サラエヴォ~ヴィシェグラード移動(バス) [ボスニア・ヘルツェゴヴィナ]
2010年10月2日(土)サラエヴォ曇 ヴィシェグラード晴
7時チェックアウト。
預けていた寝袋を返してもらいました。名前もつけてないので勝手に取っていってくれと言われました。ええ加減な管理の仕方です。
103番のトロリーバスに乗ってセルビア人共和国側バスターミナルに行きます。料金は1.8KM。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ムスリムとクロアチア人による「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」と、セルビア人による「セルビア共和国」とゆう独自性の高い地方政体によって構成されています。
宿はボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦側にありますが、ヴィシェグラードに行く東サラエヴォ・バスターミナルはセルビア共和国側にあります。現在は警備もほとんどされていませんが、境界があります。
自分の愛する人を殺した人間が、すぐ隣に住んでいるとゆうのは複雑な気持ちやろなあと想像します。
30分ほどで、トラムの終点に到着。
下りるときに、おじいさんが大きな荷物を見て旅人と思ったのでしょう、バスターミナルはまっすぐ行って左側やで(推測)とセルビア語で教えてくれました。セルビア人も親切です。
トラムの終点からバスターミナルまで500mほどです。
8時前にターミナルに着きましたが、チケット売り場の窓口が閉まっています。営業維持間は6時から23時となっているのですが・・・。
他にも待っている人がいてたので、この窓口で間違いないのでしょう。8時過ぎに係りのおじさんがやって来て、チケットを購入しました。料金は14.5KMです。ボスニアのバスは指定席になっています。
時間があまりないので、Fast Foodでチェヴァプチチを注文。注文を聞いてから、ソーセージを焼き始めて、玉葱を刻み始めます。決してFastではないですが、これがボスニアのFastなのでしょう。料金は3.5KM。
食べているうちに、バスがやってきました。
荷物預け料は、1KMです。
定刻どおり8時40分にバスは出発。
隣のお姉さんがチョコレートをくれました。やっぱりボスニア人は、親切なんでしょう。
11時30分、ヴィシェグラードに到着。
バスはバスターミナルまで行かず、メフメット・パシャ・コロヴィッチ橋のたもとに止まります。
のんびりとした眺めの町です。
宿は予約していません。客引きがいてるかなと思ったけど、誰もいません。
町を歩いてみましたが、ソベ(個人宅の宿)も見当たりません。ガイドブックに載っているMotel Okukaに行ってみました。
英語が全く通じなくて、ジェスチャーで交渉しました。
部屋は空いていて泊まれます。
シングル、シャワー・トイレ付で1泊40KMです。高いですが、他にあてもないのでここにします。
週末で混んでいるかなと思っていたのですが、他には誰も宿泊客はいないようです。
ヴィシェグラードは、「ドリナの橋」の舞台になっている町です。「ドリナの橋」は、イヴォ・アンドリッチの小説です。
私は全く知りませんでしたが、イヴォ・アンドリッチは、1961年にノーベル文学賞を受賞した作家です。
そのドリナの橋こと、ドリナ川にかかるメフメット・パシャ・コロヴィッチ橋です。
メフメット・パシャ・コロヴィッチ橋は、オスマン朝のスルタンに大宰相として仕えたメフメット・ソコルル・パシャが建造した橋です。
メフメット・ソコルル・パシャはヴィシェグラードの生まれで、イスタンブールに送られ大宰相にまで上り詰めた人物です。
橋の設計は、宮廷建築家でトルコ史上最高の建築家といわれるミマール・スィナンが担当し、11のアーチからなる全長175mのこの橋は、彼が設計した橋の中でも最高傑作と評されています。2007年に世界遺産に登録されました。
ヴィシェグラードは、小さな村です。メフメット・パシャ・コロヴィッチ橋以外は、これといった見どころもないです。
メグダン・プロヴォステヴナ教会です。
外から見たら大きな協会に見えますが、中は小さいです。
教会の隣に墓地がありますが、1992~1995年の内戦で亡くなった人の墓がほとんどです。
「ドリナの橋」を書いたイヴォ・アンドリッチの家があります。
中には入れません。小さくて質素な家です。
ウジツェ行きの、バスの時間を確認しに、バスターミナルに行きます。
ガイドブックの地図を見ながら行ったのですが、バスターミナルではなくて、鉄道駅です。これは、完全にガイドブックのミスでしょう。
インフォに行って、バスターミナルとバスの時間を教えてもらいました。バス料金は、はっきりした料金は分かりませんでした。20KMもあれば、大丈夫と思います。
寝ようと思って鍵をかけようとしましたが、鍵がかかりません。部屋は散らかっているし1泊だけなので、ええかと思って椅子で扉につっかえをして寝ました。
7時チェックアウト。
預けていた寝袋を返してもらいました。名前もつけてないので勝手に取っていってくれと言われました。ええ加減な管理の仕方です。
103番のトロリーバスに乗ってセルビア人共和国側バスターミナルに行きます。料金は1.8KM。
ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ムスリムとクロアチア人による「ボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦」と、セルビア人による「セルビア共和国」とゆう独自性の高い地方政体によって構成されています。
宿はボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦側にありますが、ヴィシェグラードに行く東サラエヴォ・バスターミナルはセルビア共和国側にあります。現在は警備もほとんどされていませんが、境界があります。
自分の愛する人を殺した人間が、すぐ隣に住んでいるとゆうのは複雑な気持ちやろなあと想像します。
30分ほどで、トラムの終点に到着。
下りるときに、おじいさんが大きな荷物を見て旅人と思ったのでしょう、バスターミナルはまっすぐ行って左側やで(推測)とセルビア語で教えてくれました。セルビア人も親切です。
トラムの終点からバスターミナルまで500mほどです。
8時前にターミナルに着きましたが、チケット売り場の窓口が閉まっています。営業維持間は6時から23時となっているのですが・・・。
他にも待っている人がいてたので、この窓口で間違いないのでしょう。8時過ぎに係りのおじさんがやって来て、チケットを購入しました。料金は14.5KMです。ボスニアのバスは指定席になっています。
時間があまりないので、Fast Foodでチェヴァプチチを注文。注文を聞いてから、ソーセージを焼き始めて、玉葱を刻み始めます。決してFastではないですが、これがボスニアのFastなのでしょう。料金は3.5KM。
食べているうちに、バスがやってきました。
荷物預け料は、1KMです。
定刻どおり8時40分にバスは出発。
隣のお姉さんがチョコレートをくれました。やっぱりボスニア人は、親切なんでしょう。
11時30分、ヴィシェグラードに到着。
バスはバスターミナルまで行かず、メフメット・パシャ・コロヴィッチ橋のたもとに止まります。
のんびりとした眺めの町です。
宿は予約していません。客引きがいてるかなと思ったけど、誰もいません。
町を歩いてみましたが、ソベ(個人宅の宿)も見当たりません。ガイドブックに載っているMotel Okukaに行ってみました。
英語が全く通じなくて、ジェスチャーで交渉しました。
部屋は空いていて泊まれます。
シングル、シャワー・トイレ付で1泊40KMです。高いですが、他にあてもないのでここにします。
週末で混んでいるかなと思っていたのですが、他には誰も宿泊客はいないようです。
ヴィシェグラードは、「ドリナの橋」の舞台になっている町です。「ドリナの橋」は、イヴォ・アンドリッチの小説です。
私は全く知りませんでしたが、イヴォ・アンドリッチは、1961年にノーベル文学賞を受賞した作家です。
そのドリナの橋こと、ドリナ川にかかるメフメット・パシャ・コロヴィッチ橋です。
メフメット・パシャ・コロヴィッチ橋は、オスマン朝のスルタンに大宰相として仕えたメフメット・ソコルル・パシャが建造した橋です。
メフメット・ソコルル・パシャはヴィシェグラードの生まれで、イスタンブールに送られ大宰相にまで上り詰めた人物です。
橋の設計は、宮廷建築家でトルコ史上最高の建築家といわれるミマール・スィナンが担当し、11のアーチからなる全長175mのこの橋は、彼が設計した橋の中でも最高傑作と評されています。2007年に世界遺産に登録されました。
ヴィシェグラードは、小さな村です。メフメット・パシャ・コロヴィッチ橋以外は、これといった見どころもないです。
メグダン・プロヴォステヴナ教会です。
外から見たら大きな協会に見えますが、中は小さいです。
教会の隣に墓地がありますが、1992~1995年の内戦で亡くなった人の墓がほとんどです。
「ドリナの橋」を書いたイヴォ・アンドリッチの家があります。
中には入れません。小さくて質素な家です。
ウジツェ行きの、バスの時間を確認しに、バスターミナルに行きます。
ガイドブックの地図を見ながら行ったのですが、バスターミナルではなくて、鉄道駅です。これは、完全にガイドブックのミスでしょう。
インフォに行って、バスターミナルとバスの時間を教えてもらいました。バス料金は、はっきりした料金は分かりませんでした。20KMもあれば、大丈夫と思います。
寝ようと思って鍵をかけようとしましたが、鍵がかかりません。部屋は散らかっているし1泊だけなので、ええかと思って椅子で扉につっかえをして寝ました。
2010-10-03 23:42
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