頂妙寺・俵屋宗達「牛図」 [日本]
2015年2月7日(土)晴
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
京都では、「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が行なわれていて、琳派関係の文化財が伝わるお寺のいくつかが公開されています。
その中に、以前から見たいと思っていた俵屋宗達の「牛図」が見られるとあって、頂妙寺に行くことに。
寒いですが、天気がよくて行楽には絶好です。
頂妙寺の山門です。
頂妙寺の前の通りは、仁王門通りとなっていますが、
ここ頂妙寺の仁王門にちなんで名付けられた道です。
山門の傍らには、第49回 京の冬の旅の看板が掲げられていました。
寺社内に入ると正面に仁王門が見えてきます。
仁王門とゆうと、両端に金剛力士像が立っているのが一般的ですが、
頂妙寺の仁王門は、向かって左側に多聞天、向かって右側に持国天が立っています。
網目越しなので見にくいですが、快慶作(伝)とされていて、なかなかの迫力です。
仁王門の上には、豊臣秀吉から頂いた布教を許す旨がかかれた手紙を扁額にしたものがかかっています。
日蓮宗は一時期布教を禁じられた時期がありましたが、布教が許されるようになって、
布教ができる喜びを京都中に知らせるため、その時の許状を扁額にしたものが仁王門に掲げられているそうです。
拝観料は600円です。
本堂と数点の展示物があるのみです。
写真撮影は禁止です。
看板にかかっていた宗達の「牛図」です。
琳派らしい、下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」という技法を使っています。
牛が解き放たれて、躍動する筋肉の表現が素晴らしいです。
この一点だけを見るのに、600円は高いなぁと思いますが、見られてよかったです。
牛図は二幅あって、牛が立っているものと、もう1つは牛が座っているものがあります。
二幅いっぺんに見たいですが、一幅ずつの展示となっています。
牛図は2月12日以降に展示替えを行うそうで、座っている牛図が後半は見られるようです。
頂妙寺の山門をくぐって右側に、お墓があります。
その中に宗達のお墓があります。
墓石に「俵屋宗達」などの文字がないのでよくわからないそうです。
お墓の下に看板が置かれていました。
あくまで伝・俵屋宗達の墓とのこと。
俵屋宗達は生まれた年も、亡くなった年もわかっていません。
慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期の画家です。
「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で見てみたい作品は他にもあるのですが、
1ヶ所600円は高いなぁ。
団体客も訪れいて、客足は盛況でした。
3月18日までの公開となっています。
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
京都では、「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が行なわれていて、琳派関係の文化財が伝わるお寺のいくつかが公開されています。
その中に、以前から見たいと思っていた俵屋宗達の「牛図」が見られるとあって、頂妙寺に行くことに。
寒いですが、天気がよくて行楽には絶好です。
頂妙寺の山門です。
頂妙寺の前の通りは、仁王門通りとなっていますが、
ここ頂妙寺の仁王門にちなんで名付けられた道です。
山門の傍らには、第49回 京の冬の旅の看板が掲げられていました。
寺社内に入ると正面に仁王門が見えてきます。
仁王門とゆうと、両端に金剛力士像が立っているのが一般的ですが、
頂妙寺の仁王門は、向かって左側に多聞天、向かって右側に持国天が立っています。
網目越しなので見にくいですが、快慶作(伝)とされていて、なかなかの迫力です。
仁王門の上には、豊臣秀吉から頂いた布教を許す旨がかかれた手紙を扁額にしたものがかかっています。
日蓮宗は一時期布教を禁じられた時期がありましたが、布教が許されるようになって、
布教ができる喜びを京都中に知らせるため、その時の許状を扁額にしたものが仁王門に掲げられているそうです。
拝観料は600円です。
本堂と数点の展示物があるのみです。
写真撮影は禁止です。
看板にかかっていた宗達の「牛図」です。
琳派らしい、下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」という技法を使っています。
牛が解き放たれて、躍動する筋肉の表現が素晴らしいです。
この一点だけを見るのに、600円は高いなぁと思いますが、見られてよかったです。
牛図は二幅あって、牛が立っているものと、もう1つは牛が座っているものがあります。
二幅いっぺんに見たいですが、一幅ずつの展示となっています。
牛図は2月12日以降に展示替えを行うそうで、座っている牛図が後半は見られるようです。
頂妙寺の山門をくぐって右側に、お墓があります。
その中に宗達のお墓があります。
墓石に「俵屋宗達」などの文字がないのでよくわからないそうです。
お墓の下に看板が置かれていました。
あくまで伝・俵屋宗達の墓とのこと。
俵屋宗達は生まれた年も、亡くなった年もわかっていません。
慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期の画家です。
「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で見てみたい作品は他にもあるのですが、
1ヶ所600円は高いなぁ。
団体客も訪れいて、客足は盛況でした。
3月18日までの公開となっています。
飛騨高山・白川郷ライトアップ・金沢 [日本]
2015年1月31日(土)雪
雪景色を堪能したくて、一泊二日のツアーに行きます。
雪の時分の旅行は、トラブルも多いです。
高速道路で2ヶ所、多重クラッシュがあって下道に降りるかもと添乗員さんがゆうてましたが、
先に走っていたドライバーからの情報で、たいした渋滞でないと分かって、そのまま高速を走りました。
このへんは、添乗員とドライバーの判断なので、今回はラッキーでした。
予定通り、最初の観光地 飛騨高山に到着。
高山は一度来たことがあるので、みんなが行くところとは別のところに行ってみました。
吉島家住宅です。
名工といわれた西田伊三郎の手によって、1907(明治40)年に竣工しました。
当時はすでに幕府の禁制はなく、江戸時代の豪商の夢が表現されている建物です。
日下部民藝館です。
日下部家は天領時代屈指の商家で、屋号は谷屋といい、
代々御用商人として両替家を営んでいました。
宮地家住宅です。
明治8年の大火の後すぐに立てられた高山の標準的な町家です。
軒が低く、細長い間取りで道路側から主屋、中庭、土蔵と並んでいます。
かつては越中街道に面していて米屋、酒屋などの商売を営みながら農業も行っていました。
桜山八幡宮です。
秋の例祭は、高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに数えられています。
時間が余ったので、観光客が集まるところも覗いてみました。
普段は、もっと人が少ないそうですが、白川郷のライトアップの時間調整に訪れる人が多いそうです。
雪吊りが綺麗です。
小腹がすいたので、串焼き屋でちょいとつまみました。
飛騨牛です。甘味があって美味しいです。
イイダコです。
こちらは、いたって普通です。
ここから、今回の旅のメイン、白川郷に向かいます。
駐車場は予約制で、バスは1日100台限定になっています。
とゆうても100台ですので、渋滞が激しいです。
17時になると村がライトアップされます。
まだ、駐車場に着く前です
早めに高山を出たのですが、それでもかなり時間がかかりました。
90分の散策時間をもらいました。
雪がけっこう降っていたので、展望台からの眺めは諦めて村の中を見てまわります。
ところどころにオブジェがあって、綺麗です。
重要文化財になっている「和田家」です。
バス100台限定ちゅうても、ざっと4000人ですから、人が多いです。
人が入っていない写真を撮るのは、なかなか難しいです。
まあ、雰囲気を楽しみましょう。
奥のほうの家には、人が少ないです。
私は、スノーブーツを履いていったので、かなりの雪深いところでも行けます。
雪の降りが、だんだんと激しくなってきました。
フラッシュをたくと、こんな感じです。
フラッシュなしだと、吹雪いているのがよく分かります。
明善寺です。
ここは、民宿になっています。
白川郷には何軒か民宿がありますが、1泊2万円以上はするそうです。
小さなオブジェをパチリ。
あっとゆうまの90分でした。
気温は氷点下ですので、防寒と足元はしっかり対策をしていって下さい。
早めに、白川郷に着いたので、出るときは渋滞に巻き込まれませんでした。
宿のある金沢に向かいます。
バス車中でお弁当をいただきました。
高山の串焼き屋のおじさんが、金沢ならおでんがお薦めとゆうていたので、
金沢の夜の街に繰り出して何軒か回ったのですが、満員だったりして食べることが出来ませんでした。
残念、次の機会に食べたいです。
2015年2月1日(日)雪
今日も、朝から雪です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
和洋のバイキングでしたが、あんまり洋の物がありませんでした。
10時にホテルを出発して、金沢市内の観光です。
まずは、近江町市場に向かいます。
日曜日で閉まっているいる店も多いです。
食事できるとろこもありますが、朝食を食べたばかりなので、お腹がいっぱいです。
ツアーなので、仕方がないですね。
大阪で買うようりは、安く手に入るようです。
次は、兼六園に向かう予定でしたが、観光客が多いようなので、先にひがし茶屋街へ行くことに。
今回の添乗員さんは、なかなか機転の利く人で、よかったです。
ひがし茶屋街は1820(文政3)年、加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋街です。当時は、上流階級だけが出入りを許された場所で、今でも「一見さんお断り」のお茶屋が多いです。
石畳が綺麗です。
「志摩」です。
1820(文政3)年、茶屋街創設当初に建てられた茶屋建築です。
茶屋建築は、二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。
重要文化財に指定されています。
格子が綺麗です。
金沢、最後の観光は兼六園です。
兼六園は、加賀藩の歴代藩主が長い年月をかけて造成した庭であり、江戸時代の大名庭園の代表格で、日本三名園の一つに数えられています。(あとの二つは、岡山の後楽園と水戸の偕楽園です)
兼六園の名は、六勝からきています。
六勝とは、「宏大・幽邃・蒼古・人力・水泉・眺望」のことで、本来、兼ね備えることが難しい六つの景観があるため、兼六園とゆう名が付いたとされています。
ガイドさんと一緒に巡っていきます。
徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
徽軫灯籠は、形が琴にいと(いとは)を支える駒に似ていることに由来しています。
唐崎松です。
13代藩主斉泰が近江八景の一つ「琵琶湖の唐崎」から種子を取り寄せて育てた黒松です。
兼六園の冬の名物、雪吊りですが、最近は降雪量が減って、雪をかぶった風景はなかなか見られません。
一番寒い時期を選んだのですが、それでもあきませんでした。
日本武尊の像です。5.5mの銅像です。
台石のところが、蛇やカエルの形になっています。
この像には鳥が近づかないのですが、銅像の成分に微量のヒ素が含まれているからだそうです。
根上松です。
13代藩主斉泰が盛り上げた土に若松を植え、成長後に土を取り除いて根をあらわにしたと伝えられています。大小40数本の根が地上2mくらいまでせり上がっています。
霞ケ池と内橋亭です。
霞ケ池は、1837(天保8)年に掘り広げられた池で、広さは5800平方メートルあります。
いったん、ガイドさんの説明は終わって、自由時間です。
私は、もう一周してみます。
雁行橋です。
雁が夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の戸室石で表現する橋です。
石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれています。
梅林がありました。
まだ、花は咲いていませんでしたが、蕾は雪にまけじと膨らんでいました。
瓢池です。
かつて蓮池庭と呼ばれた兼六園発祥の地にあります。
瓢箪の形をした池には、6.6mの落差がある翠滝を経て、霞ケ池の水が注がれています。
瓢箪の形をしているので、後に瓢池となったそうです。
夕顔亭です。
1774(安永3)年に建てられた当時の姿を今に伝える茶亭です。
本席は小間ながら本格的な茶事を催せるようになっています。
黄門橋です。
上下2枚の石を重ねたように1枚の石を立体的に加工した橋です。
長さは6mです。
ここでゆう黄門は、中納言の官位を持っていた3代藩主利常を指しています。
噴水です。
日本最古と伝わる噴水です。
「逆サイフォンの原理」が使われており、噴水よりも高い場所にある霞ケ池から水を引き、高さ3.5mまで噴き上げています。
石川門です。
三十門長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。
白く輝いている屋根は、鉛瓦です。
今回は時間がなくて、眺めるだけです。
帰りの高速も、渋滞や速度制限、チェーン規制もなく、スムーズに帰ってこられました。
予定よりも1時間半くらい早く、大阪に着きました。
金沢は、まだ見てみたいところがあって、また訪れてみたいです。
雪景色を堪能したくて、一泊二日のツアーに行きます。
雪の時分の旅行は、トラブルも多いです。
高速道路で2ヶ所、多重クラッシュがあって下道に降りるかもと添乗員さんがゆうてましたが、
先に走っていたドライバーからの情報で、たいした渋滞でないと分かって、そのまま高速を走りました。
このへんは、添乗員とドライバーの判断なので、今回はラッキーでした。
予定通り、最初の観光地 飛騨高山に到着。
高山は一度来たことがあるので、みんなが行くところとは別のところに行ってみました。
吉島家住宅です。
名工といわれた西田伊三郎の手によって、1907(明治40)年に竣工しました。
当時はすでに幕府の禁制はなく、江戸時代の豪商の夢が表現されている建物です。
日下部民藝館です。
日下部家は天領時代屈指の商家で、屋号は谷屋といい、
代々御用商人として両替家を営んでいました。
宮地家住宅です。
明治8年の大火の後すぐに立てられた高山の標準的な町家です。
軒が低く、細長い間取りで道路側から主屋、中庭、土蔵と並んでいます。
かつては越中街道に面していて米屋、酒屋などの商売を営みながら農業も行っていました。
桜山八幡宮です。
秋の例祭は、高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに数えられています。
時間が余ったので、観光客が集まるところも覗いてみました。
普段は、もっと人が少ないそうですが、白川郷のライトアップの時間調整に訪れる人が多いそうです。
雪吊りが綺麗です。
小腹がすいたので、串焼き屋でちょいとつまみました。
飛騨牛です。甘味があって美味しいです。
イイダコです。
こちらは、いたって普通です。
ここから、今回の旅のメイン、白川郷に向かいます。
駐車場は予約制で、バスは1日100台限定になっています。
とゆうても100台ですので、渋滞が激しいです。
17時になると村がライトアップされます。
まだ、駐車場に着く前です
早めに高山を出たのですが、それでもかなり時間がかかりました。
90分の散策時間をもらいました。
雪がけっこう降っていたので、展望台からの眺めは諦めて村の中を見てまわります。
ところどころにオブジェがあって、綺麗です。
重要文化財になっている「和田家」です。
バス100台限定ちゅうても、ざっと4000人ですから、人が多いです。
人が入っていない写真を撮るのは、なかなか難しいです。
まあ、雰囲気を楽しみましょう。
奥のほうの家には、人が少ないです。
私は、スノーブーツを履いていったので、かなりの雪深いところでも行けます。
雪の降りが、だんだんと激しくなってきました。
フラッシュをたくと、こんな感じです。
フラッシュなしだと、吹雪いているのがよく分かります。
明善寺です。
ここは、民宿になっています。
白川郷には何軒か民宿がありますが、1泊2万円以上はするそうです。
小さなオブジェをパチリ。
あっとゆうまの90分でした。
気温は氷点下ですので、防寒と足元はしっかり対策をしていって下さい。
早めに、白川郷に着いたので、出るときは渋滞に巻き込まれませんでした。
宿のある金沢に向かいます。
バス車中でお弁当をいただきました。
高山の串焼き屋のおじさんが、金沢ならおでんがお薦めとゆうていたので、
金沢の夜の街に繰り出して何軒か回ったのですが、満員だったりして食べることが出来ませんでした。
残念、次の機会に食べたいです。
2015年2月1日(日)雪
今日も、朝から雪です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
和洋のバイキングでしたが、あんまり洋の物がありませんでした。
10時にホテルを出発して、金沢市内の観光です。
まずは、近江町市場に向かいます。
日曜日で閉まっているいる店も多いです。
食事できるとろこもありますが、朝食を食べたばかりなので、お腹がいっぱいです。
ツアーなので、仕方がないですね。
大阪で買うようりは、安く手に入るようです。
次は、兼六園に向かう予定でしたが、観光客が多いようなので、先にひがし茶屋街へ行くことに。
今回の添乗員さんは、なかなか機転の利く人で、よかったです。
ひがし茶屋街は1820(文政3)年、加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋街です。当時は、上流階級だけが出入りを許された場所で、今でも「一見さんお断り」のお茶屋が多いです。
石畳が綺麗です。
「志摩」です。
1820(文政3)年、茶屋街創設当初に建てられた茶屋建築です。
茶屋建築は、二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。
重要文化財に指定されています。
格子が綺麗です。
金沢、最後の観光は兼六園です。
兼六園は、加賀藩の歴代藩主が長い年月をかけて造成した庭であり、江戸時代の大名庭園の代表格で、日本三名園の一つに数えられています。(あとの二つは、岡山の後楽園と水戸の偕楽園です)
兼六園の名は、六勝からきています。
六勝とは、「宏大・幽邃・蒼古・人力・水泉・眺望」のことで、本来、兼ね備えることが難しい六つの景観があるため、兼六園とゆう名が付いたとされています。
ガイドさんと一緒に巡っていきます。
徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
徽軫灯籠は、形が琴にいと(いとは)を支える駒に似ていることに由来しています。
唐崎松です。
13代藩主斉泰が近江八景の一つ「琵琶湖の唐崎」から種子を取り寄せて育てた黒松です。
兼六園の冬の名物、雪吊りですが、最近は降雪量が減って、雪をかぶった風景はなかなか見られません。
一番寒い時期を選んだのですが、それでもあきませんでした。
日本武尊の像です。5.5mの銅像です。
台石のところが、蛇やカエルの形になっています。
この像には鳥が近づかないのですが、銅像の成分に微量のヒ素が含まれているからだそうです。
根上松です。
13代藩主斉泰が盛り上げた土に若松を植え、成長後に土を取り除いて根をあらわにしたと伝えられています。大小40数本の根が地上2mくらいまでせり上がっています。
霞ケ池と内橋亭です。
霞ケ池は、1837(天保8)年に掘り広げられた池で、広さは5800平方メートルあります。
いったん、ガイドさんの説明は終わって、自由時間です。
私は、もう一周してみます。
雁行橋です。
雁が夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の戸室石で表現する橋です。
石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれています。
梅林がありました。
まだ、花は咲いていませんでしたが、蕾は雪にまけじと膨らんでいました。
瓢池です。
かつて蓮池庭と呼ばれた兼六園発祥の地にあります。
瓢箪の形をした池には、6.6mの落差がある翠滝を経て、霞ケ池の水が注がれています。
瓢箪の形をしているので、後に瓢池となったそうです。
夕顔亭です。
1774(安永3)年に建てられた当時の姿を今に伝える茶亭です。
本席は小間ながら本格的な茶事を催せるようになっています。
黄門橋です。
上下2枚の石を重ねたように1枚の石を立体的に加工した橋です。
長さは6mです。
ここでゆう黄門は、中納言の官位を持っていた3代藩主利常を指しています。
噴水です。
日本最古と伝わる噴水です。
「逆サイフォンの原理」が使われており、噴水よりも高い場所にある霞ケ池から水を引き、高さ3.5mまで噴き上げています。
石川門です。
三十門長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。
白く輝いている屋根は、鉛瓦です。
今回は時間がなくて、眺めるだけです。
帰りの高速も、渋滞や速度制限、チェーン規制もなく、スムーズに帰ってこられました。
予定よりも1時間半くらい早く、大阪に着きました。
金沢は、まだ見てみたいところがあって、また訪れてみたいです。