イスタンブール~ベイルート(レバノン)移動(飛行機) [レバノン]
2010年10月21日(木)イスタンブール晴 ベイルート曇
8時前に、チェックアウト。
支払いが、まだだったのですが、フロントのおじさんは寝ています。キーと一緒にお金を置いておいたのですが、大丈夫かな。
トラムヴァイと地下鉄を乗り継いで空港まで行きます。
通勤時間かなと思ったのですが、どちらも空いていました。トルコの通勤ラッシュは何時くらいなのでしょうか。
9時くらいにイスタンブール空港に到着。
ちょっと早く着きすぎて、チェックインカウンターが開いていません。
今回の航空会社はMidlle East Airlinesです。
航空運賃は£122、税金・燃油サーチャージが£38.4です。
チェックインするときに、イスラエルに行ったことあるかと聞かれました。あれば、レバノンには入国できません。
11時25分に出発しましたが、滑走路で45分も離陸待ちしました。理由は不明です。
13時40分にベイルート空港に到着。
パスポートコントロールでは、念入りにチェックしています。イスラエルの渡航履歴も調べているでしょう。レバノンは入国カードがあるのですが、記入の必要のない電話番号まで聞かれました。携帯は持っていないとゆうとホテルの電話番号を聞かれました。怪しく見えたのでしょう。
レバノンはビザが必要ですが、空路で入ると無料で1ヶ月のビザがもらえます。入国スタンプの上に手書きでone monthと書いてあるだけの簡単なビザです。
時間もあまりないので、手っ取り早くタクシーでセントロまで行くことに。
ぎょうさんのタクシードライバーが声をかけてきます。セントロまで相場はUS$15~30と聞いていました。
だいたいが$45とゆうてきます。一人$25とゆうてきたので、そのタクシーに決めて、ドライバーが荷物を運んでくれていたのですが、他のドライバーが強引に荷物を奪い取って走っていきます。慌てて後を追いかけます。
いろいろ経験してきて、多少のことでは驚かなくなりましたが、ここまで強引なのは初めてでビックリしました。
そのタクシーでもええけど、なんぼやと聞くと、やっぱり$45です。たぶん、なんらかの力関係があるのでしょう。ひょっとしたら、安いタクシーのお兄さんは、いじめられっ子(子ではないですが)なのかもしれません。
私は、そのお兄さんでええとゆうのですが、周りのドライバーがあかんといいます。他に$25とゆうドライバーがいてたので、そこにしました。今度は、周りのドライバーは黙っていました。
うーん、いきなりの中東の洗礼パンチです。
あとで宿の人に聞いたら、$20が相場だそうです。
ガイドブックに載っている宿に行こうと思い、ドライバーにこことゆうと、もっとええホテルがあるとゆうので、$10やったら行くとゆうと、黙ってしまいました。
今回の宿はPension Home Valeryです。
シングルで1泊1万5000LPと書いてありましたが、シングルはいっぱいでした。
100LP(レバノン・ポンド)=約5.4円です。
で、ドミが空いていて、ドミもシングルと一緒やといいます。そら、別々のもんやと心の中で突っ込んでおいて、料金を聞くと1泊$15といいます。ガイドブックの値段より2.5倍くらいにはね上がっていて、ちょっとビックリですが、時間も遅いし妥協して決めました。
荷を解いて少し町歩きです。
宿の近くに海があります。
地中海ですが、地中海性気候は、この時期天気が悪いです。
ベイルートは暑いです。
今日は曇っていますが、それでも30℃近いです。
ベイルートは人口100万人を超す大都会です。
大都会の例に漏れず、渋滞が激しいです。排気ガスで空気が悪いです。
西の海岸まで来ました。
灯台があったので写真を撮っていたら、撮ったらあかんと怒られました。テロを警戒しているのでしょうか。
西の海岸には、鳩の岩があります。
どこが鳩やねんちゅう岩ですが、レバノン人で知らない人はいないといわれるくらい有名な岩らしいです。確かに、ぎょうさんの人が記念撮影をしています。
西ベイルートのメインストリートです。
ハムラ通りです。この通りは、アラビア文字よりもアルファベットのほうが多いです。
道路には、スター?の名前が書いてあります。
ベイルートは安い食堂が見当たりません。ケバブ屋もないです。
ピザ屋が多かったのでピザにしました。ピザとペプシで3500LPです。これなら納得の値段です。
海岸のベンチに座って本を読みながら涼んでいたら、自転車に轢かれました。曲乗りをしていたみたいで後輪が私の肩を直撃しました。痛くてうずくまっていましたが、ぶつけたお兄さんは、ほとんど反省の色もありません。
下手くそは、人ごみの中で曲乗りせえへんこっちゃね。
ホリディ・インの跡です。
内戦でボロボロになりました。まるで墓標のようです。
ホリディ・インの下には、装甲車が何台も止まっていて、兵隊もたくさんいてました。まだ、何か危険性があるのでしょうか。
内戦は1975年からイスラーム教徒とキリスト教徒の間で、15年間続きました。その後はイスラーム教徒が住む西ベイルートとキリスト教徒が住む東ベイルートに二分されました。
その後、復興が進んでいきましたが、2005年には首相が暗殺され、政情が不安定に。
2006年には過激派ヒズボラが2名のイスラエル兵を拉致したことに端を発して、イスラエルがレバノン全土に大規模な空爆を実施し、その後南部に侵攻。
2007年には、北部のパレスチナ難民キャンプを拠点とする過激派と国軍が衝突、ベイルートでも爆弾テロが起こりました。
簡単に記しただけでも悲惨な状況です。
以前は日本からレバノンのツアーがありましたが、現在は行われていません。外務省の渡航情報でも、渡航の是非を検討して下さいとなっています。
町を歩いただけでは危険は感じませんが、紛争の火種は枚挙に暇が無く、いつテロや紛争が起こってもおかしくない状況です。
空港のタクシーはすごかったですが、町中のタクシーもやかましいです。止まっているタクシーからは、タクシータクシーと声をかけられるわ、走っているタクシーはクラクションを鳴らすわでうるさいです。観光客が少ない割りにタクシーが多いので必死なんは分かるけど、乗りたかったら手を上げるちゅうねん。
だいぶ涼しくなってから、宿に戻りました。
部屋は、入口のところだけしか灯りがなくて暗いです。設備はボロボロでトイレは詰まっているし、安宿の雰囲気満点です。これで1泊$5くらいなら、ぴったりなのですが、料金は中級並みやなあ。
8時前に、チェックアウト。
支払いが、まだだったのですが、フロントのおじさんは寝ています。キーと一緒にお金を置いておいたのですが、大丈夫かな。
トラムヴァイと地下鉄を乗り継いで空港まで行きます。
通勤時間かなと思ったのですが、どちらも空いていました。トルコの通勤ラッシュは何時くらいなのでしょうか。
9時くらいにイスタンブール空港に到着。
ちょっと早く着きすぎて、チェックインカウンターが開いていません。
今回の航空会社はMidlle East Airlinesです。
航空運賃は£122、税金・燃油サーチャージが£38.4です。
チェックインするときに、イスラエルに行ったことあるかと聞かれました。あれば、レバノンには入国できません。
11時25分に出発しましたが、滑走路で45分も離陸待ちしました。理由は不明です。
13時40分にベイルート空港に到着。
パスポートコントロールでは、念入りにチェックしています。イスラエルの渡航履歴も調べているでしょう。レバノンは入国カードがあるのですが、記入の必要のない電話番号まで聞かれました。携帯は持っていないとゆうとホテルの電話番号を聞かれました。怪しく見えたのでしょう。
レバノンはビザが必要ですが、空路で入ると無料で1ヶ月のビザがもらえます。入国スタンプの上に手書きでone monthと書いてあるだけの簡単なビザです。
時間もあまりないので、手っ取り早くタクシーでセントロまで行くことに。
ぎょうさんのタクシードライバーが声をかけてきます。セントロまで相場はUS$15~30と聞いていました。
だいたいが$45とゆうてきます。一人$25とゆうてきたので、そのタクシーに決めて、ドライバーが荷物を運んでくれていたのですが、他のドライバーが強引に荷物を奪い取って走っていきます。慌てて後を追いかけます。
いろいろ経験してきて、多少のことでは驚かなくなりましたが、ここまで強引なのは初めてでビックリしました。
そのタクシーでもええけど、なんぼやと聞くと、やっぱり$45です。たぶん、なんらかの力関係があるのでしょう。ひょっとしたら、安いタクシーのお兄さんは、いじめられっ子(子ではないですが)なのかもしれません。
私は、そのお兄さんでええとゆうのですが、周りのドライバーがあかんといいます。他に$25とゆうドライバーがいてたので、そこにしました。今度は、周りのドライバーは黙っていました。
うーん、いきなりの中東の洗礼パンチです。
あとで宿の人に聞いたら、$20が相場だそうです。
ガイドブックに載っている宿に行こうと思い、ドライバーにこことゆうと、もっとええホテルがあるとゆうので、$10やったら行くとゆうと、黙ってしまいました。
今回の宿はPension Home Valeryです。
シングルで1泊1万5000LPと書いてありましたが、シングルはいっぱいでした。
100LP(レバノン・ポンド)=約5.4円です。
で、ドミが空いていて、ドミもシングルと一緒やといいます。そら、別々のもんやと心の中で突っ込んでおいて、料金を聞くと1泊$15といいます。ガイドブックの値段より2.5倍くらいにはね上がっていて、ちょっとビックリですが、時間も遅いし妥協して決めました。
荷を解いて少し町歩きです。
宿の近くに海があります。
地中海ですが、地中海性気候は、この時期天気が悪いです。
ベイルートは暑いです。
今日は曇っていますが、それでも30℃近いです。
ベイルートは人口100万人を超す大都会です。
大都会の例に漏れず、渋滞が激しいです。排気ガスで空気が悪いです。
西の海岸まで来ました。
灯台があったので写真を撮っていたら、撮ったらあかんと怒られました。テロを警戒しているのでしょうか。
西の海岸には、鳩の岩があります。
どこが鳩やねんちゅう岩ですが、レバノン人で知らない人はいないといわれるくらい有名な岩らしいです。確かに、ぎょうさんの人が記念撮影をしています。
西ベイルートのメインストリートです。
ハムラ通りです。この通りは、アラビア文字よりもアルファベットのほうが多いです。
道路には、スター?の名前が書いてあります。
ベイルートは安い食堂が見当たりません。ケバブ屋もないです。
ピザ屋が多かったのでピザにしました。ピザとペプシで3500LPです。これなら納得の値段です。
海岸のベンチに座って本を読みながら涼んでいたら、自転車に轢かれました。曲乗りをしていたみたいで後輪が私の肩を直撃しました。痛くてうずくまっていましたが、ぶつけたお兄さんは、ほとんど反省の色もありません。
下手くそは、人ごみの中で曲乗りせえへんこっちゃね。
ホリディ・インの跡です。
内戦でボロボロになりました。まるで墓標のようです。
ホリディ・インの下には、装甲車が何台も止まっていて、兵隊もたくさんいてました。まだ、何か危険性があるのでしょうか。
内戦は1975年からイスラーム教徒とキリスト教徒の間で、15年間続きました。その後はイスラーム教徒が住む西ベイルートとキリスト教徒が住む東ベイルートに二分されました。
その後、復興が進んでいきましたが、2005年には首相が暗殺され、政情が不安定に。
2006年には過激派ヒズボラが2名のイスラエル兵を拉致したことに端を発して、イスラエルがレバノン全土に大規模な空爆を実施し、その後南部に侵攻。
2007年には、北部のパレスチナ難民キャンプを拠点とする過激派と国軍が衝突、ベイルートでも爆弾テロが起こりました。
簡単に記しただけでも悲惨な状況です。
以前は日本からレバノンのツアーがありましたが、現在は行われていません。外務省の渡航情報でも、渡航の是非を検討して下さいとなっています。
町を歩いただけでは危険は感じませんが、紛争の火種は枚挙に暇が無く、いつテロや紛争が起こってもおかしくない状況です。
空港のタクシーはすごかったですが、町中のタクシーもやかましいです。止まっているタクシーからは、タクシータクシーと声をかけられるわ、走っているタクシーはクラクションを鳴らすわでうるさいです。観光客が少ない割りにタクシーが多いので必死なんは分かるけど、乗りたかったら手を上げるちゅうねん。
だいぶ涼しくなってから、宿に戻りました。
部屋は、入口のところだけしか灯りがなくて暗いです。設備はボロボロでトイレは詰まっているし、安宿の雰囲気満点です。これで1泊$5くらいなら、ぴったりなのですが、料金は中級並みやなあ。
2010-10-24 22:11
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0