世界ぼちぼち歩き
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/
の~んびりと飲んで歌って踊って、世界をぼちぼちと見て歩きます。
ブルース
2023-05-07T11:50:08+09:00
ja
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青森・函館
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2023-05-07
2023年4月26日~28日コロナ禍の影響で旅行を自粛し、3年2か月振りの旅行です。今回の旅のメインは弘前公園の桜です。2月初旬から予約を取り始めました。今年は春の訪れが遅いとの予報により、例年の満開時期より遅めの日程にしました。ところが、例年より気温の高い日が続き、観測史上最速の満開日とのニュースが相次いでいました。案の定、弘前公園の桜は完全な葉桜となっていました。旅行初日、伊丹から青森へフライト。生憎の雨です。棟方志功記念館です。二菩薩釈迦十大弟子です。表情が豊かで見ていて楽しく飽きません。三内丸山遺跡です。無料ガイドさんの案内で、分かりやすく楽しく見学出来ました。三内丸山遺跡は、約5500年前~4000年前の日本最大級の縄文時代集落跡です。広くて、発掘物が多いのも特徴です。この塔は、何の目的で建てられたのか分かっていません。往時の様子を想像するのは、楽しいです。二日目は、青森から函館へ移動。新幹線で移動する人が多いと思いますが、昔ながらの青函フェリーを利用しました。4時間の船旅です。風が強くて、結構揺れました。函館にある坂本龍馬記念館です。龍馬と函館、何の関係があるんと思っていました。龍馬は蝦夷開拓の意思を持っていましたが果たせず、龍馬の甥が北海道開拓に貢献しました。その関係で出来た記念館です。カトリック元町教会です。横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史を持つ教会です。聖ヨハネ教会です。上から見ると十字架の形をしたユニークな教会です。ハリストス正教会です。日本最古のギリシア正教会です。白と青が綺麗な教会です。函館の街に良く合っています。八幡坂です。函館は坂の多い街です。CMにも使われた坂です。函館の海が綺麗に見えます。函館山からの夕日です。日本三大夜景の一つです。函館を訪れるのは、13年振り2回目です。前回は天気が悪く夜景を見ることが出来ませんでした。13年越しの思いを果たすことが出来ました。三日目、函館空港へ向かう途中で、トラピスチヌ修道院へ。日本最初の観想女子修道院として1898(明治31)年に創立されました。桜が満開で綺麗です。弘前公園の桜は見られませんでしたが、ここで桜が見られて良かったです。
日本
ブルース
2023-05-07T11:50:08+09:00
コロナ禍の影響で旅行を自粛し、3年2か月振りの旅行です。
今回の旅のメインは弘前公園の桜です。2月初旬から予約を取り始めました。今年は春の訪れが遅いとの予報により、例年の満開時期より遅めの日程にしました。
ところが、例年より気温の高い日が続き、観測史上最速の満開日とのニュースが相次いでいました。
案の定、弘前公園の桜は完全な葉桜となっていました。
旅行初日、伊丹から青森へフライト。
生憎の雨です。
棟方志功記念館です。
二菩薩釈迦十大弟子です。表情が豊かで見ていて楽しく飽きません。
三内丸山遺跡です。
無料ガイドさんの案内で、分かりやすく楽しく見学出来ました。
三内丸山遺跡は、約5500年前~4000年前の日本最大級の縄文時代集落跡です。
広くて、発掘物が多いのも特徴です。
この塔は、何の目的で建てられたのか分かっていません。
往時の様子を想像するのは、楽しいです。
二日目は、青森から函館へ移動。
新幹線で移動する人が多いと思いますが、昔ながらの青函フェリーを利用しました。
4時間の船旅です。風が強くて、結構揺れました。
函館にある坂本龍馬記念館です。
龍馬と函館、何の関係があるんと思っていました。
龍馬は蝦夷開拓の意思を持っていましたが果たせず、龍馬の甥が北海道開拓に貢献しました。
その関係で出来た記念館です。
カトリック元町教会です。
横浜の山手、長崎の大浦と共に最も古い歴史を持つ教会です。
聖ヨハネ教会です。
上から見ると十字架の形をしたユニークな教会です。
ハリストス正教会です。日本最古のギリシア正教会です。
白と青が綺麗な教会です。
函館の街に良く合っています。
八幡坂です。
函館は坂の多い街です。CMにも使われた坂です。函館の海が綺麗に見えます。
函館山からの夕日です。
日本三大夜景の一つです。
函館を訪れるのは、13年振り2回目です。前回は天気が悪く夜景を見ることが出来ませんでした。13年越しの思いを果たすことが出来ました。
三日目、函館空港へ向かう途中で、トラピスチヌ修道院へ。
日本最初の観想女子修道院として1898(明治31)年に創立されました。
桜が満開で綺麗です。
弘前公園の桜は見られませんでしたが、ここで桜が見られて良かったです。
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足立美術館・米子・松江
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2020-02-28
2020年2月18日(火)雪後晴以前から見たいと思っていた足立美術館の庭園の雪景色を見に行くことに。1ヵ月以上前から、宿や列車等の予約をしました。ところが今年は記録的な暖冬、半ば雪景色は諦めていたのですが、1週間前くらいの天気予報で雪マークが。雪乞いをしながら出発の日を待ちました。出発当日、現地は雪の予報です。ヤッホー!新幹線で岡山へ、岡山からは特急やくもに乗り換えです。ところが雪の影響でやくもが2本運休になり、2時間後の便に変更。道中も遅れて、安来駅への到着は2時間半遅れでした。降りすぎやっちゅうねん!15時前に、なんとか足立美術館にたどり着きました。4年半振りの訪問です。到着が遅れて、だいぶ融けていましたが、美術館前の歓迎の庭にも雪が残っていました。枯山水庭も樹々の雪は融けていましたが、雪が残っていました。記録的な暖冬でこの雪景色が見られるとは奇跡のようです。感激です。緑と白のコントラストが美しいです。池庭の額絵も・・・。ゆっくりと景色を楽しみたかったのですが、到着が遅れたので思う存分とはいきませんでしたが、無事たどり着けて雪景色が見られて良かったです。新型コロナウイルスの影響で外国人観光客が激減していて、足立美術館もガラガラでした。ゆっくりと観られたのはよかったのですが、早く収束して欲しいもんです。米子に戻り1泊。夜は山陰のカニと地酒に舌鼓を打ちました。暖冬の影響か楽しみにしていた寒ブリは、ありませんでした。2020年2月19日(水)晴後曇ホテルをチェックアウトして、まずは米子の観光です。米子は古くから城下町として栄え、明治から大正、昭和期には「山陰の商都」と呼ばれ、大いに繁栄してきました。観光としては、江戸時代から残り続ける町屋などの城下町町並みを散策するか、米子城跡に登るかが目玉だと思います。とゆうわけで、米子城跡を目指します。天気はいいのですが、前日の雪が残っていて足元悪いなかでの登山です。米子城は、標高約90mの湊山に築かれました。パンフレットでは15分で登れると書いてありました。後から分かりましたが、登城口は3ヵ所ありますが一番ハードな道を選んでいました。米子城は五重の大天守閣と四重の小天守閣を誇る山陰屈指の名城でしたが、今はその石垣をとどめるだけです。立派な石垣です。本丸跡からは360度のパノラマです。雪も少し残っていて、よか眺めです。中海から日本海まで眺められ、絶景です。最高に気持ちがいいです..
日本
ブルース
2020-02-28T08:44:17+09:00
以前から見たいと思っていた足立美術館の庭園の雪景色を見に行くことに。
1ヵ月以上前から、宿や列車等の予約をしました。
ところが今年は記録的な暖冬、半ば雪景色は諦めていたのですが、1週間前くらいの天気予報で雪マークが。雪乞いをしながら出発の日を待ちました。
出発当日、現地は雪の予報です。ヤッホー!
新幹線で岡山へ、岡山からは特急やくもに乗り換えです。
ところが雪の影響でやくもが2本運休になり、2時間後の便に変更。
道中も遅れて、安来駅への到着は2時間半遅れでした。降りすぎやっちゅうねん!
15時前に、なんとか足立美術館にたどり着きました。4年半振りの訪問です。
到着が遅れて、だいぶ融けていましたが、美術館前の歓迎の庭にも雪が残っていました。
枯山水庭も樹々の雪は融けていましたが、雪が残っていました。
記録的な暖冬でこの雪景色が見られるとは奇跡のようです。感激です。
緑と白のコントラストが美しいです。
池庭の額絵も・・・。
ゆっくりと景色を楽しみたかったのですが、到着が遅れたので思う存分とはいきませんでしたが、無事たどり着けて雪景色が見られて良かったです。新型コロナウイルスの影響で外国人観光客が激減していて、足立美術館もガラガラでした。ゆっくりと観られたのはよかったのですが、早く収束して欲しいもんです。
米子に戻り1泊。
夜は山陰のカニと地酒に舌鼓を打ちました。
暖冬の影響か楽しみにしていた寒ブリは、ありませんでした。
2020年2月19日(水)晴後曇
ホテルをチェックアウトして、まずは米子の観光です。
米子は古くから城下町として栄え、明治から大正、昭和期には「山陰の商都」と呼ばれ、大いに繁栄してきました。観光としては、江戸時代から残り続ける町屋などの城下町町並みを散策するか、米子城跡に登るかが目玉だと思います。
とゆうわけで、米子城跡を目指します。
天気はいいのですが、前日の雪が残っていて足元悪いなかでの登山です。
米子城は、標高約90mの湊山に築かれました。パンフレットでは15分で登れると書いてありました。後から分かりましたが、登城口は3ヵ所ありますが一番ハードな道を選んでいました。
米子城は五重の大天守閣と四重の小天守閣を誇る山陰屈指の名城でしたが、今はその石垣をとどめるだけです。立派な石垣です。
本丸跡からは360度のパノラマです。
雪も少し残っていて、よか眺めです。
中海から日本海まで眺められ、絶景です。
最高に気持ちがいいです。少し雲がありました。雲がなければ、大山や遠く隠岐の島も見えるそうです。
松江に移動して昼食をすませて、松江城の観光です。
堀尾吉晴の像が迎えてくれます。
私は歴史には、とんと疎いのですが、松江の将来性に着目して城地を松江に移しました。城普請の名人ですが自分は藩主になることなく、孫の忠晴を助け松江城と城下町を建設し、現在の松江市の礎を築きました。なかなかの傑物ですね。
城山公園の南入口から入ると、すぐに見えてきます。
大手門跡付近です。立派な石垣と太鼓櫓です。
いよいよ、ご対面~。国宝・松江城です。全国に現存する12天守の一つで、山陰では唯一の天守閣です。四重五階、地下一階の複合式望楼型の天守です。
黒を基調とした凛々しい城です。カッコよろしぃなぁ。
松江城は慶長16年(1611)に堀尾吉晴が5年の歳月をかけて完成しましたが、創建年が、はっきりとしなかったのですが、祈祷札が見つかり創建年を裏付け、国宝認定のきっかけとなりました。今は、レプリカが展示されています。
内部の木組みも美しいです。
最上階の5階からの眺めです。
ちょっと雲が多かったですが、そこから光が差し込んで水面が輝いて綺麗です。
国宝指定書です。
細かく指定内容が書かれているのですね。初めて目にしました。
雪に振り回されましたが、雪を愛でて雪と戯れることが出来た有意義な旅になりました。
旅は、やめられまへんなぁ~。次は、どこ行こ。
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仙台・松島・山寺
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2018-11-16
2018年11月5日(月) 曇以前から行きたい行きたいと思っていた仙台・松島。ピーチのセールを見て、思わず予約してしまいました。とゆうわけで、2泊3日の旅です。3日とも天気がイマイチです。松島で雨は嫌なので、降水確率が低い初日に松島を巡ることにしました。関空から仙台空港まで、仙台空港から松島行きのバスがあるので、それを利用することに。が、しかし関空での出発が30分遅れました。乗換時間が35分なので、アセアセ。仙台空港に着いて、ダッシュでバス乗り場まで。空港を出て、すぐの所がバス乗り場でギリギリセーフで間に合いました。ラッキーです。料金は¥1000です。1時間ほどで松島に到着。まずは、観光船のチケットを買いました。出航まで時間があったので、周辺をブラブラと観光です。福浦橋です。全長252m。通行料¥200を払えば、福浦島に渡れます。時間がなかったので眺めるだけにしました。五大堂です。大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立したのが始まりといわれ、慶長9年(1604)に政宗が再建しました。ヒノキなどを使った木造建築で、東北最古の桃山建築ともいわれています。透かし橋が綺麗です。仁王丸とゆう船です。定員400名の大型船です。10分前に集合と言われていたので、10分前に行ったら長蛇の列です。はよ並んどいたら良かったです。平日といえど混んでいましたが、なんとか窓側の席に座れました。約50分の船旅です。料金は割引チケットを使って¥1350です。二つ仲良く並んだ様子から双子島と呼ばれています。右側が鯨島、左側が亀島です。千貫島です。伊達政宗が気に入り、「この島を館に運んだ者には銭千貫与える」とゆうたんが名前の由来です。鐘島です。島に4つの穴があり、穴に打ち寄せる波の音が鐘を打つ音のように聞こえるそうです。また、この穴が昔の小判のように見えるところから金の島とも呼ばれています。仁王島です。ベレー帽をかぶった仁王像のようです。松島湾はスケールが大きく、海外の湾のように感じました。瀬戸内海や日本海の小さな湾を見慣れた者としては、ちょっと違和感がありました。船が大きくて島に近寄れないのとスピードが早いので、小さな船でのんびりと眺めたら、もっと風情があるのになと思いました。観光客が多いので、さばくのには大きな船が必要なのでしょう。瑞巌寺の中門です。天長5年(828)に慈覚大師が開創。慶長14年(1609)に伊達政宗が約5年の歳月をかけて禅寺..
日本
ブルース
2018-11-16T13:00:54+09:00
以前から行きたい行きたいと思っていた仙台・松島。
ピーチのセールを見て、思わず予約してしまいました。
とゆうわけで、2泊3日の旅です。
3日とも天気がイマイチです。
松島で雨は嫌なので、降水確率が低い初日に松島を巡ることにしました。
関空から仙台空港まで、仙台空港から松島行きのバスがあるので、それを利用することに。
が、しかし関空での出発が30分遅れました。
乗換時間が35分なので、アセアセ。仙台空港に着いて、ダッシュでバス乗り場まで。
空港を出て、すぐの所がバス乗り場でギリギリセーフで間に合いました。ラッキーです。
料金は¥1000です。
1時間ほどで松島に到着。
まずは、観光船のチケットを買いました。
出航まで時間があったので、周辺をブラブラと観光です。
福浦橋です。
全長252m。通行料¥200を払えば、福浦島に渡れます。時間がなかったので眺めるだけにしました。
五大堂です。
大同2年(807)に坂上田村麻呂が建立したのが始まりといわれ、慶長9年(1604)に政宗が再建しました。ヒノキなどを使った木造建築で、東北最古の桃山建築ともいわれています。
透かし橋が綺麗です。
仁王丸とゆう船です。定員400名の大型船です。
10分前に集合と言われていたので、10分前に行ったら長蛇の列です。はよ並んどいたら良かったです。
平日といえど混んでいましたが、なんとか窓側の席に座れました。
約50分の船旅です。料金は割引チケットを使って¥1350です。
二つ仲良く並んだ様子から双子島と呼ばれています。
右側が鯨島、左側が亀島です。
千貫島です。
伊達政宗が気に入り、「この島を館に運んだ者には銭千貫与える」とゆうたんが名前の由来です。
鐘島です。
島に4つの穴があり、穴に打ち寄せる波の音が鐘を打つ音のように聞こえるそうです。
また、この穴が昔の小判のように見えるところから金の島とも呼ばれています。
仁王島です。
ベレー帽をかぶった仁王像のようです。
松島湾はスケールが大きく、海外の湾のように感じました。
瀬戸内海や日本海の小さな湾を見慣れた者としては、ちょっと違和感がありました。
船が大きくて島に近寄れないのとスピードが早いので、小さな船でのんびりと眺めたら、もっと風情があるのになと思いました。観光客が多いので、さばくのには大きな船が必要なのでしょう。
瑞巌寺の中門です。
天長5年(828)に慈覚大師が開創。慶長14年(1609)に伊達政宗が約5年の歳月をかけて禅寺として再建しました。
庫裡内は撮影禁止です。
庫裡から中庭を眺めたところです。
まだ紅葉には少し早かったですが、色づいているところもありました。
円通院です。
伊達政宗の嫡孫(ちゃくそん)光宗の霊廟として、正保4年(1647)瑞巌寺第100世洞水和尚により三慧殿(さんけいでん)が建立され開山されました。
紅葉の名所としても有名です。夜はライトアップされます。
庭園との対比が綺麗です。
松島から仙台までJRで移動。
今回の宿は、ナインアワーズ仙台です。
1泊¥1873と嬉しい価格のカプセルホテルです。
設備は綺麗で申し分ないのですが、館内は飲食禁止なので寝酒が出来ないのが玉に瑕です。
ホテルの近くは繁華街で飲むところには事欠きせん。
「せり鍋」が仙台名物とは知らなくて、是非食したいと思っていたのですが、店は予約で満員でした。
国分町とゆうところは全部3000件の飲み屋がありますので、適当な店でお酒を頂きました。
2018年11月6日(火)曇後雨
仙台で、どこか紅葉狩りをしようと思っていたのですが、交通の便が悪いので探していたところ山寺(山形県)が近いので行くことにしました。仙台と山形って近いって意外でした。
仙台からJR各停で1時間ちょっとで山寺駅に到着。
山寺は通称で、正しくは「宝珠山 立石寺(ほうじゅさん りっしゃくじ)」と言います。
そんなに標高があるわけではないのですが、ひんやりして肌寒いです。
でも大丈夫、1070段の石段を登っていきますので、すぐ暖かくなるでしょう。
登山口から少し登ったところに、根本中堂があります。
ブナ材が全体の6割程度用いられて建造されており、ブナ材の建築物では日本最古と言われ、天台宗仏教道場の形式がよく保存されています。
山門の手前で売っていた、山形名物「玉こんにゃく」です。懐かしいなぁ〜。
ここでは、力こんにゃくとゆう名前で売っています。一串100円です。
よく味がしゅんでて美味しいです。
松尾芭蕉の像がありました。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」・・・元禄2年(1689)7月13日に山寺を訪れた松尾芭蕉の句です。
ここで有名な句が生まれたとゆうことも知りませんでした。
入山料300円を払い、山門をくぐって本格的に石段を登っていきます。
ジジィパワー プラス 力こんにゃくパワーで登っていきます。
仁王門のところの紅葉です。
時期的には今が見頃だと思います。ここの紅葉は鮮やかでしたが、全体的には今年は色づきが悪いです。
修行の岩場です。
岩場から転落死した者も多かったので、今は修行者以外の登山は禁じられています。
1070段の石段を登って、奥之院にたどり着きました。
雨が心配だったのですが、なんとかもってくれました。
雲が多いですが、下界の眺めが素晴らしいです。
芭蕉もこの景色を眺めて名句が閃いたのかもしれません。
開山堂と納経堂です。
この景色を眺めて来て良かったなぁと思います。
下山を始めたら雨が降ってきて、ええタイミングで登れたと思います。
山寺芭蕉記念館です。
山寺は人が多かったですが、ここを訪れる人はめっちゃ少ないです。
雨も本降りになってきたので、雨宿りを兼ねてのんびりと見学しました。
「閑さや岩にしみ入る蝉の声」の句が、どんな風に推敲していったか分かって面白かったです。
もともとは、「山寺や石にしみつく蝉の声」だったそうです。
奥之院の標高は417mですが、下からの眺めはもっとあるように感じます。
石段を登ることによって、煩悩が消滅すると信仰されている修行の霊山です。
沢山のお坊さんも登ってはりました。
煩悩を捨てきれない私は、仙台に戻ってきて、フラフラと飲み屋へ。
今日は仙台駅の近くで一杯。マグロぶつ刺、290円、安くて旨い。仙台の夜が更けていきます。
2018年11月7日(水)曇
今日は一番降水確率が高かったのですが、降っていませんでした。ラッキーです。
ここの宿はチェックアウトしても荷物を預かってもらえます。
今日は仙台市内の観光です。
るーぷる仙台とゆう循環バスを利用します。1日乗車券で620円です。
宿の近くのバス停から乗ったのですが、満員でビックリ。仙台は人気観光都市なのですね。
仙台観光といえば、ここは外せません。瑞鳳殿です。
寛永14年(1637)に造営された初代藩主・伊達政宗の霊屋です。
瑞鳳殿の正面門は、涅槃門と呼ばれています。涅槃とは煩悩を取り去った悟りの境地となる状態を意味し、広くは死とゆう意味になります。
涅槃門は樹齢数百年の青森檜葉を用いて再建され、正面扉上部の蟇股には瑞獣「麒麟」が彫刻されています。鮮やかなもんです。
1636年、70歳で生涯を閉じた仙台藩祖伊達政宗公の遺命により、翌年の1637年に造営された霊屋です。
太平洋戦争時の1945年、アメリカ軍による仙台空襲で焼失してしまいました。その後1979(昭和54)年に焼失以前の瑞鳳殿を忠実に再現して再建され、平成13年(2001)には仙台開府四百年を記念して大改修工事が実施され、現在の姿となりました。
一部紅葉していましたが、係りの人いわく一週間早いなぁとのことです。
第2代藩主・忠宗を祀る「感仙殿」です。
忠宗は錬成された人格と法治主義により、仙台藩の実質的な基礎を確立しました。
第3代藩主・綱宗を祀る「善応殿」です。
綱宗は書画、和歌、能などの芸能分野に才能を発揮し、秀作を数多く残しました。
仙台城跡の本丸跡に立つ伊達政宗公騎馬像です。
カッコよろしいな。
本丸跡からは仙台の街並みが綺麗に見えます。
本丸跡の廻りを散策。山城のため比較的石垣は少ないのですが、本丸北側の石垣は約17mの高さがあり、なかなかええ眺めです。
国際センター駅前には、羽生結弦選手のサイン入りモニュメントが建っています。
仙台は、日本フィギュアスケート発祥の地でもあります。
三居沢電気百年館です。
東北で初めて電気のあかりがともりました。明治21年(1888)。今から130年前のことです。それを記念して1988年に建てられたのもです。
水力発電所の中がガラス越しで見られます。
無人で発電機が働いています。
百年館の前には、水力発電発祥之地の碑があります。
百年館の横には、三居沢発電所があります。
国指定有形文化財でもあります。なかなか趣のある建物です。
大崎八幡宮です。
伊達政宗の命により慶長12年(1607)に造営され、社殿は安土桃山時代の遺構として国宝に指定されています。が、七五三のお祝いのステージが設えられていて、全容が見えませんでした。残念。
仙台の食で、これは外せません。牛たん屋で昼食です。
定食は牛たん焼きに、麦ご飯とテールスープがついてきます。牛たん焼き4枚で1500円です。厚切りにしたタンが美味しいです。お昼をまわっていたのですが、結構人が入っていました。
お腹もいっぱいになったので、散歩です。
定禅寺通り。ケヤキ並木が700m続く散策路です。12月になれば数十万個のイルミーネーションがともり、光のページェントが開催されます。電気の下準備がなされていました。
晩翠草堂です。
土井晩翠が晩年を過ごした建物です。「荒城の月」の作詞者とは知りませんでした。
朝から夕方まで、いろいろな仙台を見ることが出来ました。
ようやく訪れることが出来た仙台。思っていた以上に奥深い街でした。
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ゴッホ展と運慶展
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2017-11-26
2017年11月18日(土)曇時々雨運慶展が観たくて東京に行こうと思っていたのですが、貧乏人なので旅費が嵩むのが痛いです。夜行バスが安いかなと考えながら探していると、LCCで東京から大阪の安い便がありました。行きは貯まったマイルで片道無料で行けるので、東京行き決定。行きは伊丹発8:00の便です。出発45分前に空港着。座席指定もしていたので、すぐに保安検査場に向かいましたが、長蛇の列。今まで見た中で一番長かったです。それでもスムースに進んで15分くらいで検査完了です。定刻よりも10分遅れの出発で、羽田着は15分遅れで9:25に到着。先ずは、時間調整でフジテレビへ。昔はテレビ好きでしたが、今は落語や漫才などは見ますが、ドラマやバラエティは全く見なくなって、どの番組案内を見ても胸に刺さるものがありませんでした。テレビっ子じゃないんやと実感しました。唯一興味を引いたのはサザエさんだけでした。フジテレビから上野公園へ移動。東京都美術館の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」へ。この日は1月並みの気温で、しかも雨との天気予報。ゴッホ展は混雑して入場待ちかもと思って厚着してきましたが、入場制限は無く、すぐに入れました。朝早くは混んでるやろと思って、お昼前に来たのがよかったのかもしれません。しかも混雑していると覚悟していたのですが、会場内もかなり空いています。ガラガラとは言いませんが、ガラくらいです。離れて絵画を眺めて、近づいて眺めてと、最近はとんと出来なかった鑑賞が出来、絵画ってこうやって鑑賞するのが本来の姿やなと感じました。ゴッホの作品以外にも影響を受けた浮世絵の作品もあり、対比して見比べてみると面白かったです。お次は、この旅のメイン。「運慶展」です。会場は東京国立博物館です。今年は、正月以来2回目の訪問です。こちらも行列覚悟で来ましたが、入場制限は無かったです。しかし会場内は激混みです。作品の周りは人だかりです。でも、絵画と違って、ぐるり360°から鑑賞できるので、ましです。そう、お寺さんだと前から観るだけですが、ぐるりと鑑賞できるのが、また魅力の展覧会です。運慶は、鎌倉新様式を築いた鎌倉時代の仏師です。それまでの仏像の主流であった定朝様式から、豪放な力強さと写実に特色があり、その力強さと写実的な作風が東国の武士たちに好まれました。運慶のデビュー作から、素晴らしい作品が並んでいます。周りからは、かっけー、すごーいとゆう賞賛と驚きの..
日本
ブルース
2017-11-26T11:46:05+09:00
運慶展が観たくて東京に行こうと思っていたのですが、貧乏人なので旅費が嵩むのが痛いです。
夜行バスが安いかなと考えながら探していると、LCCで東京から大阪の安い便がありました。
行きは貯まったマイルで片道無料で行けるので、東京行き決定。
行きは伊丹発8:00の便です。
出発45分前に空港着。座席指定もしていたので、すぐに保安検査場に向かいましたが、長蛇の列。
今まで見た中で一番長かったです。
それでもスムースに進んで15分くらいで検査完了です。
定刻よりも10分遅れの出発で、羽田着は15分遅れで9:25に到着。
先ずは、時間調整でフジテレビへ。
昔はテレビ好きでしたが、今は落語や漫才などは見ますが、ドラマやバラエティは全く見なくなって、どの番組案内を見ても胸に刺さるものがありませんでした。
テレビっ子じゃないんやと実感しました。
唯一興味を引いたのはサザエさんだけでした。
フジテレビから上野公園へ移動。
東京都美術館の「ゴッホ展 巡りゆく日本の夢」へ。
この日は1月並みの気温で、しかも雨との天気予報。
ゴッホ展は混雑して入場待ちかもと思って厚着してきましたが、入場制限は無く、すぐに入れました。
朝早くは混んでるやろと思って、お昼前に来たのがよかったのかもしれません。
しかも混雑していると覚悟していたのですが、会場内もかなり空いています。
ガラガラとは言いませんが、ガラくらいです。
離れて絵画を眺めて、近づいて眺めてと、最近はとんと出来なかった鑑賞が出来、絵画ってこうやって鑑賞するのが本来の姿やなと感じました。
ゴッホの作品以外にも影響を受けた浮世絵の作品もあり、対比して見比べてみると面白かったです。
お次は、この旅のメイン。「運慶展」です。
会場は東京国立博物館です。今年は、正月以来2回目の訪問です。
こちらも行列覚悟で来ましたが、入場制限は無かったです。
しかし会場内は激混みです。
作品の周りは人だかりです。
でも、絵画と違って、ぐるり360°から鑑賞できるので、ましです。
そう、お寺さんだと前から観るだけですが、ぐるりと鑑賞できるのが、また魅力の展覧会です。
運慶は、鎌倉新様式を築いた鎌倉時代の仏師です。
それまでの仏像の主流であった定朝様式から、豪放な力強さと写実に特色があり、その力強さと写実的な作風が東国の武士たちに好まれました。
運慶のデビュー作から、素晴らしい作品が並んでいます。
周りからは、かっけー、すごーいとゆう賞賛と驚きの声声。
私が一番感動したのは、「無著菩薩立像」と「世親菩薩立像」です。
無著・世親は4〜5世紀ごろ、インドに実在した高僧の兄弟。
興福寺では、平氏の南都焼き打ち後の1212(建歴2)年ごろに造られ、北円堂の本尊・弥勒如来像の左右に立つ。
無著像(高さ1.95m)、世親像(高さ1.92m)とも生きているような迫真性から、鎌倉時代の代表作として、日本史の教科書にもしばしば登場します。
無著は袱紗を手にしていますが、中には何が入っているのでしょうか。
透徹した目が威厳を表しています。
背中から見ても無著と分かり、無著さんと声をかけたくなる雰囲気です。
世親は、眉間に皺を寄せて、何かに耐えるような表情です。
運慶展を堪能して、宿に向かおうとしてところで、東博のロッカーに明日の飛行機のボーディングパスを忘れた事に気づきました。
急いで戻りましたが、ロッカーはすでに次の人が使っていて、ふさがっています。
インフォメーションで落し物の届けがないか聞いてみましたが、届いていません。
ロッカーの中を確認できませんかと聞いてみましたが、無理とのこと。
ロッカーを使っている人が帰ってくるか、会場が閉まってから来て下さいと言われましたが、金土は21時までの開場ですし、ロッカーを使っている人も今入場されたばかりで、何時間も帰ってこないと思われます。
明日の朝は早起きしなくてはいけないので、あきらめて宿へ。
自分のどんくささに情けなくなります。
気を取り直して、鶯谷駅の近くにある居酒屋へ。
白レバーの炙りたたきです。
新鮮なレバーで美味しいです。
名物の牛テール煮込みです。
寒い日は、あったかいものがご馳走です。
2017年11月19日(日)晴
早起きして、宿をチェックアウト。
予定より早目に成田空港へ向かいます。
今回利用のLCCは、バニラエアです。
第3ターミナルを利用していて、駅から730mと遠いです。
歩いて10分くらいは掛かります。
係りの人にボーデイングパスの再発行方法を聞くと、カウンターで予約番号をゆうか、支払ったクレジットカードがあればとの事ですが、支払いはクレジットではないし、予約番号は覚えていません。
諦めかけた時に、予約案内がメールで来ていたのを思い出して、急遽スマホでメールを探します。
普段はパソコンでメールしていますので、スマホでするのは初めて。
メルアドとパスワードを思い出しながら入力するのですが、スマホ入力は苦手やし、出発時間が迫ってくるし、アセアセです。
なんとか予約番号が分かり、カウンターへの行列に並びますが、長蛇の列。
バニラエアでは、カウンター手続きは出発の30分前までとなっていますが、残り10分しかありません。
機材繰りの関係で遅れを出すわけにいかないからだと思います。
が、並んでいるのは千歳行きと関空行きの客ばかりで、これはバニラエアの処理能力とお客さんの対応の悪さで、時間が掛かっているようです。
LCCは安さが魅力です。
しかし、安いから飛行機の利用に慣れていない人も多く利用していて、カウンターで荷物が重量オーバーになっていて、スーツケースをひっくり返している人もいて、利用前に利用方法をよく勉強して欲しいとお願いしておきます。
そんなこんなで、なんとかボーデイングパスの再発行が出来、急いで保安検査場は。
すでに搭乗は始まっています。
飛行機までは、連絡バスでの移動です。
なんとか機上の人となりました。
出発は結局、遅れていました。
バニラエアは関空では第1ターミナルに着きました。
関空での利用は便利です。
教訓。予約番号はどっかにメモしておきましょう。
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名古屋・清洲城と知多半田
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2017-11-05
2017年10月7日(土) 雨のち曇3連休を利用して名古屋へ行くことに。去年と同じく、ぷらっとこだまで行こうと思ったのですが、予約が取れず。どうしようかと思案していたら、新幹線自由席用早特往復きっぷとゆうのを見つけました。新幹線自由席用早特往復きっぷは、東海道新幹線を「のぞみ号」「ひかり号」「こだま号」の自由席で往復できる割引きっぷです。1ヶ月前から販売していて、販売初日に買いにいったら購入できました。有効期間は3日間で、3日以内に往復しなければなりません。料金は9150円です。とゆうわけで無事、名古屋へ出発。新大阪始発の便で、さらに「こだま号」にしました。自由席の車両数は、のぞみが3両、ひかりが5両、こだまは10両と自由席のほうが多いです。出発5分くらい前に乗りましたが、車内はガラガラでした。名古屋駅のコインロッカーに荷物を預けようと思ったのですが、駅構内のロッカーは空きがなかったです。3連休なので人出が多いようです。まずは、清洲城を目指します。JR、名鉄、どちらでも行けますが、駅からは少し歩きます。清洲古城跡にある、「織田信長公をお祀りした小社」です。ひっそりと建っています。清洲城です。「千と千尋の神隠し」に出てくる「油屋」のモデルになったとの話もありますが、似ているとは思いませんでした。会社の人に清洲城を見に行くとゆうたら、なんでそんなとこに行くねんと突っ込まれましたが、城内は映像メニューなど豊富で歴史が分かって楽しいです。「清洲会議」の解説もあり興味深かったです。入場料は300円です。天守閣からの眺めです。名古屋駅から近いです。新幹線に乗っていると清洲城がよく見えます。とゆうことは、清洲城からは新幹線がよく見えます。清洲公園にある、「信長公出陣の像」です。信長公が弱冠27歳の時に、清州城より桶狭間へ向かって出陣せんと、意気すでに今川の大軍を呑んでいるところを表現した像です。首にかけた数珠は、味方の士気を大いに高めたと言われています。信長公の視線は桶狭間を向いています。美濃斉藤道三の娘の濃姫が出陣を見送っています。名鉄に乗って、有松に移動です。有松は江戸時代の面影を残す町です。服部家住宅です。荷造りのための作業場や倉庫群がある有松の絞り問屋を代表する建物で、屋号を「井桁屋」としていました。江戸末期から明治元年までに建てられたものと伝えられ、1964(昭和39)年に愛知県指定文化財となっています。主屋は木造2..
日本
ブルース
2017-11-05T11:41:44+09:00
3連休を利用して名古屋へ行くことに。
去年と同じく、ぷらっとこだまで行こうと思ったのですが、予約が取れず。
どうしようかと思案していたら、新幹線自由席用早特往復きっぷとゆうのを見つけました。
新幹線自由席用早特往復きっぷは、東海道新幹線を「のぞみ号」「ひかり号」「こだま号」の自由席で往復できる割引きっぷです。1ヶ月前から販売していて、販売初日に買いにいったら購入できました。有効期間は3日間で、3日以内に往復しなければなりません。料金は9150円です。
とゆうわけで無事、名古屋へ出発。
新大阪始発の便で、さらに「こだま号」にしました。
自由席の車両数は、のぞみが3両、ひかりが5両、こだまは10両と自由席のほうが多いです。
出発5分くらい前に乗りましたが、車内はガラガラでした。
名古屋駅のコインロッカーに荷物を預けようと思ったのですが、駅構内のロッカーは空きがなかったです。
3連休なので人出が多いようです。
まずは、清洲城を目指します。
JR、名鉄、どちらでも行けますが、駅からは少し歩きます。
清洲古城跡にある、「織田信長公をお祀りした小社」です。
ひっそりと建っています。
清洲城です。
「千と千尋の神隠し」に出てくる「油屋」のモデルになったとの話もありますが、似ているとは思いませんでした。
会社の人に清洲城を見に行くとゆうたら、なんでそんなとこに行くねんと突っ込まれましたが、城内は映像メニューなど豊富で歴史が分かって楽しいです。「清洲会議」の解説もあり興味深かったです。入場料は300円です。
天守閣からの眺めです。
名古屋駅から近いです。
新幹線に乗っていると清洲城がよく見えます。
とゆうことは、清洲城からは新幹線がよく見えます。
清洲公園にある、「信長公出陣の像」です。
信長公が弱冠27歳の時に、清州城より桶狭間へ向かって出陣せんと、意気すでに今川の大軍を呑んでいるところを表現した像です。首にかけた数珠は、味方の士気を大いに高めたと言われています。
信長公の視線は桶狭間を向いています。
美濃斉藤道三の娘の濃姫が出陣を見送っています。
名鉄に乗って、有松に移動です。
有松は江戸時代の面影を残す町です。
服部家住宅です。
荷造りのための作業場や倉庫群がある有松の絞り問屋を代表する建物で、屋号を「井桁屋」としていました。江戸末期から明治元年までに建てられたものと伝えられ、1964(昭和39)年に愛知県指定文化財となっています。
主屋は木造2階建の塗籠(ぬりごめ)造、たちの低い2階は虫籠(むしこ)窓になっていて卯建(うだつ)があがっています。
有松山車会館の見学です。入場料は200円です。
唐子車山車です。
有松には東町の布袋車(ほていしゃ)、中町の唐子車(からこしゃ)、西町の神功皇后車(じんぐうこうごうしゃ)の3台の山車があり、ここでは1年交代で1台ずつ展示されています。
竹田家住宅です。
主屋は1階が連子(れんじ)格子、2階は虫籠(むしこ)窓のある黒漆喰の塗籠(ぬりごめ)造、腰は海鼠(なまこ)壁で土蔵も黒漆喰塗りです。
のれんは、有松絞りで出来ています。
有松絞りの歴史は、尾張藩が有松絞りを藩の特産品として保護し、竹田庄九郎を御用商人に取り立てたことからはじまりました。
岡家住宅です。
1階は連子(れんじ)格子と海鼠(なまこ)壁、2階の窓は虫籠(むしこ)窓の塗籠(ぬりごめ)造りとなっています。
小塚家住宅です。
主屋1棟・蔵2棟・茶室1棟の構成で、連子格子・なまこ壁・虫籠窓・塗ごめ造り・卯達が見事なまでに整った建物です。
祇園寺の境内です。
33観音石仏がありました。
有松は、こじんまりとした町ですが、古い町並みが好きな人にはお薦めです。
また、重要伝統的建造物群保存地区に指定されていますが、愛知県では有松と足助の2箇所だけです。
名古屋に戻ってきて、宿へ。
去年と同じく、第2松竹梅ホステルにしました。
男性専用のホステルで、トイレ・シャワー共同のシングルルームです。
1泊、2674円です。去年より211円高いです。時期によって値段が変わるのでしょう。
名古屋駅の近くにある居酒屋へ。
朴葉味噌焼です。
お酒がすすみます。
大アサリ焼です。
カウンターだけの小さな店ですが、地元の人がたくさん来ていて、料理はどれも美味しく良心的な値段のええ店でした。
2017年10月8日(日) 晴
今回、名古屋に来たメインの目的は、「長沢芦雪」を観るためです。
会場は、愛知県美術館です。
10時からの開場で、10分前に着きました。
100人も並んでいなくて、メッチャ人気とゆうほどでもないです。
その分、ゆっくり観られていいです。
長沢芦雪は、円山応挙の弟子で、師とは対照的に、大胆な構図、斬新なクローズアップを用い、奇抜で機知に富んだ画風を展開した「奇想の絵師」の一人です。
芦雪は、応挙に何度も破門されたそうですが、真面目な応挙にとって、ちょけたところのある芦雪の言動が気に入らなかったのかもしれません。
同じく、ちょけたところのある私は芦雪の作品を観て、好きになりました。
長沢芦雪展、素晴らしかったですが、昨夜飲み過ぎて、ボォーッとしながらの鑑賞で、美術鑑賞の前は飲み過ぎ注意です。
会場を出たところで記念撮影です。
昨日の有松に続いて、古い町並み散策です。
名古屋市内にある、「文化のみち」に行きます。
旧豊田佐助邸です。
豊田佐助は、発明王・豊田佐吉の弟で佐吉を支えた実業家です。当時、長塀町に佐吉邸、白壁町に豊田喜一郎邸と豊田利三郎邸もありましたが、現存するのはこの佐助邸のみでる。佐助邸は、大正12年(4年の説も)に建てられた白いタイル張りの木造の洋館と広い間取りの和館で構成されています。
欄干が波打ったデザインで、オシャレです。
ガウディを連想しました。
お隣にある、旧春田鉄次郎邸です。
アールヌーボーの余韻漂う洋風数寄普請。陶磁器貿易商として成功し、太洋商工株式会社を設立した春田鉄次郎が武田五一に依頼し、造った住宅と言われています。 春田邸は昭和22年(1947)から昭和26年(1951)まで米軍第五航空隊司令部により一時接収されました。
1階は、レストランになっていて、この日は結婚式のパーティが開かれていました。
文化のみち橦木館です。
大正末期から昭和初期にかけて建てられた、陶磁器商として活躍した井元為三郎の旧邸宅です。
手吹きによる歪みのある窓ガラスや、さりげなく使われているステンドグラスが綺麗です。
戦災でこの建物の前までは焼け野原になったそうです。
文化のみち二葉館です。
日本初の女優と謳われた川上貞奴と、 電力王と称された福沢桃介が、大正から昭和初期にかけて暮らしていた邸宅を移築・復元しました。
螺旋階段が素晴らしいです。
映画のセットのようです。今にも、そこから女優がおりてきそうな雰囲気です。
大広間南側にある「踊り子」。天女が躍るようなデザインはライトを浴びて舞台に立つ貞奴をイメージしてつくられたものでしょうか。
こちらは、大広間西側にある「初夏」と題されたもの。水辺に咲くシャクナゲやユリなどの花を色彩豊かに描いた美しいステンドグラスです。
「文化のみち」は、名古屋城から徳川園に至るエリアです。
今日は、白壁町・主悦町・撞木町を散策しました。大正ロマンの風情が残る町並みが素敵でした。
訪れる観光客は少ないですが、外国人の方が訪れていたのには、感心し嬉しかったです。
2017年10月9日(月)曇
宿をチェックアウトして、名鉄で知多半田へ。
知多半田駅の近くにある、旧中埜家住宅です。
中埜家は近世以来の旧家で、住宅は第10代中埜半六が別荘として建てたものです。
木造煉瓦造の2階建、屋根は天然スレートで葺いています。寄棟造の大屋根と複数の切屋根、ハーフティンバーの壁面により、変化に富んだ外観となっています。中は見学できません。
國盛酒の文化館です。
1985年、中埜酒造(株)が新工場を完成、稼働したのを機に創設したお酒の博物館です。
見学は無料ですが、予約が必要です。
蒸米・放冷(むしまい・ほうれい)です。
甑(こしき)に米を運び入れ、大釜で蒸します。蒸し加減は、蒸米の一部を手に取り「ひねり餅」にしながら確かめ、蒸米を分司(ぶんじ)でひろげ、用途に合わせて冷やします。
酛づくり(もと)です。
麹・蒸米・良質の水を一定の割合で半切(はんぎり)に分けます。
杜氏たちは酒づくり唄に合わせて櫂(かい)でゆっくりとていねいにかきまぜます。
酒造りの様子がジオラマで展示されています。
ゆっくりと見たいのですが、説明のお姉さんが早く進んでいくので、ゆっくりと見る時間はないです。
燗付器です。
中にお湯を入れて、その周りをお酒がめぐって温める仕掛けになっています。
面白いですが、温度調節が、ほぼ一定になるので、お燗番がつけるほうがいいと思います。
アミダです。
酒造道具や材料の上げ降ろしに使っていました。
阿弥陀さんの光背に似ているので、この名前がつきました。
見学のあとは、お楽しみ試飲タイムです。
3種類のお酒を試飲しました。ここでしか手に入らない物もあり、食指が動きましたが、生酒で保存がきかないので購入しませんでした。
國盛酒の文化館の見学が終わって、次はミツカンミュージアムの見学です。
2時間ほど、時間があるのでブラブラと散策です。
ちょっと遠かったですが、半田赤レンガ建物まで歩きました。
半田赤レンガ建物は、明治31年(1898年)にカブトビールの製造工場として誕生。明治時代に建てられたレンガ建造物としては日本で五本の指に入る規模を誇りました。ビール工場の遺構は現存数が極めて少ないため、その意味でも貴重な建造物です。
元の場所に戻ってきて、小栗家住宅です。
明治初年頃の建築と推定される主屋は、寄棟造り棧瓦葺の屋根を持つ二階建の建物です。
二階の床を支える太い梁材には、縦縞状についた筋目が目立ち、正面には2間幅の堂々たる式台が望まれ、同家の格式を高めています。
今回、名古屋に旅に来た2つ目の目的、ミツカンミュージアムです。
仕事関係で、この建物を目にして観たいと思ったのと、展示が面白そうと思いました。
のれんが下がっているのが美しいと思ったのですが、ハロウィンバージョンで、のれんはなかったです。
ミュージアムの見学は予約制で、時間があったので近くの半田運河をブラブラと散策。
気持ちのいい風景です。
予約時間まで、まだ時間があったのですが、中の展示を見ようと思ったら、30分前の見学に空きが出来たので早目に見学させてもらえました。ラッキーです。入場料は300円です。
ミツカンミュージアムは人気で、私が1ヶ月前くらいに予約したときは、12時30分の見学しか空きがありませんでした。早目の予約をお薦めします。
まずは、「大地の蔵」です。ここは江戸時代の酢造りと現在の醸造の様子を見られる場所です。
半田市のある知多半島は、江戸時代から日本有数の酒造り地域で、酒以外にも、味噌や醤油、酢などの醸造品も作られてきました。ミツカングループの創業家である中埜(なかの)家も、もともとは酒造りをしていて、酒造りの過程で余る酒粕の有効利用として酢造りを始めたということです。
このフロアでは最後に「フロアの真ん中に置かれた大きな桶を覗いてみてください」とガイドさんが呼びかけて、「3、2、1」とカウントすると・・・、見学者の「おぉ!」という驚きとともに桶の中に現れたのは、現代の酢造りのフロアです。なかなか憎い演出です。
「風の回廊」と呼ばれるエリアです。
半田市の懐かしい情景が収められた写真を見ることができます。
フロアの中央に飾られたのれんが美しいです。半田の山車31台分の法被をモチーフにして作られています。
暗いなかを、「時の蔵」に入っていくと、光がさして巨大な船が現れます。
江戸時代に半田から江戸まで酢などを運んだ「弁才船(べざいせん)」を実寸大で再現したものです。長さ約20m、重さ約20t。これでも当時は小型だったとのこと。
時の蔵」の壁には、ミツカングループの歴史が絵巻物のように描かれています。
19世紀初頭の江戸で現代の握りずしの原型である「早ずし」が誕生した頃、「早ずし」に合う酢として江戸で販路を拡大していったそうです。米酢よりも安く、甘みと旨味のある粕酢は、江戸の有名すし店も使うほど人気だったそうです。
お馴染みのミツカンマークですが、創業家の中埜家の家紋からミツカンを考案しました。
中埜家の家紋は、三本線を〇で囲んだものです。この三本の線を「ミツ」とよみ、〇を「カン(環)」とよんで合わせて「ミツカン(三ツ環)」となったそうです。
なお、現在のミツカンマークの上の三本の線は、お酢の命と言われる「味」「きき」「香り」を表わし、下の「まる」はそれらを「まるくおさめる」という意味も込められています。
弁才船に、みんなで乗り込んで江戸時代にタイムスリップです。
今は、2017年10月9日12時46分。
江戸時代の風景が次々と現れます。
風が吹いて映像と相まって、迫力があります。
見学を終えて、「光の庭」エリアへ。
目の前に広がる膨大な数の握りずし。
その名も「すし大陸」。20種類以上の握りずしが1,000貫以上並ぶ光景は楽しいです。
他にも、すし屋になって、紙粘土をしゃりに見立てて、すしを握ったり、記念撮影が出来ます。
子供さんは、一番楽しいエリアかと思います。
ここでも、ハロウィンの飾りつけで季節感を表していました。
ミツカンミュージアム、いろいろと楽しい仕掛けが一杯で勉強にもなり、お薦めです。
半田での観光も終え、帰路に着きました。
ミツカンミュージアムの見学が早目に終わったので、帰る時間も早目になりました。
新幹線は自由席ですので、こうゆう時間変更には対応できるのはメリットだなと感じました。
名古屋から座れるかなと思いましたが、のぞみでも自由席は空いていて、新大阪まで楽につきました。
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東京・川越
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2017-01-28
2017年1月7日(土)晴全日空のマイルの期限が迫ってきて、どこかに行こうと思って12月に新潟行きを予約したのですが、急に仕事が入ってキャンセル。寒さも増してきたので、東京行きにしました。伊丹〜羽田間のフライトです。富士山が綺麗に見えていました。隣に座っていた女の子は、2歳で初フライトです。離陸の時は泣いていましたが、あとは大人しくて堂々とした初フライトです。先ずは、上野の東京国立博物館へ。デトロイト美術館展も考えたのですが、派遣先の社長が毎年、東博の「博物館に初もうで」に行っていて、素晴らしいとゆうてたので東博にしました。階段を上がると生花が。お正月らしくていいです。長谷川等伯の「松林図屏風」、国宝です。「美術史上日本の水墨画を自立させた」と称される作品です。静謐な空気感がいいです。写真撮影はあかんと思っていたので、カメラを持参していませんでしたので、ipodで撮影しました。秦意冲の作品です。若冲みたいでええなぁと思って見ていたら、若冲の弟子のようです。恵比寿、大黒天、福祿寿の三福神が吉原の花魁たちと遊んでいる場面です。絵巻になっていて見ていて楽しい作品です。池大雅の作品です。竹が生き生きと描かれていて、ええなぁと感じました。渡辺省亭の作品です。赤坂迎賓館の花鳥の間に飾られている七宝焼の花鳥画の下絵です。赤坂迎賓館に行く前で、下絵が見られて嬉しかったです。もっとゆっくりと見たかったのですが、赤坂迎賓館の予約の時間が迫ってきました。赤坂迎賓館の前庭です。去年の4月に訪れた所です。去年は迎賓館内には入れなかったので予約を取りましたが、入場者が少なく、入場制限はありませんでした。予約を取る必要はなく、ちょっとがっかりです。東博で、ゆっくりしたかったです。入場料は¥1,000です。館内は撮影禁止です。見学者から、凄すぎるとの声も聞こえましたが、私は華美になりすぎず、日本らしい奥ゆかしさと落ち着きを感じました。館内の見学を終えて、主庭です。前から行ってみたかった、根津美術館です。入口を入ると竹の回廊が続いています。場所は表参道なのですが、異空間にいるような気分になります。尾形光琳の燕子花図が見たかったのですが、コレクション展だけで常設展はありませんでした。「染付誕生400年」が開催されていました。日本では今からおよそ400年前の元和2年(1616)、朝鮮半島より渡来した陶工・李参平によって、肥前(現在の佐賀県)の地でその..
日本
ブルース
2017-01-28T12:55:51+09:00
全日空のマイルの期限が迫ってきて、どこかに行こうと思って12月に新潟行きを予約したのですが、急に仕事が入ってキャンセル。寒さも増してきたので、東京行きにしました。
伊丹〜羽田間のフライトです。
富士山が綺麗に見えていました。
隣に座っていた女の子は、2歳で初フライトです。
離陸の時は泣いていましたが、あとは大人しくて堂々とした初フライトです。
先ずは、上野の東京国立博物館へ。
デトロイト美術館展も考えたのですが、派遣先の社長が毎年、東博の「博物館に初もうで」に行っていて、素晴らしいとゆうてたので東博にしました。
階段を上がると生花が。
お正月らしくていいです。
長谷川等伯の「松林図屏風」、国宝です。
「美術史上日本の水墨画を自立させた」と称される作品です。
静謐な空気感がいいです。
写真撮影はあかんと思っていたので、カメラを持参していませんでしたので、ipodで撮影しました。
秦意冲の作品です。
若冲みたいでええなぁと思って見ていたら、若冲の弟子のようです。
恵比寿、大黒天、福祿寿の三福神が吉原の花魁たちと遊んでいる場面です。
絵巻になっていて見ていて楽しい作品です。
池大雅の作品です。
竹が生き生きと描かれていて、ええなぁと感じました。
渡辺省亭の作品です。
赤坂迎賓館の花鳥の間に飾られている七宝焼の花鳥画の下絵です。
赤坂迎賓館に行く前で、下絵が見られて嬉しかったです。
もっとゆっくりと見たかったのですが、赤坂迎賓館の予約の時間が迫ってきました。
赤坂迎賓館の前庭です。
去年の4月に訪れた所です。
去年は迎賓館内には入れなかったので予約を取りましたが、入場者が少なく、入場制限はありませんでした。予約を取る必要はなく、ちょっとがっかりです。東博で、ゆっくりしたかったです。
入場料は¥1,000です。
館内は撮影禁止です。
見学者から、凄すぎるとの声も聞こえましたが、私は華美になりすぎず、日本らしい奥ゆかしさと落ち着きを感じました。
館内の見学を終えて、主庭です。
前から行ってみたかった、根津美術館です。
入口を入ると竹の回廊が続いています。
場所は表参道なのですが、異空間にいるような気分になります。
尾形光琳の燕子花図が見たかったのですが、コレクション展だけで常設展はありませんでした。
「染付誕生400年」が開催されていました。
日本では今からおよそ400年前の元和2年(1616)、朝鮮半島より渡来した陶工・李参平によって、肥前(現在の佐賀県)の地でその焼成に成功したのが始まりとされています。そして肥前磁器は「伊万里焼」として、染付や白磁、青磁や色絵へと飛躍的に発展し、江戸時代を通して隆盛を極めます。
あんまり興味はなかったのですが、勉強になりました。
今回の宿は、入谷にある「1 ナイト 1980 ホステル」です。
カプセルタイプの宿です。1泊、¥1,980ではなく¥2,271でした。
ベッドメイクを自分でしなくてはいけないのが、ちょっと面倒です。
宿の近くの居酒屋へ。
桜鍋です。割り下を使っていて、味噌も少し入っています。
馬肉は柔らかくて美味しいです。卵を付けてすき焼きみたいに食べます。
店内には、DeNAの山崎選手のアマチュア時代のサインがありました。野球好きには、ちょいと嬉しいです。
栃尾あぶらげです。
前から食べてみたかったのですが、東京で食べられるとは以外でした。
酒のあてにいいです。
2017年1月8日(日)曇後雨
今回、東京を旅先に選んだ目的の一つが川越見学です。
以前から行きたかった町です。
東京からは1時間くらいで行けます。
今日の天気予報は下り坂なので、写真を撮りたいところを先に見ていきます。
先ずは、洋館巡りです。
川越商工会議所です。古代ギリシャのドリス様式が取り入られています。
建てられたのは、昭和3年(1928年)。武州銀行川越支店として前田健二郎という方が設計しました。その後昭和45年(1970年)に川越商工会議所が譲り受け、現在も現役で使われています。
旧山吉デパートです。
ルネッサンス様式を基調とした外観です。2階正面には4本の柱(イオニア式)が並び、唐草のレリーフがはめ込まれています。保岡勝也の最晩年の建築とされています。
埼玉りそな銀行川越支店です。
鉄骨鉄筋コンクリート造3階建て、塔屋・金庫室付の建物で、塔尾の先端までの高さは25.2mあります。ルネサンス様式を基調としながら、ゼブラ模様の付け柱やアーチ部分がサラセン風にデザインされています。こちらも、保岡勝也の建築です。
洋館も素晴らしいですが、川越で一番有名なのは、蔵造りの町並みです。一番街通りです。
時の鐘です。
城下の頃の面影を残す建造物で、江戸時代初頭から城下の町に時を告げ、庶民に親しまれてきた鐘つき堂です。 今から約400年前、当時の川越藩主だった酒井忠勝(さかいただかつ)によって創建されたといわれています。
本来、午前6時・正午・午後3時・午後6時の1日4回鐘の音が鳴るのですが、耐震工事中で聞けませんでした。明日から鐘の音は再会されるそうです。残念。明日は成人式で、振袖姿の女性が写真を撮っている姿も多かったです。
大沢家住宅です。
一番街に並ぶ蔵造り建築の中で最も古く、呉服太物を商っていた近江屋半右衛門が1792(寛政4)年に建てた蔵造りのお店です。
ちょっと移動して、喜多院です。
江戸城から豪華な壁画や墨絵で装飾された「客殿」と呼ばれる家光誕生の間や、3代将軍家光の乳母として知られる春日局が使用していた「書院」と呼ばれる春日局化粧の間などが移築されました。それらを見たかったのですが、正月のお参り?の方が長蛇の列で、諦めました。
喜多院にある五百羅漢です。
日本三大羅漢の一つです。538体の羅漢が並んでいます。
メガネをかけた羅漢もています。
内緒話をしているのかな?
いろんな表情があって、見ていて面白いです。
川越氷川神社、高さ15mの明神型の大鳥居です。
社号額は勝海舟によるものです。
人形流しが行われていて、こちらも人人人です。
川越城本丸御殿です。
嘉永元年(1848)、時の藩主松平斉典が造営したもので、武家風の落ち着いたつくりが印象的な江戸時代17万石を誇った川越城唯一の遺構です。
川越城本丸御殿の前にある、三芳野神社です。
童謡「とおりゃんせ」の発祥の地とだと言われています。改装中でした。
川越まつり会館です。
高さ8mの山車が並んでいます。
二重のあんどん(鉾)を組み、上層に出る部分と人形は、それぞれ迫り上げ式のエレベーター構造になっています。本来、これは城の門をくぐる際に伸び縮みできるようにした仕掛けです。
鉾の前に唐破風か欄間を乗せた舞台(囃子台)があり、多くの山車はせいご台の上で360度水平回転する回り舞台になっていて、これは他では見られない特色です。
この日は、お囃子の実演が行われていました。
久下戸囃子保存会の方が大村井流の祭囃子を実演してくれました。
なかなか迫力があって楽しかったです。
まつり会館を出たら、すっかり雨となっていました。雨が降る前に写真を撮れてよかったです。
夜は、川越の居酒屋を旧友と一緒に3軒ハシゴして、午前様になりました。
2017年1月9日(月)雨後曇
昨夜の深酒で朝寝していました。
ここの宿は12時チェックアウトなので、ゆっくりできます。
両国へ移動。
ちゃんこを食べようと思ったのですが、最初に行った店は予約で満員でした。
昨日から初場所が始まっているので、その影響もあるのでしょう。
別の店に行きました。
鳥ちゃんこを注文。スープは4種類あるのですが、お薦めの醤油味にしました。
ちょっと甘めのスープですが、ええ出汁が出ていて美味しかったです。
ちょっと迎え酒をして、いい気分です。
ぶらぶらと歩いて、すみだ北斎美術館へ。
去年の11月22日にオープンしたばっかりの美術館です。
建物は、めっちゃモダンです。設計は、妹島和世です。
美術館の前は、葛飾北斎生誕の地です。
北斎では一番有名な作品、冨嶽三十六景の「神奈川沖波裏」です。
ここの美術館は、企画展と常設展示に分かれています。
常設展のほうは、ほとんどの作品が写真撮影可ですが、すごい人混みで、ゆっくりとは撮れません。
北斎と娘の阿栄(おえい)です。
こたつの布団をかぶりながら絵を描いています。阿栄が、箱火鉢に添いながらその様子をながめています。 杉戸には「画帳扇面おことわり」との張り紙。柱にはミカン箱を打ち付けて仏壇としています。はきちらかした草履と下駄。火鉢のうしろが炭と食品容器であったかごや竹皮のごみの山となっています。
北斎の筆が動いたので、ちょっとビックリしました。
北斎は漫画も描いています。
しっかりしたデザインです。
「70歳までに描いたものは本当に取るに足らぬものばかりである。86歳になればますます腕は上達し、90歳ともなると奥義を極め、100歳に至っては正に神妙の域に達するであろうか。(そして、)100歳を超えて描く一点は一つの命を得たかのように生きたものとなろう。長寿の神には、このような私の言葉が世迷い言などではないことをご覧いただきたく願いたいものだ。」とゆう北斎の言葉は届かず、88歳で亡くなりました。
「画狂老人」の号を用いた素晴らしい画家です。
上野に戻ってきて、黒田記念館です。
入場無料なのが嬉しいです。
前から見たかった作品、「智・感・情」です。
1900年のパリ万国博覧会で、日本人の洋画では最高の賞となった銀牌を受賞しています。
それぞれのポーズと表情が、胸に訴えかけてくる作品です。
黒田記念館、小さな記念館ですが、足を運んでみることをお薦めします。
あっとゆうまの3日間でした。
また、マイルを貯めてどこか旅したいです。
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焼き松茸・松坂牛すき焼き食べ放題と御在所ロープウェイ
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-12-11
2016年11月19日(土)雨後曇いろいろと食べ放題ツアーに行きましたが、今年は松茸食べ放題ツアーに参加だぁ〜!生憎の雨のなか、集合場所に行ってみたら、人人人です。バス3台での出発で、びっくりぽんです。松茸食べ放題は大人気なんですね。雨のなか、休憩をはさんで、いきなり昼食会場です。焼き松茸で〜す。もちろん、外国産でしょうが、思い切り食べました。香りが、やっぱり無いですが、こんなに沢山の松茸を食べたのは初めてです。もう一つの食べ放題、松坂牛すき焼きです。火力が弱いのが玉に疵。固形燃料は係の人が入れてくれるのですが、回ってくるのが遅いです。自分で燃料を取りに行くようにして欲しかったです。思ってたより、松坂牛はジューシーで美味しく、松茸も焼きよりはすき焼きに入れたほうが美味しかったです。お腹もいっぱいになったところで、湯の山温泉駅へ。御在所ロープウェイに乗ります。全長2161m、高低差780m、12分間の空中散歩です。雨はやんでくれましたが、雲が多くて残念です。湯の山温泉駅に近いあたりは紅葉しています。雲の切れ間から、少しだけ見られました。先先週の信州で、旅の運を使い果たしたかな。雲の流れが綺麗です。これもまた風情があって、ええもんです。山上公園駅に到着。標高1212mです。そんなに寒くなかったです。下界は真っ白で何も見えません。記念撮影だけ、パチリと。湯の山温泉駅に戻ってきて、駅付近の紅葉です。晴れていれば、綺麗かったんでしょうが。アクアイグニスとゆう施設に行って、片岡温泉にの〜んびりと浸かりました。アクアイグニアスには、お菓子やパンの店もあり、甘いもの好きの方にはええとこやと思います。今年は2回紅葉を見ようと欲張りましたが、2回目はあかんかったので、また御在所には来てみたいです。
日本
ブルース
2016-12-11T12:04:35+09:00
いろいろと食べ放題ツアーに行きましたが、今年は松茸食べ放題ツアーに参加だぁ〜!
生憎の雨のなか、集合場所に行ってみたら、人人人です。
バス3台での出発で、びっくりぽんです。松茸食べ放題は大人気なんですね。
雨のなか、休憩をはさんで、いきなり昼食会場です。
焼き松茸で〜す。
もちろん、外国産でしょうが、思い切り食べました。
香りが、やっぱり無いですが、こんなに沢山の松茸を食べたのは初めてです。
もう一つの食べ放題、松坂牛すき焼きです。
火力が弱いのが玉に疵。固形燃料は係の人が入れてくれるのですが、回ってくるのが遅いです。
自分で燃料を取りに行くようにして欲しかったです。
思ってたより、松坂牛はジューシーで美味しく、松茸も焼きよりはすき焼きに入れたほうが美味しかったです。
お腹もいっぱいになったところで、湯の山温泉駅へ。
御在所ロープウェイに乗ります。
全長2161m、高低差780m、12分間の空中散歩です。
雨はやんでくれましたが、雲が多くて残念です。
湯の山温泉駅に近いあたりは紅葉しています。
雲の切れ間から、少しだけ見られました。
先先週の信州で、旅の運を使い果たしたかな。
雲の流れが綺麗です。
これもまた風情があって、ええもんです。
山上公園駅に到着。標高1212mです。そんなに寒くなかったです。
下界は真っ白で何も見えません。
記念撮影だけ、パチリと。
湯の山温泉駅に戻ってきて、駅付近の紅葉です。
晴れていれば、綺麗かったんでしょうが。
アクアイグニスとゆう施設に行って、片岡温泉にの〜んびりと浸かりました。
アクアイグニアスには、お菓子やパンの店もあり、甘いもの好きの方にはええとこやと思います。
今年は2回紅葉を見ようと欲張りましたが、2回目はあかんかったので、また御在所には来てみたいです。
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秋の信州と御岳ロープウェイ
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-11-27
2016年11月5日(土)晴今年の紅葉狩り、どこにしようかと考えて珍しいところにしようとゆうことで、信州に1泊2日で行くことに。旅行会社のツアーを利用します。バスで大阪を出発して、昼食を挾んで馬籠宿を目指します。今回のツアー客は22名の参加です。私は一人参加ですが、男性の一人参加は私だけなので席を一人占め出来て楽です。馬籠宿に到着。馬籠上陣場です。標高653m、眼前の山は恵那山です。高札場です。高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。これを眺めながら、旅の安全を願ったのかな。上陣場から馬籠宿を下っていきます。かなりの坂なので、下から上がってくる人は大変です。水車がありました。昔からあるものでしょうか。今は発電にも使われいます。馬籠宿から妻籠宿にやってきました。こちらは平坦な場所なので楽に散策できます。馬籠と妻籠は、25年前にツーリングで訪れて以来です。昔の風情が残るところは、ええもんです。遠くの山は色づいていて、歩いていて気持ちいいです。天気もピーカンで気分は最高です。散策を終え、ホテルに向かいます。標高の高いところにあるホテルで、ゴルフコースがあります。相部屋で申し込んでいましたが、男性一人参加は私だけなので、ツインルームを一人で使えてラッキーです。夕食は、しゃぶしゃぶ膳です。左側が牛肉で、右側が豚肉です。どちらも美味しいです。ワインと一緒に頂きました。ホテルの前のもみじが、真っ赤に色づいています。明日の紅葉狩りが楽しみです。2016年11月6日(日)晴今日もピーカンです。天気に恵まれてラッキーです。朝食前にホテルの周りを散歩。ゴルフコースの樹樹も色づいていて綺麗です。ゴルフはしませんが、こんな中でプレイしたら気持ちいいでしょうね。朝食に朴葉みそがありました。郷土料理は、旅の楽しみの一つなので嬉しいです。さて、この旅の魅力の一つがネイチャーガイドが同行してくれることです。色々な説明を聞きながらの紅葉狩りは一味違うと期待します。ガイドさんは元林野庁の方で、御嶽山のガイドをしていたのですが、御嶽山の噴火でガイドがなくなり、紅葉狩りのガイドをしているそうです。ホテルを後にして、まずは御岳湖です。愛知用水の水源として造られたダム湖です。風がなくて水面が鏡のようで美しいです。牧尾ダムの上を歩いて、紅葉を楽しみます。ダムの高さは10..
日本
ブルース
2016-11-27T13:34:49+09:00
今年の紅葉狩り、どこにしようかと考えて珍しいところにしようとゆうことで、信州に1泊2日で行くことに。
旅行会社のツアーを利用します。
バスで大阪を出発して、昼食を挾んで馬籠宿を目指します。
今回のツアー客は22名の参加です。
私は一人参加ですが、男性の一人参加は私だけなので席を一人占め出来て楽です。
馬籠宿に到着。
馬籠上陣場です。標高653m、眼前の山は恵那山です。
高札場です。
高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを木の板札に書き、人目のひくように高く掲げておく場所のことです。
これを眺めながら、旅の安全を願ったのかな。
上陣場から馬籠宿を下っていきます。
かなりの坂なので、下から上がってくる人は大変です。
水車がありました。
昔からあるものでしょうか。今は発電にも使われいます。
馬籠宿から妻籠宿にやってきました。
こちらは平坦な場所なので楽に散策できます。
馬籠と妻籠は、25年前にツーリングで訪れて以来です。
昔の風情が残るところは、ええもんです。
遠くの山は色づいていて、歩いていて気持ちいいです。
天気もピーカンで気分は最高です。
散策を終え、ホテルに向かいます。
標高の高いところにあるホテルで、ゴルフコースがあります。
相部屋で申し込んでいましたが、男性一人参加は私だけなので、ツインルームを一人で使えてラッキーです。
夕食は、しゃぶしゃぶ膳です。
左側が牛肉で、右側が豚肉です。
どちらも美味しいです。ワインと一緒に頂きました。
ホテルの前のもみじが、真っ赤に色づいています。
明日の紅葉狩りが楽しみです。
2016年11月6日(日)晴
今日もピーカンです。
天気に恵まれてラッキーです。
朝食前にホテルの周りを散歩。
ゴルフコースの樹樹も色づいていて綺麗です。
ゴルフはしませんが、こんな中でプレイしたら気持ちいいでしょうね。
朝食に朴葉みそがありました。
郷土料理は、旅の楽しみの一つなので嬉しいです。
さて、この旅の魅力の一つがネイチャーガイドが同行してくれることです。
色々な説明を聞きながらの紅葉狩りは一味違うと期待します。
ガイドさんは元林野庁の方で、御嶽山のガイドをしていたのですが、御嶽山の噴火でガイドがなくなり、紅葉狩りのガイドをしているそうです。
ホテルを後にして、まずは御岳湖です。
愛知用水の水源として造られたダム湖です。
風がなくて水面が鏡のようで美しいです。
牧尾ダムの上を歩いて、紅葉を楽しみます。
ダムの高さは104.5mです。山のような形のダムで、上の歩道は幅10mです。
見えている橋は、六段橋です。
次は、この橋の上に行きます。
六段橋の上からの眺めです。
先週よりも色づきがよくなって、ベストのタイミングだとガイドさんがゆうてはりました。
橋脚が残っていますが、 旧六段橋です。
幅が狭かったので建て直したそうです。
橋から下を眺めたら、めっちゃ綺麗なコントラストです。
紅葉が綺麗に色づく条件は、寒暖差が大きいことと紫外線が強いことだとガイドさんが教えてくれました。
今まで見た中でも最高の紅葉です。
旧大島橋の橋脚です。
常盤ダムのダム湖にかかっていました。
戦前の古い橋なので、歴史的建造物として残されたそうです。
ダム湖が美しくないので、イマイチです。
白川渓谷です。
こちらも橋の上からの眺めですが、あまりの美しさに身を乗り出ししまいます。
いくら眺めていても飽きません。
倉越パノラマラインの展望台からの眺めです。
御嶽山の麓にある高原です。標高が高いので、紅葉は終わっています。
広々とした光景に心が洗われます。
御嶽山が見えます。
山頂は左側で、ここからは見えません。
御岳ロープウェイを目指しますが、朝の時点では風が強く運転していないとの事でしたが、
ロープウェイ乗り場に着いたら運転していてラッキーでした。
今年最後の営業日です。
頂上駅に到着。標高2150m。
目の前には御嶽山の姿が。
乗鞍岳です。
雲が多くて、他の山々は見えません。
中央アルプス方面は綺麗に見えています。
気持ちのいい風景です。
気温は0℃に近く寒いですが、ええ風景を見ながらお昼にしました。
ずっと眺めていたいですが、ツアーの悲しさ。そんなに滞在は出来ません。
油木美林の中にある、こもれびの滝です。
ここまでは、ほぼ平坦な道です。
油木美林は、御嶽山の山麓に広がるヒノキの天然林です。
苔むした岩と清流が綺麗です。屋久島の風景にも似ています。
カメラマンの腕がなる風景ですが、ゆっくりと撮影している時間がなくて残念。
不易の滝です。
御嶽山四合目にある滝です。太古の時代からその「容姿を変えぬ」との由来で、名付けられました。
白糸の滝のような繊細で美しい滝です。
御嶽山は美しいだけでなく、御嶽信仰でも有名な山です。
丸と三本線は、山丸三マークと呼ばれていて、丸は宇宙を表し、 三本線の真ん中の線は宇宙の根本仏である胎蔵界・大日如来、 上の線は不動明王、下の線は摩利支天を意味しています。
この当たり一帯には、霊神碑が沢山あります。
霊神碑の建立は、 御嶽山を死後の魂の安住の場とする信仰であり、 死後の霊魂の憩いの場を御嶽に求めようとするものです。
バスからの眺めも最高です。
山全体が燃えるようです。
美しい紅葉の眺めで、至福の時間が流れていきます。
大阪に帰りたくなくなり、ずっと旅していたいです。
このツアーは、人気がなく今年は2本だけの催行で、来年あるかどうかとガイドさんは気をもんでいました。
ええツアーやと思うので、多くの人に参加して欲しいもんです。
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名古屋・犬山城と岡崎城
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-10-09
2016年9月17日(土)曇3連休を利用して旅をしようと思います。石川雲蝶を見に新潟に行きたかったのですが、飛行機のチケットが取れずに、名古屋に行くことにしましたが、こちらも新幹線のチケットが取れず諦めかけていたら、予約キャンセルが出て運良くチケットを取ることが出来ました。予定の時間より早くて喫煙席ですが、1時間少しの乗車ですのでよしとします。新幹線は、「ぷらっとこだま」とゆうチケットなんですが、乗車券とワンドリンクのサービスが付いています。KIOSKで飲み物と交換できます。500mℓのチューハイにしようと思ったのですが、350mℓしか置いてません。なんか損した気分です。チケットが取れないくらいなので、満席かと思っていたら、車両はガラガラでした。どこかがチケットを抑えているのでしょうか。9時前に名古屋に到着。明日明後日と雨模様なので、今日は犬山城に行くことに。名鉄に乗り換えて、30分ほどで犬山駅に到着。駅からブラブラと歩いて犬山城を目指します。旧磯部家住宅です。緩やかな曲線を描く「起り屋根(むくりやね)」が綺麗です。間口6.8m、奥行き約58mあります。うなぎの寝床ですが、間口の広さで税金が決まるので、こういった造りになりました。ベトナムで同じ事情で、同じような造りの家を見たことがありますが、国が違っても役人や庶民が考えることは一緒なんやなぁと感じました。城下町も風情があって、ブラブラ散歩にはピッタリです。犬山城が見えてきました。見てのとおり、小高い山の上に建てられた「後堅固の城」です。三光稲荷神社の階段を上がっていきます。伏見稲荷ほどではないですが、稲荷神社らしい朱塗りの鳥居のトンネルが美しいです。犬山城です。織田信長の叔父、織田信康により天文6年(1537)に創建されました。別名の白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられています。唐破風が美しいです。付櫓があるのは珍しいですね。天守閣からの眺めです。尾張国と美濃国の境にあり、目の前を流れるのは木曽川です。城を出て、対岸に向かいます。対岸から見た犬山城です。「後堅固の城」とゆうのがよく分かります。犬山城は、国宝指定され5城のうちの一つで、現存する日本最古の城です。城下町に戻ってきて、観光です。からくり展示館です。この作品は「弓曳童子」です。人形が矢..
日本
ブルース
2016-10-09T17:48:56+09:00
3連休を利用して旅をしようと思います。
石川雲蝶を見に新潟に行きたかったのですが、飛行機のチケットが取れずに、名古屋に行くことにしましたが、こちらも新幹線のチケットが取れず諦めかけていたら、予約キャンセルが出て運良くチケットを取ることが出来ました。予定の時間より早くて喫煙席ですが、1時間少しの乗車ですのでよしとします。
新幹線は、「ぷらっとこだま」とゆうチケットなんですが、乗車券とワンドリンクのサービスが付いています。KIOSKで飲み物と交換できます。500mℓのチューハイにしようと思ったのですが、350mℓしか置いてません。なんか損した気分です。
チケットが取れないくらいなので、満席かと思っていたら、車両はガラガラでした。
どこかがチケットを抑えているのでしょうか。
9時前に名古屋に到着。
明日明後日と雨模様なので、今日は犬山城に行くことに。
名鉄に乗り換えて、30分ほどで犬山駅に到着。
駅からブラブラと歩いて犬山城を目指します。
旧磯部家住宅です。
緩やかな曲線を描く「起り屋根(むくりやね)」が綺麗です。
間口6.8m、奥行き約58mあります。
うなぎの寝床ですが、間口の広さで税金が決まるので、こういった造りになりました。
ベトナムで同じ事情で、同じような造りの家を見たことがありますが、国が違っても役人や庶民が考えることは一緒なんやなぁと感じました。
城下町も風情があって、ブラブラ散歩にはピッタリです。
犬山城が見えてきました。
見てのとおり、小高い山の上に建てられた「後堅固の城」です。
三光稲荷神社の階段を上がっていきます。
伏見稲荷ほどではないですが、稲荷神社らしい朱塗りの鳥居のトンネルが美しいです。
犬山城です。
織田信長の叔父、織田信康により天文6年(1537)に創建されました。
別名の白帝城は木曽川沿いの丘上にある城の佇まいを長江流域の丘上にある白帝城を詠った李白の詩「早發白帝城」(早に白帝城を発す)にちなんで荻生徂徠が命名したと伝えられています。
唐破風が美しいです。付櫓があるのは珍しいですね。
天守閣からの眺めです。
尾張国と美濃国の境にあり、目の前を流れるのは木曽川です。
城を出て、対岸に向かいます。
対岸から見た犬山城です。
「後堅固の城」とゆうのがよく分かります。
犬山城は、国宝指定され5城のうちの一つで、現存する日本最古の城です。
城下町に戻ってきて、観光です。
からくり展示館です。
この作品は「弓曳童子」です。
人形が矢立てから矢を取り、弓につがえ、的を射るという高度な動作を繰り返す、からくり人形です。
ちなみに、「からくり」とは、
からくり[絡操、機関](カラクルの連用形から)①糸のしかけであやつって動かす装置。転じて、一般にしかけ②しくんだこと③絡操人形におなじ=ぜんまい仕掛けで、ねじを回せば動くように造った人形と定義されています。
どんでん館です。
この車山(やま)は、「壽老臺」です。
車山は犬山祭りで使われます。
犬山祭りは、江戸時代から続く車山の祭りです。全国的に珍しく全ての車山(13輌)に仕掛けも見事な、からくり人形を備え、からくりを針綱神社に奉納します。機会があれば見てみたいもんです。
名古屋に戻ってきて、宿へ。
今回の宿は安さ重視で、第2松竹梅ホステルにしました。
男性専用のホステルで、トイレ・シャワー共同のシングルルームです。
1泊、¥2463です。嬉しい安さです。
夜は、名古屋で居酒屋の元祖の店に行きました。
名古屋名物の「味噌おでん」です。
ちょっと甘めのお味です。味噌味が合うネタと合わないネタがあるので、まぁまぁかなと思います。
2016年9月18日(日)雨降ったり止んだり
今日は一日雨との予報でしたが、宿を出るときは降ってなかったです。
宿から名古屋駅の方へと歩いて行きます。
名古屋駅前にある、モード学園スパイラルタワーズです。
服飾学校らしい斬新なデザインです。
こちらも名古屋駅前にある、ナナちゃん人形です。
プロフィールとしては、昭和48年4月28日生まれで身長が610cm、体重が600Kg、スリーサイズが、バスト207cm、ウエスト180cm、ヒップ215cmとなっています。
名古屋駅から少し歩いたところに、納屋橋があります。
1610年(慶長15年)の堀川掘削とともに架けられた「堀川七橋」の1つです。
現在の橋は1981年(昭和56年)に架けかえられたもので、前代のものを引き継いだ、中央部にテラスを持つ青銅鋳鉄の欄干が特徴のアーチ橋となっています。
欄干の真ん中には、堀川開削を行ったとされる福島正則にちなみ福島家の家紋が施されています。
今日は名古屋市内を巡るので、ドニチエコきっぷを購入。地下鉄とバスが1日乗り放題で¥600です。
地下鉄で移動して徳川美術館へ。
今回、旅の行先を名古屋にしたのは、徳川美術館に観たい作品があるのと、国宝犬山城に行ってみたかったからです。
徳川美術館です。
徳川家康の遺品(駿府御分物)を中核として、徳川御三家筆頭で徳川家康の九男・徳川義直を祖とする尾張徳川家伝来の大名道具を展示公開しています。開館は昭和10年(1935)です。
人気の美術館で、人が多いです。
「青磁香炉 銘 千鳥」です。
この作品が観たいがために、徳川美術館を訪れたのですが、
1周して、あれ??
どこにあったけっ?と思って、もう1周しました。
ありました。遠くの棚の上のほうに。
香炉の足は見えません。香炉が浮いて見えるのが一つの特徴なのに、なんて展示の仕方でしょう。
ムッチャ、残念です。
人気がないから、残ない展示になっているのでしょう。
気を取り直して、移動して観光。
名古屋市庁舎です。
近代的なビルに和風の瓦屋根を載せた「日本趣味を基調とした近世式」とされ、一般公募(総数559通)の中から西春日井郡豊山村(現在の豊山町)出身である平林金吾氏の案が採用されました。
中央にそびえる高さ53.5メートルの時計塔が特徴で、二層の屋根を配した塔の頂上には、四方にらみのしゃちを載せ、名古屋城との調和を図った意匠となっています。
平成26年12月に隣接する愛知県庁本庁舎とともに、国の重要文化財に指定されました。
その愛知県庁本庁舎です。
庁舎の基本設計は、建築家の西村好時氏と当時、東京帝室博物館(現、東京国立博物館)の設計コンペで最優秀を獲得した建築家の渡辺仁氏に委嘱し、両氏の案を基に県建築部営繕課が実施設計を行いました。建築費は当時300万円でした。
ネオバロック様式が美しい、名古屋市市政資料館です。
入館料が無料なのも嬉しいです。
入ってすぐ、中央階段室です。
こちらも、重要文化財です。
会議室です。創建時(大正11年)の会議室を復原しています。
重厚な調度品を置いて、全体に荘重な雰囲気を醸し出しています。
絨毯は、中国天津の一枚織で、一軒家が建てられるほどの高価なものです。
内装が重要文化財に指定されています。
留置場です。
実は、この建物は名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎として使われいました。
なので、留置場があります。
さすがに留置場は、暗い雰囲気です。
名護屋港に移動して、南極観測船ふじを見にやってきました。
タロ・ジロの像もあります。
第13士官寝室です。
幹部約33人の居室なっています。2人で1部屋です。広さは8畳となっています。
第2居住区です。
一般乗組員約105人分の居室です。
幹部の部屋でも狭いのに、ここは約150平方メートルの空間に3段ベッド27台、2段ベッド14台が置かれています。狭い宿に泊まったことがありますが、ここはそれよりも狭いです。
出世せな、あきませんなぁ。
熱田神宮です。
祭神は熱田大神であり、三種の神器のひとつ草薙神剣が祀られています。
大きな楠がありました。
二十五丁橋です。
西行法師も休んだといわれる日本最古の石橋です。
石板が25枚並んでいることからその名がつきました。
橋の真ん中でネコが休んでいました。
大須観音です。
正式名称は真福寺宝生院です。日本三大観音のひとつです。
夜は夜とて、またまた居酒屋に出没です。
でらハイボールが有り、それにしました。確かに、「でら」でした。
名古屋らしいネーミングが嬉しいです。
2016年9月19日(月)晴後雨
台風16号が接近していて、雨を覚悟していましたが、雨は降っていません。
ラッキーです。
宿チェックアウトして、名鉄で岡崎公園前まで行きます。
駅から、ブラブラ歩いて10分ほどで岡崎城に到着。
岡崎城です。
晴れ間が覗くくらいの、いい天気です。暑いです。
岡崎城は徳川家康の生まれた城として知られています。「桶狭間の戦い」で今川義元が敗死した際に家康(当時は松平元康)が今川氏から独立した城でもあります。江戸時代には家康誕生の城として重要視され、譜代大名が歴代の城主を務めています。
天守閣からの眺めです。
1959年に鉄筋コンクリート三層五階で復興しました。
岡崎城を出て、岡崎公園内を散策です。
本多忠勝銅像です。
家康公の四天王の一人として知られています。
からくり時計です。
毎時0分と30分になると、家康公の人形が能を舞います。
表情が変わりました。
良く出来ています。
家康公銅像です。
1965年の家康公没後350年祭を記念し、彫塑家高村泰正氏により制作されたものです。
三河武士のやかた家康館です。
「決戦!関ヶ原」は、大型映像と屏風ビジョン、武将のフィギュアによるジオラマ解説になっています。
なんとなくは知っていた関ヶ原合戦ですが、よく分かって良かったです。
天下人家康公の出世ベンチです。
家康公と一緒に座って、出世しましょう。
岡崎公園を出て、ブラブラ歩いて八丁味噌の郷へ。
カクキューです。
八丁味噌蔵の見学をします。
土日祝は、毎時00分、30分開始のガイドつきで見学できます。
因みに、日本で八丁味噌をつくっている会社は、二つしかありません。
カクキューの昔の看板です。
昭和の初めころまで旧国鉄の岡崎駅で使われていたもので、日吉丸(秀吉の幼少時代)と蜂須賀小六が矢作橋で初めて出会ったシーンだそうです。
が、矢作橋が出来たのは秀吉の死後ですので、これは後世の創作話しです。
明治25年には宮内省への納入を始め、 明治34年12月28日には正式に宮内省ご用達の許可を得ています。 現在その制度は無くなっていますが、今なお宮内庁にはカクキューの八丁味噌が納入されているそうです。
昔の店頭です。
今の本社の場所に移る前には、東海道沿いにお店がありました。
味噌を造る作業は昔は重労働で大変でした。
この仕込み桶は「六尺(ろくしゃく)」と呼ばれていて、天保3年(1839年)にできたカクキューの中で最も古いものです。
六尺の底には、年号が刻まれていいます。
甲子蔵の中です。
八丁味噌の製法の特徴は二年二冬(2年間)以上寝かす、天然醸造です。八丁味噌独特の濃厚なしぶみや旨味を出すためには、欠かせない製法です。
桶の上には無数の石が積まれています。総重量約3トン。ピラミッド状に整然と積み上げる石は岡崎の八丁味噌に欠かせない風景です。
2006年の朝ドラ「純情きらり」で、宮崎あおい演じるヒロインの婚約者の家業が八丁味噌蔵という設定で、カクキューが撮影舞台となったそうです。
ドラマの設定時代(昭和初期)には金属の箍は使われていないので、美術の方が、金属の箍を隠すための「竹の箍カバー」を作りました。よく出来ています。
カクキューの蔵は全部で七つ。全部で400〜500本程度の桶があります。
2年後、美味しい味噌になるのを待ってるよ。
蔵見学の後は、八丁味噌と赤だしの味噌汁の試飲と、味噌田楽の試食がありました。
美味しかったです。
カクキューの裏は、八丁蔵通りになっています。
因みに、八丁味噌の由来は、岡崎城から西に八丁(約870m)にある八帖町(旧八丁村)で造られているからだそうです。もう1社のまるや八丁味噌は、すぐお隣にあります。
そちらも見学したかったのですが、時間が合わずに諦めました。
名古屋に戻って、時間があったのです、街歩きです。
JRセントラルタワーズです。地上51階建です。
2014年に、大阪市のあべのハルカスが出来るまでは、駅ビルとして高さ世界一でした。延べ床面積では現在も世界最大です。
駅前は、高層ビルが多いです。
四間道です。
江戸時代の初め慶長15年(1610年)名古屋城築城とともに始まった清須越にともなってつくられた商人町です。 四間道は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火の目的と旧大船町商人の商業活動のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。
改装中なのが、ちょっと残念。
屋根神さまです。
津島神社、秋葉神社、熱田神宮の三つの神様が祀られています。屋根の上に小さな社を祀るという形態は、名古屋独特のものだそうです。疫病や火災などの恐怖から身を守るために、庶民が祈りを込めて作ったものです。
円頓寺商店街です。
期限は江戸時代とゆう古い商店街です。
金のシャチホコがあるのが名古屋らしいです。
徳川美術館は、ちょっと残念でしたが、犬山城は良かったですし、岡崎公園も思っていたより良くて、美味しいものも頂けて充実した旅でした。
翌日は、台風16号でかなりの雨が降っていました。1日ずれていたら、観光どころではなかったかもしれません。相変わらず、悪運が強いようです。
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若冲展とホキ美術館
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-05-15
2016年4月29日(金)晴伊藤若冲の生誕300年を記念して、展覧会が東京都美術館で開催されています。若冲が京都・相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅(宮内庁三の丸尚蔵館)が東京で一堂に会すのは初めてです。どうしても見たくて、東京に行くことに。4月から転勤になり、土日祝が休みとなりました。いつもなら平日に旅するのですが、仕方なくゴールデンウィークに旅することとなりました。GWに旅するなんて、子供の時以来と違うかな。新幹線で新大阪から東京まで。遅めの出発でしたので、そんなに時間がなく、チェックインしてから迎賓館赤坂離宮に向かいます。迎賓館赤坂離宮は、毎年夏の10日間、一般公開(参観)を実施していたのですが、今年の4月より、国外からのお客様をお迎えするのに支障のない範囲で、可能な限り通年公開を実施するようになりました。中も見学したかったのですが、予約がすでに終了していて、外からの見学です。ヨーロッパの宮殿にも匹敵する立派な造りです。どこから見ても重厚で美しいです。次は中も見学したいです。夕食には早かったので、東京都庁に行きました。展望台に上るのに列が出来ていて、30分待ちです。GWなので仕方がないですね。観光客は多いのですが、東京でタクシードライバーをしている友人は人が少ないので仕事にならないとゆうて8連休してます。観光客はタクシーに乗らないのでしょうか?前回、東京に来たときは工事中だったスカイツリーも綺麗に見えました。2016年4月30日(土)晴さて今日は、千葉まで移動してホキ美術館を訪れます。ホキ美術館は、日本初の写実絵画専門美術館です。5年前にオープンして、こちらも以前から観たかった美術館です。建物もユニークな形をしています。ホキ美術館5周年記念として、「3つの個性」とゆう企画展が開催されています。五味文彦、大畑稔浩、島村信之3名の新作を含め、各作家24点ずつ72点が飾られています。島村信之は観たかった画家なのですが、実物を観たらモデルの手が老けて見えて違和感を感じました。後で学芸員による解説があったのですが、島村に何故こんな手なのですかと質問したところ、描きすぎてしまうとの答えだったそうで、癖だそうです。癖なら仕方のないところかもしれませんが・・・。3時間くらい滞在して、じっくりと鑑賞しました。東京に戻ってきて、スカイツリーに上ります。スカイツリーは相変わらずの人気で日時指定券を事前に購入し..
日本
ブルース
2016-05-15T14:30:16+09:00
伊藤若冲の生誕300年を記念して、展覧会が東京都美術館で開催されています。
若冲が京都・相国寺に寄進した「釈迦三尊像」3幅と「動植綵絵」30幅(宮内庁三の丸尚蔵館)が東京で一堂に会すのは初めてです。どうしても見たくて、東京に行くことに。
4月から転勤になり、土日祝が休みとなりました。いつもなら平日に旅するのですが、仕方なくゴールデンウィークに旅することとなりました。GWに旅するなんて、子供の時以来と違うかな。
新幹線で新大阪から東京まで。
遅めの出発でしたので、そんなに時間がなく、チェックインしてから迎賓館赤坂離宮に向かいます。
迎賓館赤坂離宮は、毎年夏の10日間、一般公開(参観)を実施していたのですが、今年の4月より、国外からのお客様をお迎えするのに支障のない範囲で、可能な限り通年公開を実施するようになりました。中も見学したかったのですが、予約がすでに終了していて、外からの見学です。
ヨーロッパの宮殿にも匹敵する立派な造りです。
どこから見ても重厚で美しいです。
次は中も見学したいです。
夕食には早かったので、東京都庁に行きました。
展望台に上るのに列が出来ていて、30分待ちです。
GWなので仕方がないですね。
観光客は多いのですが、東京でタクシードライバーをしている友人は人が少ないので仕事にならないとゆうて8連休してます。観光客はタクシーに乗らないのでしょうか?
前回、東京に来たときは工事中だったスカイツリーも綺麗に見えました。
2016年4月30日(土)晴
さて今日は、千葉まで移動してホキ美術館を訪れます。
ホキ美術館は、日本初の写実絵画専門美術館です。5年前にオープンして、こちらも以前から観たかった美術館です。
建物もユニークな形をしています。
ホキ美術館5周年記念として、「3つの個性」とゆう企画展が開催されています。
五味文彦、大畑稔浩、島村信之3名の新作を含め、各作家24点ずつ72点が飾られています。
島村信之は観たかった画家なのですが、実物を観たらモデルの手が老けて見えて違和感を感じました。
後で学芸員による解説があったのですが、島村に何故こんな手なのですかと質問したところ、描きすぎてしまうとの答えだったそうで、癖だそうです。癖なら仕方のないところかもしれませんが・・・。
3時間くらい滞在して、じっくりと鑑賞しました。
東京に戻ってきて、スカイツリーに上ります。
スカイツリーは相変わらずの人気で日時指定券を事前に購入しました。
上る前にスカイツリーを下から眺めて、パチリ。
角度を変えて、パチリ。
近づきすぎると、天辺が見えません。
キングコングは、エンパイアステートビルに上りましたが、それよりも253m高い634mです。
コングがスカイツリーを見たら、どんなふうに感じたでしょう。
350mの展望デッキに上るエレベーターの中です。
春夏秋冬をテーマに装飾が施されています。これは、春をモチーフにした「桜の空」です。
桜の花びらの中に蝶が飛んでいます。
エレベーターは分速600mで約50秒で展望デッキへ。
晴れてはいるのですが、春霞で遠くまでは見えません。
それでも眺めているだけで楽しいです。
そこから展望回廊へ上ります。
ちょうど夕焼けこやけです。
夕日がキラキラと輝いて綺麗です。
最高到達点、451.2mです。
少し雲が出てきて、早目に太陽が隠れてしまいました。
展望デッキにはガラス床があって、スカイツリーの鉄骨と下の眺めが面白いです。
ぼちぼち日が暮れて、灯り点し頃となり、夜の街に繰り出しました。
2016年5月1日(日)晴
この旅のメイン「若冲展」へ行きます。
ホテルをチェックアウトして、上野駅まで移動して、東京都美術館へ。
人がゾロゾロ、ゾロゾロ歩いていなぁと思っていたら、ほとんどの人が若冲展へ向かっている人達でした。
開館1時間以上前に着いたのですが、すでに長蛇の列です。そんなに暑い時期じゃなくて、よかったです。夏やったら熱中症で倒れる人が出るんちゃうかな。
少し開館時間が早まって、館内へ。
長蛇の列でしたから、館内は混み混みです。
係のお姉さんが、空いているところからご覧下さい。とゆうてたので、素直にその通りに観ていって、あとから「動植綵絵」のある部屋に戻ってきたら、チョー混み混みでした。素直にゆうこと聞かんかったら、よかったです。
作品の前には何重もの人垣が出来ています。
係の人が、立ち止まらずに進みながらご覧下さいとゆうてますが、誰も聞きません。
アリの這うようなスピードでジリジリと進むのみです。
じっくりと観たいのは分かりますが、ゆっくり進みながら観て欲しいものです。
30幅の作品を観るのに1時間以上かかりました。
並ぶのが大嫌いなので普段なら、もうええゎと諦めるところですが、我慢して観ました。
それほど、素晴らしい作品でした。
芳醇で濃密な色彩の絵は、仏画などに使われる裏彩色によってひときわ鮮やかに表現されています。さらに海外からもたらされた顔料、プルシアンブルーを日本でいち早く使うなど、その作品対する情熱はハンパないです。
徹底的に描きこまれた超絶技巧と、その緻密さに圧倒されます。
最近の研究で、肉眼では見えない点まで描いてるのが発見されたり、人の脳の中で色を認識させたりと、とても人間技とは思えません。若冲は宇宙人やったちゃうやろかと感じました。
「動植綵絵」の他にも、約80年振りに発見された「孔雀鳳凰図」や、ジョープライス・コレクションの「鳥獣花木図」などなど、見どころ満載です。
若冲の言葉に、「千載具眼の徒を待つ」とあるのですが、千年後に理解されることを願ってとゆう意味です。
まさにその通りですね。
千年とはいきませんが、10年分くらいは若冲を理解できたかな?
3時間以上、たっぷりと若冲を堪能したあとは、横山大観記念館へ。
係のお姉さんが若冲展、いってきはったんですか。
華美な世界もええけど、大観のような素朴な日本画を落ち着いて鑑賞しては、とゆう言葉が印象に残りました。大観の世界に自信を持ってるんやなぁと思いました。
横山大観記念館は、大観が明治42年より生活し、数々の名作を生み出した場所です。
大きな庭ではないのですが、奥行を感じさせるように工夫された庭です。
確か若冲は素晴らしいですが、大観の世界も好きやなぁと、ほのぼのとした気分で作品を眺め、大観が生活し制作に励んだ息吹を感じられる、ええ記念館でした。
贅沢な時間の過ごし方をした旅でしたが、濃密な時間を過ごすことが出来ました。
あれこれと観るよりも、じっくり観たので心の奥深くに印象が残った旅となりました。
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ナシフグ・日生ガキ食べ放題と裏大原美術館
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-03-23
2016年3月20日(日)晴ナシフグ・・・どんなフグなんでしょう。一度食べてみたいと思って3年連続でツアーを申し込んで、ようやく行けます。今回は4日の日程があったのですが、催行されるのはこの日だけでした。ナシフグ・・・人気がないんですね。この日は3連休の中日とゆうことで、高速道路は渋滞です。30分ほど自然渋滞でノロノロ運転です。渋滞で時間が遅れているのに、途中なぜか2回も休憩を取って、昼食会場へ。どこかで見たレストランやなと思っていたら、2年前に日生カキ食べ放題で訪れたレストランでした。バスの中で、添乗員さんが一生懸命カキの話しをしてはりましたが、このツアーってナシフグがメインとちゃうん???みなさん、牡蠣がメインなんでしょうか?てっさで~す。これが食べたかったんですよね!結構分厚く切っています。制限時間は45分で~す。うまい!!!トラフグよりは柔らかいですが、モチモチしていて美味しいです。3〜4枚いっぺんに食べます。贅沢!でも、他の人を見ていたら、牡蠣をメインに食べている人の方が多かったです。てっさ以外では、焼き牡蠣、フグ・牡蠣鍋、牡蠣コロコロ煮、フグ唐揚げ、牡蠣フライ、フグ・牡蠣雑炊が全て食べ放題です。てっさは美味しいのですが、ポン酢が甘口でイマイチの味で飽きてきました。鍋はすき鍋で、フグにはもうひとつ。牡蠣を中心に鍋にしました。なんやかんやと言いながら、てっさは6皿くらい、カキは100個くらいは食べて、大満足です。目の前には瀬戸内海が。旧野崎浜灯明台です。この建築は日本式木造灯明台で、味野浜と赤崎浜境の入江の埠頭にあり、文久3年(1863)に塩釜明神の御神燈として、また、浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられました。こうした木造高灯籠形式のものは全国的にも少なく、西洋式灯台に変わる以前の灯台を知ることができる資料として、貴重な遺構となっています。お腹もいっぱいになったところで、20分の買い物休憩です。そんな時間はいらないのですが。近くには観光船の乗り場があります。待合室には、ジーンズがズラッと並んでいました。児島は国産ジーンズ発祥の地としても知られています。休憩後、鷲羽山へ移動。鷲羽山では第二展望台から景色を眺めました。第一展望台まで登れば、もっち景色がいいと思うのですが時間がないので諦めました。「島一つ土産に欲しい鷲羽山」とゆう石碑が有名ですが、第一展望台にあります。鷲羽山の名前の由来は、鷲..
日本
ブルース
2016-03-23T10:37:57+09:00
ナシフグ・・・どんなフグなんでしょう。
一度食べてみたいと思って3年連続でツアーを申し込んで、ようやく行けます。
今回は4日の日程があったのですが、催行されるのはこの日だけでした。
ナシフグ・・・人気がないんですね。
この日は3連休の中日とゆうことで、高速道路は渋滞です。
30分ほど自然渋滞でノロノロ運転です。
渋滞で時間が遅れているのに、途中なぜか2回も休憩を取って、昼食会場へ。
どこかで見たレストランやなと思っていたら、2年前に日生カキ食べ放題で訪れたレストランでした。
バスの中で、添乗員さんが一生懸命カキの話しをしてはりましたが、このツアーってナシフグがメインとちゃうん???みなさん、牡蠣がメインなんでしょうか?
てっさで~す。
これが食べたかったんですよね!結構分厚く切っています。
制限時間は45分で~す。
うまい!!!
トラフグよりは柔らかいですが、モチモチしていて美味しいです。3〜4枚いっぺんに食べます。贅沢!
でも、他の人を見ていたら、牡蠣をメインに食べている人の方が多かったです。
てっさ以外では、焼き牡蠣、フグ・牡蠣鍋、牡蠣コロコロ煮、フグ唐揚げ、牡蠣フライ、フグ・牡蠣雑炊が全て食べ放題です。
てっさは美味しいのですが、ポン酢が甘口でイマイチの味で飽きてきました。
鍋はすき鍋で、フグにはもうひとつ。牡蠣を中心に鍋にしました。
なんやかんやと言いながら、てっさは6皿くらい、カキは100個くらいは食べて、大満足です。
目の前には瀬戸内海が。
旧野崎浜灯明台です。
この建築は日本式木造灯明台で、味野浜と赤崎浜境の入江の埠頭にあり、文久3年(1863)に塩釜明神の御神燈として、また、浜へ出入りする船の夜間照明のための灯台として建てられました。
こうした木造高灯籠形式のものは全国的にも少なく、西洋式灯台に変わる以前の灯台を知ることができる資料として、貴重な遺構となっています。
お腹もいっぱいになったところで、20分の買い物休憩です。
そんな時間はいらないのですが。
近くには観光船の乗り場があります。
待合室には、ジーンズがズラッと並んでいました。児島は国産ジーンズ発祥の地としても知られています。
休憩後、鷲羽山へ移動。
鷲羽山では第二展望台から景色を眺めました。
第一展望台まで登れば、もっち景色がいいと思うのですが時間がないので諦めました。
「島一つ土産に欲しい鷲羽山」とゆう石碑が有名ですが、第一展望台にあります。
鷲羽山の名前の由来は、鷲が羽根を拡げて飛ぶ姿に似ているところから名付けられました。
児島出身の常ノ山が入幕前に名乗っていた四股名でもあります。と、添乗員さんが教えてくれました。
通常、添乗員さんは説明しないものなのですが、今回の添乗員さんはバスガイドさん並みに、ようしゃべりはります。相撲ファンですが、私が生まれる前の力士ですので知りませんでした。
その後、関脇まで出世して活躍した鷲羽山は常ノ山の義理の甥にあたります。
こちらは1973年入幕ですので、よく覚えています。小兵ながら多彩な技の持ち主でした。
最近はこういったタイプの力士が少なくなりました。
ここからは28の島々が見えるそうです。
今は、瀬戸大橋を含めた風景が有名ですが、昔はこんな感じでしょうか。
瀬戸大橋が入った風景も綺麗です。
瀬戸大橋は上を車が、下を列車が走っています。
自転車、人は通ることが出来ません。残念、自転車で走ったら気持ちいいと思います。
鷲羽山を眺めた後は、倉敷美観地区へと向かいます。
50分ほどで到着。この日は天気がよく、喫茶店のツタも綺麗です。
みんなは無料のお菓子を食べに行きますが、私は大原美術館に直行です。
大原美術館は再訪ですが、実は現在、東京で展覧会が開催されていて、主だった作品はそちらに行っています。まぁいえば裏大原美術館ですか。
テレビで、東京で展覧会が開催されていても、まだまだ展示する作品はあると豪語していたので、日頃お目にかかれないものが見られるかと期待して訪れました。
「受胎告知」が飾られていた部屋には、なんと彫刻が飾られていました。
この部屋には彫刻は合わないなぁと感じました。ちょっとガッカリでした。
「受胎告知」が大原美術館の主だと改めて感じた次第です。
本館では、他に目を引く作品もなく、前回見られなかった分館、工芸館を見学しました。
ちょっと気になる作品はありましたが、家に飾りたいとまでは思いませんでした。
朝は寒かったですが、ぐんぐんと気温が上がってきて、ブラブラと散歩するのが気持ちいいです。
川舟のお客さんも気持ちよさそうです。
有隣荘の緑と空の青のコントラストが美しいです。
帰路につき、途中休憩で集合時間に遅れたお姉さんがいたのですが、謝りもしません。
みんな早く帰りたいのに、ゴメンの一言も言われへんのはどうかと思います。
高速道路では3箇所で事故が起こって20kmの渋滞です。
下道を走ったほうが早いと判断して、下道を通って帰ってきましたが、4時間以上掛かり予定より一時間半以上遅れての到着となり疲れました。
やっぱり、旅行は平日のほうがいいです。
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大阪城梅林撮影会
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-03-07
2016年2月24日(水)曇カメラライフを楽しんでいますがイマイチ上達しなくて、写真撮影会に参加してみることに。まずは、元大阪市長公館のレストランでランチです。レストランに入って、人が多いのにビックリです。66人も参加していて、写真は人気あるんやなぁと感心しました。また男性よりも女性の方が多いのにもビックリです。サラダです。食べるのも目的ですが、写真を撮るのも大事です。前菜があるのかと思っていたら、もうメインです。丹波地鶏です。あっとゆう間にデザートです。レモンを使ったケーキです。全体の量があまりにも少なくて、ちょっとガッカリです。講師の先生に食べ物を撮るコツを教えて貰い、実際に先生に撮ってもらいました。背景にも気を付けるのがコツです。食事の後は、岩田賢彦さんによる写真撮影講座です。「こころ優先写真術」と名付けられています。「どう」撮りたいかが大事で、いきなりシャッターを押すのはダメだとおっしゃってました。撮影する距離や位置を変えてみて、それから徐ろにシャッターを切る。自分の考えと同じで、考え方としては間違ってなかったんかなと思いました。レストランを出て、ブラブラ歩いて大阪城梅林へ。曇っていて青空が出ているのが花を撮るのには理想です。そうゆうのを写真日和とゆうそうで。ピーカンに晴れているのはカメラ日和とゆうそうです。そんな話しを先生から聞きながら歩いていきます。いきなりシャッターを押すのはダメと聞いていながら、ええ雲を見つけたらパシャッと押してしまいました。大阪城梅林へ到着です。この日は平日で曇っていて最高気温9℃と寒かったのですが、かなりの人出です。梅はほぼ満開で見頃です。今回は、ズームレンズと久しぶりの登場でマクロレンズも持ってきました。先生に聞いたことを思い出しながら、まずはじっくりと梅を眺めて徐にシャッターを切っていきます。なんの鳥か分かりませんが、人を警戒しなくてかなり近くに止まっていました。マクロレンズのコツを聞こうと思っていたのですが、先生が見つからず聞けませんでした。先生一人に対し生徒の数がちょっと多過ぎたのかな。雲の切れ間から日が差してきて、逆行で撮ってみました。梅にウグイス。300mmでは、ちょっと遠いです。かなりトリミングしてます。100枚以上、梅の写真を撮りましたが家に帰ってきて写真を見たら、ええなぁと思えるのは1枚くらいでした。写真撮影講座で先生がゆうてはりましたが、失敗した写真もじっく..
日本
ブルース
2016-03-07T12:35:09+09:00
カメラライフを楽しんでいますがイマイチ上達しなくて、写真撮影会に参加してみることに。
まずは、元大阪市長公館のレストランでランチです。
レストランに入って、人が多いのにビックリです。66人も参加していて、写真は人気あるんやなぁと感心しました。また男性よりも女性の方が多いのにもビックリです。
サラダです。
食べるのも目的ですが、写真を撮るのも大事です。
前菜があるのかと思っていたら、もうメインです。
丹波地鶏です。
あっとゆう間にデザートです。レモンを使ったケーキです。
全体の量があまりにも少なくて、ちょっとガッカリです。
講師の先生に食べ物を撮るコツを教えて貰い、実際に先生に撮ってもらいました。
背景にも気を付けるのがコツです。
食事の後は、岩田賢彦さんによる写真撮影講座です。
「こころ優先写真術」と名付けられています。
「どう」撮りたいかが大事で、いきなりシャッターを押すのはダメだとおっしゃってました。
撮影する距離や位置を変えてみて、それから徐ろにシャッターを切る。
自分の考えと同じで、考え方としては間違ってなかったんかなと思いました。
レストランを出て、ブラブラ歩いて大阪城梅林へ。
曇っていて青空が出ているのが花を撮るのには理想です。そうゆうのを写真日和とゆうそうで。
ピーカンに晴れているのはカメラ日和とゆうそうです。そんな話しを先生から聞きながら歩いていきます。
いきなりシャッターを押すのはダメと聞いていながら、ええ雲を見つけたらパシャッと押してしまいました。
大阪城梅林へ到着です。
この日は平日で曇っていて最高気温9℃と寒かったのですが、かなりの人出です。
梅はほぼ満開で見頃です。
今回は、ズームレンズと久しぶりの登場でマクロレンズも持ってきました。
先生に聞いたことを思い出しながら、まずはじっくりと梅を眺めて徐にシャッターを切っていきます。
なんの鳥か分かりませんが、人を警戒しなくてかなり近くに止まっていました。
マクロレンズのコツを聞こうと思っていたのですが、先生が見つからず聞けませんでした。
先生一人に対し生徒の数がちょっと多過ぎたのかな。
雲の切れ間から日が差してきて、逆行で撮ってみました。
梅にウグイス。
300mmでは、ちょっと遠いです。かなりトリミングしてます。
100枚以上、梅の写真を撮りましたが家に帰ってきて写真を見たら、ええなぁと思えるのは1枚くらいでした。
写真撮影講座で先生がゆうてはりましたが、失敗した写真もじっくりと見て、なんで失敗したかを考えなあかんとゆうてました。反省をしつつ、初心の頃の気持ちを思い出して、写真って楽しいなと思えた有意義な一日となりました。
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カキ食べ放題・岡山ワイナリーと和気神社
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2016-02-03
2016年1月27日(水)曇冬は美味しい物が多くて、寒いのは嫌いですが、食いしん坊には嬉しい季節です。とゆうわけで、カキの食べ放題ツアーに行きます。高速道路を使うと、いつも宝塚の当たりで渋滞するのですが、この日は珍しく渋滞が無くスムーズに行きました。途中、お茶の試飲に立ち寄りましたが、店は露天で寒空の中で30分も長居するのは辛く、それやったら出発を遅くして欲しかったです。さて、本日のメインのカキ食べ放題です。カキといえば、海沿いの店を想像していたのですが、店は山の中で意外でした。焼ガキが美味しそうです。焼ガキ以外にも、カキしゃぶ、カキコロ煮、カキフライ、カキ飯、カキカレーも食べ放題です。一度蒸してあるので温もれば食べられます。焼は時間がかかりますが、カキしゃぶにしてジャンジャン食べました。今回のツアーは、飲み放題でもあります。ビール、焼酎、酎ハイ、ウーロン茶、オレンジジュースが飲み放題です。ビールは発泡酒かなと思っていましたが、ちゃんとしたビールでした。酒飲みには、嬉しい企画です。60分の制限時間で、カキは200個くらい食べて、お腹いっぱいで大満足です。レストランの裏手には、窯があります。登り窯です。備前焼です。釉薬を使わないで土を焼き締めるだけのシンプルな焼き物です。バスで移動して、岡山ワイナリーです。サッポロビールが経営しているワイナリーです。葡萄も栽培しているのかなと思っていましたが、栽培は別の所で生産だけしています。入口のところには、綺麗なステンドグラスがあります。ローマ神話の酒神バックスかな?ここのワイナリーで作られた、プライベートラベルです。ふぐとワイン、合うのかな?工場の中は、写真撮影禁止でした。見学を終えると、お楽しみ試飲タイム(無料)です。岡山らしく、桃やマスカットを使ったワインもありました。マスカットのワインは美味しかったです。プレミアムワインの有料試飲もあったのですが、係員の人がいなくて飲めませんでした。残念。またまたバスで移動して、和気神社です。和気清麻呂公の像です。高さ4.63mの青銅製で、原型の石膏像は故朝倉文夫氏の作です。古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていました。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座しました。ゆるキャラ、わけまろくんとフジコちゃんとタンタンです。狛犬ならぬ、狛いのしし..
日本
ブルース
2016-02-03T11:52:12+09:00
冬は美味しい物が多くて、寒いのは嫌いですが、食いしん坊には嬉しい季節です。
とゆうわけで、カキの食べ放題ツアーに行きます。
高速道路を使うと、いつも宝塚の当たりで渋滞するのですが、この日は珍しく渋滞が無くスムーズに行きました。途中、お茶の試飲に立ち寄りましたが、店は露天で寒空の中で30分も長居するのは辛く、それやったら出発を遅くして欲しかったです。
さて、本日のメインのカキ食べ放題です。
カキといえば、海沿いの店を想像していたのですが、店は山の中で意外でした。
焼ガキが美味しそうです。
焼ガキ以外にも、カキしゃぶ、カキコロ煮、カキフライ、カキ飯、カキカレーも食べ放題です。
一度蒸してあるので温もれば食べられます。
焼は時間がかかりますが、カキしゃぶにしてジャンジャン食べました。
今回のツアーは、飲み放題でもあります。
ビール、焼酎、酎ハイ、ウーロン茶、オレンジジュースが飲み放題です。
ビールは発泡酒かなと思っていましたが、ちゃんとしたビールでした。
酒飲みには、嬉しい企画です。
60分の制限時間で、カキは200個くらい食べて、お腹いっぱいで大満足です。
レストランの裏手には、窯があります。
登り窯です。
備前焼です。
釉薬を使わないで土を焼き締めるだけのシンプルな焼き物です。
バスで移動して、岡山ワイナリーです。
サッポロビールが経営しているワイナリーです。
葡萄も栽培しているのかなと思っていましたが、栽培は別の所で生産だけしています。
入口のところには、綺麗なステンドグラスがあります。
ローマ神話の酒神バックスかな?
ここのワイナリーで作られた、プライベートラベルです。
ふぐとワイン、合うのかな?
工場の中は、写真撮影禁止でした。
見学を終えると、お楽しみ試飲タイム(無料)です。
岡山らしく、桃やマスカットを使ったワインもありました。
マスカットのワインは美味しかったです。
プレミアムワインの有料試飲もあったのですが、係員の人がいなくて飲めませんでした。
残念。
またまたバスで移動して、和気神社です。
和気清麻呂公の像です。高さ4.63mの青銅製で、原型の石膏像は故朝倉文夫氏の作です。
古くは和気氏一族の氏神として遠祖 鐸石別命(ぬでしわけのみこと)が祀られ、和気神と称せられていました。天正19年(1591)に数町川下にあった社殿が大雨で流されたため、現在地に遷座しました。
ゆるキャラ、わけまろくんとフジコちゃんとタンタンです。
狛犬ならぬ、狛いのししです。
清麻呂公は、道鏡一味に追われながら、宇佐八幡宮に参詣しようとしました。
すると、どこからともなく、約三百頭の猪が突然現われて、清麻呂公を守護し無事にご案内したとゆう故事(「日本後紀」巻八)によります。また、足が萎えて歩けなくなっていたところ、猪に案内され「霊泉」に足を浸けるとたちどころに足がもとのとおり治り、歩けるようになりました。
以来、猪は清麻呂公の随身、また足腰の守護として崇められ、狛犬がわりに「狛いのしし」が守護するようになりました。
本殿です。
明治18年より順次建替えられたことは棟札によって確認できています。
大工棟梁は、邑久郡の「田淵耘煙斎勝義」です。
明治の建築とはいえ、邑久大工の代表的な建築様式であり、装飾彫刻類もすばらしく、和気町指定文化財になっています。
春になると大きな藤棚を目当てに来る人も多いそうです。
冬はバスの駐車場代は無料ですが、藤の頃は3000円になるそうです。
カキをタラ腹食べてガンガン飲んで、珍しい神社も見られて、結構な旅でした。
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姿ズワイガニ食べ放題と湯村温泉
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-12-26
2015年12月22日(火)曇時々晴1月のカニ食べ放題では、うまく食べられなかったので、上手なカニの食べ方を調べてからの旅です。バス1台での出発でしたが、2つのツアーの合同バスでした。なかなか催行が決まらず、カニ食べ放題は人気がなくなってきているのかもしれません。二人掛けのところに一人で座れたので楽でした。途中、1回の休憩を取って、海産物のお店に寄ってから食事会場へ。目の前には、カニがデーンと鎮座ましましています。係の人がカニの食べ方を説明してくれましたが、前に座っていたおじさんは説明も聞かずにムシャムシャとカニを食べてはりました。よっぽどカニの食べ方に慣れているのでしょう。カニの足を途中で折って身を出すとゆう方法なのですが、半分くらいは身が出てこなくて、もっとええやり方があるのかもしれません。50分の制限時間いっぱいに食べましたが、7杯くらいしか食べられませんでした。まだまだ食べ足りませんでした。前に座っていたおじさんは、盛んに悪いカニやとボヤいていました。まぁ、値段なりかなとは思います。食事会場は、鳥取砂丘のすぐそばです。35年ぶりに来ましたが、その時は大きいなぁと感じたのですが、今回はそんなに大きく感じませんでした。歩いたら感じ方が違うとは思いますが、時間がなかったので砂丘を眺めるだけです。バスで湯村温泉へ移動。荒湯です。温泉卵を作ったり、足湯を楽しむことが出来ます。足湯は大きくて30人くらい入れそうです。夢千代像です。パンフレットなんかでもよく見る風景ですが、綺麗とは感じないです。夢千代館です。夢千代日記に使用した舞台セットや小道具が展示されているそうです。夢千代館の前には、記念写真の顔ハメ看板がありました。お姉さんに写真を撮ってくれと頼まれました。私の顔は物を頼みやすい顔なんでしょうかね。湯村温泉はもっと大きな温泉街と思っていたのですが、こじんまりとしていました。正福寺です。伝教大使最澄上人がおよそ1200年前(延暦25年・806)に創立した天台宗の流れを汲むお寺です。夢千代の歌碑がありました。「雪深い土地(ここ)に優しい人いて ひそかに一重の夢を織っている 夢千代日記」 昭和56年冬 早坂暁夢千代日記は見ていませんでしたが、人気だったんでしょうね。湯村温泉のゆるキャラ、湯〜たんです。温泉に浸かりながら、湯たんぽを持って?います。再びバスで移動。途中、三田で休憩です。18時前ですが、当たりは真っ暗です。..
日本
ブルース
2015-12-26T17:15:41+09:00
1月のカニ食べ放題では、うまく食べられなかったので、上手なカニの食べ方を調べてからの旅です。
バス1台での出発でしたが、2つのツアーの合同バスでした。なかなか催行が決まらず、カニ食べ放題は人気がなくなってきているのかもしれません。二人掛けのところに一人で座れたので楽でした。
途中、1回の休憩を取って、海産物のお店に寄ってから食事会場へ。
目の前には、カニがデーンと鎮座ましましています。
係の人がカニの食べ方を説明してくれましたが、前に座っていたおじさんは説明も聞かずにムシャムシャとカニを食べてはりました。よっぽどカニの食べ方に慣れているのでしょう。
カニの足を途中で折って身を出すとゆう方法なのですが、半分くらいは身が出てこなくて、もっとええやり方があるのかもしれません。
50分の制限時間いっぱいに食べましたが、7杯くらいしか食べられませんでした。まだまだ食べ足りませんでした。前に座っていたおじさんは、盛んに悪いカニやとボヤいていました。まぁ、値段なりかなとは思います。
食事会場は、鳥取砂丘のすぐそばです。
35年ぶりに来ましたが、その時は大きいなぁと感じたのですが、今回はそんなに大きく感じませんでした。歩いたら感じ方が違うとは思いますが、時間がなかったので砂丘を眺めるだけです。
バスで湯村温泉へ移動。
荒湯です。
温泉卵を作ったり、足湯を楽しむことが出来ます。足湯は大きくて30人くらい入れそうです。
夢千代像です。
パンフレットなんかでもよく見る風景ですが、綺麗とは感じないです。
夢千代館です。
夢千代日記に使用した舞台セットや小道具が展示されているそうです。
夢千代館の前には、記念写真の顔ハメ看板がありました。
お姉さんに写真を撮ってくれと頼まれました。私の顔は物を頼みやすい顔なんでしょうかね。
湯村温泉はもっと大きな温泉街と思っていたのですが、こじんまりとしていました。
正福寺です。
伝教大使最澄上人がおよそ1200年前(延暦25年・806)に創立した天台宗の流れを汲むお寺です。
夢千代の歌碑がありました。
「雪深い土地(ここ)に優しい人いて ひそかに一重の夢を織っている 夢千代日記」
昭和56年冬 早坂暁
夢千代日記は見ていませんでしたが、人気だったんでしょうね。
湯村温泉のゆるキャラ、湯〜たんです。
温泉に浸かりながら、湯たんぽを持って?います。
再びバスで移動。途中、三田で休憩です。
18時前ですが、当たりは真っ暗です。
かねふくのめんたいパークです。
めんたいパークは、茨城県の大洗と愛知県の常滑、そしてここ神戸三田と全国に3つあります。
ここは今年の3月に出来たばっかりです。工場見学も出来るのですが、時間が遅くて見られませんでした。
忘れていましたが、もうすぐクリスマスとゆうことで、サンタと雪だるまがいてました。
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金沢 紅葉狩りと美術館巡り
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-12-21
2015年11月24日(火)曇一時雨今年の紅葉狩りは、どこにしようかなと考えていましたが、友達と相談して金沢にしました。20日から29日まで、ライトアップされるので、それに合わせての出発となりました。大阪駅から特急サンダーバードに乗って、2時間44分で金沢に到着。天気予報通り、曇っています。まずはバスに乗って、石川県立美術館へ。入場料は360円です。なぜ、ここへ来たかとゆうと、以前から見たかった野々村仁清の「色絵雉香炉(いろえきじこうろ)」が見たかったのです。手前が「色絵雉香炉」です。国宝です。(写真撮影は禁止なので、絵ハガキを撮影しました)思っていたより大きいです。色彩が鮮やかで美しいです。奧側は「色絵雌雉香炉(いろえめすきじこうろ)」です。こちらも野々村仁清作で、重要文化財です。雌は元は個人で所有されていたのですが、雄と一緒に並んでいるのがいいと寄贈されて並んで展示されるようになりました。奇特な方に感謝です。外に出たら雨は小振りになっていて今回の旅のメイン、紅葉狩りに兼六園に向かいます。今年の秋は冷え込みが弱くて、紅葉はイマイチかなと思っていましたが、その通りでした。色づいかないままに散ってしまっているところもあります。綺麗なところを見ながら、カメラにパチリパチリと収めていきます。天気が悪く、色づきも悪く、腕も悪いので、なかなか思ったような写真は撮れませんでしたが・・・。いったん、ホテルにチェックインして、1月に食べられなかった金沢おでんに再チャレンジです。ホテルの近くのおでん屋に行ってみました。開店して30分ほどだったのですが、最後の席でギリギリセーフでした。ロールキャベツとバイ貝です。バイ貝は金沢おでんらしいネタです。富山では刺身で頂きましたが、おでんでも美味しいです。こちらはカニ面です。香箱ガニという小さいカニの甲羅に、カニから取り出した身やミソ、内子を詰めて蒸し、おでんのだしで煮たものです。注文を聞いてから作るので、1時間近く待たされました。予約したほうがベターです。カニ面が食べられるのは、11月初めから12月末までですので、ご注意を。冷酒をもらったのですが、黒帯とゆう銘柄でした。初めて聞く日本酒だったので、大将に石川のお酒ですかと尋ねたら、モチロン!と怒ったように言われました。そんな言い方せんでも、ええのに。ちょっとヘンコな大将です。おでんもお酒も美味しいのですが、ライトアップの紅葉を見るために、そ..
日本
ブルース
2015-12-21T13:36:40+09:00
今年の紅葉狩りは、どこにしようかなと考えていましたが、友達と相談して金沢にしました。
20日から29日まで、ライトアップされるので、それに合わせての出発となりました。
大阪駅から特急サンダーバードに乗って、2時間44分で金沢に到着。
天気予報通り、曇っています。
まずはバスに乗って、石川県立美術館へ。
入場料は360円です。
なぜ、ここへ来たかとゆうと、以前から見たかった野々村仁清の「色絵雉香炉(いろえきじこうろ)」が見たかったのです。
手前が「色絵雉香炉」です。国宝です。(写真撮影は禁止なので、絵ハガキを撮影しました)
思っていたより大きいです。色彩が鮮やかで美しいです。
奧側は「色絵雌雉香炉(いろえめすきじこうろ)」です。こちらも野々村仁清作で、重要文化財です。
雌は元は個人で所有されていたのですが、雄と一緒に並んでいるのがいいと寄贈されて並んで展示されるようになりました。奇特な方に感謝です。
外に出たら雨は小振りになっていて今回の旅のメイン、紅葉狩りに兼六園に向かいます。
今年の秋は冷え込みが弱くて、紅葉はイマイチかなと思っていましたが、その通りでした。
色づいかないままに散ってしまっているところもあります。
綺麗なところを見ながら、カメラにパチリパチリと収めていきます。
天気が悪く、色づきも悪く、腕も悪いので、なかなか思ったような写真は撮れませんでしたが・・・。
いったん、ホテルにチェックインして、1月に食べられなかった金沢おでんに再チャレンジです。
ホテルの近くのおでん屋に行ってみました。
開店して30分ほどだったのですが、最後の席でギリギリセーフでした。
ロールキャベツとバイ貝です。
バイ貝は金沢おでんらしいネタです。富山では刺身で頂きましたが、おでんでも美味しいです。
こちらはカニ面です。
香箱ガニという小さいカニの甲羅に、カニから取り出した身やミソ、内子を詰めて蒸し、おでんのだしで煮たものです。注文を聞いてから作るので、1時間近く待たされました。予約したほうがベターです。カニ面が食べられるのは、11月初めから12月末までですので、ご注意を。
冷酒をもらったのですが、黒帯とゆう銘柄でした。
初めて聞く日本酒だったので、大将に石川のお酒ですかと尋ねたら、モチロン!と怒ったように言われました。そんな言い方せんでも、ええのに。ちょっとヘンコな大将です。
おでんもお酒も美味しいのですが、ライトアップの紅葉を見るために、そうそうに店を出ました。
ライトアップ時の入場料は嬉しいことに無料です。
兼六園のライトアップです。
兼六園を出て、石川城にも行きました。
夜になるとグット冷えてきて、ライトアップを堪能したあとは、居酒屋で美味しい肴と美味しいお酒で身も心も暖かくなりました。
2015年11月25日(水)曇後雨
ホテルで朝食を済ませ、朝の散策に出かけようと思っていたのですが、小雨です。
美術館が開くまで時間があるので、ホテルにじっとしてても仕方がないので散策に出かけました。
長町武家屋敷跡です。
土塀の続く町並みと石畳が美しいです。
用水路と紅葉の取合せが綺麗です。
ここの紅葉は鮮やかです。
雨もやんで寒いですが、気持ちがいいです。
落ちてしまいそうな柿。冬がそこまで来ています。
散策を終え、チェックアウトして、金沢21世紀美術館へ。
屋外の作品です。
屋外は無料で、いつでも鑑賞できます。
正面入口です。
平日にも係わらず、開館前から行列が出来ていました。
外国からのお客さんもいてました。係の人は、ペラペラです。
21世紀美術館で有名な作品「スイミング・プール」です。
本来なら水の中に人が見える(地下からは見上げる)作品になっているのですが、地下が改装中で入れませんでした。残念。
「パースペクティブ」です。
タペストリーのように見えますが、近寄って見ると使用済みの瓶の金属蓋などを繋ぎ合わせて出来ています。気の遠くなるような制作です。
国連をテーマにした作品が並んでいました。
「雲を測る男」です。
独房で鳥類学者になった実在の囚人の言葉に着想を得て制作されました。
男の愚直さを感じます。
「Ghost in the Cell」です。
音と光で構成されています。生命の息吹と人生を感じる作品です。
「移動-もうひとつの国」です。
ボートが逆さまになっていて、そこに様々な造形物が連なっています。
人生の混沌と死生観を感じました。
金沢21世紀美術館はユニークな美術館だと言われていますが、現代美術を見慣れた人にとっては、それほど特別な作品だとは思わないと思います。楽しい美術館であるのは間違いないです。
外に出たら、また雨が降っていました。
バスで金沢駅へ。
金沢駅の伝統芸能に使われる鼓をイメージした「鼓門」です。
1泊2日の短い旅でしたが、写真を沢山撮って、観たかった野々村仁清の作品も観られましたし、金沢おでん等の美味しいものも食べられて充実した旅でした。
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『琳派 京を彩る』 〜京都国立博物館
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-11-01
2015年10月30日(金)曇今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。いろいろな展覧会がありますが、最大とゆうてもええ展覧会です。この展覧会の目玉は、琳派を代表する絵師、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一が描いた「風神雷神図屏風」が同時に鑑賞できます。3作品が揃うは関西では75年ぶりです。次に揃うのは、100年後かも?そう思うと、琳派400年の年を迎えられたことに感謝です。3作品が揃うのは、27日から11月8日までです。したがって、その間は混み混みです。事前に混雑状況がツイッターで分かるのですが、見ていたら最高で180分待ちとなっていました。大阪から京阪電車で京都に向かいましたが、なぜかいつもより混んでいます。紅葉には早いし、この人達は、いずこへ行くのでしょうか?七条駅で、どっと人が降りたら、京博へ行くんちゃうかと思っていましたが、そんなには降りませんでした。待ち時間は、50分となっていましたので、素直に並びました。一人だと時間を持て余していたかもしれまんせが、友達と来ていたので、そんなに長くは感じられませんでした。期待を高めてくれる時間と思って、入場を待ちました。なが〜い行列。展覧会が催されているのは、昨年できた平成知新館です。京博を訪れることが初めてです。シンプルすぎて面白みを感じない建物です。看板は、宗達の風神雷神図屏風です。こちらは、宮内省内匠寮技師片山東熊設計の旧・帝国京都博物館本館である明治古都館です。煉瓦造平屋建て、フレンチルネサンス様式の建物で、1895年(明治28年)10月に竣工しました。趣のある、ええ建物です。入るまでは時間が掛かり、中も混んでいましたが、人垣が3重4重とゆうとこまではいってませんでしたので、まあまあじっくりと観ることが出来ました。でも、中には作品の前でじっと立ち止まって観る人がいてて、全然進まないこともありました。じっくりと観たい気持ちは分かりますが、混んでいる時はゆっくりと進みならが鑑賞して欲しいなと思います。係員が立ち止まらないように注意するのも必要かなと思います。上から、宗達、光琳、抱一の風神雷神図屏風です。宗達は国宝、光琳は重文です。それぞれの作品は、100年ほど製作年が違います。抱一の作品は、色使いや筆致が現代絵画に近いなと感じました。宗達、光琳は甲乙付けがたいでが、構図で宗達の作品のほうが好きです。今回の展覧会では、国宝が5点展示されていました。国宝..
日本
ブルース
2015-11-01T14:08:08+09:00
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
いろいろな展覧会がありますが、最大とゆうてもええ展覧会です。
この展覧会の目玉は、琳派を代表する絵師、俵屋宗達、尾形光琳、酒井抱一が描いた「風神雷神図屏風」が同時に鑑賞できます。3作品が揃うは関西では75年ぶりです。次に揃うのは、100年後かも?
そう思うと、琳派400年の年を迎えられたことに感謝です。
3作品が揃うのは、27日から11月8日までです。
したがって、その間は混み混みです。
事前に混雑状況がツイッターで分かるのですが、見ていたら最高で180分待ちとなっていました。
大阪から京阪電車で京都に向かいましたが、なぜかいつもより混んでいます。
紅葉には早いし、この人達は、いずこへ行くのでしょうか?
七条駅で、どっと人が降りたら、京博へ行くんちゃうかと思っていましたが、そんなには降りませんでした。
待ち時間は、50分となっていましたので、素直に並びました。
一人だと時間を持て余していたかもしれまんせが、友達と来ていたので、そんなに長くは感じられませんでした。期待を高めてくれる時間と思って、入場を待ちました。
なが〜い行列。
展覧会が催されているのは、昨年できた平成知新館です。
京博を訪れることが初めてです。
シンプルすぎて面白みを感じない建物です。
看板は、宗達の風神雷神図屏風です。
こちらは、宮内省内匠寮技師片山東熊設計の旧・帝国京都博物館本館である明治古都館です。
煉瓦造平屋建て、フレンチルネサンス様式の建物で、1895年(明治28年)10月に竣工しました。
趣のある、ええ建物です。
入るまでは時間が掛かり、中も混んでいましたが、人垣が3重4重とゆうとこまではいってませんでしたので、まあまあじっくりと観ることが出来ました。
でも、中には作品の前でじっと立ち止まって観る人がいてて、全然進まないこともありました。
じっくりと観たい気持ちは分かりますが、混んでいる時はゆっくりと進みならが鑑賞して欲しいなと思います。
係員が立ち止まらないように注意するのも必要かなと思います。
上から、宗達、光琳、抱一の風神雷神図屏風です。
宗達は国宝、光琳は重文です。
それぞれの作品は、100年ほど製作年が違います。
抱一の作品は、色使いや筆致が現代絵画に近いなと感じました。
宗達、光琳は甲乙付けがたいでが、構図で宗達の作品のほうが好きです。
今回の展覧会では、国宝が5点展示されていました。
国宝は、なるほど素晴らしいと感じさせてくれる作品がほとんどですが、
1点、えぇこれが国宝と感じる作品がありましたが、何かいわれがあるのでしょうか。
人が多くて、観るのに疲れましたが、風神雷神図屏風以外にも素晴らしい作品が多く、ええ展覧会でした。
2月に頂妙寺に観にいった宗達の牛図も展示されていて、再会できて嬉しかったです。
帰りは、鴨川沿いを散歩しながら、帰りました。
紅葉にはまだ早いですが、ほんのりと色づいている木木もあり、秋の本格的な訪れも、もうすぐやなぁと感じました。
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岩ガキ食べ放題と但馬高原植物園・猿尾滝
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-10-03
2015年9月30日(水)曇バスツアーを利用して岩ガキ食べ放題ツアーに行きます。バスは満席で、外国からのお客さんもいてはりました。まずは、但馬高原植物園を訪れます。この植物園は、東経136°標高680mにあり、南方の植物の北限、北方の植物の南限、高山植物の低限、低地植物の高限にあたり、日量5,000tの湧水により湿原が形成されているため植生は極めて豊かで、自生植物は2,000種類を超えています。面積は17ha、甲子園球場4つぶんの広さです。個人で訪れると、入園料は510円です。オタカラコウです。ガイドさんの説明を聞きながら、園内をまわります。ガイドさんは後ろ向きに歩いてはって、器用です。足湯ならぬ、足水場です。水量が豊富で、水温は9℃。手をつけてみたら、しびれるくらい冷たいです。和池の大カツラです。樹齢1000年、樹高は実測で約39m、幹周約15mの立派な木です。高坂川の源流となる湧水「千年水(平成の名水百選選定)」が流れていて、飲むことが出来ます。湧水の細菌数は、なんと0だそうです。渓流を跨いで根を張る姿は珍しく、神秘的な雰囲気を漂わせています。この日は地元の小学生らしい子達が写生をしていました。アジサイです。時期は関係なく、条件が合えば咲くそうです。マツムシソウです。高原の秋を代表する花です。。マツムシ(スズムシ)が鳴くころに咲くことが和名の由来であるとする説があります。ミゾソバです。その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっています。葉っぱの形から、別名“牛の額”とも言われています。ヨメナです。名前の由来は嫁菜とも夜目菜とも言われ、はっきりしません。一説には、美しく優しげな花を咲かせるため「嫁」の名がつくとも言われています。名前は分かりません。リンドウです。沢山の花が咲いていますが、だいたいの花が一週間の寿命だそうです。シュウメイギクです。中国から古い時代に入ってきた帰化植物です。文献上では「花壇綱目」に「秋明菊」の名前で記載が成れていて、日本に定着していたことが窺えるそうです。名前はわかりません。植物の宝庫ですが、定着しなかった植物もあるそうで、自然は厳しいもんです。植物を堪能したあとは、お楽しみ、バスで浜坂まで移動して岩ガキ食べ放題の昼食です。ジャジャーン!!岩ガキで〜す。陶板で蒸し焼きにして頂きます。火力が弱いのでなかなか焼けません。真ガキの煮付けとマリネです。これは食べ放題では、ありません。岩..
日本
ブルース
2015-10-03T14:02:42+09:00
バスツアーを利用して岩ガキ食べ放題ツアーに行きます。
バスは満席で、外国からのお客さんもいてはりました。
まずは、但馬高原植物園を訪れます。
この植物園は、東経136°標高680mにあり、南方の植物の北限、北方の植物の南限、高山植物の低限、低地植物の高限にあたり、日量5,000tの湧水により湿原が形成されているため植生は極めて豊かで、自生植物は2,000種類を超えています。面積は17ha、甲子園球場4つぶんの広さです。
個人で訪れると、入園料は510円です。
オタカラコウです。
ガイドさんの説明を聞きながら、園内をまわります。ガイドさんは後ろ向きに歩いてはって、器用です。
足湯ならぬ、足水場です。
水量が豊富で、水温は9℃。手をつけてみたら、しびれるくらい冷たいです。
和池の大カツラです。
樹齢1000年、樹高は実測で約39m、幹周約15mの立派な木です。
高坂川の源流となる湧水「千年水(平成の名水百選選定)」が流れていて、飲むことが出来ます。
湧水の細菌数は、なんと0だそうです。
渓流を跨いで根を張る姿は珍しく、神秘的な雰囲気を漂わせています。
この日は地元の小学生らしい子達が写生をしていました。
アジサイです。
時期は関係なく、条件が合えば咲くそうです。
マツムシソウです。
高原の秋を代表する花です。。マツムシ(スズムシ)が鳴くころに咲くことが和名の由来であるとする説があります。
ミゾソバです。
その見た目が蕎麦に似ていることが和名の由来になっています。
葉っぱの形から、別名“牛の額”とも言われています。
ヨメナです。
名前の由来は嫁菜とも夜目菜とも言われ、はっきりしません。一説には、美しく優しげな花を咲かせるため「嫁」の名がつくとも言われています。
名前は分かりません。
リンドウです。
沢山の花が咲いていますが、だいたいの花が一週間の寿命だそうです。
シュウメイギクです。
中国から古い時代に入ってきた帰化植物です。文献上では「花壇綱目」に「秋明菊」の名前で記載が成れていて、日本に定着していたことが窺えるそうです。
名前はわかりません。
植物の宝庫ですが、定着しなかった植物もあるそうで、自然は厳しいもんです。
植物を堪能したあとは、お楽しみ、バスで浜坂まで移動して岩ガキ食べ放題の昼食です。
ジャジャーン!!岩ガキで〜す。
陶板で蒸し焼きにして頂きます。火力が弱いのでなかなか焼けません。
真ガキの煮付けとマリネです。
これは食べ放題では、ありません。
岩ガキが焼けるのを待っている間、カキフライ・カキ汁・甘エビ・カキカレー(これらのカキは真ガキです)」などを食べて待ちます。
結局、岩ガキは15個くらいしか食べられませんでした。もっと食べたかったです。
バスで隣席のおじさんは、4個くらいしか食べてはりませんでした。私は、なかなか上品にはなれないです。
バスで移動して、猿尾滝へ。
日本の滝百選に選定されています。滝好きとしては訪れてみたかった滝で、このツアーを選んだ理由の一つでもあります。選定25周年の看板も掛かっていました。
江戸時代、この地を治めていた交代寄合(のち村岡藩)山名氏は夏には"ソーメン流し"をして楽しんだと伝えられています。これに因み毎年7月第2日曜日に「猿尾滝祭り」を開催し、大規模な"ソーメン流し"を行いっているそうです。
猿尾滝ひん岩脈で形成された岩肌を上下2段に分かれて落下しています。なお、それぞれの落差は上段39メートル、下段21メートルである。その名の由来は下段の流れが猿の尾に似ていることから名付けられたと言われています。特に猿の尾に似ているとも思えないですが・・・。
上段の滝の中頃に見える岩です。仏様とマリア様と言われています。
水量などによっては見えないそうで、昨日は見えなかったとゆうてはりましたので、ラッキーです。
見えるかどうか、信ずるものは救われるかな?
上段の滝つぼまで本来なら行けるのですが、落石があったそうで通行禁止になっていました。
次の楽しみにしておきましょう。
岩ガキは美味しかったですし、但馬高原植物園は思っていたより、よかったです。猿尾滝はやっと訪れることが出来て、充実したバスツアーでした。
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松江~安来〜倉敷 美術館巡り
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-09-18
2015年9月4日(金)晴今回の旅のテーマは、ずばり「美」です。3つの美術館を巡る旅です。新大阪から「こだま」で岡山まで、特急「やくも」に乗り換えて、4時間あまりかけて松江に到着。今回の旅は弥次喜多道中なので、列車の中も楽しいです。今年は秋雨の訪れが早く、また台風も多くて天気が心配でしたが、なんとか晴れてくれました。まずは最初の美術館、松江県立美術館を訪れます。企画展とコレクション展を合わせての入場料は¥1,150です。企画展は、「ムルロ工房と20世紀の巨匠たち―パリが愛したリトグラフ」 が開催されていました。次回の企画展は、「伊藤若冲と京の美術―細見コレクションの精華」です。こっちのほうが、よかったなと思いつつ、絵画を楽しみます。企画展より、コレクション展のほうが面白かったです。横山大観の「宍道湖真景図」です。コレクション展では、何点かの作品は撮影OKです。日本の美術館では珍しいです。横山大観は山岡米華と共に明治43年8月20日に松江にやってきて、約2週間滞在していました。この滞在中に描かれた作品です。ロダンの「ヴィクトル・ユゴーのモニュメント」です。フランスの大文豪ヴィクトル・ユゴーの死に際して、フランス政府は、その記念像をパンテオン(偉人廟)に建立することとし、1889年ロダンにこの制作を依頼して出来た作品です。ユゴーが亡命していたガーンジー島の岩場に座りその背後から2つの精霊がインスピレーションを吹きかけるという神格化した像として表しています。うねうねとした動きと穴の開いた見えないかたちが一緒になっているところがミソになっているそうです。この美術館に来た一番の目的は夕日を眺めることです。一説には日本一の夕日との呼び声もあるほどです。屋外には彫刻作品があります。籔内佐斗司 作 「宍道湖うさぎ」です。12羽のうさぎがぴょんぴょん跳びはね、最後に宍道湖を眺めています。よく見るとこのうさぎは三種類の形しかありません。後ろ足で蹴っているポーズと、前足で着地しているだけの二種類の形を交互に配置させて動きをだしています。前から2番目のうさぎを触ると幸せが訪れると言われていいます。西の方向に向かって優しく撫でると効果がアップするそうです。うさぎを眺めて遊んでいるうちに、だんだんと太陽が沈んできました。ちょっと雲が多いのが玉に瑕ですが、綺麗な夕日です。宍道湖うさぎを入れて写真を撮ってみました。夕暮れのショーを眺めて、島根県..
日本
ブルース
2015-09-18T18:22:50+09:00
今回の旅のテーマは、ずばり「美」です。
3つの美術館を巡る旅です。
新大阪から「こだま」で岡山まで、特急「やくも」に乗り換えて、4時間あまりかけて松江に到着。
今回の旅は弥次喜多道中なので、列車の中も楽しいです。
今年は秋雨の訪れが早く、また台風も多くて天気が心配でしたが、なんとか晴れてくれました。
まずは最初の美術館、松江県立美術館を訪れます。
企画展とコレクション展を合わせての入場料は¥1,150です。
企画展は、「ムルロ工房と20世紀の巨匠たち―パリが愛したリトグラフ」 が開催されていました。
次回の企画展は、「伊藤若冲と京の美術―細見コレクションの精華」です。こっちのほうが、よかったなと思いつつ、絵画を楽しみます。
企画展より、コレクション展のほうが面白かったです。
横山大観の「宍道湖真景図」です。
コレクション展では、何点かの作品は撮影OKです。日本の美術館では珍しいです。
横山大観は山岡米華と共に明治43年8月20日に松江にやってきて、約2週間滞在していました。
この滞在中に描かれた作品です。
ロダンの「ヴィクトル・ユゴーのモニュメント」です。
フランスの大文豪ヴィクトル・ユゴーの死に際して、フランス政府は、その記念像をパンテオン(偉人廟)に建立することとし、1889年ロダンにこの制作を依頼して出来た作品です。
ユゴーが亡命していたガーンジー島の岩場に座りその背後から2つの精霊がインスピレーションを吹きかけるという神格化した像として表しています。
うねうねとした動きと穴の開いた見えないかたちが一緒になっているところがミソになっているそうです。
この美術館に来た一番の目的は夕日を眺めることです。
一説には日本一の夕日との呼び声もあるほどです。
屋外には彫刻作品があります。
籔内佐斗司 作 「宍道湖うさぎ」です。
12羽のうさぎがぴょんぴょん跳びはね、最後に宍道湖を眺めています。
よく見るとこのうさぎは三種類の形しかありません。後ろ足で蹴っているポーズと、
前足で着地しているだけの二種類の形を交互に配置させて動きをだしています。
前から2番目のうさぎを触ると幸せが訪れると言われていいます。
西の方向に向かって優しく撫でると効果がアップするそうです。
うさぎを眺めて遊んでいるうちに、だんだんと太陽が沈んできました。
ちょっと雲が多いのが玉に瑕ですが、綺麗な夕日です。宍道湖うさぎを入れて写真を撮ってみました。
夕暮れのショーを眺めて、島根県立美術館とお別れです。
今夜の宿は、駅から一番近い「ホテル・アルファ-ワン第2松江」にしました。
何の変哲もない、ビジネスホテルですが、寝るには充分です。
夕食はついていないので、ホテル近くの居酒屋に行きました。
王録飲み比べとゆうのがあったので、それにしました。
島根のお酒です。地元の物を食べて、地元のお酒を飲むのが、私の旅の流儀です。
日本海の幸をいただきます。
のどぐろの刺身は脂がのっていて、美味しいです。
ドギの丸干しです。
ドギは、ノロゲンゲとゆう深海魚です。
水分も多く食べずらいのですが干物にすれば、 ドギの持っている塩分(深層水)と魚の旨みが絶妙で酒好きにはこたえられない干物です。
ここの居酒屋は、箸置きが煮干になっていました。
最後に煮干も頂きました。
島根のお酒と珍しい物を食べられて幸せです。
2015年9月5日(土)曇
朝食は、ホテルで和洋バイキングを頂きました。
チェックアウトを済ませ、安来に移動です。
安来駅から無料のシャトルバスに乗って、足立美術館に向かいます。
駅前には安来らしく、どじょうすくいの像がありました。
足立美術館を訪れるのは20年振りくらいです。
足立美術館は、地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこうが、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館した美術館です。今年、開館45周年に当たります。質量ともに日本一として知られる大観の作品は総数130点にのぼり、大観美術館との異名をとっています。
入場料は、¥2,300です。
土日は人が多いので、帰りのシャトルバスの整理券をもらっておかないといけないのですが、忘れて入場してしまいましたが、友達に言われて取りにいきました。一人やったら帰りのシャトルバスに乗れなかったかもしれません。感謝です。
足立全康の像です。
足立美術館のもう一つの特色は、その広大な日本庭園です。
米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキングでは、初回の2003年から2014年まで、12年連続で庭園日本一に選出されています。
枯山水庭です。
日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られ、彼方の山や木々までも取り込んで織り成す造形美は秀逸です。一つの庭に見えますが、奥の山と手前の庭の間には道路が3本通っていて、民家もあるのですが、全く分かりません。庭の解説もあるので、解説を聞くとより庭の素晴らしさが伝わってきます。
左側の立石は険しい山をイメージし、そこから流れる滝水がやがて大河となる、雄大な趣を表しています。
何も言葉はいらないです。
池庭です。
周囲との調和を考え、新しい感覚と伝統的手法を用いて造られた庭園です。
白砂青松庭です。
横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園です。
白砂の丘陵には、右に黒松、左に赤松を配し、対照的な長和美を生み出しています。
「庭園もまた一幅の絵画である」という全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園が掛軸のようになっている、生の掛軸です。
こちらは、生の衝立です。
この日は土曜日で人が多かったですが、団体客が過ぎたところで人のいない写真が撮れました。ラッキーです。
庭を眺め終えると、2階へ。
2階には、絵画作品が並んでいます。
開館45周年を迎え、これを記念して、日本画に感動!ベストセレクション展〔後期〕が開催されていました。
横山大観の「紅葉」です。
自然の紅葉には早いので、絵画で紅葉を楽しみます。
真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。
しゃがんで眺め上げると、キラキラを光って見えます。
学芸員による作品解説もありますので、より楽しく作品を鑑賞できます。
庭園を眺め写真を撮り、絵画を眺め美を堪能し、コーヒーを飲みながら庭園を眺めと、贅沢な時間を過ごしました。足立美術館、素晴らしいですが、一つ食べる物の種類が少ないのが残念でした。
楽しい時の経つのは早いもので、シャトルバスの出発時間が迫ってきて、足立美術館を後にしました。
安来駅まで戻ってきて、特急やくもで倉敷まで移動です。
今日のお宿は、倉敷ロイヤルアートホテルです。
元、日航ホテルだったところです。
一流ホテルなので、荷物を部屋まで運んでくれますが、みすぼらしい恰好をしているので、気恥ずかしいです。貧乏人なので一流の扱いをされると戸惑ってしまいます。
荷物を置いて、夕闇の倉敷を散策です。
夜間ライトアップされていると聞いていたのですが、ライトアップされている建物は少なくて、ちょっと残念でした。
夜の大原美術館です。
散策を済ませて、夕食はホテル内のレストランです。
「倉敷小町会席」旬の食材を厳選した山海グルメ、とゆうものにしました。
お酒は、奇跡の酒とゆうのがあったので、それにしました。
冬瓜と穴子の博多 穂紫蘇です。
太刀魚幽庵焼き 茗荷甘酢漬けです。
蝦蛄絹田巻き うざくゼリー寄せです。
料理は、あんまり期待していなかったのですが、予想を裏切ってくれて、手が込んでいてとっても美味しかったです。奇跡の酒も美味しく、楽しい酒宴となりました。
2015年9月6日(日)雨後曇
今日は朝から、残念ながら雨です。
天気予報を見ても、降水確率100%です。
予約の時間の関係で、ホテルで慌ただしい和洋バイキング朝食をいただいて出発。
朝の大原美術館です。
今回の旅のメインです。
美術館が開館する前に、モーニングツアーとゆうものが開催されていて、それに参加する為に、この日程にしました。8時から9時の1時間、学芸員が解説を聴きながら鑑賞します。入場料は、¥2,000です。
この日は山陽放送の取材が入っていました。
インタビューを受けましたが、大阪では放送がないので見られません。残念。
大原美術館は、倉敷の実業家大原孫三郎(1880年–1943年)が、自身がパトロンとして援助していた洋画家児島虎次郎(1881年–1929年)に託して収集した西洋美術、エジプト・中近東美術、中国美術などを展示するため、1930年に開館した。西洋美術、近代美術を展示する美術館としては日本最初のものです。
とゆうような、大原美術館の成り立ちや、作品の解説を聴きながら楽しみます。
大原美術館を訪れるのは31年ぶり2度目ですが、作品にあわせて、美術館の大きさが決められたとか、知らないことがいっぱいで、興味深いです。
現代美術について、それまでの絵画手法からの「開放」だとゆう説明が面白かったです。
どこに美の主眼を置くかによって、作品とゆうのはガラッと変わるんやなぁと感心しました。
1時間のモーニングツアーが終わって、雨が激しくなってきていましたし、そのまま残ってもいええよとゆうてもらえたので、逆周りでもう一度作品を鑑賞していきます。
ゆっくりと気に入った作品を鑑賞できて、よかったです。
雨が小振りになったところで、いったんホテルに戻ってチェクアウト。チェックアウトが12時なのも嬉しいです。
再び美観地区に戻ってきましたが、雨では写真も撮られへんなぁと思っていたら、ちょっと止み間があって写真も撮れました。
美観地区の真ん中あたりにある中橋です。雨にも関わらず観光客が多いです。
再び雨が降ってきたので、早目の昼食に。
おんなじ事を考えるのが人間で、店は満員でした。
秋の散歩道御膳とゆうのにしました。
1日限定50食となっていました。12種類の料理が食べられるのがいいです。
豚 切り干し 山椒煮とゆうのが、美味しかったです。切り干しに山椒が合うとは発見でした。
岡山の地ビール「独歩」です。
ピルスナーで、スッキリとした味わいで美味しいです。
食事を済ませて外に出たら、雨が止んでいました。
降水確率100%とゆうてたのに、むっちゃラッキーです。
観光ボランティアガイドを利用して散策しようと思っていたのですが、待ち合わせ場所を間違えて、アセアセと移動して、なんとか出発時間に間に合いました。
美観地区の中に証券会社がありました。
その会社が黒板に株式近況を書いています。
デジタルでスピードが求められる証券会社で、板書とゆうのが微笑ましいです。
大原美術館の正面右側になりますが、昔の窓の跡です。
大原美術館が出来た頃は、美術作品とゆうのは自然光の中で見るのがええとされていたそうで、ですから採光の為の窓でもあったそうです。今では考えられないことで、よう作品が痛めへんかったなぁと思います。
ガイドさんを通して観光すると、そんな知らなかった歴史を知る事ができて、興味深いです。
大原美術館の中庭にある睡蓮です。
これは、2000年の創立70周年に、フランスの画家であるクロード・モネのジヴェル二ーの自宅庭園から株分けされ、移植したものです。まさに本物のモネの睡蓮です。
今橋です。
大原美術館前の倉敷川に架かる橋で大正15年(1926年)に、皇太子であった昭和天皇訪問に合わせ建造されました。児島虎次郎氏デザインで、大原孫三郎氏の干支にちなんで20体の竜が彫られています。天皇にあわせて竜の指は5本あります。
有隣荘です。
1928年(昭和3年)に 大原孫三郎が、病弱な妻を気遣い「家族の為に落ち着いた住まいを」と建設されました。土台の石に合わせて、板塀を削っているのが、なんとも手が込んでいます。
中橋まで戻ってきました。
横から見ると、一枚岩で出来た橋だとゆうのが分かります。
この橋は約10mの川をまたいでいますが、その桁の長さは、現存する日本の石桁橋の中で最長を誇っています。
観光ボランテイアガイドは、まだまだ続くのですが、帰りの列車の時間が迫っていて、美観地区を後にし帰路につきました。
足立全康といい、大原孫三郎といい、ええお金の使い方をしていますね。
お金持ちには、こうあって欲しいとゆう理想です。私もお金持ちになれば・・・。
美を堪能できた中身の濃い旅となりました。
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広島 磯江毅展
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-05-26
2015年5月22日(金)晴4月に富山へ行ったときに水墨美術館で、広島で磯江毅の展覧会が開催されているのを知り、急遽広島行きを決めました。新大阪から広島まで新幹線で行くのですが、こだまなら2時間半で4080円、のぞみなら1時間半で6140円です。早さを取るか安さを取るかですが、急ぐ旅でもないので、こだまでお酒を飲みながら車窓からの風景を眺め本でも読んで、のんびり行くことに。広島に着いてJRで新白島まで行き、アストラムラインとゆう鉄道に乗り換えて、不動院前で下車。原爆のせいもあり、広島には木造の古い歴史的な建物が殆ど無いのが現状ですが、その中で500年以上前に立てられた建物が残る場所があります。それが、ここ不動院です。駅を降りて数分で不動院です。不動院の前身は14世紀中頃、足利尊氏・義直兄弟が国ごとに建立した安国寺であると言われています。16世紀中頃、武田氏の滅亡後、寺院は一時傾きましたが、その後、毛利輝元の使僧を務めた安国寺恵瓊(えけい)が住職となってから、堂塔は再建整備させ、寺勢は盛んとなりました。楼門です。1594年の建築で重要文化財です。こちらは、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に従軍した安国寺恵瓊が朝鮮から材木を持ってきて建てたそうです。金堂です。山口の守護・戦国大名大内氏が建てた物を、毛利氏が大内氏を滅ぼしたため、安国寺恵瓊がここに移築したものと言われています。なお、現存の唐様仏殿の中では最大とか。1540年築で広島市内唯一の国宝です。鐘楼堂です。1433年の建築で重要文化財です。国宝や重文があるのに、ほとんど知られてないくて(私もまったく知りませんでした)、私以外では一人しかいませんでした。もっと多くの人に見て欲しいもんです。アストラムラインで移動して、広島城へ。入口は2ヶ所ありますが、二の丸から入りました。太鼓楼です。広島護国神社です。広島城址の中にあります。正月3ケ日の初詣は60万人を数え、中国地方でも有数の神社となっているほか、広島東洋カープが毎年必勝祈願のために参拝するそうです。そのせいかどうかは分かりませんが、昇鯉の像がありました。カープは今年は苦戦していますが、頑張って欲しいもんです。天守閣が見えてきました。天守閣は有料になっていて、入場料は360円です。広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守..
日本
ブルース
2015-05-26T11:52:37+09:00
4月に富山へ行ったときに水墨美術館で、広島で磯江毅の展覧会が開催されているのを知り、急遽広島行きを決めました。
新大阪から広島まで新幹線で行くのですが、こだまなら2時間半で4080円、のぞみなら1時間半で6140円です。早さを取るか安さを取るかですが、急ぐ旅でもないので、こだまでお酒を飲みながら車窓からの風景を眺め本でも読んで、のんびり行くことに。
広島に着いてJRで新白島まで行き、アストラムラインとゆう鉄道に乗り換えて、不動院前で下車。
原爆のせいもあり、広島には木造の古い歴史的な建物が殆ど無いのが現状ですが、その中で500年以上前に立てられた建物が残る場所があります。それが、ここ不動院です。
駅を降りて数分で不動院です。
不動院の前身は14世紀中頃、足利尊氏・義直兄弟が国ごとに建立した安国寺であると言われています。16世紀中頃、武田氏の滅亡後、寺院は一時傾きましたが、その後、毛利輝元の使僧を務めた安国寺恵瓊(えけい)が住職となってから、堂塔は再建整備させ、寺勢は盛んとなりました。
楼門です。
1594年の建築で重要文化財です。こちらは、豊臣秀吉の朝鮮出兵時に従軍した安国寺恵瓊が朝鮮から材木を持ってきて建てたそうです。
金堂です。
山口の守護・戦国大名大内氏が建てた物を、毛利氏が大内氏を滅ぼしたため、安国寺恵瓊がここに移築したものと言われています。なお、現存の唐様仏殿の中では最大とか。1540年築で広島市内唯一の国宝です。
鐘楼堂です。
1433年の建築で重要文化財です。
国宝や重文があるのに、ほとんど知られてないくて(私もまったく知りませんでした)、私以外では一人しかいませんでした。もっと多くの人に見て欲しいもんです。
アストラムラインで移動して、広島城へ。
入口は2ヶ所ありますが、二の丸から入りました。
太鼓楼です。
広島護国神社です。広島城址の中にあります。
正月3ケ日の初詣は60万人を数え、中国地方でも有数の神社となっているほか、広島東洋カープが毎年必勝祈願のために参拝するそうです。
そのせいかどうかは分かりませんが、昇鯉の像がありました。
カープは今年は苦戦していますが、頑張って欲しいもんです。
天守閣が見えてきました。
天守閣は有料になっていて、入場料は360円です。
広島城は、豊臣秀吉の五大老の一人として知られる毛利輝元が築いた典型的な平城です。江戸時代には、福島氏、次いで浅野氏が居城していました。築城以来の天守閣は昭和6(1931)年に国宝に指定されましたが原爆によって倒壊し、昭和33(1958)年に外観復元されました。平成元(1989)年には築城400年を機に内部改装を行ない、現在は武家文化をテーマとした歴史資料館となっています。
写真は殆どNGですが、一部撮影可になっています。
武家の座敷です。
こちらは、商家の食事をするところです。
箱膳を置いてあるのが商家らしいです。
天守閣の最上層、第5層まで上ってきました。
なかなか、ええ眺めです。
この日は初夏の陽気ですが、風がここちええです。
広島城は、2日目に来ようかなと思っていたのですが、明日は天気が悪いみたいで、この日に来てよかったです。
もう一ヶ所いこうと思っていたのですが、けっこう見所が多くて、この日は宿へ。
サウナニュージャパンに1泊です。
いわゆるカプセルホテルで、ポイント使って1850円也です。
汗を流してサッパリしたところで、街中へ。
宿は繁華街にあるので、飲み屋はいっぱいあります。
魚の美味しそうな店にしました。
広島名物のアナゴの湯霜造りと、この日のお薦めの魚でオコゼ造り。
アナゴは造りで出す店もありますが、癖があるので湯霜造りにしています。
お酒は、広島以外のお酒も置いていますが、地元のもんを食べて地元のお酒を飲むのが私の旅の流儀で、広島の地酒、瑞冠にしました。この店は、徳利・グラス大・グラス小と選べるのが嬉しいです。
アボカドと音戸ちりめんのサラダです。
カリカリのちりめんが美味しいです。
いろいろと創作料理もあって、楽しいです。
燗酒に切り替えて、竹鶴です。
徳利の上に蓋をのせてあるのが、面白いです。冷めへんようにするためかなぁ。
マッサンこと竹鶴政孝の実家の酒蔵が造っているお酒です。
広島名物の夜鳴き貝造りと、この日のお薦めで青ギザミ造りです。
青ギザミって、初めて聞きましたが、あとで調べたらベラでした。
ベラは食べたことがありますが、造りは初めてでした。
広島、魚もお酒も美味しかったです。
2015年5月23日(土)曇
この旅のメイン、「磯江毅展」へ。
広島県立美術館で開催されています。
混んでたら嫌なので、朝一番で行きました。
開館前に着きましたが、数人の人が待っていました。
日曜美術館で初めて磯江毅のことを知って、ずっと見てみたいと思っていました。
あるがままを理想化せず描写しようとするリアリズム絵画。
マンチャとゆうスペイン独特の深い陰影表現を学びつつ、中世に生まれた“ヴァニタス(人生の虚しさを表す寓意画)”強く惹かれた磯江は、万物が逃れることのできない“死”とゆう運命を「自らの問題」として描き続けました。
独特な作品達に時間が経つのを忘れて没頭しました。
1時間もすると人がかなり増えてきて、朝一で来て正解でした。
お土産にポストカードを買おうと思ったのですが、欲しいものは全て売り切れていました。
残念。
1泊2日の短い旅でしたが、磯江毅の作品に触れて濃密な至福の時を過ごすことが出来た有意義な旅となりました。
帰りも、こだまに乗って、のんびりと帰ってきました。
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富山ほたるいか・高岡
https://2010nensekainotabi.blog.ss-blog.jp/2015-04-29
2015年4月20日(月)曇後雨ほたるいか漁を見たくて、3年前から申し込んでいたのですが、毎年予約が取れなくて、今年はようやく予約が取れて富山に行くことが出来ます。ほたるいか観光船の予約は、電話がなかなか通じないのですが、携帯電話で掛けたら繋がりました。ちょっとしたコツかもしれません。そんなわけで、富山県滑川に到着です。以前は、大阪から富山までサンダーバードでいけたのですが、今年からはサンダーバードは金沢までとなりました。金沢から富山は新幹線に乗り換えなければなりません。乗り換えするのは面倒なので、どちらか選択できたらええのになと思います。滑川の駅を降りたら、山の稜線が綺麗に見えていました。今日の宿は、駅前にあるサンルート滑川にお世話になります。滑川で安い宿を探したのですが、他には見当たりませんでした。歩いて10分弱のところに「ほたるいかミュージアム」があり、行ってみました。入場料は800円です。ほたるいかの生態や漁の様子が展示されています。水槽で泳ぐ ほたるいか。とっても綺麗です。大きな水槽では、ほたるいかに触れることも出来ます。ほたるいか漁の出航は、翌朝3時と早いので、ホテルに戻って早めに床につきました。2015年4月21日(火)雨後曇2時に起きて、ホテルを出て集合場所のほたるいかミュージアムに向かいます。道路にもほたるいかが描かれています。集合場所に着きましたが、波が高くて欠航となりました。むっちゃ残念です。自然には勝たれへんから、しゃあないですね。今年は雨がめっちゃ多くて、4月は5回くらいしか出航していないそうです。異常気象には困ったもんです。観光船は、こんな感じです。漁船に比べて重心が高いので、波に弱いです。サービスで、ほたるいかの発行ショーを見せてくれました。昨日の昼間にも見たのですが、係員の解説がよかったです。ほたるいかは富山が有名ですが、漁獲量でいえば兵庫の方が多いです。他は底引き網で漁をしていますが、富山は定置網で漁をしています。定置網での漁は、メスのみが獲れます。メスは身が大きくて美味しいのです。スーパーで売っている富山のほたるいかは、他の3~4倍の値段がしていますが、これで納得しました。昔は、ほたるいかは食べなくて肥やしにしていたそうです。調理方法や保存方法が確立して、ブランド品になっていきました。いまでは富山に欠かせない存在になっています。1年とゆう寿命のなかで、産卵のために海岸近くへやっ..
日本
ブルース
2015-04-29T11:57:02+09:00
ほたるいか漁を見たくて、3年前から申し込んでいたのですが、毎年予約が取れなくて、今年はようやく予約が取れて富山に行くことが出来ます。
ほたるいか観光船の予約は、電話がなかなか通じないのですが、携帯電話で掛けたら繋がりました。ちょっとしたコツかもしれません。
そんなわけで、富山県滑川に到着です。
以前は、大阪から富山までサンダーバードでいけたのですが、今年からはサンダーバードは金沢までとなりました。金沢から富山は新幹線に乗り換えなければなりません。乗り換えするのは面倒なので、どちらか選択できたらええのになと思います。
滑川の駅を降りたら、山の稜線が綺麗に見えていました。
今日の宿は、駅前にあるサンルート滑川にお世話になります。
滑川で安い宿を探したのですが、他には見当たりませんでした。
歩いて10分弱のところに「ほたるいかミュージアム」があり、行ってみました。
入場料は800円です。
ほたるいかの生態や漁の様子が展示されています。
水槽で泳ぐ ほたるいか。とっても綺麗です。
大きな水槽では、ほたるいかに触れることも出来ます。
ほたるいか漁の出航は、翌朝3時と早いので、ホテルに戻って早めに床につきました。
2015年4月21日(火)雨後曇
2時に起きて、ホテルを出て集合場所のほたるいかミュージアムに向かいます。
道路にもほたるいかが描かれています。
集合場所に着きましたが、波が高くて欠航となりました。
むっちゃ残念です。自然には勝たれへんから、しゃあないですね。
今年は雨がめっちゃ多くて、4月は5回くらいしか出航していないそうです。異常気象には困ったもんです。
観光船は、こんな感じです。
漁船に比べて重心が高いので、波に弱いです。
サービスで、ほたるいかの発行ショーを見せてくれました。
昨日の昼間にも見たのですが、係員の解説がよかったです。
ほたるいかは富山が有名ですが、漁獲量でいえば兵庫の方が多いです。
他は底引き網で漁をしていますが、富山は定置網で漁をしています。
定置網での漁は、メスのみが獲れます。メスは身が大きくて美味しいのです。
スーパーで売っている富山のほたるいかは、他の3~4倍の値段がしていますが、これで納得しました。
昔は、ほたるいかは食べなくて肥やしにしていたそうです。
調理方法や保存方法が確立して、ブランド品になっていきました。
いまでは富山に欠かせない存在になっています。
1年とゆう寿命のなかで、産卵のために海岸近くへやってきて、産卵を終えて帰っていく。
そのときに定置網にかかるそうです。
生命の神秘と有り難さに感謝です。
ほたるいかの試食を頂きました。
茹でたてのほたるいかは、ぷりっぷりっで美味しかったです。
ホテルに戻って寝直しました。
ホテルをチェックアウトして、富山へ移動です。
JRではなく、あいの風とやま鉄道とゆう路線になっています。
列車は高校生で満員です。富山は若いもんが多いんでしょうか。
15分ほどで富山に到着。
富山ライトレールの乗り換えですが、富山駅は改装中で道が分かりにくく、また遠い。
ほんで、ライトレールの切符売り場が分かりにくです。
1回券は列車内で買えるのですが、1日フリーきっぷを買いたかったのです。
ようやくライトレールに乗れました。
あとで分かりかましたが、ライトレールは7色のカラーがあるそうです。
終点の岩瀬浜まで行って、岩瀬の街の散策です。
まずは、富山港展望台へ。
北前船時代の琴平神社の常夜燈がモデルになった展望台です。
晴れていたら、富山湾や立山連峰が見えるのですが、曇っていてなんも見えませんでした。
北前船廻船問屋「森家」です。入場料は100円です。
国指定重要文化財になっています。
ここは「オイ」と呼ばれる部屋です。
囲炉裏があって、吹き抜けの梁があり、天窓から射す光で明るいです。
畳の敷き方も工夫されています。川の流れのように敷かれていて美しいです。
わざと半畳の畳も敷いてあって、商売繁盛につながるようにとの願いが込められています。
マエザシキの天井です。
天井の模様が龍に見えます。全部で3匹いてますので、探してみてください。
地元では北前船のことをバイ船と呼び、「バイバイ」に儲かることから、船の往復で儲かる「のこぎり商売」といわれて財をなしたそうです。
これは、全国金満家大番附ですが、一番儲かった馬場さんは、山形の本間さんと並んで番附にのっています。「本間様には及びもないが せめてなりたや殿様に」と謳われたそうですが、馬場さんも本間さんも今の貨幣価値で2000億円となっています。
チャシツには、なんと隠し金庫がありました。
見た目は古びて見えるのですが、写真に撮ると光って写ります。
2000億ですから、金庫はいりますよね。しかも分かれへんとこにね。
案内のお姉さんの説明が楽しくて、めっちゃ面白かったです。
ライトレールで富山に戻って、こんどは市内電車で移動です。
これも1日フリーきっぷで乗車できます。市内電車は5分間隔で運行していますので、市内観光には便利です。
廣貫堂資料館です。
富山といえば薬売り、薬売りといえば富山です。
入場料は無料で、栄養ドリンクのサービスもあります。
実際には見たことないですが、薬売りのイメージですね。
古文書や懸場帳、売薬版画など見ていて分かりやすく面白いです。
この道具は下桝と呼ばれています。
丸薬を数えるときに使うものですが、今も使われていいるとは驚きです。
富山県水墨美術館です。
水墨画を見たかったのですが、横山大観展が開催されていて、水墨画はあまり見られませんでした。
街中を歩いていると、富山城の前にフレームが、これに入れて撮るとええ写真が撮れる??
少し晴れ間がのぞいてきたので、富山市役所展望塔へ。
無料の展望台です。
立山連峰のほうは、分厚い雲がかかっていて何も見えませんでした。
晴れていたら、こんな絶景が見られるので、想像して楽しみました。
観光を終え、宿にチェックイン。
富山駅近くのウイークリー翔です。1泊1900円と、貧乏旅人には嬉しい価格設定です。
泊まるときに身分証明証が必要なんですが、運転免許証を持ってくるのを忘れて、会社の社員証を持っていったのですが、なんとかOKしてくれました。
夜の楽しい時間がやってきて、暖簾をくぐりました。
昨日はおとなしく早寝しましたので、今日は飲むべ~食べるべ~。
富山地酒のみくらべ三種とゆうのがあって注文。
8種類の中から選びます。
黒部峡・勝駒・三笑楽にしました。70mℓずつ入っています。
どれも美味しかったですが、勝駒が一番好みでした。
せっかく富山に来たんやから、富山のうまいもんを注文。
バイ貝の刺身です。コリコリしていて美味しいです。
醤油が甘口と辛口とあります。どう使い分けたらええんか、よう分かりませんが・・・。
甘口醤油は、富山独特の醤油です。
ほたるいか刺身です。
内蔵は寄生虫がいてるので、とってあります。ワザですね。
甘味があって、むっちゃ美味しいです。
「白エビ食べ比べ」で、刺身と昆布じめになっています。
刺身は甘味があってエビの旨さです。昆布じめの方が、私は気に入りました。
富山名物のイカ黒作りです。
イカ墨が入っているので、お箸は真っ黒になりましたが、歯にはつきませんでした。
コクがあって美味しいです。
うまい肴とうまい酒で、富山の夜はサイコーです。
2015年4月22日(水)晴
宿をチェックアウトして、あいの風とやま鉄道で高岡まで移動。
高岡駅でコインロッカーに荷物を預けて、こんどはJRで雨晴へ。
乗るときにはICカード(イコカ)で乗ったのですが、雨晴駅ではイコカは使えませんでした。
便利なんに慣れてしまって、当たり前になってしまったら、あかんですね。
ローカル線は気をつけましょう。
雨晴海岸からの眺めです。思い切りアンダーで撮ってみました。
海越しに3000m級の白い山々を間近に望むとゆうのは、世界でもこの海岸だけです。
でも、季節は春・・・。
あかんやろなと思いながら来てみたら、案の定、晴れているけど霞んでしまっています。
空気が澄む冬でないと難しいと思います。
氷見線をのんびりと列車が通り過ぎていきます。
車窓からの眺めも、ええですよ。
海岸をブラブラしながら、こちらは普通の露出で撮ってみました。
どう撮っても綺麗には写りません。
雨晴とゆう名前の由来は、かつて義経主従が奥州に落ち延びる途中にこの海岸でにわか雨にあい、弁慶が持ち上げた岩陰で雨宿りをしたとゆう「義経雨はらしの岩」の伝説からきています。
高岡駅に戻って、徒歩で散策です。
けっこう距離がありますので、歩くのが苦手な人はレンタサイクルがお薦めです。
まずは、高岡大仏です。
奈良、鎌倉と並ぶ日本三大仏に数えられ、総高15.85m、重量65tの大きさです。
「銅器のまち高岡」の象徴であり、30年の歳月をかけて完成しました。
日本一美男の大仏さんとも言われています。
大仏さんの近くには高岡古城公園があります。
400年前に加賀前田家二代当主前田利長が築いた高岡城の跡です。
その前田利長公の像です。
この日は、公園内では中学生がぎょうさん写生していました。
ここは桜の名所でもあります。もう1週間くらい早く来ていたら、桜が満開だったんでしょうが、ちょっと残念。
しばらく歩いて土蔵造りの町並み「山町筋」にある菅野家住宅です。入場料は200円です。
ここも岩瀬の森家同様、北前船で財をなした家です。
欄間の透かし彫りも見事です。
使っている材木なども、今では手に入らないような贅沢なものを使っています。
今日は外は気温がグングン上がって半袖でも暑いくらいの陽気ですが、家の中は寒くてストーブを焚いていました。土蔵って寒いんねん。夏は涼しくてええかもです。
シャンデリアです。
1灯用、2灯用とあって、これは3灯用となっています。
当時として、モダンやったんでしょうね。
中庭には、握り拳のような庭石があります。
パワースポットとして来られる方もあるようです。
お金を握って離さへんのが極意かな??
土蔵造りの町家が造られたのは、市街地の約6割を焼き尽くした明治33年の大火後です。
土蔵造りの旧家が42棟建ち並んでいます。
繁華街での建物の新築の際は防火構造のものとすることが義務付けられたため、土蔵造りが建てられました。
赤レンガの銀行です。
現役で使われています。古い建物好きにとっては、ごっつうええ感じです。
お次は金屋町へ行こうと思ったのですが、道が分からなくて誰かに聞こうと思いましたが、誰も歩いていません。高岡は、なんだかひっそりとしていて人が少なかったです。
なんとか自力で、たどり着きました。
旧南部鋳造所キューポラ(溶鉱炉)と煙突です。
高岡鋳物発祥の地である金屋町の一角にある地金を溶解するための建造物です。
明治末期から複数のキューポラが建造されましたが現在残っているのは、旧南部鋳造所のものだけとなっています。
キューポラと聞いたら、映画「キューポラのある街」を思い浮かべるのは、ジジィの証拠かな?
千本格子の家並み「金屋町」です。
鋳物産業は火災の危険があったため、千保川を挟んで高岡城下町と向かい合っている金屋町に7名の鋳物師が集められ、鋳物工場及び宅地用として約5000坪(東西50間、南北100間)の土地を与えて優遇したそうです。
高岡駅の北側を散策していましたが、高岡駅まで戻ってきて、こんどは南側の散策です。
富山県で唯一の国宝、瑞龍寺です。こちらは山門です。
瑞龍寺は、加賀藩二代藩主前田利長公の菩提を弔うため、三代藩主利常公によって建立された寺です。
山門をくぐって仏殿が見えてきますが、一直線に並んでいてシンメトリーが綺麗です。
額絵を見ているようです。
仏殿です。
入母屋造、一重裳階(もこし)付きの総欅造りで、屋根は当初杮(こけら)葺きでしたが、現在は総重量約47トンの鉛瓦葺きです。鉛製の瓦を用いる理由は、俗説では非常時に鉄砲の弾にするためともいわれますが、実際は冬季の積雪対策のためだそうです。
鉛瓦は他には、金沢城の石川門と三十間長屋しかない、大変珍しいもんです。
法堂です。総桧造りの入母屋造、銅板葺き。内部を土間床とする仏殿に対し、法堂は畳敷きで、横2列、縦3列の6部屋を配する方丈形式の間取りで建坪186坪あります。
山門、仏殿、法堂の三つが国宝となっていますが、他の建物も素晴らしいです。
回廊です。
大伽藍を囲む周囲約300mの回廊で、北回廊、南東回廊、南西回廊からなっています。
回廊の左右は白壁となってまして、規則正しく並んだ柱と格子枠の障子戸が特徴です。
八丁道とゆう道を歩いて、前田利長墓所に到着。
大名の墓としては日本一といわれる高さ11.9mの石塔があります。
石塔下部の戸室石で造られた基壇は、約250平方メートルの三層基壇となっており、側面には狩野探幽下絵とされる130枚もの蓮華図文様が彫刻されているそうです。
とゆうのも、普段は入れず、9月13日に行われる前田利長公顕彰祭の時にのみ一般公開されているそうです。
高岡駅前には、「ドラえもん」の登場キャラクターの銅像が12体並んでいます。
高岡市出身の漫画家藤子・F・不二雄さんに因んで作られたようです。
JR氷見線には、忍者ハットリくん列車も走っています。
こちらは、氷見市出身の漫画家藤子不二雄Ⓐさんに因んで作られたようです。
氷見には、トキワ荘を再現したギャラリーもあるそうで、漫画好き、藤子先生好きの方には、魅力ではないでしょうか。
今回の旅では、ほたるいか漁が見られなかったので、また富山に来たいと思います。
予約がうまいこと取れるかなぁ。
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