頂妙寺・俵屋宗達「牛図」 [日本]
2015年2月7日(土)晴
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
京都では、「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が行なわれていて、琳派関係の文化財が伝わるお寺のいくつかが公開されています。
その中に、以前から見たいと思っていた俵屋宗達の「牛図」が見られるとあって、頂妙寺に行くことに。
寒いですが、天気がよくて行楽には絶好です。
頂妙寺の山門です。
頂妙寺の前の通りは、仁王門通りとなっていますが、
ここ頂妙寺の仁王門にちなんで名付けられた道です。
山門の傍らには、第49回 京の冬の旅の看板が掲げられていました。
寺社内に入ると正面に仁王門が見えてきます。
仁王門とゆうと、両端に金剛力士像が立っているのが一般的ですが、
頂妙寺の仁王門は、向かって左側に多聞天、向かって右側に持国天が立っています。
網目越しなので見にくいですが、快慶作(伝)とされていて、なかなかの迫力です。
仁王門の上には、豊臣秀吉から頂いた布教を許す旨がかかれた手紙を扁額にしたものがかかっています。
日蓮宗は一時期布教を禁じられた時期がありましたが、布教が許されるようになって、
布教ができる喜びを京都中に知らせるため、その時の許状を扁額にしたものが仁王門に掲げられているそうです。
拝観料は600円です。
本堂と数点の展示物があるのみです。
写真撮影は禁止です。
看板にかかっていた宗達の「牛図」です。
琳派らしい、下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」という技法を使っています。
牛が解き放たれて、躍動する筋肉の表現が素晴らしいです。
この一点だけを見るのに、600円は高いなぁと思いますが、見られてよかったです。
牛図は二幅あって、牛が立っているものと、もう1つは牛が座っているものがあります。
二幅いっぺんに見たいですが、一幅ずつの展示となっています。
牛図は2月12日以降に展示替えを行うそうで、座っている牛図が後半は見られるようです。
頂妙寺の山門をくぐって右側に、お墓があります。
その中に宗達のお墓があります。
墓石に「俵屋宗達」などの文字がないのでよくわからないそうです。
お墓の下に看板が置かれていました。
あくまで伝・俵屋宗達の墓とのこと。
俵屋宗達は生まれた年も、亡くなった年もわかっていません。
慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期の画家です。
「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で見てみたい作品は他にもあるのですが、
1ヶ所600円は高いなぁ。
団体客も訪れいて、客足は盛況でした。
3月18日までの公開となっています。
今年は、「琳派」という流派が誕生してから400年になります。
京都では、「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」が行なわれていて、琳派関係の文化財が伝わるお寺のいくつかが公開されています。
その中に、以前から見たいと思っていた俵屋宗達の「牛図」が見られるとあって、頂妙寺に行くことに。
寒いですが、天気がよくて行楽には絶好です。
頂妙寺の山門です。
頂妙寺の前の通りは、仁王門通りとなっていますが、
ここ頂妙寺の仁王門にちなんで名付けられた道です。
山門の傍らには、第49回 京の冬の旅の看板が掲げられていました。
寺社内に入ると正面に仁王門が見えてきます。
仁王門とゆうと、両端に金剛力士像が立っているのが一般的ですが、
頂妙寺の仁王門は、向かって左側に多聞天、向かって右側に持国天が立っています。
網目越しなので見にくいですが、快慶作(伝)とされていて、なかなかの迫力です。
仁王門の上には、豊臣秀吉から頂いた布教を許す旨がかかれた手紙を扁額にしたものがかかっています。
日蓮宗は一時期布教を禁じられた時期がありましたが、布教が許されるようになって、
布教ができる喜びを京都中に知らせるため、その時の許状を扁額にしたものが仁王門に掲げられているそうです。
拝観料は600円です。
本堂と数点の展示物があるのみです。
写真撮影は禁止です。
看板にかかっていた宗達の「牛図」です。
琳派らしい、下地が乾かないうちに次の色を落とす「たらしこみ」という技法を使っています。
牛が解き放たれて、躍動する筋肉の表現が素晴らしいです。
この一点だけを見るのに、600円は高いなぁと思いますが、見られてよかったです。
牛図は二幅あって、牛が立っているものと、もう1つは牛が座っているものがあります。
二幅いっぺんに見たいですが、一幅ずつの展示となっています。
牛図は2月12日以降に展示替えを行うそうで、座っている牛図が後半は見られるようです。
頂妙寺の山門をくぐって右側に、お墓があります。
その中に宗達のお墓があります。
墓石に「俵屋宗達」などの文字がないのでよくわからないそうです。
お墓の下に看板が置かれていました。
あくまで伝・俵屋宗達の墓とのこと。
俵屋宗達は生まれた年も、亡くなった年もわかっていません。
慶長から寛永年間に活動した江戸時代初期の画家です。
「第49回 京の冬の旅 非公開文化財特別公開」で見てみたい作品は他にもあるのですが、
1ヶ所600円は高いなぁ。
団体客も訪れいて、客足は盛況でした。
3月18日までの公開となっています。
飛騨高山・白川郷ライトアップ・金沢 [日本]
2015年1月31日(土)雪
雪景色を堪能したくて、一泊二日のツアーに行きます。
雪の時分の旅行は、トラブルも多いです。
高速道路で2ヶ所、多重クラッシュがあって下道に降りるかもと添乗員さんがゆうてましたが、
先に走っていたドライバーからの情報で、たいした渋滞でないと分かって、そのまま高速を走りました。
このへんは、添乗員とドライバーの判断なので、今回はラッキーでした。
予定通り、最初の観光地 飛騨高山に到着。
高山は一度来たことがあるので、みんなが行くところとは別のところに行ってみました。
吉島家住宅です。
名工といわれた西田伊三郎の手によって、1907(明治40)年に竣工しました。
当時はすでに幕府の禁制はなく、江戸時代の豪商の夢が表現されている建物です。
日下部民藝館です。
日下部家は天領時代屈指の商家で、屋号は谷屋といい、
代々御用商人として両替家を営んでいました。
宮地家住宅です。
明治8年の大火の後すぐに立てられた高山の標準的な町家です。
軒が低く、細長い間取りで道路側から主屋、中庭、土蔵と並んでいます。
かつては越中街道に面していて米屋、酒屋などの商売を営みながら農業も行っていました。
桜山八幡宮です。
秋の例祭は、高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに数えられています。
時間が余ったので、観光客が集まるところも覗いてみました。
普段は、もっと人が少ないそうですが、白川郷のライトアップの時間調整に訪れる人が多いそうです。
雪吊りが綺麗です。
小腹がすいたので、串焼き屋でちょいとつまみました。
飛騨牛です。甘味があって美味しいです。
イイダコです。
こちらは、いたって普通です。
ここから、今回の旅のメイン、白川郷に向かいます。
駐車場は予約制で、バスは1日100台限定になっています。
とゆうても100台ですので、渋滞が激しいです。
17時になると村がライトアップされます。
まだ、駐車場に着く前です
早めに高山を出たのですが、それでもかなり時間がかかりました。
90分の散策時間をもらいました。
雪がけっこう降っていたので、展望台からの眺めは諦めて村の中を見てまわります。
ところどころにオブジェがあって、綺麗です。
重要文化財になっている「和田家」です。
バス100台限定ちゅうても、ざっと4000人ですから、人が多いです。
人が入っていない写真を撮るのは、なかなか難しいです。
まあ、雰囲気を楽しみましょう。
奥のほうの家には、人が少ないです。
私は、スノーブーツを履いていったので、かなりの雪深いところでも行けます。
雪の降りが、だんだんと激しくなってきました。
フラッシュをたくと、こんな感じです。
フラッシュなしだと、吹雪いているのがよく分かります。
明善寺です。
ここは、民宿になっています。
白川郷には何軒か民宿がありますが、1泊2万円以上はするそうです。
小さなオブジェをパチリ。
あっとゆうまの90分でした。
気温は氷点下ですので、防寒と足元はしっかり対策をしていって下さい。
早めに、白川郷に着いたので、出るときは渋滞に巻き込まれませんでした。
宿のある金沢に向かいます。
バス車中でお弁当をいただきました。
高山の串焼き屋のおじさんが、金沢ならおでんがお薦めとゆうていたので、
金沢の夜の街に繰り出して何軒か回ったのですが、満員だったりして食べることが出来ませんでした。
残念、次の機会に食べたいです。
2015年2月1日(日)雪
今日も、朝から雪です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
和洋のバイキングでしたが、あんまり洋の物がありませんでした。
10時にホテルを出発して、金沢市内の観光です。
まずは、近江町市場に向かいます。
日曜日で閉まっているいる店も多いです。
食事できるとろこもありますが、朝食を食べたばかりなので、お腹がいっぱいです。
ツアーなので、仕方がないですね。
大阪で買うようりは、安く手に入るようです。
次は、兼六園に向かう予定でしたが、観光客が多いようなので、先にひがし茶屋街へ行くことに。
今回の添乗員さんは、なかなか機転の利く人で、よかったです。
ひがし茶屋街は1820(文政3)年、加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋街です。当時は、上流階級だけが出入りを許された場所で、今でも「一見さんお断り」のお茶屋が多いです。
石畳が綺麗です。
「志摩」です。
1820(文政3)年、茶屋街創設当初に建てられた茶屋建築です。
茶屋建築は、二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。
重要文化財に指定されています。
格子が綺麗です。
金沢、最後の観光は兼六園です。
兼六園は、加賀藩の歴代藩主が長い年月をかけて造成した庭であり、江戸時代の大名庭園の代表格で、日本三名園の一つに数えられています。(あとの二つは、岡山の後楽園と水戸の偕楽園です)
兼六園の名は、六勝からきています。
六勝とは、「宏大・幽邃・蒼古・人力・水泉・眺望」のことで、本来、兼ね備えることが難しい六つの景観があるため、兼六園とゆう名が付いたとされています。
ガイドさんと一緒に巡っていきます。
徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
徽軫灯籠は、形が琴にいと(いとは)を支える駒に似ていることに由来しています。
唐崎松です。
13代藩主斉泰が近江八景の一つ「琵琶湖の唐崎」から種子を取り寄せて育てた黒松です。
兼六園の冬の名物、雪吊りですが、最近は降雪量が減って、雪をかぶった風景はなかなか見られません。
一番寒い時期を選んだのですが、それでもあきませんでした。
日本武尊の像です。5.5mの銅像です。
台石のところが、蛇やカエルの形になっています。
この像には鳥が近づかないのですが、銅像の成分に微量のヒ素が含まれているからだそうです。
根上松です。
13代藩主斉泰が盛り上げた土に若松を植え、成長後に土を取り除いて根をあらわにしたと伝えられています。大小40数本の根が地上2mくらいまでせり上がっています。
霞ケ池と内橋亭です。
霞ケ池は、1837(天保8)年に掘り広げられた池で、広さは5800平方メートルあります。
いったん、ガイドさんの説明は終わって、自由時間です。
私は、もう一周してみます。
雁行橋です。
雁が夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の戸室石で表現する橋です。
石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれています。
梅林がありました。
まだ、花は咲いていませんでしたが、蕾は雪にまけじと膨らんでいました。
瓢池です。
かつて蓮池庭と呼ばれた兼六園発祥の地にあります。
瓢箪の形をした池には、6.6mの落差がある翠滝を経て、霞ケ池の水が注がれています。
瓢箪の形をしているので、後に瓢池となったそうです。
夕顔亭です。
1774(安永3)年に建てられた当時の姿を今に伝える茶亭です。
本席は小間ながら本格的な茶事を催せるようになっています。
黄門橋です。
上下2枚の石を重ねたように1枚の石を立体的に加工した橋です。
長さは6mです。
ここでゆう黄門は、中納言の官位を持っていた3代藩主利常を指しています。
噴水です。
日本最古と伝わる噴水です。
「逆サイフォンの原理」が使われており、噴水よりも高い場所にある霞ケ池から水を引き、高さ3.5mまで噴き上げています。
石川門です。
三十門長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。
白く輝いている屋根は、鉛瓦です。
今回は時間がなくて、眺めるだけです。
帰りの高速も、渋滞や速度制限、チェーン規制もなく、スムーズに帰ってこられました。
予定よりも1時間半くらい早く、大阪に着きました。
金沢は、まだ見てみたいところがあって、また訪れてみたいです。
雪景色を堪能したくて、一泊二日のツアーに行きます。
雪の時分の旅行は、トラブルも多いです。
高速道路で2ヶ所、多重クラッシュがあって下道に降りるかもと添乗員さんがゆうてましたが、
先に走っていたドライバーからの情報で、たいした渋滞でないと分かって、そのまま高速を走りました。
このへんは、添乗員とドライバーの判断なので、今回はラッキーでした。
予定通り、最初の観光地 飛騨高山に到着。
高山は一度来たことがあるので、みんなが行くところとは別のところに行ってみました。
吉島家住宅です。
名工といわれた西田伊三郎の手によって、1907(明治40)年に竣工しました。
当時はすでに幕府の禁制はなく、江戸時代の豪商の夢が表現されている建物です。
日下部民藝館です。
日下部家は天領時代屈指の商家で、屋号は谷屋といい、
代々御用商人として両替家を営んでいました。
宮地家住宅です。
明治8年の大火の後すぐに立てられた高山の標準的な町家です。
軒が低く、細長い間取りで道路側から主屋、中庭、土蔵と並んでいます。
かつては越中街道に面していて米屋、酒屋などの商売を営みながら農業も行っていました。
桜山八幡宮です。
秋の例祭は、高山祭として知られ、国の重要無形民俗文化財に指定されています。
京都市の祇園祭、埼玉県秩父市の秩父夜祭と並んで日本三大曳山祭の1つに数えられています。
時間が余ったので、観光客が集まるところも覗いてみました。
普段は、もっと人が少ないそうですが、白川郷のライトアップの時間調整に訪れる人が多いそうです。
雪吊りが綺麗です。
小腹がすいたので、串焼き屋でちょいとつまみました。
飛騨牛です。甘味があって美味しいです。
イイダコです。
こちらは、いたって普通です。
ここから、今回の旅のメイン、白川郷に向かいます。
駐車場は予約制で、バスは1日100台限定になっています。
とゆうても100台ですので、渋滞が激しいです。
17時になると村がライトアップされます。
まだ、駐車場に着く前です
早めに高山を出たのですが、それでもかなり時間がかかりました。
90分の散策時間をもらいました。
雪がけっこう降っていたので、展望台からの眺めは諦めて村の中を見てまわります。
ところどころにオブジェがあって、綺麗です。
重要文化財になっている「和田家」です。
バス100台限定ちゅうても、ざっと4000人ですから、人が多いです。
人が入っていない写真を撮るのは、なかなか難しいです。
まあ、雰囲気を楽しみましょう。
奥のほうの家には、人が少ないです。
私は、スノーブーツを履いていったので、かなりの雪深いところでも行けます。
雪の降りが、だんだんと激しくなってきました。
フラッシュをたくと、こんな感じです。
フラッシュなしだと、吹雪いているのがよく分かります。
明善寺です。
ここは、民宿になっています。
白川郷には何軒か民宿がありますが、1泊2万円以上はするそうです。
小さなオブジェをパチリ。
あっとゆうまの90分でした。
気温は氷点下ですので、防寒と足元はしっかり対策をしていって下さい。
早めに、白川郷に着いたので、出るときは渋滞に巻き込まれませんでした。
宿のある金沢に向かいます。
バス車中でお弁当をいただきました。
高山の串焼き屋のおじさんが、金沢ならおでんがお薦めとゆうていたので、
金沢の夜の街に繰り出して何軒か回ったのですが、満員だったりして食べることが出来ませんでした。
残念、次の機会に食べたいです。
2015年2月1日(日)雪
今日も、朝から雪です。
朝食は、ホテルのバイキングです。
和洋のバイキングでしたが、あんまり洋の物がありませんでした。
10時にホテルを出発して、金沢市内の観光です。
まずは、近江町市場に向かいます。
日曜日で閉まっているいる店も多いです。
食事できるとろこもありますが、朝食を食べたばかりなので、お腹がいっぱいです。
ツアーなので、仕方がないですね。
大阪で買うようりは、安く手に入るようです。
次は、兼六園に向かう予定でしたが、観光客が多いようなので、先にひがし茶屋街へ行くことに。
今回の添乗員さんは、なかなか機転の利く人で、よかったです。
ひがし茶屋街は1820(文政3)年、加賀藩が城下のお茶屋を集めて誕生した藩公認の茶屋街です。当時は、上流階級だけが出入りを許された場所で、今でも「一見さんお断り」のお茶屋が多いです。
石畳が綺麗です。
「志摩」です。
1820(文政3)年、茶屋街創設当初に建てられた茶屋建築です。
茶屋建築は、二階を客間(座敷)とするため、二階部分を高くつくり、
通りに面して高欄と張り出しの縁側を設けているのが特徴です。
重要文化財に指定されています。
格子が綺麗です。
金沢、最後の観光は兼六園です。
兼六園は、加賀藩の歴代藩主が長い年月をかけて造成した庭であり、江戸時代の大名庭園の代表格で、日本三名園の一つに数えられています。(あとの二つは、岡山の後楽園と水戸の偕楽園です)
兼六園の名は、六勝からきています。
六勝とは、「宏大・幽邃・蒼古・人力・水泉・眺望」のことで、本来、兼ね備えることが難しい六つの景観があるため、兼六園とゆう名が付いたとされています。
ガイドさんと一緒に巡っていきます。
徽軫灯籠(ことじとうろう)です。
徽軫灯籠は、形が琴にいと(いとは)を支える駒に似ていることに由来しています。
唐崎松です。
13代藩主斉泰が近江八景の一つ「琵琶湖の唐崎」から種子を取り寄せて育てた黒松です。
兼六園の冬の名物、雪吊りですが、最近は降雪量が減って、雪をかぶった風景はなかなか見られません。
一番寒い時期を選んだのですが、それでもあきませんでした。
日本武尊の像です。5.5mの銅像です。
台石のところが、蛇やカエルの形になっています。
この像には鳥が近づかないのですが、銅像の成分に微量のヒ素が含まれているからだそうです。
根上松です。
13代藩主斉泰が盛り上げた土に若松を植え、成長後に土を取り除いて根をあらわにしたと伝えられています。大小40数本の根が地上2mくらいまでせり上がっています。
霞ケ池と内橋亭です。
霞ケ池は、1837(天保8)年に掘り広げられた池で、広さは5800平方メートルあります。
いったん、ガイドさんの説明は終わって、自由時間です。
私は、もう一周してみます。
雁行橋です。
雁が夕空に列をなして飛んでいく姿を11枚の戸室石で表現する橋です。
石の形が亀の甲羅に見えることから、別名「亀甲橋」とも呼ばれています。
梅林がありました。
まだ、花は咲いていませんでしたが、蕾は雪にまけじと膨らんでいました。
瓢池です。
かつて蓮池庭と呼ばれた兼六園発祥の地にあります。
瓢箪の形をした池には、6.6mの落差がある翠滝を経て、霞ケ池の水が注がれています。
瓢箪の形をしているので、後に瓢池となったそうです。
夕顔亭です。
1774(安永3)年に建てられた当時の姿を今に伝える茶亭です。
本席は小間ながら本格的な茶事を催せるようになっています。
黄門橋です。
上下2枚の石を重ねたように1枚の石を立体的に加工した橋です。
長さは6mです。
ここでゆう黄門は、中納言の官位を持っていた3代藩主利常を指しています。
噴水です。
日本最古と伝わる噴水です。
「逆サイフォンの原理」が使われており、噴水よりも高い場所にある霞ケ池から水を引き、高さ3.5mまで噴き上げています。
石川門です。
三十門長屋とともに旧金沢城の数少ない遺構の一つです。
白く輝いている屋根は、鉛瓦です。
今回は時間がなくて、眺めるだけです。
帰りの高速も、渋滞や速度制限、チェーン規制もなく、スムーズに帰ってこられました。
予定よりも1時間半くらい早く、大阪に着きました。
金沢は、まだ見てみたいところがあって、また訪れてみたいです。
沖縄 グスク巡り [日本]
2014年11月19日(水) 大阪晴 沖縄曇
去年果たせなかったグスク巡りをするために、1年ぶりに沖縄に行きます。
最初はツアーで九州へ紅葉を見にいこうと思っていたのですが、
人が集まらなくてキャンセルになって急遽沖縄に行くことにしました。
いつもながらピーチ(飛行機)を利用しての旅ですが、
間近になって予約したのでちょっと割高になって往復で13,910円でした。
定刻出発の定刻到着で、無事に那覇空港に到着。
気温は22℃。暑いです。
ゆいレールで県庁前駅に到着。
今回の宿は、まほろばです。
宿の予約も遅かったので、1,500円の部屋はなくて、1泊2,000円の部屋で予約しました。
チェックインをしたら、遅かったねと言われましたが、
14時半くらいに到着とゆうといて、14時40分くらいだったのですが、沖縄の人にしてはイラチです。
宿の人は、今日は寒いとゆうていたので、普段はもっと気温が高いのでしょうね。
再び、ゆいレールに乗って、おもろまち駅へ。
そこから歩いて沖縄県立博物館へ。
ゆいレール1日券を持っていたので、割り引いてもらって330円の入場料でした。
屋外には、シーシがいてました。
村落の出入り口に置いて魔除けとしていたものです。
ミルク神です。
豊年祭などの祭りに登場する来訪神です。
仏教の弥勒信仰と沖縄の古い信仰が混ざり合ってミルク神となったそうです。
サバニです。
沖縄を代表する伝統的な舟です。
歌の文句ではよく聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。
線刻石板です。
沖縄島中部のグスクや拝所を中心とした場所から発見されていて、現在11点が存在しています。
沖縄のロゼッタストーンと呼ばれていますが、何に使ったのかは分かっていません。
思っていたより内容が充実していて、もっとゆっくりと見ていたかったのですが、
時間がなくて残念でした。
灯り点し頃となり、居酒屋の暖簾をくぐりました。
しちゅうまち(あおだい)刺身です。
沖縄で刺身を食べるのは初めてです。
味はまあまあです。
ハンダマのサラダです。
沖縄では古くから血の薬、不老長寿の薬と いわれ、増血、止血、貧血に効果があるとされています。
お酒は、やはり泡盛です。
忠孝の3年古酒にしました。
美味しいのですが、これが後々災いをもたらすとは思いもしませんでした。
島ダコの刺身です。
普通のタコとあんまり変わりません。
次々と料理を食べて、泡盛を飲んでと、気持ちよく酔っていたのですが、
ちょっと大きい瓶で頼んだのと、連日の睡眠不足がたたって、かなり酔っ払ってしまいました。
いろいろな人に多大な迷惑を掛けてしまいました。
大変申し訳ございませんでした。心からお詫び申し上げます。
2014年11月20日(木) 晴後曇
今日は、バイクをレンタルしてグスク巡りをする予定です。
ガンガンする頭を抱えて、なんとか起きてレンタルバイクショップへ。
レンタルしたバイクは、アドレスV125Sです。
1日借りて2,400円です。
半キャップヘルメットも借りて、こちらは200円でした。
途中、コンビニに寄って水を買うて、ガブガブと飲んで走りました。
昨日の酒が残っていて、飲酒検問受けたらアウトやったかもしれません。
先ずは、中城(なかぐすく)城跡を目指します。
ちなみに、グスクとは旧琉球王国領域に、多数存在する古琉球時代(グスク時代)の遺跡のことです。
一番有名なグスクは首里城でしょうね。
最盛期には300以上のグスクがあったそうです。
中城城跡に到着。
中城城は、14世紀後半に先中城按司(さちなかぐすくあじ)
が築城したと言われていますが詳細については判っていません。
2000年に日本で11件目の世界遺産として登録されています。
入場料は400円です。
裏門から入っていきます。
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した、精巧なアーチ型で出来ています。
美しい門です。
二の郭です。
城壁の石垣は二段になっていて内側に人が通れるような道が作られています。
これは「武者走り」と言われていて、身を隠しながら敵を見張ったり、
矢を射たりするためのものだそうです。
二つ目の門をくぐっていきます。
これも美しい門です。
一の郭です。
中城城の中で最も高い位置にあり面積も最も広い郭です。
正面に見える門は「一の郭」と「二の郭」の間を結ぶアーチ型の門です。
標高167mの高台にあるので、海が綺麗に見えます。
正門です。
正門は他の門に見られるようなアーチ型ではなく、2つの石門の間に櫓が乗った
「櫓門」といわれる形をしています。
綺麗なグスクで見応えがありました。
5分ほど走って、中村家住宅に到着。
中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えている建物です。
当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構であるということで、
国の重要文化財に指定されています。
入場料は500円です。
アサギ(離れ)です。
琉球王朝時代、首里王府の役人が、近くの中城問切(現在の北中城村と中城村)の番所(役所)へ地方巡視に来た際に、宿泊所として使われたといわれています
イチバンザ(客間)です。
涼しげで気持ち良さそうです。
お次は、勝連(かつれん)城跡を目指していたのですが、
道しるべに沿って走っていたら、海中道路に来てしまいました。
こちらも来たかったから、よかったのですが・・・。
海中道路は、勝連半島から平安座島を結ぶ4.7kmの道路です。
100km以上ですっ飛ばしている車もいてました。
ちゅら海です。
気持ちのえぇ景色です。
こんどこそ、勝連城後です。
11~12世紀の築城と考えられています。
立派なグスクです。ここも世界遺産です。
急な階段を上っていきます。
明日は筋肉痛やなぁと、お姉さん達がゆうてはりました。
石積みが綺麗です。
インカの石組みにも負けへんくらいです。
二の曲輪です。
殿舎跡だそうで、正面が約17m、奥行きが約14.5mあります。
殿舎跡の四隅に造られた、長方形の石灰岩による石積み。
どのような意味があったのかは、分かっていないそうです。
一の曲輪からの眺めです。
海が綺麗です。
作業服を着たお兄さんがたも、景色を眺めながら休憩してはりました。
ここから1時間くらい走りました。
大きな基地などを眺めながら、改めて沖縄は基地の島やと実感。
バイクで走っていると、Yナンバーの車をたまに見かけます。
Yナンバーは米軍所属の人が、日本国内で調達された私有車両だそうです。
沖縄県民の中には、「Yナンバーに気をつけろ」という言葉があるそうです。
事故にあっても、米軍関係者の場合、保障が受けられないことなどがあるからだそうで、
私も、近寄らないようにしていました。
座喜味(ざきみ)城跡です。
築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が築いた城で、
沖縄で最も古いアーチ門を有していることで有名です。
ここも世界遺産です。
一つ目の門をくぐって中に入っていきます。
城壁と海と空の取り合わせが綺麗です。
一部の城壁は登れるようになっていて、城壁上からの眺めです。
二つの門と遠くに東シナ海が綺麗に見えます。
座喜味城跡は、夜間ライトアップされています。
夜のグスクも綺麗でしょうね。
残波岬灯台です。
隆起サンゴ礁の断崖なので、歩きにくいです。
中国人の観光客がメッチャ多くて、写真を撮りまくっていました。
残波岬公園の中に山羊がいてました。
すぐ近くにレストランがあるので、食用の山羊でしょうね。
残波大獅子です。
シーサーは、可愛らしいイメージですが、
こちらはどうゆう意味があるのか分かりませんが、迫力があります。
帰りは国道58号を南下して那覇に戻ってきましたが、聞きしに勝る混雑具合でした。
地元のライダーは車の間を縫うように走っていました。
最初は、ゆっくりと走っていたのですが、私も真似して同じように走りました。
イラチなんで、車では走りたくない道ですね。
無事、那覇に到着。
ガソリンは満タン返しです。
借りていたヘルメットのツバが折れてしまったのですが、堪忍してくれました。
昨日から迷惑をかけてばっかりです。申し訳ございませんでした。
昨夜に懲りず、今夜も赤ちょうちんに誘われて、沖縄おでん屋さんへ。
沖縄おでんは石垣島ではまって、また食べてみたいと思っていました。
チマグ(豚足)・ゆば・ロールキャベツ・ウインナー・ホタテです。
沖縄のおでんで、チマグは初めて食べましたが、トロトロでめっちゃ美味しいです。
飲み物は、もちろん泡盛です。
沖縄おでんは、カツオと豚ダシで作るそうです。
関西おでんよりは味は濃いですが、美味しいです。
この店は2,000円で飲み食べ放題です。
ビールと酎ハイは制限がありますが、泡盛は飲み放題です。
おでん以外にも、刺身や色々なおかずがあります。
定番のテビチ(スネ肉)、しいたけ、魚豆腐、葉野菜、たまごです。
沖縄のコンビニおでんでも、テビチは必ずあります。
ここのおでんは美味しいのですが、ぬるい!!!
こんなにぬるくては、ダチョウ倶楽部のネタも出来ません。
唯一、それが残念でした。
2014年11月21日(金)晴
7時半にチェックアウトしました。
宿で荷物を預かってもらおうと思っていたのですが、宿の人が出かけてました。
のんびりしたもんです。
路線バスに乗って、泡盛工場見学の予約をしている豊見城市の忠孝蔵へ。
40分ほどバスに揺られて到着。
くぅーすの杜 忠孝蔵です。
親子三代で泡盛造りに精を出しています。
パネルの前で、まずはDVDを10分ほど見ます。
その後は、お姉さんが案内してくれます。
黒麹菌です。
泡盛は伝統的に黒麹菌を使っているのが大きな特徴です。
そして、黒麹菌を使って酒造りを行っているのは、世界的に見ても珍しいのです。
蒸し器と地釜常圧蒸留機です。
沖縄本島では唯一の地釜蒸留による蒸留が行われています。
醪の仕込みが行われています。
10日ほど立ったところです。
土にもこだわっていて、土造りから自社で行っており、
2種類の土をブレンドして、焼成に適した土を作り出しています。
古酒熟成用の甕は、漏れがあってはいけないので固く焼き締めを行う必要があります。
上薬(うわぐすり)を使えば漏れ防止になりますが、熟成は進みにくくなります。
だから焼締めにこだわります。
どれだけ焼締められるのか、よく分かります。
表面の窯変による模様の変化は薪の窯によるものです。
炎の跡が、ひとつひとつ違います。
自分の古酒造り用に求める人も多いそうで、甕に入れて熟成を待ちます。
めっちゃ楽しみでしょうね。
世界平和を願って、
甕に泡盛を注ぐミスユニバース達です。
その甕です。
みんなのメッセージが書かれています。
ベッピンさんが入れた泡盛は、さらに美味しくなっているかもです。
工場見学の後は、お楽しみ試飲タイムです。
ブレンドした泡盛など、珍しいものもありました。
新しい泡盛造りに挑戦している蔵は応援したくなります。
応援するには泡盛を飲みましょう。
とゆうわけで、泡盛を買いました。
再び、バスにのって那覇市内へと戻ってきました。
昼食は沖縄での名物、ステーキに。
オーストラリア産サーロインステーキ、300gにしました。
単品で2,350円です。
グラスワインが700円でした。
肉は安いですが、お酒は高いです。
お肉は柔らかくて、めっちゃ美味しかったです。
これなら1パウンドでもペロリといけそうです。
失敗もあった沖縄グスク巡りでしたが、歴史と食と泡盛と堪能できた旅でした。
去年果たせなかったグスク巡りをするために、1年ぶりに沖縄に行きます。
最初はツアーで九州へ紅葉を見にいこうと思っていたのですが、
人が集まらなくてキャンセルになって急遽沖縄に行くことにしました。
いつもながらピーチ(飛行機)を利用しての旅ですが、
間近になって予約したのでちょっと割高になって往復で13,910円でした。
定刻出発の定刻到着で、無事に那覇空港に到着。
気温は22℃。暑いです。
ゆいレールで県庁前駅に到着。
今回の宿は、まほろばです。
宿の予約も遅かったので、1,500円の部屋はなくて、1泊2,000円の部屋で予約しました。
チェックインをしたら、遅かったねと言われましたが、
14時半くらいに到着とゆうといて、14時40分くらいだったのですが、沖縄の人にしてはイラチです。
宿の人は、今日は寒いとゆうていたので、普段はもっと気温が高いのでしょうね。
再び、ゆいレールに乗って、おもろまち駅へ。
そこから歩いて沖縄県立博物館へ。
ゆいレール1日券を持っていたので、割り引いてもらって330円の入場料でした。
屋外には、シーシがいてました。
村落の出入り口に置いて魔除けとしていたものです。
ミルク神です。
豊年祭などの祭りに登場する来訪神です。
仏教の弥勒信仰と沖縄の古い信仰が混ざり合ってミルク神となったそうです。
サバニです。
沖縄を代表する伝統的な舟です。
歌の文句ではよく聞いていましたが、実物を見るのは初めてです。
線刻石板です。
沖縄島中部のグスクや拝所を中心とした場所から発見されていて、現在11点が存在しています。
沖縄のロゼッタストーンと呼ばれていますが、何に使ったのかは分かっていません。
思っていたより内容が充実していて、もっとゆっくりと見ていたかったのですが、
時間がなくて残念でした。
灯り点し頃となり、居酒屋の暖簾をくぐりました。
しちゅうまち(あおだい)刺身です。
沖縄で刺身を食べるのは初めてです。
味はまあまあです。
ハンダマのサラダです。
沖縄では古くから血の薬、不老長寿の薬と いわれ、増血、止血、貧血に効果があるとされています。
お酒は、やはり泡盛です。
忠孝の3年古酒にしました。
美味しいのですが、これが後々災いをもたらすとは思いもしませんでした。
島ダコの刺身です。
普通のタコとあんまり変わりません。
次々と料理を食べて、泡盛を飲んでと、気持ちよく酔っていたのですが、
ちょっと大きい瓶で頼んだのと、連日の睡眠不足がたたって、かなり酔っ払ってしまいました。
いろいろな人に多大な迷惑を掛けてしまいました。
大変申し訳ございませんでした。心からお詫び申し上げます。
2014年11月20日(木) 晴後曇
今日は、バイクをレンタルしてグスク巡りをする予定です。
ガンガンする頭を抱えて、なんとか起きてレンタルバイクショップへ。
レンタルしたバイクは、アドレスV125Sです。
1日借りて2,400円です。
半キャップヘルメットも借りて、こちらは200円でした。
途中、コンビニに寄って水を買うて、ガブガブと飲んで走りました。
昨日の酒が残っていて、飲酒検問受けたらアウトやったかもしれません。
先ずは、中城(なかぐすく)城跡を目指します。
ちなみに、グスクとは旧琉球王国領域に、多数存在する古琉球時代(グスク時代)の遺跡のことです。
一番有名なグスクは首里城でしょうね。
最盛期には300以上のグスクがあったそうです。
中城城跡に到着。
中城城は、14世紀後半に先中城按司(さちなかぐすくあじ)
が築城したと言われていますが詳細については判っていません。
2000年に日本で11件目の世界遺産として登録されています。
入場料は400円です。
裏門から入っていきます。
ペリー探検隊一行がエジプト式と評した、精巧なアーチ型で出来ています。
美しい門です。
二の郭です。
城壁の石垣は二段になっていて内側に人が通れるような道が作られています。
これは「武者走り」と言われていて、身を隠しながら敵を見張ったり、
矢を射たりするためのものだそうです。
二つ目の門をくぐっていきます。
これも美しい門です。
一の郭です。
中城城の中で最も高い位置にあり面積も最も広い郭です。
正面に見える門は「一の郭」と「二の郭」の間を結ぶアーチ型の門です。
標高167mの高台にあるので、海が綺麗に見えます。
正門です。
正門は他の門に見られるようなアーチ型ではなく、2つの石門の間に櫓が乗った
「櫓門」といわれる形をしています。
綺麗なグスクで見応えがありました。
5分ほど走って、中村家住宅に到着。
中村家住宅は戦前の沖縄の住居建築の特色を全て備えている建物です。
当時の上層農家の生活を知る上にも、貴重な遺構であるということで、
国の重要文化財に指定されています。
入場料は500円です。
アサギ(離れ)です。
琉球王朝時代、首里王府の役人が、近くの中城問切(現在の北中城村と中城村)の番所(役所)へ地方巡視に来た際に、宿泊所として使われたといわれています
イチバンザ(客間)です。
涼しげで気持ち良さそうです。
お次は、勝連(かつれん)城跡を目指していたのですが、
道しるべに沿って走っていたら、海中道路に来てしまいました。
こちらも来たかったから、よかったのですが・・・。
海中道路は、勝連半島から平安座島を結ぶ4.7kmの道路です。
100km以上ですっ飛ばしている車もいてました。
ちゅら海です。
気持ちのえぇ景色です。
こんどこそ、勝連城後です。
11~12世紀の築城と考えられています。
立派なグスクです。ここも世界遺産です。
急な階段を上っていきます。
明日は筋肉痛やなぁと、お姉さん達がゆうてはりました。
石積みが綺麗です。
インカの石組みにも負けへんくらいです。
二の曲輪です。
殿舎跡だそうで、正面が約17m、奥行きが約14.5mあります。
殿舎跡の四隅に造られた、長方形の石灰岩による石積み。
どのような意味があったのかは、分かっていないそうです。
一の曲輪からの眺めです。
海が綺麗です。
作業服を着たお兄さんがたも、景色を眺めながら休憩してはりました。
ここから1時間くらい走りました。
大きな基地などを眺めながら、改めて沖縄は基地の島やと実感。
バイクで走っていると、Yナンバーの車をたまに見かけます。
Yナンバーは米軍所属の人が、日本国内で調達された私有車両だそうです。
沖縄県民の中には、「Yナンバーに気をつけろ」という言葉があるそうです。
事故にあっても、米軍関係者の場合、保障が受けられないことなどがあるからだそうで、
私も、近寄らないようにしていました。
座喜味(ざきみ)城跡です。
築城家として名高い護佐丸(ごさまる)が築いた城で、
沖縄で最も古いアーチ門を有していることで有名です。
ここも世界遺産です。
一つ目の門をくぐって中に入っていきます。
城壁と海と空の取り合わせが綺麗です。
一部の城壁は登れるようになっていて、城壁上からの眺めです。
二つの門と遠くに東シナ海が綺麗に見えます。
座喜味城跡は、夜間ライトアップされています。
夜のグスクも綺麗でしょうね。
残波岬灯台です。
隆起サンゴ礁の断崖なので、歩きにくいです。
中国人の観光客がメッチャ多くて、写真を撮りまくっていました。
残波岬公園の中に山羊がいてました。
すぐ近くにレストランがあるので、食用の山羊でしょうね。
残波大獅子です。
シーサーは、可愛らしいイメージですが、
こちらはどうゆう意味があるのか分かりませんが、迫力があります。
帰りは国道58号を南下して那覇に戻ってきましたが、聞きしに勝る混雑具合でした。
地元のライダーは車の間を縫うように走っていました。
最初は、ゆっくりと走っていたのですが、私も真似して同じように走りました。
イラチなんで、車では走りたくない道ですね。
無事、那覇に到着。
ガソリンは満タン返しです。
借りていたヘルメットのツバが折れてしまったのですが、堪忍してくれました。
昨日から迷惑をかけてばっかりです。申し訳ございませんでした。
昨夜に懲りず、今夜も赤ちょうちんに誘われて、沖縄おでん屋さんへ。
沖縄おでんは石垣島ではまって、また食べてみたいと思っていました。
チマグ(豚足)・ゆば・ロールキャベツ・ウインナー・ホタテです。
沖縄のおでんで、チマグは初めて食べましたが、トロトロでめっちゃ美味しいです。
飲み物は、もちろん泡盛です。
沖縄おでんは、カツオと豚ダシで作るそうです。
関西おでんよりは味は濃いですが、美味しいです。
この店は2,000円で飲み食べ放題です。
ビールと酎ハイは制限がありますが、泡盛は飲み放題です。
おでん以外にも、刺身や色々なおかずがあります。
定番のテビチ(スネ肉)、しいたけ、魚豆腐、葉野菜、たまごです。
沖縄のコンビニおでんでも、テビチは必ずあります。
ここのおでんは美味しいのですが、ぬるい!!!
こんなにぬるくては、ダチョウ倶楽部のネタも出来ません。
唯一、それが残念でした。
2014年11月21日(金)晴
7時半にチェックアウトしました。
宿で荷物を預かってもらおうと思っていたのですが、宿の人が出かけてました。
のんびりしたもんです。
路線バスに乗って、泡盛工場見学の予約をしている豊見城市の忠孝蔵へ。
40分ほどバスに揺られて到着。
くぅーすの杜 忠孝蔵です。
親子三代で泡盛造りに精を出しています。
パネルの前で、まずはDVDを10分ほど見ます。
その後は、お姉さんが案内してくれます。
黒麹菌です。
泡盛は伝統的に黒麹菌を使っているのが大きな特徴です。
そして、黒麹菌を使って酒造りを行っているのは、世界的に見ても珍しいのです。
蒸し器と地釜常圧蒸留機です。
沖縄本島では唯一の地釜蒸留による蒸留が行われています。
醪の仕込みが行われています。
10日ほど立ったところです。
土にもこだわっていて、土造りから自社で行っており、
2種類の土をブレンドして、焼成に適した土を作り出しています。
古酒熟成用の甕は、漏れがあってはいけないので固く焼き締めを行う必要があります。
上薬(うわぐすり)を使えば漏れ防止になりますが、熟成は進みにくくなります。
だから焼締めにこだわります。
どれだけ焼締められるのか、よく分かります。
表面の窯変による模様の変化は薪の窯によるものです。
炎の跡が、ひとつひとつ違います。
自分の古酒造り用に求める人も多いそうで、甕に入れて熟成を待ちます。
めっちゃ楽しみでしょうね。
世界平和を願って、
甕に泡盛を注ぐミスユニバース達です。
その甕です。
みんなのメッセージが書かれています。
ベッピンさんが入れた泡盛は、さらに美味しくなっているかもです。
工場見学の後は、お楽しみ試飲タイムです。
ブレンドした泡盛など、珍しいものもありました。
新しい泡盛造りに挑戦している蔵は応援したくなります。
応援するには泡盛を飲みましょう。
とゆうわけで、泡盛を買いました。
再び、バスにのって那覇市内へと戻ってきました。
昼食は沖縄での名物、ステーキに。
オーストラリア産サーロインステーキ、300gにしました。
単品で2,350円です。
グラスワインが700円でした。
肉は安いですが、お酒は高いです。
お肉は柔らかくて、めっちゃ美味しかったです。
これなら1パウンドでもペロリといけそうです。
失敗もあった沖縄グスク巡りでしたが、歴史と食と泡盛と堪能できた旅でした。
赤目四十八滝と曽爾高原 [日本]
2014年11月4日(火)曇後晴
今年の紅葉ツアーは赤目四十八滝と曽爾高原にしました。
途中、針テラスで休憩して10時40分、赤目四十八滝に到着。
地元の方の案内を聞いてからの出発ですが、説明が長い。
3時間しか滞在時間がないのに、20分くらい説明がありました。
紅葉ツアーのつもりで来たのですが、青々としていて全く紅葉していません。
今年は冷え込んだと思ったら、その後は暖かくなってしまって、まだ2~3週間くらい早い感じです。
「赤目」の由来になる、「赤目牛」です。
その昔、役の小角が、滝に向って行を修めると、不動明王が牛に乗って現れました。
その牛の目が赤かったので、赤目と名付けられそうな。
不動滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ15m、幅7m、滝壺の深さ10m。
不動明王に因んで名付けられました。
「 滝参り」とは、この滝にお参りする事を意味し、
明治の中頃までは、ここから奥へは入れなかったそうです。
千手滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ15m、幅4m、滝壺の深さ20m。
複雑な形の岩を伝って千手のように水が落ちる美しい姿から名付けられました。
正面には茶店がありますが、なんか買わへんと座れません。
貧乏なので、横っちょから滝を眺めながらお弁を使います。
ツアーでいただいたお弁当です。
う~ん、かなりショボイです。
紅葉はしていませんが、滝音を聞きながら滝を眺め、鳥のさえずりを耳にして、
風を感じながら飲むお酒は最高です。
ゆっくり食事をしてから、歩き始めます。
布曳滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ30m、滝壺の深さ30m。
白布を長々をたらしたような姿から名付けられました。
竜ケ壺です。
滝と思うのですが、滝の名前は付いていませんでした。
ちなみに、四十八滝とは非常に多いとゆう意味で名付けられています。
陰陽滝です。
長さ(高さじゃなくて)20m、深さ3m、幅は20m。
陽は滝の流れ、陰は滝壺の事だそうです。
ようやく、紅葉しているところがありました。
ずっと曇っていたのですが、お天道様が出てきて綺麗です。
百畳岩です。
広々としていて、気持ちのいい場所です。
七色岩です。
岩の上に、マツ・モミ・カエデ・サクラ・アカギ・ウメモドキ・ツツジの7種類の植物が自生して、
七色に見えるところから命名されたそうです。
姉妹滝です。
大小ふたつに分かれて落ちる滝です。
右側が姉滝、左側が妹滝だそうです。
柿窪滝です。
高さ5m、滝壺の深さ10m。
清流を枝とすれば、滝壺が柿の実のように見える事から、名付けられたそうです。
雨降滝です。
岩を伝って、雨が降るように飛沫が落ちてきます。
今回の撮影では、NDフィルターを使ってスローシャッターで撮ったですが、
さすがに手持ちでは、ほぼブレブレになってしまいました。
三脚を持っていったのですが。、ゆっくり撮影している時間がないので、使いませんでした。
骸骨滝です。
落ち口に骸骨に似た岩が横たわっているそうですが、よう分かりません。
斜滝です。
川の流れが斜めに変わって落ちている滝だそうです。
だんだんと名前のレパートリーがなくなってきたのか?
荷担滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ8m。
岩を挟んで二つに分かれて流れ落ちる様子から名付けられました。
赤目四十八滝のシンボル的な滝です。
角度を変えて、パチリ。
雛段滝です。
一番奥まで行きたかったのですが、バスの集合時間まで1時間くらいだったので、
諦めてここから戻りました。
無事、戻ってきて時間があったので、
「日本サンショウウオセンター」で、サンショウウオを見ました。
まだまだ子供です。
かなり大人です。
サンショウウオの名は、体山椒に似た香りがある種がいることによるものだそうです。
再びバスに乗って、曽爾高原へ。
天気が良くて、ススキの穂が綺麗に輝いています。
ちょっと盛りを過ぎて、穂が開き始めていますが、気持ちのいい風景です。
お亀池です。
水はほとんど無く、湿原になっています。
夜はライトアップされるようです。
お亀池の周りをぐるっと歩いて、銀色に輝くススキを楽しみます。
ススキしかないやんとゆう声も聞こえてきますが、ススキを楽しみところです。
1時間半の時間をもらっていて、時間が余ったので亀山峠まで山を登ってみます。
亀山峠からの眺めも、なかなかええもんです。
約38ヘクタールの広さがあるそうです。
ススキは夕方になると、夕日に穂が乱反射してキラキラと黄金色に輝くのですが、
バスの集合時間が16時45分で、夕日には早すぎました。
公共バスもありますが、そちらも最終バスでも夕日には早く、
マイカーで来ないと黄金色のススキは見られません。
今年の紅葉ツアーは赤目四十八滝と曽爾高原にしました。
途中、針テラスで休憩して10時40分、赤目四十八滝に到着。
地元の方の案内を聞いてからの出発ですが、説明が長い。
3時間しか滞在時間がないのに、20分くらい説明がありました。
紅葉ツアーのつもりで来たのですが、青々としていて全く紅葉していません。
今年は冷え込んだと思ったら、その後は暖かくなってしまって、まだ2~3週間くらい早い感じです。
「赤目」の由来になる、「赤目牛」です。
その昔、役の小角が、滝に向って行を修めると、不動明王が牛に乗って現れました。
その牛の目が赤かったので、赤目と名付けられそうな。
不動滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ15m、幅7m、滝壺の深さ10m。
不動明王に因んで名付けられました。
「 滝参り」とは、この滝にお参りする事を意味し、
明治の中頃までは、ここから奥へは入れなかったそうです。
千手滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ15m、幅4m、滝壺の深さ20m。
複雑な形の岩を伝って千手のように水が落ちる美しい姿から名付けられました。
正面には茶店がありますが、なんか買わへんと座れません。
貧乏なので、横っちょから滝を眺めながらお弁を使います。
ツアーでいただいたお弁当です。
う~ん、かなりショボイです。
紅葉はしていませんが、滝音を聞きながら滝を眺め、鳥のさえずりを耳にして、
風を感じながら飲むお酒は最高です。
ゆっくり食事をしてから、歩き始めます。
布曳滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ30m、滝壺の深さ30m。
白布を長々をたらしたような姿から名付けられました。
竜ケ壺です。
滝と思うのですが、滝の名前は付いていませんでした。
ちなみに、四十八滝とは非常に多いとゆう意味で名付けられています。
陰陽滝です。
長さ(高さじゃなくて)20m、深さ3m、幅は20m。
陽は滝の流れ、陰は滝壺の事だそうです。
ようやく、紅葉しているところがありました。
ずっと曇っていたのですが、お天道様が出てきて綺麗です。
百畳岩です。
広々としていて、気持ちのいい場所です。
七色岩です。
岩の上に、マツ・モミ・カエデ・サクラ・アカギ・ウメモドキ・ツツジの7種類の植物が自生して、
七色に見えるところから命名されたそうです。
姉妹滝です。
大小ふたつに分かれて落ちる滝です。
右側が姉滝、左側が妹滝だそうです。
柿窪滝です。
高さ5m、滝壺の深さ10m。
清流を枝とすれば、滝壺が柿の実のように見える事から、名付けられたそうです。
雨降滝です。
岩を伝って、雨が降るように飛沫が落ちてきます。
今回の撮影では、NDフィルターを使ってスローシャッターで撮ったですが、
さすがに手持ちでは、ほぼブレブレになってしまいました。
三脚を持っていったのですが。、ゆっくり撮影している時間がないので、使いませんでした。
骸骨滝です。
落ち口に骸骨に似た岩が横たわっているそうですが、よう分かりません。
斜滝です。
川の流れが斜めに変わって落ちている滝だそうです。
だんだんと名前のレパートリーがなくなってきたのか?
荷担滝です。赤目五瀑の一つ。
高さ8m。
岩を挟んで二つに分かれて流れ落ちる様子から名付けられました。
赤目四十八滝のシンボル的な滝です。
角度を変えて、パチリ。
雛段滝です。
一番奥まで行きたかったのですが、バスの集合時間まで1時間くらいだったので、
諦めてここから戻りました。
無事、戻ってきて時間があったので、
「日本サンショウウオセンター」で、サンショウウオを見ました。
まだまだ子供です。
かなり大人です。
サンショウウオの名は、体山椒に似た香りがある種がいることによるものだそうです。
再びバスに乗って、曽爾高原へ。
天気が良くて、ススキの穂が綺麗に輝いています。
ちょっと盛りを過ぎて、穂が開き始めていますが、気持ちのいい風景です。
お亀池です。
水はほとんど無く、湿原になっています。
夜はライトアップされるようです。
お亀池の周りをぐるっと歩いて、銀色に輝くススキを楽しみます。
ススキしかないやんとゆう声も聞こえてきますが、ススキを楽しみところです。
1時間半の時間をもらっていて、時間が余ったので亀山峠まで山を登ってみます。
亀山峠からの眺めも、なかなかええもんです。
約38ヘクタールの広さがあるそうです。
ススキは夕方になると、夕日に穂が乱反射してキラキラと黄金色に輝くのですが、
バスの集合時間が16時45分で、夕日には早すぎました。
公共バスもありますが、そちらも最終バスでも夕日には早く、
マイカーで来ないと黄金色のススキは見られません。
熊野古道ハイキング 滝尻王子~高原熊野神社 [日本]
2014年9月29日(月)晴
バスツアーを利用して、熊野古道を歩きます。
熊野古道は人気で、1ヶ月以上前に申し込んだのですが、キャンセル待ちでした。
あかんかなと諦めかけていたら、2週間くらいしてようやくキャンセルが出て参加する事が出来ました。
梅田を出発して、紀ノ川SAで1回トイレ休憩をはさんで、
渋滞に巻き込まれることもなく、滝尻王子に到着です。
滝尻王子の入口には、世界遺産登録を記念した石碑がありました。
滝尻王子は、九十九王子の中でも社格の高い「五体王子」の中のひとつで、
ここからが神域のはじまりです。
語り部さんの説明を聞いてから、旅の安全を祈願しました。
道を挟んで、こちらは熊野古道館です。
熊野古道に関する資料が展示されています。
平安衣装です。
ほんまに、こんな恰好で歩いたんでしょうか。
歩きにくいと思うんやけど・・・。
後鳥羽院熊野御幸記です。
藤原定家が後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した際の23日間の日記です。
滝尻茶屋の店先に梅干が干してありました。
田辺市は、梅干しの産地です。田辺市とみなべ町で、全国の5割の近くを生産しています。
田辺市からのプレゼントで梅干しを貰いました。
1個300円する梅干しだそうです。ひぇ~。
語り部さんの説明がすんで、昼食です。
お弁当が配られて、滝尻王子宮の境内でいただきます。
みんなでストレッチをしてから、いざ出発です。
前回3月に古道を歩いたときは、中辺路ルートのゴールのほうを歩きましたが、
今回はスタート地点から歩きます。
起点の標識が立っています。
スタートして、いきなりの急坂です。
ほとんどの人が杖をついて歩いています。
ジジィパワーを発揮して、頑張ります。
すぐのところに大きな岩がありました。
カンボジアのタ・プロム遺跡のようです。
胎内くぐりです。
この岩と岩とのすきまを這うようにくぐりぬけると女性の場合は安産祈願、
男性の場合は生まれ変われるそうですが、ツアーなのでくぐったらあかんと言われて断念しました。
乳岩です。
この岩からしたたり落ちる乳で、生まれたばかりの藤原秀衡の子どもを
守ったという伝説が残る岩だそうです。
出発してから40分で、不寝王子に到着です。
頻繁に休憩するので、めっちゃ時間がかかりました。
ここに社があったかどうかは定かではありませんが、
山賊の見張りを寝ずにしたということから名前が付いたという説もあるそうです。
滝尻王子は標高82mで、不寝王子が標高198mですので、約100m登ってきました。
道が木の根道に変わりました。
登るのはしんどいですが、眺めるには綺麗です。
剣ノ山の山頂に着きました。
標高371mです。滝尻王子から約290m登ってきました。
1時間20くらいかかりました、標高はたいしたことないですが、
ずっと登りだったので結構しんどかったです。
剣ノ山経塚跡です。
ここから熊野本宮へかけて九品の門が建ち、ここには最初の下品下生の門があったといわれています。
この経塚跡は、教典を経筒に入れ、それを壺に収めて地中に埋めた所です。
教典と経筒は盗掘されました。
道になんか落ちてると思ったら、リスの巣でした。
リスは、ときどきこうして巣を作り直すそうです。
滝尻王子から1.5km歩いて来ました。
高原熊野神社まで、あと2.2kmです。
途中、ちょっと古道から外れて、飯盛山(めしもりやま)展望台に寄りました。
標高は剣ノ山より低いですが、なかなか、ええ眺めです。
この日は、晴れていて気温は28℃くらいで暑かったです。
蝉が鳴いていて、秋とゆうよりは夏とゆう感じです。
古道に戻って、このあたりからは檜が多いです。
後で知りましたが、檜の名前の由来です。
針地蔵尊です。
歯が痛いときにお参りすると治るといわれ、お礼参りの際に糸と3本の針で作った鳥居を奉納するそうです。
再び、登り坂です。
この道中の難行苦行が一切の罪業を消滅させるという信仰でもありますので、
しんどいのが有難いのです。
名前は忘れましたが、この実から油を取るそうです。
お茶の花です。
自然に咲いているお茶を初めて見ました。
コスモス。
暑いですが、秋を感じさせてくれます。
標識7番。
3.5km歩いてきました、あと少しでゴールです。
道が平坦になって余裕が出てきたので、花をパチリ。
6本手の地蔵です。
高原熊野神社です。
春日造の本殿は室町時代前期の様式です。熊野古道「中辺路」で最古の建物といわれています。
この神社のクスノキは樹齢が800年とも1000年とも言われていて、立派なクスノキです。
高原霧の里休憩所からの眺めです。
手前には棚田が広がり、向こう側には果無山脈が続いています
稲刈りが終わって、日本やなぁーと感じる風景です。
水車が回っていて、なかなかええ感じです。
イーデスハンソンさんの家が、この近所にあるそうです。
ススキには、まだ少し早いですね。
山を下って、バスが待っている古道の里・中辺路まで歩きます。
バスに乗って、紀州梅干を作っている工場の見学です。
漬込みタンクです。
田舎漬製造ラインですが、就業間際で後片付けしてはりました。
南高梅は全国的に有名ですが、発祥の地が南部高校で、
その名前の由来ともなったとの説明を聞いて、初めて知りました。
販売も行っていて、みなさんお土産に購入されていました。
今日は結構ハードなコースでしたが、ちょとは功徳を積めたでしょうか。
ゆっくりしたペースで歩きましたが、行程に遅れはありませんでした。
健脚な人は20km以上歩くようですが、語り部さんの話を聞きながら
写真を撮りながら歩くのがええなぁと思います。
バスツアーを利用して、熊野古道を歩きます。
熊野古道は人気で、1ヶ月以上前に申し込んだのですが、キャンセル待ちでした。
あかんかなと諦めかけていたら、2週間くらいしてようやくキャンセルが出て参加する事が出来ました。
梅田を出発して、紀ノ川SAで1回トイレ休憩をはさんで、
渋滞に巻き込まれることもなく、滝尻王子に到着です。
滝尻王子の入口には、世界遺産登録を記念した石碑がありました。
滝尻王子は、九十九王子の中でも社格の高い「五体王子」の中のひとつで、
ここからが神域のはじまりです。
語り部さんの説明を聞いてから、旅の安全を祈願しました。
道を挟んで、こちらは熊野古道館です。
熊野古道に関する資料が展示されています。
平安衣装です。
ほんまに、こんな恰好で歩いたんでしょうか。
歩きにくいと思うんやけど・・・。
後鳥羽院熊野御幸記です。
藤原定家が後鳥羽上皇の熊野参詣に随行した際の23日間の日記です。
滝尻茶屋の店先に梅干が干してありました。
田辺市は、梅干しの産地です。田辺市とみなべ町で、全国の5割の近くを生産しています。
田辺市からのプレゼントで梅干しを貰いました。
1個300円する梅干しだそうです。ひぇ~。
語り部さんの説明がすんで、昼食です。
お弁当が配られて、滝尻王子宮の境内でいただきます。
みんなでストレッチをしてから、いざ出発です。
前回3月に古道を歩いたときは、中辺路ルートのゴールのほうを歩きましたが、
今回はスタート地点から歩きます。
起点の標識が立っています。
スタートして、いきなりの急坂です。
ほとんどの人が杖をついて歩いています。
ジジィパワーを発揮して、頑張ります。
すぐのところに大きな岩がありました。
カンボジアのタ・プロム遺跡のようです。
胎内くぐりです。
この岩と岩とのすきまを這うようにくぐりぬけると女性の場合は安産祈願、
男性の場合は生まれ変われるそうですが、ツアーなのでくぐったらあかんと言われて断念しました。
乳岩です。
この岩からしたたり落ちる乳で、生まれたばかりの藤原秀衡の子どもを
守ったという伝説が残る岩だそうです。
出発してから40分で、不寝王子に到着です。
頻繁に休憩するので、めっちゃ時間がかかりました。
ここに社があったかどうかは定かではありませんが、
山賊の見張りを寝ずにしたということから名前が付いたという説もあるそうです。
滝尻王子は標高82mで、不寝王子が標高198mですので、約100m登ってきました。
道が木の根道に変わりました。
登るのはしんどいですが、眺めるには綺麗です。
剣ノ山の山頂に着きました。
標高371mです。滝尻王子から約290m登ってきました。
1時間20くらいかかりました、標高はたいしたことないですが、
ずっと登りだったので結構しんどかったです。
剣ノ山経塚跡です。
ここから熊野本宮へかけて九品の門が建ち、ここには最初の下品下生の門があったといわれています。
この経塚跡は、教典を経筒に入れ、それを壺に収めて地中に埋めた所です。
教典と経筒は盗掘されました。
道になんか落ちてると思ったら、リスの巣でした。
リスは、ときどきこうして巣を作り直すそうです。
滝尻王子から1.5km歩いて来ました。
高原熊野神社まで、あと2.2kmです。
途中、ちょっと古道から外れて、飯盛山(めしもりやま)展望台に寄りました。
標高は剣ノ山より低いですが、なかなか、ええ眺めです。
この日は、晴れていて気温は28℃くらいで暑かったです。
蝉が鳴いていて、秋とゆうよりは夏とゆう感じです。
古道に戻って、このあたりからは檜が多いです。
後で知りましたが、檜の名前の由来です。
針地蔵尊です。
歯が痛いときにお参りすると治るといわれ、お礼参りの際に糸と3本の針で作った鳥居を奉納するそうです。
再び、登り坂です。
この道中の難行苦行が一切の罪業を消滅させるという信仰でもありますので、
しんどいのが有難いのです。
名前は忘れましたが、この実から油を取るそうです。
お茶の花です。
自然に咲いているお茶を初めて見ました。
コスモス。
暑いですが、秋を感じさせてくれます。
標識7番。
3.5km歩いてきました、あと少しでゴールです。
道が平坦になって余裕が出てきたので、花をパチリ。
6本手の地蔵です。
高原熊野神社です。
春日造の本殿は室町時代前期の様式です。熊野古道「中辺路」で最古の建物といわれています。
この神社のクスノキは樹齢が800年とも1000年とも言われていて、立派なクスノキです。
高原霧の里休憩所からの眺めです。
手前には棚田が広がり、向こう側には果無山脈が続いています
稲刈りが終わって、日本やなぁーと感じる風景です。
水車が回っていて、なかなかええ感じです。
イーデスハンソンさんの家が、この近所にあるそうです。
ススキには、まだ少し早いですね。
山を下って、バスが待っている古道の里・中辺路まで歩きます。
バスに乗って、紀州梅干を作っている工場の見学です。
漬込みタンクです。
田舎漬製造ラインですが、就業間際で後片付けしてはりました。
南高梅は全国的に有名ですが、発祥の地が南部高校で、
その名前の由来ともなったとの説明を聞いて、初めて知りました。
販売も行っていて、みなさんお土産に購入されていました。
今日は結構ハードなコースでしたが、ちょとは功徳を積めたでしょうか。
ゆっくりしたペースで歩きましたが、行程に遅れはありませんでした。
健脚な人は20km以上歩くようですが、語り部さんの話を聞きながら
写真を撮りながら歩くのがええなぁと思います。
伊吹山 お花畑 [日本]
2014年8月4日(月)曇時々雨
伊吹山に登ってみたくて、バスツアーで行くことに。
天気予報では、午後から雨になっていました。
伊吹山ドライブウェイが通行止めになると、長浜市の散策に変更になります。
渋滞もなく、烏丸半島に到着。
ここは、花ハスの群生地になっています。
ハスの色が鮮やかで、目を楽しませてくれます。
30分間の自由時間だったのですが、久々の写真撮影が楽しくて、あっとゆう間に時間が過ぎました。
しかし、集合時間になっても現れない人が・・・。
添乗員さんが電話をかけたりして、15分ほど遅れて、やっと来ました。
早く伊吹山に行きたいのにロスは痛いです。
お弁当が車中で配られて、バスの中で食べている人が多かったです。
私は、伊吹山に着いてから食べようと思っていました。
ドライブウェイは開通していて、グングンと高度を上げて登っていきます。
高度が上がるほどに、霧が濃くなってきます。
山頂の駐車場に到着。
標高は、1260mです。
霧の中、お弁当を食べました。景色はまったく見えません。
こんなことなら、バスの中で食べたらよかった・・・失敗です。
霧の中、山頂を目指して西登山道を登っていきます。
登山道は整備されていて、登りやすいです。
メタカラコウです。
花の名前は、家に帰ってから調べました。
間違っているものがあるかも知れませんが、間違っていたら、ごめんなさい。
遠くに目をやると、メタカラコウが群生していますが、遠くは霞んで見えません。
名前は、分かりませんでした。
色鮮やかで綺麗です。
クガイソウです。
ルリトラノオと、よく似ています。
露が付いて、綺麗です。
クルマバナです。
バスで横に座っていたオジさんが、シモツケソウの群生が綺麗やでと教えてくれたのですが、
フジテンニンソウやアカソ等の繁殖で群生が衰退して、なくなっていました。
網で囲って、シモツケソウ群落再生事業を行っていました。
シモツケソウが衰退した理由は、温暖化など色々な問題があるのでしょうが、
人が手を入れなかったのも一つの原因だと思います。
自然は手付かずにとゆう考えもあるでしょうが、ある程度保護していくことが大事だと思います。
オジさんは、伊吹山には何度も登っていて、伊吹山お花畑の小冊子をくれました。
親切なオジさんに感謝です。おおきにありがとうございました。
山頂で~す。
標高は1377mです。
117mの登山でしたが、20分くらいで登ってきて、ぜんぜん登り足りないです。
下りは、東登山道をいきます。
東登山道は、下り専用となっています。
ミツバベンケイソウです。
シシウドです。
下っているうちに、雨がメッチャ降ってきて、写真どころではなくなりました。
駐車場まで戻ってきて、小休止です。
ヤッケで歩いていたので、ビショビショになりました。
雨が上がって時間があったので、中央登山道を登ってみます。
イブキトラノオです。
風で動くのを虎の尾にたとえた名前です。
シモツケソウです。
可憐な花です。
昔、下野とゆう国があり、そこにこの草が沢山生えていたので、この名前になりました。
名前は分かりません。
雨粒が綺麗です。
ヤマアジサイです。
ホタルノブクロです。
子供がホタルをこの花の中に入れてお家に持って帰ったので、この名前になったそうです。
集合時間がせまってきたので、駐車場に戻ってきました。
帰る頃になって霧が晴れてきました。
雲が湧き上がってきて綺麗です。
メタカラコウの群生も目立つようになってきました。
醒ヶ井に寄りました。
地蔵川です。すごく澄んだ水で、水温は15℃だそうです。
ラムネを冷やして売っていましたが、それは冷蔵庫で冷やすほうがええんちゃうん。
梅花藻です。キンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。
直径1.5cmほどの小さな花です。梅の花に似ているので、この名前がつきました。
ピンクの花は、なんなのか分かりませんが、コントラストが綺麗です。
地蔵川の源流にあたります。
居醒の清水です。
日本武尊が大蛇退治で弱った体を、この清水で癒したとゆう伝説が残っています。
中山道の宿場町として栄え、今も古い町並みが残っています。
大阪に戻ってきたら、雨はやんでいました。
今度は、天気がええときに伊吹山に登りたいです。
できたら、一合目から登りたいなぁ。
伊吹山に登ってみたくて、バスツアーで行くことに。
天気予報では、午後から雨になっていました。
伊吹山ドライブウェイが通行止めになると、長浜市の散策に変更になります。
渋滞もなく、烏丸半島に到着。
ここは、花ハスの群生地になっています。
ハスの色が鮮やかで、目を楽しませてくれます。
30分間の自由時間だったのですが、久々の写真撮影が楽しくて、あっとゆう間に時間が過ぎました。
しかし、集合時間になっても現れない人が・・・。
添乗員さんが電話をかけたりして、15分ほど遅れて、やっと来ました。
早く伊吹山に行きたいのにロスは痛いです。
お弁当が車中で配られて、バスの中で食べている人が多かったです。
私は、伊吹山に着いてから食べようと思っていました。
ドライブウェイは開通していて、グングンと高度を上げて登っていきます。
高度が上がるほどに、霧が濃くなってきます。
山頂の駐車場に到着。
標高は、1260mです。
霧の中、お弁当を食べました。景色はまったく見えません。
こんなことなら、バスの中で食べたらよかった・・・失敗です。
霧の中、山頂を目指して西登山道を登っていきます。
登山道は整備されていて、登りやすいです。
メタカラコウです。
花の名前は、家に帰ってから調べました。
間違っているものがあるかも知れませんが、間違っていたら、ごめんなさい。
遠くに目をやると、メタカラコウが群生していますが、遠くは霞んで見えません。
名前は、分かりませんでした。
色鮮やかで綺麗です。
クガイソウです。
ルリトラノオと、よく似ています。
露が付いて、綺麗です。
クルマバナです。
バスで横に座っていたオジさんが、シモツケソウの群生が綺麗やでと教えてくれたのですが、
フジテンニンソウやアカソ等の繁殖で群生が衰退して、なくなっていました。
網で囲って、シモツケソウ群落再生事業を行っていました。
シモツケソウが衰退した理由は、温暖化など色々な問題があるのでしょうが、
人が手を入れなかったのも一つの原因だと思います。
自然は手付かずにとゆう考えもあるでしょうが、ある程度保護していくことが大事だと思います。
オジさんは、伊吹山には何度も登っていて、伊吹山お花畑の小冊子をくれました。
親切なオジさんに感謝です。おおきにありがとうございました。
山頂で~す。
標高は1377mです。
117mの登山でしたが、20分くらいで登ってきて、ぜんぜん登り足りないです。
下りは、東登山道をいきます。
東登山道は、下り専用となっています。
ミツバベンケイソウです。
シシウドです。
下っているうちに、雨がメッチャ降ってきて、写真どころではなくなりました。
駐車場まで戻ってきて、小休止です。
ヤッケで歩いていたので、ビショビショになりました。
雨が上がって時間があったので、中央登山道を登ってみます。
イブキトラノオです。
風で動くのを虎の尾にたとえた名前です。
シモツケソウです。
可憐な花です。
昔、下野とゆう国があり、そこにこの草が沢山生えていたので、この名前になりました。
名前は分かりません。
雨粒が綺麗です。
ヤマアジサイです。
ホタルノブクロです。
子供がホタルをこの花の中に入れてお家に持って帰ったので、この名前になったそうです。
集合時間がせまってきたので、駐車場に戻ってきました。
帰る頃になって霧が晴れてきました。
雲が湧き上がってきて綺麗です。
メタカラコウの群生も目立つようになってきました。
醒ヶ井に寄りました。
地蔵川です。すごく澄んだ水で、水温は15℃だそうです。
ラムネを冷やして売っていましたが、それは冷蔵庫で冷やすほうがええんちゃうん。
梅花藻です。キンポウゲ科の水生多年草で、清流でしか育ちません。
直径1.5cmほどの小さな花です。梅の花に似ているので、この名前がつきました。
ピンクの花は、なんなのか分かりませんが、コントラストが綺麗です。
地蔵川の源流にあたります。
居醒の清水です。
日本武尊が大蛇退治で弱った体を、この清水で癒したとゆう伝説が残っています。
中山道の宿場町として栄え、今も古い町並みが残っています。
大阪に戻ってきたら、雨はやんでいました。
今度は、天気がええときに伊吹山に登りたいです。
できたら、一合目から登りたいなぁ。
サントリー京都ビール工場 工場見学 [日本]
2014年6月16日(月)曇
モルツ~モルツ~モルツ~モルツ~♫
うまいんだなぁ~これが!
暑くなるとビールがさらに美味しくなります。
とゆうわけで、サントリー京都ビール工場へやってきました。
阪急 西山天王山駅から歩いて10分くらいで到着です。
受付を済ませて、ロビーで待ちます。
サントリービールの代名詞にもなった「プレミアムモルツ」のロゴが壁にあります。
壁にズラッと並んだプレモル・・・美味しそうです。
ロビーから眺める庭園も綺麗です。
時間がきて、工場見学のスタートです。
山崎蒸溜所のガイドさんはお兄さんでしたが、ここでは綺麗なお姉さんが案内してくれます。
上手な説明で分かりやすかったです。
ロビーから外に出ると、ビールの生命ともいえるホップが栽培されていました。
工場まで歩いてエレベーターで2階に上がっていきます。
大きなタンクはビールを発酵させるタンクです。
一基約330kℓ、高さ約20mあって、毎日大ビンを1本飲んで1400年分入るそうです。
仕込み槽です。
砕いた麦芽に天然水を加え適度な温度にすると、麦芽中のでんぷんが糖にかわります。
その後にホップを加えて煮沸し、ホップの香りと苦味を持った「麦汁」をつくります。
この場所はとっても暑いです。夏場は50℃くらいになるそうです。
プレモルの原材料は、「天然水」・「麦」・「ホップ」のみです。
ビールに天然水を使っているのは、サントリーだけだそうです。
原料の二条大麦を食べさせてくれました。香ばしくて美味しかったです。
ホップの香りを嗅がせてもらいましたが、苦味を凝縮した香りでええ匂いではなかったです。
貯酒タンクです。
ここは打って変わって涼しいです。それもそのはずです。タンクは0℃に保たれています。
発酵が終了した「若ビール」をタンクの中で熟成させます。
熟成の度合いは人間の舌で判断します。
昼食前に時間に味見する(空腹時が一番味覚が敏感になるから)そうですが、仕事とはいえやりたくないですね。体調管理や匂いなどにも気を付けないといけないので大変だと思います。なーんも考えんで飲むのが一番えぇですね。
ろ過工程です。
熟成を終えたビールからオリや酵母を完全に取り除きます。
ここであの黄金色に澄んだ生ビールができるんですねー。
生ビールとは、熱処理されていないビールのことで、缶ビールであっても熱処理されてないものは生ビールになります。
缶に詰めています。
ものすごい速さで回っています。ようこぼれへんこっちゃと感心します。
酸素が入らないように炭酸ガスを吹きかけてからビールを入れたり、蓋をしていくそうです。
工場を出て試飲場所へバスで移動です。
工場内には出荷を待つビール達がいっぱいです。
いよいよお楽しみの試飲会場へ到着。
まず一杯目は、プレミアムモルツを頂きます。
香りがいいですねー。
泡まで美味しいです。
おツマミをつまみながら、庭の景色を眺めながら、
出来たてのビールを味わう・・・幸せな時間です。
2杯目はモルツ・ドラフトにしました。
飲食店で出しているビールです。
プレモルに比べたらあっさりした飲み口です。
好き好きでしょうが、プレモルのほうが好きです。
なので、もう一杯はプレモルにしました。
約60分の工場見学が終了しました。
昔はサントリービールは嫌いだったのですが、モルツが出てから見方が変わって、
プレモルのこだわりの美味しさが分かって楽しかったです。
モルツ~モルツ~モルツ~モルツ~♫
うまいんだなぁ~これが!
暑くなるとビールがさらに美味しくなります。
とゆうわけで、サントリー京都ビール工場へやってきました。
阪急 西山天王山駅から歩いて10分くらいで到着です。
受付を済ませて、ロビーで待ちます。
サントリービールの代名詞にもなった「プレミアムモルツ」のロゴが壁にあります。
壁にズラッと並んだプレモル・・・美味しそうです。
ロビーから眺める庭園も綺麗です。
時間がきて、工場見学のスタートです。
山崎蒸溜所のガイドさんはお兄さんでしたが、ここでは綺麗なお姉さんが案内してくれます。
上手な説明で分かりやすかったです。
ロビーから外に出ると、ビールの生命ともいえるホップが栽培されていました。
工場まで歩いてエレベーターで2階に上がっていきます。
大きなタンクはビールを発酵させるタンクです。
一基約330kℓ、高さ約20mあって、毎日大ビンを1本飲んで1400年分入るそうです。
仕込み槽です。
砕いた麦芽に天然水を加え適度な温度にすると、麦芽中のでんぷんが糖にかわります。
その後にホップを加えて煮沸し、ホップの香りと苦味を持った「麦汁」をつくります。
この場所はとっても暑いです。夏場は50℃くらいになるそうです。
プレモルの原材料は、「天然水」・「麦」・「ホップ」のみです。
ビールに天然水を使っているのは、サントリーだけだそうです。
原料の二条大麦を食べさせてくれました。香ばしくて美味しかったです。
ホップの香りを嗅がせてもらいましたが、苦味を凝縮した香りでええ匂いではなかったです。
貯酒タンクです。
ここは打って変わって涼しいです。それもそのはずです。タンクは0℃に保たれています。
発酵が終了した「若ビール」をタンクの中で熟成させます。
熟成の度合いは人間の舌で判断します。
昼食前に時間に味見する(空腹時が一番味覚が敏感になるから)そうですが、仕事とはいえやりたくないですね。体調管理や匂いなどにも気を付けないといけないので大変だと思います。なーんも考えんで飲むのが一番えぇですね。
ろ過工程です。
熟成を終えたビールからオリや酵母を完全に取り除きます。
ここであの黄金色に澄んだ生ビールができるんですねー。
生ビールとは、熱処理されていないビールのことで、缶ビールであっても熱処理されてないものは生ビールになります。
缶に詰めています。
ものすごい速さで回っています。ようこぼれへんこっちゃと感心します。
酸素が入らないように炭酸ガスを吹きかけてからビールを入れたり、蓋をしていくそうです。
工場を出て試飲場所へバスで移動です。
工場内には出荷を待つビール達がいっぱいです。
いよいよお楽しみの試飲会場へ到着。
まず一杯目は、プレミアムモルツを頂きます。
香りがいいですねー。
泡まで美味しいです。
おツマミをつまみながら、庭の景色を眺めながら、
出来たてのビールを味わう・・・幸せな時間です。
2杯目はモルツ・ドラフトにしました。
飲食店で出しているビールです。
プレモルに比べたらあっさりした飲み口です。
好き好きでしょうが、プレモルのほうが好きです。
なので、もう一杯はプレモルにしました。
約60分の工場見学が終了しました。
昔はサントリービールは嫌いだったのですが、モルツが出てから見方が変わって、
プレモルのこだわりの美味しさが分かって楽しかったです。
サントリー山崎蒸溜所 ガイドツアー [日本]
2014年5月27日(火)曇
ウイスキーが、お好きでしょ~♫
ハーイ、大好きで~す。
とゆうわけで、サントリー山崎蒸溜所へやってきました。
無料のガイドツアーに申し込みました。
最寄駅は、JR山崎か阪急大山崎です。
どちらからも歩いて10分くらいです。
工場の入口で受付してもらいます。
11時からのツアーに申し込んだのですが、満員になっていました。
人気があるんですねー。
受付でインターネット予約特典の工場オリジナルグッズを頂きました。
中身は、ロックグラスでした。
ウイスキー館です。
ここの2階からガイドツアーはスタートします。
ツアーに参加しなくても、ここの1階でウイスキーを飲むことができます。
ウイスキー館の前には綺麗な花が咲いていました。
ガイドのお兄さんに連れられて、ガイドツアーの開始です。
外に出ると、サントリー創業者の鳥井信治郎さんと元サントリー会長の佐治敬三さんです。
工場に入る前に手をアルコール消毒します。
ウイスキーとビールと焼酎の違いを聞いてから、まずは仕込・発酵室へと入っていきます。
原料となる二条大麦です。
これを発芽・乾燥させて麦芽にします。
左手には、ステンレスの仕込槽があります。
麦芽を細かく砕いて、温水とともに入れます。
デンプンが糖分に変わり、時間をかけて濾過して、麦汁(糖分14%)をつくります。
工場の中は、麦汁の甘い香りでいっぱいです。
右手には、発酵槽があります。
麦汁に酵母を加えます。
酵母の働きにより、アルコール(約7%)を造り出し、
木桶由来の乳酸菌などにより独特の香味成分を造り出していきます。
造る場所によって、乳酸菌が変わるので味も違ってきます。
発酵槽は木桶中心ですが、ステンレスのものもあります。
蒸溜室です。
右側が初溜釜で、左側が再溜釜です。2回蒸溜します。
2回の蒸溜によって、無色透明のニューポット(アルコール分約70%)が流れています。
蒸溜室を出たところで、匂いをかぐことが出来ます。
蒸溜釜は、ストレート型とバジル型の2種類を使っています。
ストレートなものほど、蒸溜しても成分が そのまま残りやすく、重厚な味になるのだそうです。
貯蔵庫です。
ずらっと並んだ樽樽樽・・・。熟成を待っています。
貯蔵庫へ入る前に、ガイドさんが匂いがきついので気分が悪くなったらゆうて下さいとゆうてましたが、
確かに強烈な匂いです。アルコールに弱い方なら、この匂いだけで酔っ払ってしまうんとちゃうかな。
熟成の進み具合が見られます。
右が4年、左が12年です。
色がまったく違っています。量も12年のほうは、かなり減っています。
ここの蒸溜所では、5種類の樽を使っています。
それによって、いろいろなシングルモルトを造り出すことが出来ます。
いろいろなシングルモルトを造り出すことによって、それらをブレンドすることによって様々なブレンドウィスキーを造り出すことが出来るのです。
ウィスキーの本場スコットランドでは、数多くの蒸溜所が存在し、各蒸溜所で造られたシングルモルトがありますが、日本国内にはウィスキー蒸溜所はわずかしか存在しません。そこで、日本人の好みに合った、多様なウィスキーを開発したいという願いから、単一の蒸溜所でこのような多彩なシングルモルトを造り出すことにしたのだそうです。ここにサントリーのウィスキーづくりにかけた意気込みが感じられます。
工場を出たら滝と池がありました。
ウイスキー造りの生命は、水です。
山崎峡あたりの水は万葉の昔から水生野(みなせの)と呼ばれた名水の里でした。
茶道を究めた千利休も、この水でお茶をたてたと言われています。
ツアーのお楽しみ試飲の時間です。
この日の試飲は、まずは山崎のハイボールからです。
山崎は12年が飲みたかったので、ちょっと残念ですが、甘味があってふくよかで美味しいです。
チェイサーは、もちろん山崎の湧水です。美味しい水です。
おつまみは、ナッツ類とチョコレートです。
もう1種類のウイスキー白州をお代わりして、飲み比べです。
白州は初めて飲みましたが、山崎に比べて硬質な感じです。
日本酒でいえば、辛口でしょうか。
今度は、2種類をストレートで飲み比べです。
ハイボールだと山崎のほうが美味しかったですが、ストレートだと白州のほうが美味しかったです。
飲み方や、料理との相性などで、感じ方はがらっと変わるので、そこがお酒の奥の深さと面白さだなと改めて思いながら・・・ええ心持ちになった1時間でした。
ウイスキーが、お好きでしょ~♫
ハーイ、大好きで~す。
とゆうわけで、サントリー山崎蒸溜所へやってきました。
無料のガイドツアーに申し込みました。
最寄駅は、JR山崎か阪急大山崎です。
どちらからも歩いて10分くらいです。
工場の入口で受付してもらいます。
11時からのツアーに申し込んだのですが、満員になっていました。
人気があるんですねー。
受付でインターネット予約特典の工場オリジナルグッズを頂きました。
中身は、ロックグラスでした。
ウイスキー館です。
ここの2階からガイドツアーはスタートします。
ツアーに参加しなくても、ここの1階でウイスキーを飲むことができます。
ウイスキー館の前には綺麗な花が咲いていました。
ガイドのお兄さんに連れられて、ガイドツアーの開始です。
外に出ると、サントリー創業者の鳥井信治郎さんと元サントリー会長の佐治敬三さんです。
工場に入る前に手をアルコール消毒します。
ウイスキーとビールと焼酎の違いを聞いてから、まずは仕込・発酵室へと入っていきます。
原料となる二条大麦です。
これを発芽・乾燥させて麦芽にします。
左手には、ステンレスの仕込槽があります。
麦芽を細かく砕いて、温水とともに入れます。
デンプンが糖分に変わり、時間をかけて濾過して、麦汁(糖分14%)をつくります。
工場の中は、麦汁の甘い香りでいっぱいです。
右手には、発酵槽があります。
麦汁に酵母を加えます。
酵母の働きにより、アルコール(約7%)を造り出し、
木桶由来の乳酸菌などにより独特の香味成分を造り出していきます。
造る場所によって、乳酸菌が変わるので味も違ってきます。
発酵槽は木桶中心ですが、ステンレスのものもあります。
蒸溜室です。
右側が初溜釜で、左側が再溜釜です。2回蒸溜します。
2回の蒸溜によって、無色透明のニューポット(アルコール分約70%)が流れています。
蒸溜室を出たところで、匂いをかぐことが出来ます。
蒸溜釜は、ストレート型とバジル型の2種類を使っています。
ストレートなものほど、蒸溜しても成分が そのまま残りやすく、重厚な味になるのだそうです。
貯蔵庫です。
ずらっと並んだ樽樽樽・・・。熟成を待っています。
貯蔵庫へ入る前に、ガイドさんが匂いがきついので気分が悪くなったらゆうて下さいとゆうてましたが、
確かに強烈な匂いです。アルコールに弱い方なら、この匂いだけで酔っ払ってしまうんとちゃうかな。
熟成の進み具合が見られます。
右が4年、左が12年です。
色がまったく違っています。量も12年のほうは、かなり減っています。
ここの蒸溜所では、5種類の樽を使っています。
それによって、いろいろなシングルモルトを造り出すことが出来ます。
いろいろなシングルモルトを造り出すことによって、それらをブレンドすることによって様々なブレンドウィスキーを造り出すことが出来るのです。
ウィスキーの本場スコットランドでは、数多くの蒸溜所が存在し、各蒸溜所で造られたシングルモルトがありますが、日本国内にはウィスキー蒸溜所はわずかしか存在しません。そこで、日本人の好みに合った、多様なウィスキーを開発したいという願いから、単一の蒸溜所でこのような多彩なシングルモルトを造り出すことにしたのだそうです。ここにサントリーのウィスキーづくりにかけた意気込みが感じられます。
工場を出たら滝と池がありました。
ウイスキー造りの生命は、水です。
山崎峡あたりの水は万葉の昔から水生野(みなせの)と呼ばれた名水の里でした。
茶道を究めた千利休も、この水でお茶をたてたと言われています。
ツアーのお楽しみ試飲の時間です。
この日の試飲は、まずは山崎のハイボールからです。
山崎は12年が飲みたかったので、ちょっと残念ですが、甘味があってふくよかで美味しいです。
チェイサーは、もちろん山崎の湧水です。美味しい水です。
おつまみは、ナッツ類とチョコレートです。
もう1種類のウイスキー白州をお代わりして、飲み比べです。
白州は初めて飲みましたが、山崎に比べて硬質な感じです。
日本酒でいえば、辛口でしょうか。
今度は、2種類をストレートで飲み比べです。
ハイボールだと山崎のほうが美味しかったですが、ストレートだと白州のほうが美味しかったです。
飲み方や、料理との相性などで、感じ方はがらっと変わるので、そこがお酒の奥の深さと面白さだなと改めて思いながら・・・ええ心持ちになった1時間でした。
熊野古道ハイキング [日本]
2014年3月29日(土)曇後雨
以前から行きたいと思っていた熊野古道にツアーで行くことに。
梅田からバス2台で出発です。
私が乗ったバスは33人の参加です。
二人掛けのところに一人で座れたので楽です。
参加者は若い人から年配の方まで老若男女いろいろです。
最高齢は84歳のお父さんが参加してはりました。
ほんまは継桜王子から熊野本宮大社のコースを歩きたかったのですが、
22.1kmを6時間50分で歩けるかどうか自信がなく、気軽に歩けるコースにしました。
一度トイレ休憩をはさんで4時間ほどで、熊野古道に到着。
熊野本宮大社からは、語り部さんが乗り込んできて、一気に熊野詣で気分です。
発心門王子です。
発心門王子から熊野本宮大社のコースは人気のコースで、
後鳥羽院・藤原定家・和泉式部も歩いたとされています。
発心門王子で語り部さんの話を聞いてから昼食です。
熊野のはいきんぐ弁当です。美味しかったですが、量が少なかったです。
みんなでストレッチをしてから、出発です。
発心門王子からは、出発熊野本宮大社の神域となります。
熊野古道が世界遺産に登録されてから10年になります。
語り部さんの話を聞きながらのハイキングなので、かなりゆっくりとしたペースで歩いていきます。
何気ないない風景が旅心を盛り上げます。
発心門王子から水呑王子までは、舗装された道を歩いていきます。
番号が書かれた道標がありますが、1つ番号が増減すると500m歩いたことになり、非常に分かりやすいです。
熊野古道には所々にお地蔵さんがあります。
これは、歯痛のお地蔵さんです。
昔は歯医者に行くのにも泊りがけだったそうで、なかなか歯医者にかかれずお地蔵さんを頼ったのでしょうね。
私は虫歯治療中だったのでお祈りしました。
水呑王子です。
緑泥片岩で出来た碑です。
右側にある2対のお地蔵さんは、腰痛のお地蔵さんです。
私は腰痛持ちなのでお祈りしました。
水呑王子は元は小学校のあった敷地にあります。
廃校になった小学校です。
水呑王子を過ぎると地道になって、「蘇生の森 熊野古道」の碑があります。
針葉樹林の中を歩いていくのは、とっても気持ちがいいです。
森林浴は午前中にするのがいいそうで、ちょっと遅かったですが・・・。
語り部さんが通行手形のコピーを見せながら説明してくれます。
通行手形は、今ならパスポートのようなものにあたります。
茶畑の緑が目に優しいです。
伏拝王子の坂を登りきる前に桜が出迎えてくれています。
伏拝王子からの眺めです。
本宮旧社地の森が遠望できます。
参詣者はここから大社の社殿を伏し拝んだといわれています。
私たちも、ここでちょっと休憩です。
茶屋があって温泉コーヒーを出しています。
発心門王子から3.6km歩いてきました。
本宮大社まで、あと3.3kmです。
三軒茶屋跡です。
一軒ですが、屋根を三層にして三軒茶屋を表しています。
「右かうや十九り半 左きみい寺三十一り半」と刻み込まれています。
三軒茶屋は、果無峠を経て熊野と高野を結ぶ果無街道と中辺路街道の分岐点でした。
ちょっとより道の看板があり、坂を登っていきます。
眼下には熊野川がとうとうと流れています。
大斎原(おおゆのはら)の鳥居(熊野本宮大社の旧社地の鳥居)が見えています。
黒い鳥居です。
ぞろぞろと歩いている様は、蟻の熊野参りのようです。
大阪にはない花。
こしょの花です。
語り部さんが教えてくれました。
祓所王子です。
この王子は現熊野本宮大社のすぐ裏手にあたります。
ここは旅のけがれを祓い清める潔斎所であったものとみられています。
八咫ポストです。
黒い郵便ポストの上に八咫烏が乗っています。
桜が満開で迎えてくれています。
手を清めてから、熊野本宮大社にお参りです。
神門から入っていきます。
右から本宮の証誠殿、結宮の中御前、西御前です。
お参りを済ませて階段を下りていきます。
かなり急な階段です。
階段を下りきると熊野本宮大社の鳥居です。
こちらからお参りするときは、階段を上っていかないといけません。
熊野本宮館で熊野太鼓連の演舞が行われいました。
演舞を見たあとに、今回のツアー客には豚汁が振舞われいました。
よく歩いたあとなので、お腹に染み入ります。
ゆるキャラ、八咫之助です。
ゆるキャラといいながら、カラスなので目が怖いです。
本宮館の中には色んな展示品もあります。
蟻の熊野参りのジオラマです。
川辺に行くと、桜と大鳥居が綺麗に並んで見えました。
大斎原の大鳥居です。
高さ約34m、幅約42mです。日本一の大鳥居です。
この日は曇っていて後半はポツポツと雨が降ってきましたが、なんとか持ってくれました。
帰りのバス車中で、熊野古道中辺路押印帳をいただきました。
熊野古道は色々なルートがあるので、また歩いてみたいです。
こちらは、熊野古道 花の写真集で、花と歩く旅です。
花を愛でながら、熊野古道を歩くのも楽しそうです。
帰り道は雨が土砂降りになって、高速道路は50km規制になって大渋滞でした。
以前から行きたいと思っていた熊野古道にツアーで行くことに。
梅田からバス2台で出発です。
私が乗ったバスは33人の参加です。
二人掛けのところに一人で座れたので楽です。
参加者は若い人から年配の方まで老若男女いろいろです。
最高齢は84歳のお父さんが参加してはりました。
ほんまは継桜王子から熊野本宮大社のコースを歩きたかったのですが、
22.1kmを6時間50分で歩けるかどうか自信がなく、気軽に歩けるコースにしました。
一度トイレ休憩をはさんで4時間ほどで、熊野古道に到着。
熊野本宮大社からは、語り部さんが乗り込んできて、一気に熊野詣で気分です。
発心門王子です。
発心門王子から熊野本宮大社のコースは人気のコースで、
後鳥羽院・藤原定家・和泉式部も歩いたとされています。
発心門王子で語り部さんの話を聞いてから昼食です。
熊野のはいきんぐ弁当です。美味しかったですが、量が少なかったです。
みんなでストレッチをしてから、出発です。
発心門王子からは、出発熊野本宮大社の神域となります。
熊野古道が世界遺産に登録されてから10年になります。
語り部さんの話を聞きながらのハイキングなので、かなりゆっくりとしたペースで歩いていきます。
何気ないない風景が旅心を盛り上げます。
発心門王子から水呑王子までは、舗装された道を歩いていきます。
番号が書かれた道標がありますが、1つ番号が増減すると500m歩いたことになり、非常に分かりやすいです。
熊野古道には所々にお地蔵さんがあります。
これは、歯痛のお地蔵さんです。
昔は歯医者に行くのにも泊りがけだったそうで、なかなか歯医者にかかれずお地蔵さんを頼ったのでしょうね。
私は虫歯治療中だったのでお祈りしました。
水呑王子です。
緑泥片岩で出来た碑です。
右側にある2対のお地蔵さんは、腰痛のお地蔵さんです。
私は腰痛持ちなのでお祈りしました。
水呑王子は元は小学校のあった敷地にあります。
廃校になった小学校です。
水呑王子を過ぎると地道になって、「蘇生の森 熊野古道」の碑があります。
針葉樹林の中を歩いていくのは、とっても気持ちがいいです。
森林浴は午前中にするのがいいそうで、ちょっと遅かったですが・・・。
語り部さんが通行手形のコピーを見せながら説明してくれます。
通行手形は、今ならパスポートのようなものにあたります。
茶畑の緑が目に優しいです。
伏拝王子の坂を登りきる前に桜が出迎えてくれています。
伏拝王子からの眺めです。
本宮旧社地の森が遠望できます。
参詣者はここから大社の社殿を伏し拝んだといわれています。
私たちも、ここでちょっと休憩です。
茶屋があって温泉コーヒーを出しています。
発心門王子から3.6km歩いてきました。
本宮大社まで、あと3.3kmです。
三軒茶屋跡です。
一軒ですが、屋根を三層にして三軒茶屋を表しています。
「右かうや十九り半 左きみい寺三十一り半」と刻み込まれています。
三軒茶屋は、果無峠を経て熊野と高野を結ぶ果無街道と中辺路街道の分岐点でした。
ちょっとより道の看板があり、坂を登っていきます。
眼下には熊野川がとうとうと流れています。
大斎原(おおゆのはら)の鳥居(熊野本宮大社の旧社地の鳥居)が見えています。
黒い鳥居です。
ぞろぞろと歩いている様は、蟻の熊野参りのようです。
大阪にはない花。
こしょの花です。
語り部さんが教えてくれました。
祓所王子です。
この王子は現熊野本宮大社のすぐ裏手にあたります。
ここは旅のけがれを祓い清める潔斎所であったものとみられています。
八咫ポストです。
黒い郵便ポストの上に八咫烏が乗っています。
桜が満開で迎えてくれています。
手を清めてから、熊野本宮大社にお参りです。
神門から入っていきます。
右から本宮の証誠殿、結宮の中御前、西御前です。
お参りを済ませて階段を下りていきます。
かなり急な階段です。
階段を下りきると熊野本宮大社の鳥居です。
こちらからお参りするときは、階段を上っていかないといけません。
熊野本宮館で熊野太鼓連の演舞が行われいました。
演舞を見たあとに、今回のツアー客には豚汁が振舞われいました。
よく歩いたあとなので、お腹に染み入ります。
ゆるキャラ、八咫之助です。
ゆるキャラといいながら、カラスなので目が怖いです。
本宮館の中には色んな展示品もあります。
蟻の熊野参りのジオラマです。
川辺に行くと、桜と大鳥居が綺麗に並んで見えました。
大斎原の大鳥居です。
高さ約34m、幅約42mです。日本一の大鳥居です。
この日は曇っていて後半はポツポツと雨が降ってきましたが、なんとか持ってくれました。
帰りのバス車中で、熊野古道中辺路押印帳をいただきました。
熊野古道は色々なルートがあるので、また歩いてみたいです。
こちらは、熊野古道 花の写真集で、花と歩く旅です。
花を愛でながら、熊野古道を歩くのも楽しそうです。
帰り道は雨が土砂降りになって、高速道路は50km規制になって大渋滞でした。
日生カキ食べ放題と倉敷美観地区 [日本]
2014年2月25日(火)晴
グルメツアー第2弾として選んだのは、カキ食べ放題ツアーです。
いつものように梅田からの出発です。
乗客は9割弱で、カキはあんまり人気がないのでしょうか?
カキは好きな人は好きですが、まったく食べられない人もいてて、好き嫌いが分かれるところですね。
途中一回休憩をはさんで、児島駅近くのレストランへ。
食べ放題は、ツアー客相手のみに行っているようです。
メニューで~す。
カキしゃぶ鍋です。
カキは小ぶりのカキです。じゃんじゃん放り込んでいきます。
カキフライとカキころ煮です。
カキフライは熱々じゃなくて、甘いソースとポン酢しかなくて、タルタルソースが欲しかったです。
カキころ煮は甘い味付けで、イマイチでした。
焼きガキです。
安全を考えてか、一度蒸してあります。
固形燃料での焼きなので、なかなか焼けません。
カキ飯です。
カキが少ないです。
50分食べ放題のスタートです。
よーし、食べるどー。
ビールとお酒を注文して、ひたすら食べます。
今回のツアーは女性客が圧倒的に多いです。
カニのときは、男性も多かったのですが、カキ好きは女性のほうが多いのでしょうか?
中には、10個くらい食べてすぐに終了してはる人もいてはりました。
それやったら、食べ放題ツアーじゃないほうがええように思うのですが・・・。
概ね、よく食べてはりました。
50分ギリギリまで食べてはる人も多かったです。
メニューの中では焼きガキが一番美味しかったです。
20個くらい焼いたかな。
あと、いろいろと合わせて150個くらい食べました。
ごっつおっさんでした。
レストランの前には、児島湾が広がっています。
晴れているのですが、PM2.5の影響などで霞んでいます。
橋を渡れば香川県です。
倉敷へ移動して、美観地区の散策です。
1時間半の時間をもらいました。
大橋家住宅です。
大橋家は倉敷町屋の典型を示す代表的な建物で、主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が、昭和53年(1978)国の重要文化財の指定を受けています。
時間があれば中を見たいのですが、時間がないので表から見ただけです。
倉敷といえば、大原美術館です。
1930年(昭和5年)に日本で最初の近代西洋美術館で、 倉敷を基盤に幅広く活躍した実業家大原孫三郎が、 洋画家児島虎次郎が収集した西洋絵画の展示の為に造られました。
有鄰荘です。
大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸です。独特の製法で焼かれた瓦は、見る角度によって緑色に光り、地元では「緑御殿」とも呼ばれています。
倉敷川と白壁の建物。
なんとも風情がありますなー。
倉敷は美容学校に通っていたときにサイクリングで一度来たことがありますが、今度はゆっくりと訪れたいです。
星野仙一記念館です。
星野仙一は倉敷の出身だったのですね。知りませんでした。
美観地区にはそぐはない建物ですが、奥まったところにあるのでよしとしましょう。
倉敷アイビースクエアです。
蔦が綺麗です。
倉敷アイビースクエアのシンボルでもある赤レンガと蔦は、紡績工場であった当時、 大原孫三郎氏の「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という信念の基に植えられていました。
本町通りです。
人力車に乗って観光してはる人もいてました。
一歩路地に入ると人もいなくて、ひっそりとしています。
なまこ壁が綺麗です。
備前焼の店もあります。
埴輪がでーんといてましたが、埴輪も備前焼で出来ているのでしょうか?
中国銀行倉敷本町出張所です。
第一合同銀行の倉敷支店として,大正11年に竣工したルネサンス風の建物です。総社市出身の薬師寺主計が設計しました。彼は大原美術館や有隣荘など,大原家関連の建物の多くに関わった建築家です。
1時間半の時間は、あっとゆう間に過ぎて帰路に着きました。
倉敷は時間をたっぷりと取って、ゆっくりと過ごすのがいいですね。
高速道路は渋滞していました。
いつも渋滞していて、何か解決策はないもんなんでしょうか。
いつも疑問に思います。
30年ぶりの倉敷、30年前と変わらぬ風景でした。
いつまでも残って欲しい風景です。
グルメツアー第2弾として選んだのは、カキ食べ放題ツアーです。
いつものように梅田からの出発です。
乗客は9割弱で、カキはあんまり人気がないのでしょうか?
カキは好きな人は好きですが、まったく食べられない人もいてて、好き嫌いが分かれるところですね。
途中一回休憩をはさんで、児島駅近くのレストランへ。
食べ放題は、ツアー客相手のみに行っているようです。
メニューで~す。
カキしゃぶ鍋です。
カキは小ぶりのカキです。じゃんじゃん放り込んでいきます。
カキフライとカキころ煮です。
カキフライは熱々じゃなくて、甘いソースとポン酢しかなくて、タルタルソースが欲しかったです。
カキころ煮は甘い味付けで、イマイチでした。
焼きガキです。
安全を考えてか、一度蒸してあります。
固形燃料での焼きなので、なかなか焼けません。
カキ飯です。
カキが少ないです。
50分食べ放題のスタートです。
よーし、食べるどー。
ビールとお酒を注文して、ひたすら食べます。
今回のツアーは女性客が圧倒的に多いです。
カニのときは、男性も多かったのですが、カキ好きは女性のほうが多いのでしょうか?
中には、10個くらい食べてすぐに終了してはる人もいてはりました。
それやったら、食べ放題ツアーじゃないほうがええように思うのですが・・・。
概ね、よく食べてはりました。
50分ギリギリまで食べてはる人も多かったです。
メニューの中では焼きガキが一番美味しかったです。
20個くらい焼いたかな。
あと、いろいろと合わせて150個くらい食べました。
ごっつおっさんでした。
レストランの前には、児島湾が広がっています。
晴れているのですが、PM2.5の影響などで霞んでいます。
橋を渡れば香川県です。
倉敷へ移動して、美観地区の散策です。
1時間半の時間をもらいました。
大橋家住宅です。
大橋家は倉敷町屋の典型を示す代表的な建物で、主屋や長屋門・米蔵・内蔵の4棟が、昭和53年(1978)国の重要文化財の指定を受けています。
時間があれば中を見たいのですが、時間がないので表から見ただけです。
倉敷といえば、大原美術館です。
1930年(昭和5年)に日本で最初の近代西洋美術館で、 倉敷を基盤に幅広く活躍した実業家大原孫三郎が、 洋画家児島虎次郎が収集した西洋絵画の展示の為に造られました。
有鄰荘です。
大原孫三郎が家族で住むために建てた大原家の旧別邸です。独特の製法で焼かれた瓦は、見る角度によって緑色に光り、地元では「緑御殿」とも呼ばれています。
倉敷川と白壁の建物。
なんとも風情がありますなー。
倉敷は美容学校に通っていたときにサイクリングで一度来たことがありますが、今度はゆっくりと訪れたいです。
星野仙一記念館です。
星野仙一は倉敷の出身だったのですね。知りませんでした。
美観地区にはそぐはない建物ですが、奥まったところにあるのでよしとしましょう。
倉敷アイビースクエアです。
蔦が綺麗です。
倉敷アイビースクエアのシンボルでもある赤レンガと蔦は、紡績工場であった当時、 大原孫三郎氏の「自然と調和しながら健康的な労働環境を」という信念の基に植えられていました。
本町通りです。
人力車に乗って観光してはる人もいてました。
一歩路地に入ると人もいなくて、ひっそりとしています。
なまこ壁が綺麗です。
備前焼の店もあります。
埴輪がでーんといてましたが、埴輪も備前焼で出来ているのでしょうか?
中国銀行倉敷本町出張所です。
第一合同銀行の倉敷支店として,大正11年に竣工したルネサンス風の建物です。総社市出身の薬師寺主計が設計しました。彼は大原美術館や有隣荘など,大原家関連の建物の多くに関わった建築家です。
1時間半の時間は、あっとゆう間に過ぎて帰路に着きました。
倉敷は時間をたっぷりと取って、ゆっくりと過ごすのがいいですね。
高速道路は渋滞していました。
いつも渋滞していて、何か解決策はないもんなんでしょうか。
いつも疑問に思います。
30年ぶりの倉敷、30年前と変わらぬ風景でした。
いつまでも残って欲しい風景です。