカフェがあったのでネットしようと思いましたが、WiFiは利用できなくなっていました。ミャンマーのネット事情はやはり悪いようです。結局一度もミャンマー国内ではネットが出来ませんでした。

ミャンマーはどちらかといえば、旅行しにくい国になりますが、昔はネットもないクレジットカードも使えなくて、米ドルだけが頼りとゆうのが当たり前でしたから、その当時の気分を思い起こさせてくれます。

10時50分、ヤンゴン空港を出発。
12時50分(ミャンマーとの時差はプラス30分です)にタイのバンコク空港に到着。トランジットでの入国です。

次のフライトはMalaysia Airlinesでクアラルンプールまでのフライトです。
17時10分のフライトで、まだチェックインカウンターが開いていません。

出発の2時間半くらい前にチェックインカウンターがオープンしてチェックイン。
パスポートコントロール、安全検査と空いていて早く済みました。

DSCF2503.jpg
バンコク空港ではネットが無料で使えると聞いています。インフォメーションでパスワードをもらわなあかんので、インフォに行ったのですが、10時から24時までは、ネットは出来ませんと書いてあります。ほとんど夜中しかやってへんやん。意味ないやんと思いきり突っ込んでおきました。

17時15分、バンコク空港を出発。
2時間ほどのフライトで、マレーシアのクアラルンプール空港に20時25分(タイとの時差はプラス1時間です)到着。

クアラルンプール空港はネットが無料で使えるのが嬉しいです。
たまっていたブログの記事を一気にアップしました。そうこうしているうちにリンクが切れておかしいなと思ったら、ネットの利用は2時間が限度となっていました。

23時55分、クアラルンプール空港を出発。
3本のフライトとも、ほぼ定刻どおりでよかったです。

乗ってから軽食が出て、大阪に着く前に朝食が出ます。6時間くらいのフライトで2回機内食が出ると、ほとんど寝る時間がありません。1時間くらいうとうとしただけです。

定刻より25分遅れて7時25分(マレーシアとの時差はプラス1時間)関空に到着。

朝到着する便は多いようで、かなりの人です。
特に税関が厳しくチェックしています。警戒レベルが上がっているのでしょうか。特に若い男性の一人旅は、スーツケースが2重になってないかチェックしたり、かなり時間をかけていました。向こうで買うたんか日本から持っていったんか分かりませんが、大きなモノポリーを入れていて、確かに徹底的に調べてみたくなる持ち物ではあります。

私も調べられるかなと思っていましたが、ジジィですのでフリーパスでした。

関空は8℃です。ヤンゴンとの温度差は30℃近くて、よけいに寒く感じます。


マンダレー~ヤンゴン移動(飛行機) [ミャンマー]

2011年1月4日(火)マンダレー晴 ヤンゴン晴

5時20分チェックアウト。
タクシーは5時25分にやってきました。ミャンマー人は時間に正確です。

まだ夜も開けきらぬうちに出発です。

マンダレーは都会ですので車が多いですが、ビックリしたのはほとんどの車がヘッドライトをアップビームで走っています。後ろに座っていても対向車が来たら目が眩みますが、ミャンマー人は平気です。ほんま、いろんな国があるもんです。上を向いて歩こうならぬ、上を向いて走ろうです。

途中、ガソリンスタンドに寄りました。
満タンにはせず、少しだけ給油していました。途中で給油せなあかんから、料金は先払いなのかもしれません。

また、おばさんが途中から乗ってきました。こうゆうのは、どこの国でもよくあります。その人は、もちろん料金は払いません。

1時間あまりでマンダレー空港に到着。
6時半にチェックインしろとゆうといて、チェックインカウンターは開いていません。

7時15分ようやくチェックインの開始です。
国内便やから、出発の1時間前の到着でも十分やと思います。

定刻より5分遅れて8時10分出発。
ヤンゴン空港には9時15分に到着。

ヤンゴンの国内線では、機内預け荷物は係員が手作業で一つずつ運んできてくれます。マンダレーの方が進んでいます。

タクシーブースが空港内にあったので聞いてみたら、ダウンタウンまで7000Kと言います。高いので申し込むのは止めました。

空港を出たとこでタクシードライバーが声をかけてきますが、やっぱり7000Kと言います。高いとゆうと、なんぼやったらとゆうので、$7とゆうとあっさりOKでした。あかんかったら国際線の到着ゲートに行こうと思っていました。

今回の宿は、Golden smile Innにします。
部屋は12時になったら空くとゆうので、荷物を預かってもらって先に観光に行きます。

タクシーでシュエタゴォン・パヤーへ。料金は2000Kです。

シュエタゴォン・パヤーの歴史は、2500年以上も昔にさかのぼると言われています。言い伝えによれば、タポゥタとパッリカとゆう兄弟の商人が、インドで仏陀と出会って8本の聖髪をもらいうけ、紀元前585年にこの地に奉納したのが、この仏塔の起源です。

慌てて出てきたのでパンツを履き替えるの忘れていて短パンのままです。膝が見えたらあかんと聞いていたので、短パンをずり下げて入りました。OKでした。パンツずり下げスタイルで、まるでヤングです。違うか。

DSCF2332.jpg
南の参道から入っていきます。

DSCF2352.jpg
まさに光り輝く仏塔です。
高さは99.4m、基底部の周囲は433m、使われている金箔の数は8688枚といわれています。塔の最頂部には1個76カラットのダイヤモンドをはじめ、総計5451個のルビー、ヒスイなどの宝石がちりばめられています。すべて善男善女の寄進によるものです。宗教ではなく、人々の信仰心の篤さに感心します。

境内には60以上の塔があります。
全部ゆっくりと見ていたら、1日がかりになりそうです。実際ミャンマーの人はそうしているのかもしれません。お弁当持参で、昼寝しながらお参りしています。

DSCF2355.jpg
シュエダゴォン・パヤー守護精霊ナッの像です。
願い事を叶えてくれるとゆう2体のナッ神の像です。この廟の前に漬け物石くらいの大きさの石があります。石を持ち上げてみて、軽かったらその願いは叶うとされています。

DSCF2377.jpg
マハ・ガンタの釣り鐘です。
パーリ語で「偉大な鐘」を意味します。1778年シングー王により鋳造され、重さは23トンあります。第一次英麺戦争中の1825年、イギリスがこの鐘を持ち出し、船に積み込もうとして失敗し、川に沈めてしまいました。後のミャンマーの人々が引き上げ、無事元の場所に納められました。

DSCF2394.jpg
仏足石です。
仏足石とは、仏陀の足型を石に刻んだものです。これは黄金の仏足石です。仏教の宇宙観が描かれています。仏足石内には聖水が満たされていて、これを飲むことにより邪悪な精霊や病気から身を守ることができるといわれています。お腹に自信がないので、飲むのは止めました。

DSCF2397.jpg
マハーボディー寺院です。
インドのブッダガヤにある寺院を模して造られたもので、ミャンマーの仏塔とは大きくスタイルが異なります。塔の四面に仏教説話が細かく描かれています。

DSCF2409.jpg
マハ・ティッサダの釣り鐘です。
3つの音をもつ偉大なる鐘、1824年に鋳造され、ターラーワディー王により奉納されたものです。重さは42トンあります。釣り鐘にはパーリ語とビルマ語で、仏陀と王の美徳について数百行もの記述が刻まれています。

DSCF2415.jpg
ストランド市場2パイスの廟です。
パイス(パイサ)は昔の通貨単位です。ストランド市場の露天商から毎日2パイス募り、1914年に建てられた廟です。

DSCF2423.jpg
仏塔の外周には「八曜日(水曜が午前と午後に分けられています)」の守護像があります。
自分の曜日の守護像に水をかけて、お祈りしています。

ちなみに、この守護像は私の生まれ曜日の月曜日です。日本人は自分の生まれ曜日を知らん人も多いと思いますが、私が行ってた中学では自分の曜日を調べるのが流行っていて知っていました。

ここから歩いて、チャウッターヂー・パヤーに行きます。
途中、僧侶に出会ったのですが、サンダルが潰れたので金をくれとゆうてます。修行やと思って我慢しなさい。道に迷うし、犬のうんこは踏んづけるわで、踏んだりけったりですが、なんとか到着。

DSCF2458.jpg
全長70m、高さ17mの寝仏が祀られています。

DSCF2465.jpg
足の裏には黄金の仏教宇宙観図が描かれていて、見ていて面白いです。

ここからタクシーに乗って、ヤンゴン川沿いのストランド通りに行きます。料金は2000Kです。
ストランド通り沿いには、イギリス植民地時代に建てられた建物が並んでいます。

DSCF2491.jpg
税関です。

DSCF2496.jpg
中央郵便局です。
タクシードライバーには中央郵便局とゆうたのですが、知りませんでした。

いったん宿に戻ってチェックインです。
荷物はもう部屋に入れてくれていました。

部屋を見ないで決めましたが、シングル、シャワー・トイレ共同、エアコンあり、朝食付きで$8ですが、エアコンは故障しています。この宿は全室エアコン付きなのですが、故障してるんやったらそうと言わなあかんわ。

エアコンが故障しているとフロントにゆうたら、暑くないから大丈夫とぬかします。それを決めるのはお前とちゃうと言いたいです。宿代まけさせたろかなと思ったけど堪忍しときます。部屋はむっちゃ暗いし、やっぱり見て決めんとあきませんわ。

ヤンゴンにはビアホールがあると聞いて、酒飲みとしてはこれは是非行かねば。ちゅうことで、夕食はビアホールに行きます。

確かにビアホールが何軒も並んでいますが、英語メニューを書いてあるところは一軒もありません。唯一ビール700と書いてある店があったので、そこにします。

ミャンマーでは瓶ビールよりも生ビールのほうが安いです。さっそく生ビールを注文。あては、英語メニューないし、店頭で串焼きをやっているので串を指差し注文しました。

でも、ここのビアホールはタイガービール(シンガポールのメーカー)なので純粋にミャンマーの生ビールとは言えないかもしれません。味は薄いですが、まあまあ美味しいです。グラスも冷やしているのが、酒飲みとしては嬉しいサービスです。

DSCF2499.jpg
そうこうしているうちに、串が焼きあがりました。イカ、ソーセージ、うずら卵などを注文しましたが、1本300~800Kです。どれがなんぼか分かりません。つけるタレが日本と違いますが美味しいです。

ビールは小ジョッキくらいの大きさですが、3杯目を注文したら店の人がニヤッと笑っていました。このジジィよう飲むなと思っていたのでしょう。ミャンマー人も来ているようですが、そんなに飲んでいる人はいませんです。

勘定は、ビール3杯で2100K、串焼き5本で2700Kでした。

帰りに、道でサッカーに興じている子供たちがいました。いつまでも、こんな風景が続きますようにと祈りました。


ミングォン観光 [ミャンマー]

2011年1月3日(月)晴

ツーリストボートに乗って、ミングォンに行きます。

DSCF2188.jpg
宿から歩いてマヤンチャン埠頭へ。
オフィスでチケットを購入。往復で5000Kと倍近く値上がっていました。

ミングォンの入域チケットが売っているとガイドブックに書いてあったのですが、場所が分かりませんでした。ミングォンでも購入できますので問題はありません。

ツーリストボートは1日1便しかありません。
往きが9時発で、ミングォンからの帰りが13時発です。

ボートのチケットには船の名前が書いてあるのですが、出発時刻が近づいてきても、それらしく船が見当たりません。

DSCF2324.jpg
出発時刻も過ぎた頃に、ボートオフィスの人がやってきて船の手配をしています。予定していた船がやって来なかったようです。まあ、こんなこともようあります。

乗客はニ十数名で、最初は小さいボートを何台か手配していたのですが、大きなボートが見つかり全員そのボートに乗りました。

ミングォンまでは10kmほどです。往きはエーヤワディー川をさかのぼっていきますので1時間くらいかかりますが、帰りは川の流れもあって35分くらいです。今は乾季なので所要時間は短いですが、雨季は増水して時間がかかります。

DSCF2207.jpg
ミングォンに着いてボートを下りたら、タクシーと声がかかります。ミングォンのタクシーは牛タクシーです。

DSCF2212.jpg
サトーヤ・パヤーです。
1811年に建てられたものです。

DSCF2225.jpg
ミングォン・パヤーです。
コンバウン王朝のボードーパヤー王(在位1782~1819年)が、世界最大の仏塔を造ろうとした跡です。敷地は一辺140mの正方形です。完成していれば、土台の部分が一辺72m、高さは150m、間違いなく世界一の仏塔になっていました。

残念ながらボードーパヤー王は建設途中に世を去ってしまい、1790年から開始された工事も、王の死去によって中断されました。土台の部分はほぼ完成していたのですが、1839年の地震で大きなヒビが入ってしまい、ところどころ崩れています。

DSCF2235.jpg
上部まで上ることが出来ます。
エーヤワディー川の向こうには、霞んでいますがマンダレーヒルが見えています。

DSCF2264.jpg
ミングォンの鐘です。
1808年、建設中の巨大仏塔のためにボードーパヤー王が造らせた巨大な鐘です。口の部分の外径が約5m、重量は90トンあり、ヒビの入っていない鐘としては世界最大級です。仏塔が完成しなかったので、仏塔近くのお堂に釣られています。ときどき係りの人が鐘を鳴らしています。

DSCF2294.jpg
シンピューメェです。
バヂードー王(在位1819~1837年)が、王子時代の1816年に他界した夫人シンピューメェを偲んで建てさせた仏塔です。スメルー山(須弥山)の山頂に建つといわれるスラーマニ・パヤーを模して建てられました。7段になった回廊は波状の手すりで囲まれていて、これはスメルー山の山並みを表現しています。

DSCF2274.jpg
本堂には仏像が安置されていますが、その真後ろにもう1体別の仏像が置かれているのが、面白いです。

DSCF2279.jpg
仏教の世界観を具現しています。

宿に戻って明日のタクシーの手配です。
空港まで一人なので、12000Kです。ここでもタクシー代は、先払いです。ヤンゴンでは後払いでしたが、どっちが多いんでしょうか。先払いは、ちょっと不安になります。


アマラプラ観光 [ミャンマー]

2011年1月2日(日)晴

マンダレーから南へ約11kmのところにあるアマラプラへ行きます。

マンダレーの29番通りと84番通りの交差点で、8番バスを待ちます。
バス会社の人がいてたので、アマラプラ行きのバスはここで待ってたらええんかと聞いたら間違いないです。

バスは時刻表なんてものはないので、いつ来るか分かりません。
ぼーっと立ってたら、どこ行くんやと何人か声をかけてきます。アマラプラとゆうと、乗合ピックアップ(トラックの荷台を改造して座席をつけたもの)があると教えてくれて、それで行くことにします。料金は200Kです。

乗り心地はトラックの荷台ですので、よくはないです。また満員で、ぎゅうぎゅう詰めです。ボロボロのトラックにミャンマー人と押し合いへし合いして乗っていると、人によって感じることは違うでしょうが、私はいつも人間の逞しさを感じて好きな時間です。これで地元の人としゃべれたら最高なんですが・・・。

料金は乗ってすぐに払う方式です。私もまねてすぐに払ったのですが、車掌がもう一度請求してきます。そしたら横に座っていたおばさんが、この人は払ったでとゆうてくれて助かりました。ミャンマー人やっぱり親切やなと思います。

運もあるのでしょうが、ミャンマーに来てから一度もぼられたこともなく、非常に旅しやすい国です。

9時前にアマラプラに到着。
アマラプラは、パーリ語で「不死の町」とゆう意味です。1783年、ボードパヤー王の手によってインワからこの地に遷都が行われましたが、1823年、バヂードー王によって都はインワへ移されました。

1841年にはターラーワディー王が再びアマラプラへ遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへの遷都を決め、また移ってしまいました。

まずはマハーガンダーヨン僧院に行きます。
歩いていたら僧侶に声をかけられて、マハーガンダーヨン僧院を道案内してくれます。10時くらいに行ったらええとゆうことで、時間が早いので他の寺院を案内して説明してくれます。

日本の町では、長崎、広島を知っているとゆうてました。たぶん原爆のことで知ったんやと思います。日本人が思っている以上に長崎、広島のことを知っている外国人は多いです。

あと以外なのは札幌ドームが有名です。
全天候型ドームで、野球もサッカーも出来るとゆうのが珍しいそうです。

道案内してくれた僧侶とマハーガンダーヨン僧院に行きます。
この僧侶も、ここで修行をしています。自分が住んでいる部屋にも案内してくれました。ドミトリーみたいな部屋で、ベッドは10以上あります。自分のスペースは限られていて、修行は大変やなと思います。

本を見せてくれて、マハーガンダーヨン僧院の成り立ちなんかを説明してくれました。ほんま親切に案内してくれて、ありがとうございました。

僧院の看板には10の行いのルールとゆうのが書いてありますが、一番に優しい気質をもちなさいとあります。まさに実践している僧侶でした。

マハーガンダーヨン僧院は、国内最大級、最高位の僧院の一つで、全国から集まった1000人近い僧侶が修行生活を送っています。10時20分くらいから、托鉢を終えた僧侶が食事に集まってきます。

DSCF1968.jpg
その前の準備です。
1000人分の食事ですから、用意するのも大変です。

DSCF1974.jpg
着々と準備が整っていきます。

DSCF2003.jpg
時間が来て僧侶が、ぞろぞろぞろぞろと食事に集まってきます。

DSCF2013.jpg
ご飯を配る人、飲み物を配る人、パンを配る人と3班に分かれています。僧侶以外の人は旅行者などのボランティアのようです。欧米人もパンを配っていました。1000人の僧侶が集まってくる姿は圧巻で感動すら覚えます。

DSCF2032.jpg
食事中は、しゃべったらあかんとゆうことはないですが、ほとんどしゃべっていません。食べることも修行の内なのでしょう。

DSCF2039.jpg
子供の僧侶はかわいいです。

DSCF1976.jpg
僧院を設立した高僧ザナカビウンタの住居跡です。

ぶらぶら歩いていたら、おじさんに声をかけられて、インワ(町の名前)に行かへんかとゆうてきます。おじさんのバイクで、ただで乗せてってやると言います。なんぼ、ミャンマー人が親切でも、へんなとこに連れていかれたらかないませんし、ただはちょっと危なそうなので断りました。

DSCF2140.jpg
ウー・ベイン橋です。
ウー・ベインとは、インワからアマラプラへ遷都された際の、市長にあたる人物(ウーは敬称なので、ベイン氏)です。

彼は、さびれかけたインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために全長1.2kmの橋をかけました。160年前にかけられた橋が現役で頑張っています。

DSCF2092.jpg
橋には途中に何ヶ所か屋根のついたところがあり、休憩できるようになっています。

DSCF2087.jpg
橋から見える風景ものんびりしていて、ええ感じです。

DSCF2101.jpg
チャウットーヂー・パヤーです。
バガンのアーナンダー寺院をモデルにしています。

DSCF2116.jpg
入口を守っているのは、ライオンではなくて、上半身が女性、下半身がライオンの伝説の生き物「マヌーシア」です。紅をさして、マニキュア?を塗っているのが面白いです。

DSCF2108.jpg
東西南北の入口の天井にはフレスコ画が残されています。

橋を戻って、ぶらぶら歩きます。
この辺りは、あんまり観光ずれしていなくて、子供がハローハローと声をかけてきて、可愛らしいです。

DSCF2164.jpg
パトドーヂー・パヤーです。
1820年にバヂードー王によって建てられた仏塔です。

このあと旧王宮に行こうと思ったのですが、場所が分かりませんでした。

諦めて、マンダレーに戻ります。
帰りもピックアップに乗ろうと思います。走っているピックアップはあるのですが、どこで乗ったらええのか分かりません。始発とちゃうので止まっているピックアップはありません。

しばらく歩いていたら、ピックアップに乗るお姉さんがいてて便乗して乗れました。満員なので、後ろに立って手摺につかまって乗ります。道はでこぼこありで、振り落とされへんようにつかまってやなあきません。気分はダイハード(古い)です。10kmちょっとの道のりなのでいいですけど、何十キロとなるとしんどいと思います。

周りは僧侶ばっかりで、僧侶のいがぐり頭が私の手に当たって、ちくちくして痛いです。優しい心で我慢です。

夕食は84番通りの屋台街に行きます。
流行っている店を見つけて、麺にします。

DSCF2181.jpg
麺の名前は分かりません。
汁なし麺です。タレや薬味を6~7種類かけてくれます。これをよくかき混ぜて食べます。美味いです。今まで食べたミャンマーの食事で一番美味しいです。やっぱり、どこの国でも流行っている屋台めしに外れはないです。

辛くはなくて、唐辛子を入れてちょうどええくらいです。付け合せが、スグキみたいで美味しいです。白ご飯が欲しくなります。料金は500Kです。

DSCF2183.jpg
コーラはBLUE MOUNTAIN Colaです。コーラは300Kです。


マンダレー観光 [ミャンマー]

2011年1月1日(土)晴

新年あけまして、おめでとうございます。
海外でのお正月も2度目となると、長いこと旅しているんやなと感じます。

ネパールでのお正月は催しものがあったりして、それなりに賑やかでしたが、ミャンマーは大晦日もお正月も、まったく平日と変わりありません。

今日はマンダレーのダウンタウンの観光です。

DSCF1861.jpg
シュエイピン僧院です。
場所が分かりにくく、何人にも聞き持ってたどり着きました。ミャンマーの人たち、ありがとう。1895年に裕福な中国人のヒスイ商人が寄進した僧院で、総チーク造りの建物です。

DSCF1844.jpg
少し古くなっていますが、創建当初の木彫りの装飾が綺麗です。
托鉢を終えた僧たちが食事をしていました。

DSCF1884.jpg
マハムニ・パヤーです。
マンダレー最大にして最も重要な仏塔です。この仏塔は、1784年にボードーパヤー王が、当時の王宮からこの仏塔へ向かう道に石畳を敷き始めることによって建設が開始されましたが、100年後の1884年に発生した火災で焼失してしまい、建物は比較的新しいです。

DSCF1873.jpg
マハムニ・パヤーの名前は、この高さ4mあるマハムニ仏から来ています。この仏像は創健者のボードーパヤー王(在位1782~1819年)の手によってヤカイン地方から運ばれてきたとゆう伝承があるため、別名ヤカイン・パヤーとも呼ばれています。

みんな一所懸命、仏像に金箔を貼っています。仏像は高さ2m近くある台の上に安置されていて足場は狭いので危ないです。女人禁制になっていて、女性は入れませんので、外で一生懸命拝んでいます。なんか可哀想に思いますが、宗教上のことなので仕方ないのでしょう。

DSCF1892.jpg
境内には、クメール様式の青銅像が6体あります。
これらの像はカンボジアで造られアンコールワットに置かれていたものです。それを1431年にタイの軍勢が持ち去り、1564年にはモン族の王バイナウンの軍勢がバゴーへ奪い去り、1600年にはヤカインのラザヂー王がバゴーを侵略して持ち去り、1784年ボードーバヤー王が奪い返し、マハムニ・パヤーへ納めました。

DSCF1900.jpg
セッチャーヂー・パヤーです。
仏塔は修復中です。

DSCF1898.jpg
バヂードー王(在位1819~1837年)が1823年に造らせた青銅製の高さ5mの座仏像です。おそらく市内で最も大きいものです。

DSCF1911.jpg
エインドーヤー・パヤーです。
ここも修復中です。綺麗な仏像が納められているのですが見られませんでした。残念です。

DSCF1939.jpg
シュエチミン・パヤーです。
マンダレー最古の仏塔とされ、バガン王朝時代に建てられたものです。

DSCF1932.jpg
仏像だけでなく動物などの彫刻もあり、お話しになっているようです。

ミャンマーでは、タナカとゆう自然化粧品をほとんどの女性が使っています。日焼け止めになるようで、おもに顔に塗っていますので、べっぴんもへちゃも差が少ないです。中には、バカ殿かちゅうくらい真っ白けになるまで塗りたくっている女性もいてます。

ダウンタウンにエア・バガンのオフィスがあるので、リコンファームに行きます。長いことリコンファームしていなかったですが、たしか出発の72時間以内であればリコンファームできると思います。

オフィスはすぐに分かりました。
チケットを出して、リコンファームしてもらいました。早すぎるとは言われなくて、よかったです。出発時間が30分早まって8時5分発になっていました。チェックインは出発の1時間半前にするように言われました。また早起きせなあきません。

ビールを売っているところがないか探していたのですが、ありませんでした。バガンは観光地なので酒屋があったのでしょう。

レストランではビールは置いていますが、家で飲むのはあかんちゅうことでしょう。レストランで飲んでいるミャンマー人を見かけたこともないですが。酒飲みには生きにくい国です。

時間があったのでネットをしようとネットショップへ行ってみたのですが故障してて、でけへんと言われました。ミャンマーのネット事情はかなり悪いのかな。


ニャウンウー~マンダレー移動(飛行機) [ミャンマー]

2010年12月31日(金)ニャウンウー晴 マンダレー晴

7時35分のフライトですが、宿の人が6時半に宿を出たら間に合うとゆうので6時半にしました。

朝で道もすいていて約10分で空港に到着。
料金は先払いしていたので大丈夫かなと思っていましたが、問題ありませんでした。

チェックインカウンターも混んでいなかったです。
飛行機はプロペラ機で、自由席です。

定刻より10分早く7時25分に出発。
8時5分にマンダレー空港に到着。
ミャンマーの国内線は、めっちゃ遅れることがあると聞いていたのですが、今のところ順調です。

マンダレー空港の荷物受け取りは、ターンテーブルで出てきます。

空港内にタクシーのカウンターがあったので料金を聞いてみたら、シェアタクシーで一人4000Kです。

ガイドブックにはシェアタクシーのことは載っていなくて、タクシーの相場は12000Kとだけ書いてあったので、安く済んでラッキーです。

宿はガイドブックに載っている、Nylon Hotelにします。
部屋が空いているかどうか心配でしたが、空いていてよかったです。中国系の経営なのか、ホテルの名前は漢字でも書いてあって、尼龍旅館となっています。

シングル、シャワー・トイレ付き、エアコンなし朝食ありで1泊$6です。ええ感じの料金設定です。バスタオルもあります。

部屋は屋上階の7階です。
エレベーターはなく上るのはしんどいですが、部屋の前は屋上スペースになっていて、町が眺められるので気持ちがいいです。屋上には4つ部屋があって、他の3部屋にはエアコンがついていますが、この部屋だけファンのみです。

朝食を摂っていなかったので腹ペコです。
マンダレー名物のミシとゆう麺の屋台を探したのですが、分かりませんでした。肉まんを売っている店があったので肉まんにしました。一つ400Kです。鶏のから揚げもそうでしたが、スイートチリソースがついてきます。ミャンマー人は甘辛いのが好きなんでしょうか。私には、ちょっと甘くて合いません。

旧王宮に行きます。
何も考えずに歩きだしましたが、よう見たら7kmくらいあります。めっちゃ遠いです。西側の入口から入ったら近いのですが、外国人は東の入口しか利用できません。

東の入口でマンダレーの入域料を払います。$10です。
以前は有効期間が5日間だったのですが、3日間と短くなっていました。

入口から旧王宮のあるところまで1km以上あります。
結局2時間ほど歩いて、ようやくたどり着きました。

DSCF1643.jpg
ミャンマー最後の王朝となったコンパウン朝の王宮です。
高さ8mの城壁に囲まれ、城壁は幅約70mの堀にかこまれています。

マンダレーへの遷都を決定したミンドン王が1857年から建設を開始し、4年がかりで完成しました。

しかし、その後この地を支配したイギリスに軍の施設として利用され、さらに日本に占領され戦闘によって王宮は消失してしまいました。

戦後はミャンマー国軍の施設として利用されましたが、1990年代に旧王宮の建物が再建され、その部分に限って外国人も見学できるようになりました。

DSCF1679.jpg
立派な建物ですが、中は埃だらけで全然掃除していません。靴を脱いで上がらないといけないのですが、埃で気持ち悪いです。

DSCF1652.jpg
ここまで歩いたついでに、さらに3kmほど離れたマンダレーヒルまで歩きます。
マンダレーヒルは丘全体が寺院となったマンダレー最大の聖地です。標高は236mです。

南の参道から上るのですが、ガイドブックの説明とぜんぜん合いません。後で分かりましたが、南の参道は2ヶ所入口があります。途中で一緒になりますが、賑やかな参道から上ったほうが参道も掃除されていて上りやすいです。

DSCF1703.jpg
ビャーデイペー・パヤーです。
マンダレーヒルで最も名高い「予言を与え給う仏陀」像です。高さ約8m、弟子のアーナンダを従えた仏像はチーク材を彫ったものです。

お布施をするものが何もないことに悩んだあげく自分の乳房を仏陀に献上したサンダームキ(鬼)に対し、「お前は来世では王になり、そこに町を造るであろう」予言を与え給いました。そのとおり、サンダームキはマンダレーの旧王宮を造ったミンドン王に生まれ変わったのだといいます。

DSCF1708.jpg
このパヤーは展望テラスになっています。
マンダレーの町が一望できます。双眼鏡のレンタルもあります。

DSCF1723.jpg
サンダームキ・パヤー(鬼の仏塔)です。

DSCF1724.jpg
乳房を差し出すサンダームキ(女鬼)の像があります。鬼とゆうから恐い顔をしているのかと思ったら、かわいらしい顔をしています。

頂上にはスタンピー・パヤーがあります。
写真を撮る場合は、撮影代500Kが必要です。

DSCF1729.jpg
ムイヂーナッカです。
頂上から少し下ったところにあります。ムイはヘビ、ヂーは大きい、ナッカは二つとゆう意味です。

ミャンマー人にとって、マンダレーヒルをいえばムイヂーナッカとゆうほど人気の像で、有名な歌の歌詞にも出てくるそうです。記念写真を撮る人が行列を作っていました。

参道を下って、参道の入口まで戻りました。

DSCF1746.jpg
チンテーヂーナッカがあるところから上るのがいいと思います。
チンテーはライオンとゆう意味です。

マンダレーヒル周辺の観光です。

DSCF1748.jpg
チャウットーヂー・パヤーです。
本殿にある石仏は、マンダレーの約30km北にあるサジン山で採掘された巨大な一枚岩から彫られたものです。通常ミャンマーのお寺にある仏像は、信者が寄進した金箔で覆われているのですが、ここの仏像は大理石の素肌がむき出しのままで珍しいですが、これも綺麗だと思います。

DSCF1780.jpg
クドードォ・パヤーです。
バガンのシュエズィーゴォン・パヤーを模して建てられたパヤーですが、修復中で分かりませんでした。

DSCF1773.jpg
DSCF1786.jpg
境内には729の仏塔があり、中には仏陀が悟りを開いてから死ぬまでの説教をまとめた経典を刻んだ石版が1枚ずつ収められています。

DSCF1827.jpg
シュエナンドー僧院です。
ミャンマーでは昔ながらの僧院で木造のものは数が減ってきていて、この僧院も唯一残るミンドン王時代の木造建築です。

DSCF1819.jpg
建物の外壁から屋根や入口の周囲、内側にも手の込んだ彫刻で眺めていて飽きません。建物全体が芸術作品です。

ここに入場するときにマンダレー入域カードの提出が必要で、カードに穴を開けられました。主要なところは、1回しか見学できないようになっています。

よう歩いたので、さすがに2時間歩いて帰る気にはなりません。
サイカー(自転車の横に座席をつけたもの、語源は英語のサイドカーです)が声をかけてきたのでダウンタウンまでなんぼと聞くと$1とゆうので乗っていくことにします。

買い物がしたかったので、ゼェジョーマーケットに行ってとゆうのですが、知らんかったら知らんとゆうたらええのに、分かるとゆうのですが、ちゃうほうに行こうとします。その都度、道を言わなあきません。

ゼェジョーマーケットに着きましたが、あたりはもう閉まっていました。
食料や水を買いたかったのですが、仕方ないです。宿の近くまで帰ってきて、近くのレストランで夕食です。

DSCF1839.jpg
シャン・カオスエにします。
米の麺です。スープはラーメンにも似ています。ビールを1本頼んで、両方で2400Kでした。

ここの宿はネットが使えるとガイドブックに書いてあったのですが、もうやめたみたいで使えませんでした。

去年の大晦日はインドからネパール越えで、ちょいと苦労しましたが、今年は楽な大晦日です。

ミャンマーは仏教国で、あんまり飲酒をしない国です。ビールを飲んで今年1年の納めにしようと思っていましたが、ビールを売っているところがなかったです。

旅三昧の1年で、計画どおりにいかへんかったことやトラブルもありましたが、今もこうして旅をしていられることに感謝します。

ミャンマーは軍事政権の国です。日本もかつてはそうでした。言いたいことも言われへんし、不満も多々あると思うのですが、人々はエネルギッシュに明るく暮らしています。

そんなミャンマーの人も含めて、来年がみんなにとって、ええ年でありますように。


バガン観光part2 [ミャンマー]

2010年12月30日(木)晴

今日は早起きして朝食も食べて、自転車を借りようと思ったのですが、先に借りられていて残っていなかったです。昨日自転車を借りたところに行って、今日もまた借ります。

DSCF1410.jpg
サパダ・パヤーです。
12世紀、バガン朝7代王ナラパティスィードゥー時代の僧、サパダによって建てられました。サパダはハパテインの僧で、後にセイロン(スリランカ)に渡ります。そのためかこの仏塔は、細長い釣り鐘の形をしたシンハリ式(スリランカに多いスタイル)になっています。

DSCF1447.jpg
アナーペッレイ・パヤーです。
アノーヤター王の治世(1044~1077年)に建てられた仏塔です。回廊の上に仏塔が載る、独特の形をしています。

DSCF1449.jpg
1905年までこの回廊は土に埋もれていて、発掘によってこのような形が明らかになりました。埋まっていたために回廊部分の保存状態はよく、「ジャータカ物語」のレリーフが見られます。

DSCF1469.jpg
この辺りはニューバガンとなり、バガン一帯で最も南にありエーヤワディ川に沿った村です。川では女性が洗濯をしていて、子供は泳いで遊ぶといった風景が見られます。

DSCF1482.jpg
ローカナンダー・パヤーです。
1059年にアノーヤター王によって建立されました。川岸にあるため、王朝の最盛期には航行の目印として使われ、ヤカイン地方をはじめ遠くはセイロンからも交易船がやってきました。

DSCF1512.jpg
ダマヤッズィカ・パヤーです。
12世紀、ナラパシティツ王によって建てられました。上れるようになっています。

DSCF1531.jpg
この辺りはプワーソー村となっています。
プワーソー村周辺は特に遺跡が多いところです。上から見ると、まさに遺跡だらけです。

ここまで来る観光客は少ないです。
必然的に物売りも少なくて、のんびりと観光できます。

ミャンマーでは、日本の中古車がめっちゃようさん走っています。他の国でも走っていますが、今まで見たなかでは一番多いです。日本人としては嬉しいことです。

ガイドブックに載っているところは、ほとんど周って後は自分が面白そうやなと思ったところを周ります。塔や寺院の名前もビルマ語しか書いてないところも多く、名前も由来も分かりませんが、見ているだけで楽しいです。

DSCF1571.jpg
仏塔の色が変わっています。
見学に行ったら不思議そうな顔をして見られました。見学に来る人もいないでしょう。

DSCF1580.jpg
変わったスタイルの仏塔です。
中には入れません。

DSCF1604.jpg
仏塔と木造の組み合わせが面白いです。

DSCF1619.jpg
変わった像があります。

宿に戻って、リコンファームが完了していました。
宿の人はタクシードライバーもしているとゆうので、明日の空港までの送りを頼みました。料金は5000Kと来るときと一緒です。

なぜか料金を先に払えとゆうので払いましたが、タクシー料金の先払いとゆうのも珍しいです。


バガン観光part1 [ミャンマー]

2010年12月29日(水)晴

ずっと寝不足が続いていて、12時間近く爆睡しました。目覚ましをかけていたのですが気がつきませんでした。ここの宿は朝食つきでしたが、フミヤに朝食食べてへんやんと怒られました。

チャリンコを借りようと思ったら、私が起きてくるのが遅かったので他の人に貸してしまっていました。

市場の近くにレンタサイクル屋があると教えてもらって、そこに行ってみます。途中で、ゲストハウスの人にレンタサイクルと声を掛けられて、そこで借りました。料金は1500Kです。

DSCF1157.jpg
ティーローミィンロー寺院です。1215年、バガン王ナンダウンミャーがこの地で王位継承に選ばれたことを記念して建てた寺院です。

父王のナラパティスィードゥーが5人の王子のなかから後継者を選ぶ際、傘が倒れた方向に座っていた者を選んだとゆうエピソードが残されており、ナンダウンミャー王は別名ティーローミィンロー(傘の王)と呼ばれていたためこの名称が付いたといわれています。

2階は以前は上がれたのですが、今は上がれなくなっていますが、上がっている人もいました。特別な許可でももらっているのでしょうか。

DSCF1189.jpg
アーナンダ寺院です。
バガンの遺跡を代表する、最大かつ最もバランスのとれた美しい寺院といわれています。1091年、チャンスィッター王の手で建てられました。

DSCF1181.jpg
東西南北に高さ9.5mの仏像が納められています。
北の仏像です。北と南はオリジナルですが、東と西は火事で焼けてしまい造り直されたものです。

DSCF1201.jpg
マハーボディー・パヤーです。
1215年、ナンダウンミャー王の治世に建てられました。バガンでは珍しいスタイルの仏塔です。

DSCF1211.jpg
シュエグーヂー寺院です。
1131年、アラウンスィドゥー王の手で建てられました。

DSCF1225.jpg
タビィニュ寺院です。
12世紀半ば、アウランスィドゥー王の手によって建てられた寺院です。高さは65mで、バガンでは最も高い寺院です。タビィニュとは全知者を指し、仏陀を意味しています。

DSCF1233.jpg
タンドーヂャ石仏です。
仏像の高さは6mです。ポッパ山から切り出された凝灰岩で造られていてバガンでも珍しいものです。

バガンを観光していると、トイレが少なくて困ります。
物売りの人とか、どしているのかなと思っていたら、そのへんでしていました。もう少しトイレを増やしたほうが、観光客にも地元の人にもええと思います。

DSCF1240.jpg
今日の観光はメインロードから離れた地域ですが、牛や羊を放牧しているのんびりした風景が眺められます。遺跡の風景と相まって、時代を遡ったような気持ちになります。

DSCF1263.jpg
ナッフラウン寺院です。
バガンに残る唯一のヒンドゥー寺院です。931年、仏教伝来の約1世紀前に建てられたといわれています。

DSCF1267.jpg
中にはヒンドゥー教のシヴァ神が祀られています。

今日も物売りの人が多いです。子供でも、お兄さんかっこいいねとべんちゃらをゆうて、なんとか買ってもらおうと必死です。お兄さんちゃうし、かっこよくもないし、買ってあげたいけど、いらんもんはしゃあないです。ごめんねとゆうて断っています。

DSCF1275.jpg
シュエサンドー・パヤーです。
タトォン国征服の後、ただちに建てられた仏塔の一つです。1057年の建立で、バガン黄金期のなかでは初期にあたります。

サンドーはビルマ語で聖髪を意味し、この仏塔の中にはモン族(タトォン国)の所有していた釈迦の遺髪が納められているといわれています。

DSCF1302.jpg
ダマヤンヂー寺院です。
12世紀、アラウンスィードゥー王の次男ナラトゥは、自分が王位に就こうとして父王と兄王子を暗殺しました。1167年、ナラトゥは即位し第5代王となりましたが、罪の意識にさいなまれ、罪滅ぼしのためにそれまでで最大で、最も細工が細かく、最も変わった形の寺院を建て始めました。

ところがナラトゥ王は1170年、何者かに暗殺され工事は中断しました。ナラトゥ王の評判は生前からよくなく、その後工事をする人も現れず、寺院は荒れるがままになっていました。

現在でもこの寺院は未完成のままです。
本尊となる仏像だけは納められていますが、ほかの仏像が入ったであろう壁の窪みはそのままです。夜になると幽霊が出るといわれていました。

DSCF1313.jpg
スラマニ寺院です。
1183年、ナラパティスィドゥー王の手で建てられた寺院です。

DSCF1346.jpg
内部には仏像や船に乗る人、象などをモチーフにしたフレスコ画が残っています。

シュエサンド・パヤーに戻って夕日を見ようと思います。
17時過ぎに着いて早すぎたかなと思ったら、もう満員です。並んだり早めの行動には感心します。

DSCF1394.jpg
なんとか夕日は眺めることが出来ました。
バガンが栄えていたころも同じ夕日を眺めていたんやろなぁと思うと、不思議に気持ちになります。

17時35分日没です。
自転車はライトがないので急いでニャウンウーに戻ります。


ヤンゴン~ニャウンウー移動(飛行機) [ミャンマー]

2010年12月28日(火)ヤンゴン晴 ニャウンウー晴

宿でタクシーを呼んでもらいました。
4時前にチェックアウトしたら、宿の外でもうタクシーが待ってくれていました。ミャンマー人、なかなか親切です。

タクシーのドライバーは、空港まで建物の説明をしてくれます。これまた親切なことです。

窓も閉まらないぼろぼろタクシーで、ゆっくりと走っていきます。早朝にもかかわらず、空港まで40分くらいかかりました。

空港に入るときに200Kが必要です。
まだ空港は閉まっていて、空港の前で開くのを待ちます。

今回の航空会社はエアバガンです。
紙のエアチケットなので、紙の乗客名簿と照らし合わせます。私の名前がないとゆうので、ちょっと焦りましたが、ちゃんとありました。日本人の名前は分かりにくいのかもしれません。

機内預け荷物は、大きな体重計のような秤で重さを量って、手で運びます。
昔の飛行機は、こんなんやったんでしょうね。

早朝にも関わらず、空港のロビーは人だらけです。
とゆうか、早朝のフライトが多いです。ミャンマー国内便に3回乗りますが、すべて早朝便です。

搭乗案内は電光掲示板はなくて、おじさんがプラカードに搭乗便ナンバーを書いて案内してくれます。

定刻どおり6時30分に出発。
隣が日本人のおじさんで、ミャンマーは5~6回来ているミャンマー通のおじさんです。今回は日本人が行ったことがないところに行くそうで張り切ってはりました。Hさん、ええ旅をして下さい。

定刻どおり7時25分にニャウンウー空港に到着。
空港でバガン入域料を払わないといけません。料金は$10です。

ニャウンウー空港では、機内預け荷物を係りの人が一人一つずつ持ってきてくれます。機内預けの半券を渡して照合し、空港の外まで運んでくれます。

タクシーでニャウンウーのセントロまで行きます。料金は5000K、高いと思いますが、しんどいしそのまま乗りました。

ヤンゴンの情報ノートに、Pyinsa Rupa Guest Houseがええでと書いてあったので、そこに行きます。ヤンゴンでも言われましたが、タクシードライバーに部屋空いてへんのんとちゃうと、また言われました。確かに年末年始で、その可能性はあるでしょうね。

宿に着いて確かめたら、空室がありました。悪運が強いのでしょう。
部屋を見せてもらって、ここに決めました。シングル、バス・トイレ・エアコン付きで1泊$7です。昨日まで団体で満室やったとゆうてたので、ラッキーです。

宿ではミャンマーのフジイフミヤが日本語ペラペラで、いろいろと親切にしてくれます。宿の前にネットショップがあって、自分のPCを使えるかどうか聞いてくれましたが、あきませんでした。店のPCは日本語不可です。

ニャウンウー町から遺跡のあるバガンまでは5kmほど離れていて、しかも遺跡は広範囲に散らばっているので徒歩での観光は無理です。

で、選択肢としてはタクシーか馬車、自転車となります。
これまた情報ノートでは、馬車を1日$5でチャーターしたと書いてあります。フミヤに聞いたら、15,000Kと言います。ちょっと古い情報でドルのレートが下がっているとはいえ、4倍ちかくに跳ね上がっています。ひえーです。

3日乗ったら、45,000Kです。チャットがなくなってしまいます。

残るはレンタサイクルしかありませんが、フミヤに聞いたらレンタサイクルはないと言われました。最近は人気がないのでなくなったそうです。

どっか探したらレンタサイクルあるかもしれんと思って出かけようとしたら、宿の自転車を貸してあげるとゆうてくれます。ミャンマー人、親切です。

ヤンゴンは暑かったですが、ニャウンウーは朝は寒いくらいです。日中も思っていたほど上がらず、日本の初夏くらいの陽気です。自転車には、ちょうどええ感じです。

道路はだいたい舗装されています。舗装の状態は、まあまあです。

タラバー門を通って、オールドバガンに入りました。
遺跡だらけで、遺跡好きにはたまらない風景です。自転車好きですから、さらに嬉しいです。ランラランラン~♪(漫画トリオ風で)です。

バガンの遺跡は仏教三大遺跡の一つと言われています。
あとの二つは、カンボジアのアンコールワットと、インドネシアのボロブドゥールです。この二つは行ったことがあって、バガンも是非行きたいと思っていた所です。ほんま来てよかったです。

DSCF1006.jpg
ブーパヤー・パヤーです。
川岸に建っています。言い伝えによると7~8世紀頃、ピュー族によって建てられたと言われています。1975年の地震で仏塔は大きな被害を受けて、その後修復されました。

DSCF1016.jpg
ゴドーパリィン寺院です。
バガンで2番目に古い寺院です。1174~1211年にかけて建てられました。ナラパティスィードゥー王が建て始めましたが途中で亡くなり、息子のティーローミィンロー王によって完成されました。

バガンはミャンマー一の観光地ですので、物売りが激しいです。
学校が休みとゆうこともあり、子供の物売りもめっちゃ多いです。うっとうしいくらい付きまとわれることもありますが、これも旅の思い出です。

DSCF1029.jpg
DSCF1044.jpg
マヌーハ寺院です。
マヌーハはタトォン国の王で、捕虜となってこの地に連行されました。マヌーハは1059年、許されてこの寺院を建てましたが、囚われの身の鬱屈した気持ちが、この窮屈な建物を造ったと言われています。

DSCF1061.jpg
ナガーヨン寺院です。
後にバガン王朝44代目の王となるチャンスィッターが造らせました。この寺院は、ミャンマー人が好きな形だそうです。

DSCF1072.jpg
DSCF1077.jpg
セィンニェ・アマ寺院とセィンニェ・ニィーマ・パヤーです。
11世紀の王妃セィンニェが建立しました。アマが姉でニィーマが妹とゆう意味です。角型のアマのほうが寺院です。

ニィーマ内部には階段があって上ることが出来ます。
ここでも子供が寄ってきて道案内をしてくれました。

DSCF1082.jpg
上ると吹く風が心地よく、バガン遺跡が一望に眺められて、ええ気持ちです。

道案内してくれたので、チップをあげました。
他人の子供であれ、人種や国が違っても、子供は大人が躾けるもんやと考えていますので、チップをあげるのも難しいです。ぎょうさんあげて、楽してお金を稼ぐことを覚えたら、ええことないですから、きちんと労働の報酬として受け取ってくれたらええのですが・・・。

DSCF1100.jpg
ミャー・ゼディ・パヤーです。
看板には、なぜか日本人の名前が二人書いてありました。理由は分からないです。看板を寄付でもしたのでしょうか。

傷みが激しく観光禁止になっている遺跡もありました。看板を見て入られへんようになったんやと思っていたら、バイクがやってきて絵を買わへんかとゆうてきます。ミャンマー人商魂たくましいです。ってゆうか、どっから見とったんと不思議に思います。

DSCF1136.jpg
シュエズィーゴォン・パヤーです。
バガンを代表する仏塔です。アノーヤター王がタトォン国を征服した後、建設に着手しましたが在位中には完成せず、次王チャンスィッターの治世に完成しました。シュェは金、ズィーゴォはパーリ語で勝利、栄光、祝福の土地とゆう意味です。

夕食は昨日食べられなかったミャンマーカレーにします。

ミャンマーのカレーは、日本のカレーともインドのカレーとも全く異なります。タマネギをスパイスと炒めたものに具を加えて煮込み、水分を蒸発させて具の表面が油で覆われるように仕上げます。

DSCF1152.jpg
チキンカレーにしました。
ミャンマーでカレーを注文するとご飯はもちろん、スープと副菜が出てきます。ここのレストランでは、副菜は7種類出てきました。生野菜が出てくる店もあるようです。分かりにくいですが、ご飯の左側のちょっと大きめの皿がチキンカレーです。カレー自体は量が少ないですが、副菜が多いので量が足りないとゆうことはないと思います。ご飯、副菜はお替り自由です。

カレーの味は、めっちゃ油っこいです。辛さは、ありません。
副菜は、酸っぱい味付けが多いです、今まで味わったことのない不思議な味付けです。どんな調味料とか使っているのか見てみたいです。

カレーは2000K、ビールが1600Kでした。


バンコク~ヤンゴン移動(飛行機) [ミャンマー]

2010年12月27日(月)バンコク晴 ヤンゴン晴

宿のおばさんが、お茶飲んでいけとゆうてくれましたが、時間がないので断りました。
5時45分チェックアウト。

MRT、BTS、エアポートリンクと乗り継いで空港へ。
乗り継ぎがうまくいったので、1時間20分くらいで空港に着きました。

今回の航空会社はバンコク・エアウェイズです。
チェックインカウンターに行ったら長蛇の列です。40分くらいかかってチェックイン完了。

パスポートコントロールがまた時間がかかって30分くらいかかりました。

空港で朝食を食べて、ネット(バンコク空港では無料で利用できます)してと思っていましたが、ぜんぜん時間がありません。

懸念していたATMでのドル引き出しは出来ましたので、お金がなくて飢えるとゆうことはなさそうです。

定刻より5分早く、9時15分に出発。
定刻より10分遅れて10時15分(タイとの時差はマイナス30分です)にヤンゴン空港に到着。

ミャンマーの国内便フライトのチケットを頼んでいた旅行会社の人と空港で待ち合わせです。

久しぶりに紙のエアチケットを見ました。
紙のチケットですので、リコンファームも必要です。

旅行会社の人と少し話して、両替のことや物価について教えてもらいました。

空港の両替は、通常レートの半分くらいと聞いていたので、とりあえずダウンタウンまでタクシーで行きます。料金は$7です。

ガイドブックに載っていた、東京ゲストハウスにいきます。
旅行会社の人は、宿はいっぱいですよとゆうてましたが、ガラガラでした。まあ時間的なもんもあるのでしょうが。

シングル、トイレ・シャワー共同で1泊$9です。
ここのオーナーは日本人です。情報ノートもしっかりとあります。久しぶりに情報ノートで情報収集です。

宿や観光の支払いはドルでいけますが、乗り物や食事はミャンマー・チャットが必要になります。

チャットに両替しないと食事もできませんので、まず両替です。
一番無難な両替場所は、ボージョーアウンサン・マーケットにある店です。

が、月曜日は休みです。

で、情報ノートに書いてあった、ヤンゴン中央駅の北にあるバスチケット売り場に行きます。どの店か分からなくて聞いてみたら、そこも今日は休みです。両替屋は月曜定休なのかな。

他に両替屋がないか聞いてみたら、店の名前を教えてくれるのですが、ミャンマー語で書いてあるので読めません。

また聞きもって行ったのですが、1$=850K(ミャンマー・チャット)と言われ、情報ノートには950Kくらいと書いてあり、レートが悪いなとゆうたら、ボージョーアウンサン・マーケットのほうがええんちゃうと教えてくれましたが、そこは休みやからあかんねんとゆうたら、MTTがええかもと教えてくれました。

途中、たちんぼうの両替屋にも聞いてみましたが、レートは850です。
たちんぼうは法律違反で、トラブルになるケースもあるので止めときます。

で、MTTに行ってみましたが、レートは教えてくれた両替屋と一緒でした。
3ヶ所も歩き回って疲れたので、妥協して$100両替しました。

チャットは、すべて1000Kできましたので、85枚です。
これは数えるのも大変です。これを町中で立ちながらやっていたら、そらトラブルも起こりやすいでしょう。数えてる最中に警察やとか騒がれたら、数えるのもそこそこに逃げなあかんし、ごまかされていても泣き寝入りとなりかねないです。

公定レートもあります。1$=6.51Kで、1K=¥12.74です。
これは経済の実態を反映していません。銀行に行ったら、たぶん公定レートでの換金となるのでしょう。

ドルにその国の通貨が取って代わられたとゆう国はありましたが、2重通貨は計算もややこしいし、いっぱい札を持たなあかんので面倒です。

また、旅行者がチャットを手に入れる方法がないのに、両替は違法とゆうのも困ったもんです。

ATMやクレジットカードが使えないのは、軍事政権に対する欧米の経済制裁の影響のようです。

以前は入国時に$200の強制両替を行っていました。長期の旅行をする人にはいいでしょうが、短期間の人まで無理やり両替させるとゆうのも外貨のドルが欲しいのが見え見えで、なんともはやです。

両替して観光と思っていたのですが、時間があんまりないので近場で観光です。

DSCF0954.jpg
スーレー・パヤーです。
スーレーはパーリ語で「聖髪」とゆう意味で、仏塔内には仏陀の遺髪が納められているといわれています。パヤーは仏塔とゆう意味です。入場料は$2です。寄付も無理やりさせられました。両替したばかりで細かいのがなくて1000Kしました。

DSCF0970.jpg
パヤーは修復中なのか、ござのようなもので覆っています。

DSCF0963.jpg
昼間でもお参りに来ている人が多いです。
仏さんの後ろには電飾があって派手なところが、ミャンマーらしいです。

スーレー・パヤーの周りにはイギリス植民地時代の名残の建物があります。

DSCF0957.jpg
市庁舎です。

DSCF0956.jpg
最高裁判所です。

DSCF0936.jpg
手相見屋さんがあちこちにあります。
屋台の手相見屋もあります。

ミャンマー料理とゆえばカレーです。
ローカル食堂に入ってみましたが、カレーはありませんでした。メニューはビルマ語しかなくて、さっぱり分かりません。

DSCF0983.jpg
ガイドブックに載っているメニューを見せたらヤキソバはあるとゆうので、ヤキソバにしました。ソース味のヤキソバです。

DSCF0982.jpg
ビールはミャンマービールです。

両方で3000Kです。
あまり安くないです。


ミャンマー ブログトップ

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。