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タシケント~大阪移動(飛行機) [ウズベキスタン]

2011年1月19日(水)タシケント曇 大阪曇

7時のフライトなので、3時半起床です。

4時40分チェックアウト。
早朝なのでお弁当をもらいました。

15分ほどでタシケント空港に到着。
なぜか出発ロビーの前までは、車をつけることが出来ません。

帰りもウズベキスタン航空です。チェックインカウンターは1箇所しかありません。
そんなに乗客は多くないですが、時間がかかります。

税関では、入国時に書いた税関申告書と出国時に書く税関申告書の2枚が必要になります。
入国時より所持金が増えていると没収される可能性があります。

他の3人はすんなりとパスしたのですが、私の顔はウズベクではやっぱり怪しく見えるのか別室に連れていかれて、所持金から持ち物まで検査です。

お土産なんかも、いちいち封を開けて出してみて、これは何やと質問されます。短気を起こしてもしゃあないので愛想笑いをして、荷物を半分くらい検査してようやく堪忍してもらいました。

実は、銀行で米ドルを下ろして思ったより使わなくて、入国時よりドルが多くなっていました。シュンコルさんのアドバイスで、他の人に分散して持ってもらっていたので助かりました。一人旅やと、そうゆうことも出来なくて没収されていたかもしれません。

そのあとパスポートコントロールです。
これはすんなりとパスしました。

それからまた安全検査があって、1時間半くらいかかって、ようやく搭乗ゲートへ。すぐに搭乗が始まります。来るときガラガラやったんで、帰りも空いてるかなと思っていましたが、ほぼ満席です。

機内食でもプロフが出ました。
レストランで食べたプロフには、かなうはずもないですが、ウズベクらしくていいです。

隣に座っていた女性は日本人だったのですが、ウズベクの人と結婚式を挙げるためにやってきたとゆうてました。最近の日本人の若い男性は草食系が多いですが、シュンコルさんに聞くとウズベクの男性は肉食系で、そんなところが魅力に感じるのかもしれません。国際結婚は大変なところもあると思いますが、お幸せに。


18時45分(日本との時差はプラス4時間)、成田に到着。

成田でいったん降機します。
ちょっと、乗り換えゲートが分かりにくかったです。

成田を19時55分に出発して、関空には21時45分に到着。
成田~関空って結構時間がかかるんですね。伊丹~羽田と同じくらいやと思っていました。この飛行機は、そのままタシケントまで飛んでいきます。

24時半くらいに自宅に到着しました。


ウズベキスタンを知らへん日本人は多いと思います。名前は知っていても、治安が悪い国と思っている人もいてると思います。

青の魅力に惹かれて旅しましたが、思っていた以上に美しく、治安もよく食事も美味しくて、また訪れたい国です。日本人の観光客は、まだまだ少ないとゆうてました。

シルクロードやイスラーム建築に興味のある方なら、きっと気に入ってもらえると思います。そうでない人でも、あの建物や町を見れば綺麗なと思うでしょう。機会があれば、是非訪れてみて下さい。


タシケント観光 [ウズベキスタン]

2011年1月18日(火)サマルカンド雪 タシケント曇

昨日のお昼に食べたプロフが悪かったのか、女性3人はダウンで、ジジィ一人だけ元気です。
たぶん食べすぎがあかんかったんやと思います。ウズベク料理美味しいですが、食べすぎには注意しましょう。

サマルカンドからタシケントまで車で移動です。約275kmの移動です。
雪道とゆうよりアイスバーン状態になっていて、スピードが出せません。

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高速道路のようなところを走りましたが、高速道路ではありません。ウズベクには高速道路はないそうです。

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タシケントが近づくと雪もなく景色は変わって、穀倉地帯のところを走って、ウズベクが農業が盛んとゆうのが分かります。綿花の栽培が盛んなのですが、二重内陸国のため輸出にするには費用がかかりすぎとのことです。港って重要やねんなと改めて感じました。

5時間半かかって、タシケントに到着。

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まずは、スーパーマーケットで買い物です。
ツアーでは、バザールへの案内となっていましたが、スーパーのほうが買物がしやすいし、賞味期限などもきっちりしていて安心して買えるからとゆうことでスーパーで買物します。

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それから地下鉄に乗ります。
駅構内で警察官に呼び止められて、パスポートを要求されました。帽子を被っていたのとウエストバッグが怪しく見えたのかもしれません。シュンコルさんがいてたから、なんなくやり過ごしましたが、一人だと金品を要求されたりとゆうこともあるかもしれません。とにかくパスポートは必携です。

地下鉄駅構内だけではなく地下鉄に下りる階段から、もう写真撮影禁止です。ここまで厳しい禁止は初めてみました。地下に下りる階段のところにも警察官が立っています。有事のときにシェルターとして利用するからとゆうのが、写真撮影禁止の理由です。

いったんホテルにチェックインしてから昼食へ。

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キムチが入っていて韓国バージョンのラグマンです。
ピリ辛で美味しいです。

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それからチョルスー・バザールへ。ごっつう大きいバザールです。地元の人もぎょうさん買物に来ています。梨が一個100円、卵1個11円と結構高いです。ウズベクの物価は思っていたより高いです。

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ラグマンをつくる麺もいろんな種類があります。

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ナヴォイ・オペラ・バレエ劇場です。
1947年に完成した1500人収容の劇場です。第二次世界大戦後、タシケントに抑留されていた旧日本兵などの抑留者に強制労働で造らせた建物の一つです。地震のときにもびくともしなかったと褒められますが、過酷な労働を強いられた日本人のことを考えると複雑な気持ちです。

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劇場の前には噴水があります。
今はオフシーズンで水は出ていませんでした。ウズベクのシンボル、綿花の花を模った噴水です。

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ホテルは、ティムール広場の前にあるウズベキスタンです。
ウズベクではネットが使えるホテルは少ないですが、さすが首都だけあってWiFiが使えます。ロビーでの利用は無料です。

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ホテル周辺の風景です。

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タシケントの夜景は綺麗ですが、シュンコルさんには夜は出歩かないように言われました。また夜景を見たりする習慣もないようです。

ツアーの終わりは、いつも日本に帰りたくなくて切ない気持ちになります。


サマルカンド観光 [ウズベキスタン]

2011年1月17日(月)雪後曇

一番楽しみにしていたサマルカンドの観光ですが、雪が降っています。
雪のサマルカンドも、そうそう見られるもんやないと思って観光します。

シャーヒズィンダ廟群に行きます。
ここはティムールゆかりの女性が眠る霊廟が並んでいます。シャーヒズィンダとは、生ける王とゆう意味です。

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入口の門をくぐると、すぐに階段があります。
階段の数を数えて、数が合っていると天国にいけるそうです。

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霊廟がずらりと並んでいます。
青いタイルが非常に美しいです。

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霊廟の中も綺麗です。
ライトアップされている霊廟と、されていない霊廟もあります。

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廟からウズベクの民間人のお墓を通って、アフラシャブの丘へ。
雪が積もっていて、ただの丘にしか見えませんが、かつてはここに町がありました。モンゴルの来襲によって破壊されました。

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そのアフラシャブの丘の麓にある博物館です。
雪がなければ、こんな風に町の跡が見られます。

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ウルグベク天文台跡です。
隣に博物館があるのですが、雪の影響で停電していました。私が持っていた小さなライトを使って、シュンコルさんに説明してもらいました。

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六分儀の遺構です。
かつては、この六分儀は地上部分の11mと合わせて40mの高さがあったのですが、ウルグベクの死後保守的なイスラーム教徒によって破壊されてしまいました。この遺構は地下にあったため、破壊を免れたものです。

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グリ・アミール廟です。
グリ・アミールとはタジク語で、支配者の墓とゆう意味です。ティムールをはじめ、彼の息子たちが眠る霊廟です。

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霊廟内は金がふんだんに使われていて、豪華です。金3kgが使われたそうです。

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ティムールのお墓は、真ん中の黒緑色の軟玉で造られています。
その周りには、息子や孫、ティムールの先生のお墓が並んでいます。これらは墓の位置を印した墓石で亡骸は地下3mのところに葬られています。

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昼食はホテルのレストランです。
メインは大盛のプロフです。ニンジンがたっぷり乗っていて美味しいです。

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サマルカンド、いやウズベクを代表する風景とゆうてもええでしょう。
レギスタン広場です。レギスタンとは、砂地とゆう意味です。私はこの風景を見て、ウズベクに行きたくなりました。曇っていて青の色がいまいちですが、それでも溜息が出るような美しさで感動します。ウズベクに来て、よかったー!

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レギスタン広場には3つの建物があります。一つずつ見ていきます。
17年の歳月をかけて1636年に完成したシェルドル・メドレセです。シェルドルとは、ライオンが描かれたとゆう意味です。ライオンちゅうよりも虎に見えますが・・・。ブハラのメドレセ同様、偶像崇拝を否定するイスラームの教義に反して描かれたので、物議をかもしたことでしょう。

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中庭から見上げたドームです。
微妙な色使いのタイルが綺麗です。

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ウルグベク・メドレセです。
1420年に建てられた神学校です。レギスタン広場では最も古い建築物です。

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中庭です。
ウルグベクは、自身が天文学者であったように、学芸を振興し自らも教壇にも立ったといわれています。ウルグベクの銅像も建っています。当時の神学生の親は、骨は親のものですが肉は先生のものと考えていて、体罰も厳しかったそうです。

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ウズベクの雪だるまは、3段重ねです。
鼻に土で色をつけていて、芸が細かいです。

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最後はティラカリ・メドレセです。
1660年に建てられた神学校です。他の二つとは異なり、ミナレットがありません。

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ティラカリとは、金箔されたとゆう意味ですが、その名のとおりまばゆいばかりの装飾です。礼拝所の横には、ソ連の内戦で破壊された時の写真が飾ってあり、内戦の悲惨さが伝わってきます。

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ビビハニム・モスクです。
かつてイスラーム世界で最大の規模を誇ったモスクの跡です。ここも内戦でかなり破壊されました。現在も修復が続いています。

夕食は外のレストランへ。
シュンコルさんが一杯奢ってくれました。彼は気が利いて頭もよくて、ガイドにしとくには勿体ない人物です。本人も長くガイドをするつもりはないとゆうてましたが、日本とウズベクの架け橋になってくれたらええなと思います。

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サマルカンドのナンは美味しいと評判です。
サラダも毎回違った種類のサラダが出てきて、そしてまた美味しいです。

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餃子が入ったスープ、チュチュヴァラ(ペリメニ)が出てきました。

生ビールを飲みましたが、甘い味がついていて美味しくなかったです。
ウズベクでは、Sarbastとゆうビールがよく飲まれています。味は軽くて薄いですが、美味しいです。飲むなら瓶ビールのほうがええと思います。


シャフリサーブス観光 [ウズベキスタン]

2011年1月16日(日)ブハラ曇 サマルカンド曇

今日も長い移動で、ブハラからサマルカンドまで移動です。約300kmの走行です。

その途中にあるシャフリサーブスに着いて、まずは昼食です。
家庭料理レストランで、これまた看板の出ていないレストランです。

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マスタヴァ(米の入ったトマト味のスープ)が出ていましたが、町のレストランで食べるともっと油っこいそうです。美味しいスープです。

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メインはマントウです。
肉饅頭からきた名前です。羊肉が入っています。

それから観光です。
道中もそうでしたが、だいぶ雪が積もっています。でも今日は寒くないです。

シャフリサーブスは、ティムールが生まれた町です。

ブハラのハーンが、サマルカンドと戦争したくてやってきたのですが、サマルカンドと勘違いしてシャフリサーブスの町を破壊して、建築物が壊されてしまいました。

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アク・サライ宮殿跡です。
アク・サライは白い宮殿とゆう意味ですが、実際は青と金色のタイルで装飾されていました。白は高貴なとゆう意味があり、この名で呼ばれたようです。

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青いタイルが残っていて、昔日の姿を思い起こさせてくれます。
現在残っているアーチの高さは38mですが、壊される前は上部がつながっていて50m以上の高さがあったそうです。

アーチは上ることが出来ます。

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シャフリサーブスの町並や、遠くの山が見渡せます。
山は雪化粧していて、美しいです。

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ティムール像です。
ティムールは、今でもウズベクの英雄です。この日は日曜日とゆうこともあり、ウズベクの観光客や結婚の記念撮影に来ているカップルも多かったです。

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コク・グンバス・モスクです。

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モスクの中は、下はタイルで上はフレスコ画となっています。フレスコ画で出来ているのでタイルほど重厚な感じはしませんが、これはこれで綺麗です。

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ジャハンギール廟です。
ティムールが22歳の若さで戦士した長男のために建てた廟です。独特の形が面白いです。右側の建物はハズラティ・イマーム・モスクです。

シャフリサーブスからサマルカンドへ向かいます。
乗用車は2000m級の山越えが出来るのですが、バンはあかんそうです。少し遠回りの道を走ります。

それでも早くて2時間で、ホテルに到着。またアジア系のホテルで、アジア・サマルカンドです。住宅街の真ん中にあるホテルです。

夕食はホテルのレストランです。

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ボルシチとビーフストロガノフです。どちらもロシア料理ですが、さて本家とどっちが美味しいでしょうか。

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デザートはチャクチャクです。小麦粉を揚げて蜂蜜で固めたものです。
そんなに甘くなくて、日本のお菓子のようです。


ブハラ観光 [ウズベキスタン]

2011年1月15日(土)晴

今日は1日ブハラの観光です。

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まずはホテルから歩いて、ラビハウズへ。
ハウズは池のことです。オンシーズンなら、この周りにあるチャイハナなど賑わっているのでしょうが、オフシーズンで閑散としています。ヒヴァ同様、貸切状態での観光です。

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ナディール・ディヴァンベギ・メドレセです。
1622年にナディール・ディヴァンベギによって建てられた神学校です。

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驚くのは、メドレセに絵が描かれていることです。
偶像崇拝を否定するイスラームの教義に反することですから、当時の人々はビックリしたことやと思います。

2羽の鳳凰が爪で白い鹿をつかんで、太陽に向かって飛んでいます。太陽の真ん中には顔が描かれています。悪いことをしても、神様は見ているよとゆう意味が含まれています。当時の人はその説明で納得したのでしょうか。まあ納得したのでしょう。納得していなかったら、取り壊されていたかもしれません。


ここでいったんホテルに戻って銀行に行きます。
みんな、手持ちのドルが少なくなってきたとゆうより、最初から持ってきていなかったです。オンシーズンなら両替屋で日本円が両替できるようですが、オフシーズンで閉まっています。

私は空港のATMで下ろせばええと考えていたのですが、ATMはありませんでした。町中でもATMは見かけることがなかったです。タシケントでは探せばあるかもしれませんが・・・。

使えるカードはVISAとAMEXです。Masterは使えません。ウズベクの他の町でも同様です。
ビザデビッドはどうかなと思ったのですが、使えました。なかなかやるやんビザデビッド。

もらえるお金は米ドルです。手数料が3%かかります。
利用時にはパスポートの原本と、パスポートとカードのコピーを提出しないといけません。用意のええ人は、予めコピーを持って並んでいます。私たちは、ホテルのフロントでコピーしてもらいました。コピー代は500Cymでした。シュンコルさんがいてたので、すんなりとお金を下ろすことが出来ましたが、一人で行くとなると分かりにくいシステムです。英語が通じるかどうかも分かりませんし・・・。

手数料がかかるので、日本でドルを買うて持ってきたほうが安くつくと思いますし、銀行も小さな町ではないので多めに米ドルを持ってくるのをお勧めします。

後ろに並んでいたおじさんは、いらいらと順番を待っていました。この日本人遅いなと思っていたのでしょう。おじさん、ごめんね。

全員なんとかドルを手に出来て、観光の再開です。

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マゴキ・アッタリ・モスクです。
砂の中に埋もれていたのを、1936年ロシアの考古学者シシュキンによって掘り出されたモスクです。シンプルですが、フォルムが美しいです。

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手作りハサミ屋さんです。
他にもハサミを売っているところはありますが、ここの師匠はハサミ作りの名手として知られています。師匠に会えるのを楽しみしていたのですが、タシケントに出張に行っていて留守でした。残念。

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ハサミの他にも、ナイフなどもええもんが揃っています。
チタンで出来たナイフは切れ味よく、錆びなくて研ぐ必要がないです。1本$100です。買物をするとナイフやハサミに名前や印を、その場で彫ってくれます。

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ミル・アラブ・メドレセです。
1536年にウバイドゥッラー・ハーンの資金で建てられましたが、ハーンが3000人以上のペルシャ人奴隷を売って資金を作ったので、人々の涙と血と悲しみが土台になっていると記録されています。現在も神学校として使われていますので、中の見学は出来ません。

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カラーン・モスクです。
カラーンはタジク語で大きなとゆう意味です。その名のとおり大きなモスクで、1万人の信者が礼拝できました。

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昼食はセルフサービス形式の店です。
サラダは、モロッコのサラダによく似ています。ウズベクの人を見ていると、食べる量は少ないですが、私たちの料理はボリュームがあります。ツアー用に量を多くしているのかもしれません。

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イスマイール・サーマーニ廟です。
892年から943年にかけて造られた、中央アジアに現存する最古のイスラーム建築です。モンゴル来襲で町が壊滅されたとき、マゴキ・アッタリ・モスクと同様、ほとんどが土中に埋もれていて気づかれなかったそうです。

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日干しレンガだけで造られているのですが、さまざまな模様に積み上げられていて、見る角度によってすこしずつ表情変わります。イスラーム建築の美意識には感心させられます。

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イスマイール・サーマーニ廟の周りは、サーマーニ公園になっています。
公園の中に観覧車があるのですが、ゴンドラが素通しになっていて、なんと座席がコーヒーカップのように回ります。5年前にできたとゆう話ですが、とてもそうは見えなくて、ギーギーと軋みながら回転しています。恐るべし、ウズベクの観覧車です。

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バラハウズ・モスクです。
ハーン専用に造られたモスクです。そのせいか装飾が華美になっています。ブハラでは他には見られないアイヴァン様式です。通常は中には入れてもらえないのですが、シュンコルさんが交渉して中に入れてもらえました。女人禁制のモスクで、よく入れてもらえたもんやと思います。このへんはガイドさんの腕ですね。

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バラハウズ・モスクの向かいには、ハーンの居城である、アルク城が聳えています。

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城の中には、謁見の間があります。
謁見した者は、後ろ歩きをして下がったそうです。そうゆう礼儀作法は日本と似ています。

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ここも城の中なのですが、ソ連時代1920年の内戦で破壊された後です。少しだけ城壁とかが残っています。普段は観光客が入らないように警察官が見張っているのですが、シュンコルさんが交渉してお金を払って入れてもらいました。

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破壊された跡を見るのは勉強になりますが、ここからの眺めが素晴らしいです。いつまでも見ていたい風景です。

夕食は、美味しかったので昨夜行ったレストランをリクエストしました。シュンコルさんは機転が利くガイドさんなので了承してくれました。

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いつものようにサラダから始まりますが、サラダも多彩です。米が入ったサラダもあります。
サワークリームのようなものは、ナンにつけて食べます。これがよくナンに合います。

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メインはラグマンです。
昨日と少し違います。ハンバーグがついています。ライスは油で炒めているようです。ケチャップをつけて食べると美味しいです。ハンバーグも美味しいのですが、豚肉を使っていないので少し硬めです。ウズベク料理美味しいのですが、唯一豚肉がないのがちょっと寂しいです。ムスリムでもアルコールを飲む人はいますが、豚肉は絶対に口にしません。口にしないどころか、触ることさえしません。

ウズベク料理は日本人の口にも合うと思いますが、知らない人が多いのでしょう。シュンコルさんは、トルコ料理が世界3大料理に入っているのは解せないとゆうてました。私はトルコ料理も好きですが、確かに甲乙付けがたいです。

最後にシェフが出てきて挨拶してくれました。
みんなで、マザリー(おいしかった)とお礼を言いました。




ヒヴァ~ブハラ移動(自動車) [ウズベキスタン]

2011年1月14日(金)ヒヴァ曇 ブハラ晴

今日はヒヴァからブハラまで移動です。
今回のツアーはヒヴァ、ブハラ、サマルカンド、タシケントと巡るツアーで見所も多いですが、その分移動も多いです。

9時にチェックアウトして、出発です。
車は新車で、ヒュンダイの車です。

ヒヴァからブハラまで500kmのドライブです。
道はかなり荒れていて飛ばすことが出来ません。

デコボコの上、右に左にハンドルを切るのでかなり揺れます。
そのせいで、シュンコルさんは車酔いしてしまって、かなり苦しそうです。

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鉄道と車両の橋が一緒になっています。
鉄道の本数が少ないのと建設費用の節約で、このような橋になりました。車は、交互通行になっています。

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車は、キジルクム砂漠をひた走っていきます。
ウズベクの大半は、この砂漠が占めています。ヒヴァやブハラは、砂漠にあるオアシス都市で人為的な努力によって造られた緑地です。

キジルクムは赤い砂とゆう意味です。
砂漠とゆうても、砂ばかりではなく粘土質の荒地からできています。

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アムダリア川です。
この川のおかげで、砂漠でありながら農業が盛んに行われるようになりました。

5時間くらい走って、チャイハナで昼食です。チャイハナは日本の喫茶店にあたります。
全然動いてないので、お腹が空いていません。

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ラグマンは中央アジア風のうどんです。トマト味のスープです。ちょっと油っこいですが美味しいです。

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シャシリク(シシケバブ)は、タマネギを乗せて食べるのがウズベク式です。

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それからさらに3時間半走って、ブハラに到着。
ブハラはオアシスで出来た町とは思えないような都会です。冬は陽が短く、17時半くらいで夕焼けです。

ホテルにチェックインです。
ホテルはアジア・ブハラです。4つ星ホテルです。4つ星ホテルだけあって、ちゃんと暖房が効いています。部屋も広くて綺麗です。

夕食は外のレストランに行きます。
看板も出ていないレストランで、これもツアーのええとこです。個人ではレストランとゆうことすら分からないです。

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ナンは、ウズベクのソウルフードともゆうべきものですが、それぞれの地方で違います。ここのナンは、ふっくらとしています。

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ラグマンです。
昼食はスープが入ったラグマンでしたが、こちらは焼きうどん風です。油は綿花油を使っています。日本でも売れるんちゃうかと思うくらい美味しいです。

ビールはTUBORG(デンマークのビール)ですが、ウズべクで国内生産しています。たぶんライセンス契約をしているのだと思います。$4です。


ヒヴァ観光 [ウズベキスタン]

2011年1月13日(木)晴

ガイドのシュンコルさんに両替してもらいました。
$1=1633Cym(スム)です。1000Cym=50円くらいです。だいぶスム安になっています。そのせいか、ウズベクの人もドルを欲しがっていて、ほとんどドルで支払いが出来ます。スムが必要なのは、チップとかトイレ、スーパーでの買物くらいでしょうか。

最高紙幣が1000Cymで、$30でも50枚くらいになるので財布が達磨のようになります。

ヒヴァは中央アジア諸都市の中で、最も完全な形で古い町並みを残していると言われています。

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イチャン・カラ(内城)は、高さ8~10m、厚さ約6m、長さ2250mの城壁に囲まれた町です。
ヒヴァの観光は、ほとんどイチャン・カラの内になります。

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オタ・ダルザヴァ門(西門)から入ります。
門をくぐったとたんに、タイムスリップして、しかも時間が止まったように感じます。

なんでそんなふうに感じるんかなと思ったら、風景もさることながら車が走っていません。昔、営まれていた暮らしがそのまま残っていて、それがそんな風に感じさせるんやと思います。

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西門を入ってすぐのところに、カルタ・ミナルがあります。
1852年に着工しましたが、未完のままで終わってしまいました。完成していれば、70から80mくらいの高さになっていたでしょうが、26mで工事は中断されました。カルタとゆうのは短いとゆう意味です。

まわりは土色の建物が多いですが、その中で青いタイルが使われたミナレットは美しく、そして空の青さと相まって、なんとも言えず綺麗です。

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カルタ・ミナルと並ぶように建っているのが、ムハンマド・アミン・ハーン・メドレセです。
1852年に完成した中央アジアで最も大きな神学校で、最盛期には99人の寄宿学生がいました。1977年からは、ホテルとして使われています。

今は、シーズンオフで観光客が少ないです。
寒いのと店が閉まっているのを除けば、遺跡を一人占めしているようですし、ゆっくり写真も撮れるのでいいです。

キョフナ・アルクに行きます。

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キョフナ・アルクの中にある夏のモスクです。

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タイルや天井の装飾が綺麗です。
イスラームの国は十カ国目の訪問ですが、色使いなどは一番綺麗な国だと思います。

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キョフナ・アルクにあるアイヴァン(三方が壁に囲まれ、一方が開いているテラス)です。
この奥には玉座の間があります。また裁判もここで行われ、裁判官が右側から出れば死刑、真ん中から出れば無罪、左から出れば牢獄行きとなっていたそうです。

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キョフナ・アルクにはアクシェイフ・ババの見張り台があり上ることが出来ます。
見張り台からの眺めは素晴らしいです。

昼食は、イチャン・カラの中のレストランです。
ウズベキスタン料理は、辛くなくて油っこくなくて日本人の舌に合うと思います。

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前菜のサラダです。
ニンジン、豆、キャベツ、パプリカです。ウズベクでは野菜をよく食べます。

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スープはショールヴァです。
寒いのであったかいスープはありがたいです。レストランの中もけっこう寒いです。

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メインはプロフです。
黄色いのはニンジンです。羊肉が乗っています。

レストランではビールも飲めます。
6000Cymと安くはないです。

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イスラーム・ホジャ・ミナレットです。
ヒヴァで一番高いミナレットです。ここも上ることが出来ます。階段は118段。あとで計算したら1段40cm近いです。そのとおり急な階段で、しかも暗い。ジジィパワーを発揮しても、あとで足がふわふわとして力が入らへんようになりました。

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苦労したかいがあって、上からの眺めは最高です。

この町が美しいと思うのは、ウズベク人も一緒で、結婚の記念撮影に来ているカップルが多かったです。昔は冬は寒くて結婚するカップルは少なかったのですが、最近は多いそうです。

ウズベク人の結婚年齢は早くて、男性は20歳前半、女性は10代で結婚する人も多いです。中には大学を辞めて結婚する人も多いです。イスラーム圏なので、ほとんどが見合い結婚です。

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ジュマ・モスクです。
213本の柱があり、柱の彫刻は1本1本違います。天窓から差し込む光が造る陰影が美しいです。このモスクにもミナレットがあり上れますが、イスラーム・ホジャ・ミナレットでジジィパワーが無くなったので上りませんでした。

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タシュ・ハウリ宮殿です。
左側がハーンと4人の妻の部屋で、右側が侍従の部屋になっています。最初はハーンの部屋も妻の部屋も同じように造られたのですが、それが気に入らなくて50cmばかりせり出す形になっています。

ウズベクはイスラームの国ですが、現在は妻は1人しか持てないように法律で決められています。

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それぞれの部屋の天井の装飾は違っていて、見ていて楽しいです。

ホテルに戻って部屋に入ったら暖房が効いていなくて寒いです。
それを係りの人にゆうたら、ちっと舌打ちしています。3つ星ホテルが泣くで。

3つほど部屋を見せてくれて、一番暖房が効いている部屋にしましたが、それでも寒いです。どこの国でも親切な人もおれば、そうでない人もいてます。

夕食はホテルのレストランです。

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サラダとスープ、メインは牛肉とポテトです。これも美味しかったです。

今日はアジア・ホテルのえらいさんのミーティングがあって、その後パーティーです。ホレズム州知事やウブベキスタン航空の支社長など、えらいさんも来ていて、音楽や踊りありと賑やかなパーティーです。

ホテルにATMがあったのでお金を下ろそうと思いましたが、下ろせませんでした。機械が故障しているのか、中にお金が入っていないのか、どっちかは分かりませんでした。


大阪~ヒヴァ(ウズベキスタン)移動 [ウズベキスタン]

2011年1月12日(水)大阪晴 ヒヴァ晴

今回は7泊8日のツアーでウズベキスタンに行きます。

関空発23時10分のフライトです。
航空会社はウズベキスタン航空です。マイルは独自のプログラムになっています。

機内はガラガラです。

機内食は、あんまり美味しくなくて、ウズベク料理は美味しくないのかなと思っていましたが、ええ意味で裏切られて旅行中は美味しい料理が食べられました。

食事を終えて、空いているので座席3つ分で横になって寝るのですが、座席のでこぼこが痛くて2時間くらいしか眠れませんでした。

9時間のフライトで、翌4時10分(日本との時差はマイナス4時間)にタシケント空港に到着。
ウズベキスタンは税関申告が厳しくて、持っている現金はもちろん、カメラやパソコンなども申告しておかないと、出国のときに没収なんてことになりかねないので要注意です。

タシケント空港で現地ガイドと落ち合います。
ガイドは、シュンコルさんです。春を呼ぶと覚えて下さいと言われました。

寛平ちゃんが、アースマラソンでウズベクに来たときに7km一緒に走ったそうです。他にも、ウズベクを知っとこの番組で取り上げたときにもテレビ出演していて、大阪のりんくうタウンにも勉強できていてと、自分自身を日本人と呼んでいて、ウズベクの細川たかしを自認しています。確かによく似ていますが、歌うほうは似ていませんでした。頭がよくてええガイドで、おかげでウズベクの旅が、ええ旅になりました。

ツアーのええとこは、その国の歴史や文化、そして現在の国の姿を詳しく知ることが出来るところです。勉強とゆう意味では、ツアーの方が得るものが大きいです。

それと比べて個人旅行のええとこは、その国の人と触れ合う機会が多いとゆうことです。特に困っているときに出会う人々の親切には感激します。

ツアー参加者は女性3人組と私を含めて4人です。
もっとぎょうさんいてるんかなと思っていたのですが、少人数でよかったです。最高で45人くらいのツアーに参加したことがありましたが、ガイドの案内も聞こえへんくらいで大変でした。

女性3人組の方は、3人ともべっぴんさんですが、みんな独身です。私がもう20歳ほど若かったら、真っ先に名乗りを上げるねんけど、ほんまに今の若い日本人男性は草食系が多いのでしょうか・・・。

タシケントから国内線に乗り継いで、ウルゲンチに向かいます。
ターミナルが分かれているので、いったん外に出ないといけません。

6時50分発で、8時10分にウルゲンチ空港に到着。
送迎車に乗ってヒヴァまで移動して、ホテルに向かいます。

ホテルに向かう車中で、シュンコルさんからウズベキスタンについて教えてもらいます。

1991年9月1日にソビエト連邦から独立した若い国で、国民の40%が16歳以下の若者です。
80%がウズベク人で、6%がロシア、6%が韓国、その他大勢の民族が暮らしています。

韓国人が多い影響で韓国との合弁会社があり、15年前から車を作っています。ウズベクの車は、ほとんどが国産車で、日本車は数えるくらいしか見かけませんでした。1600ccクラスで1台90万円くらいです。

イスラームの国ですが、政教分離でトルコに似たような感じです。黒いベールに覆われた女性は見かけませんし、アルコールも店で販売しています。

ウズベク語と日本語は文法が似ていて、言葉の発想方法も日本語と似ています。ウズベク人にとって日本語の発音もしやすいそうです。シュンコルさんの発音も綺麗な日本語です。大阪で暮らしていたこともあって関西弁も出てきます。

地下資源が豊富で、石油、天然ガス、多くの鉱物が出ます。
食料自給率は100%に近く、あとは技術力さえあれば、もっと成長が期待できます。降雨は少ないですが、中央アジアの大河アムダリヤ川があり、灌漑により農業も盛んです。ただし水道水は塩辛く(ほとんど感じませんでしたが)、ミネラルウォーターを飲料することになります。

ウズベキスタンは世界で2つしかない国の一つです。
それは、2カ国を超えないと海にでられない国、二重内陸国です。もうひとつの国は、リヒテンシュタインです。

DSCF2829.jpg
ホテルは、ヒヴァの遺跡のまん前の、アジア・ヒヴァです。
綺麗なホテルですが、暖房の効きが弱くて寒いです。外気はマイナス2℃くらいです。


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