アマラプラ観光 [ミャンマー]
2011年1月2日(日)晴
マンダレーから南へ約11kmのところにあるアマラプラへ行きます。
マンダレーの29番通りと84番通りの交差点で、8番バスを待ちます。
バス会社の人がいてたので、アマラプラ行きのバスはここで待ってたらええんかと聞いたら間違いないです。
バスは時刻表なんてものはないので、いつ来るか分かりません。
ぼーっと立ってたら、どこ行くんやと何人か声をかけてきます。アマラプラとゆうと、乗合ピックアップ(トラックの荷台を改造して座席をつけたもの)があると教えてくれて、それで行くことにします。料金は200Kです。
乗り心地はトラックの荷台ですので、よくはないです。また満員で、ぎゅうぎゅう詰めです。ボロボロのトラックにミャンマー人と押し合いへし合いして乗っていると、人によって感じることは違うでしょうが、私はいつも人間の逞しさを感じて好きな時間です。これで地元の人としゃべれたら最高なんですが・・・。
料金は乗ってすぐに払う方式です。私もまねてすぐに払ったのですが、車掌がもう一度請求してきます。そしたら横に座っていたおばさんが、この人は払ったでとゆうてくれて助かりました。ミャンマー人やっぱり親切やなと思います。
運もあるのでしょうが、ミャンマーに来てから一度もぼられたこともなく、非常に旅しやすい国です。
9時前にアマラプラに到着。
アマラプラは、パーリ語で「不死の町」とゆう意味です。1783年、ボードパヤー王の手によってインワからこの地に遷都が行われましたが、1823年、バヂードー王によって都はインワへ移されました。
1841年にはターラーワディー王が再びアマラプラへ遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへの遷都を決め、また移ってしまいました。
まずはマハーガンダーヨン僧院に行きます。
歩いていたら僧侶に声をかけられて、マハーガンダーヨン僧院を道案内してくれます。10時くらいに行ったらええとゆうことで、時間が早いので他の寺院を案内して説明してくれます。
日本の町では、長崎、広島を知っているとゆうてました。たぶん原爆のことで知ったんやと思います。日本人が思っている以上に長崎、広島のことを知っている外国人は多いです。
あと以外なのは札幌ドームが有名です。
全天候型ドームで、野球もサッカーも出来るとゆうのが珍しいそうです。
道案内してくれた僧侶とマハーガンダーヨン僧院に行きます。
この僧侶も、ここで修行をしています。自分が住んでいる部屋にも案内してくれました。ドミトリーみたいな部屋で、ベッドは10以上あります。自分のスペースは限られていて、修行は大変やなと思います。
本を見せてくれて、マハーガンダーヨン僧院の成り立ちなんかを説明してくれました。ほんま親切に案内してくれて、ありがとうございました。
僧院の看板には10の行いのルールとゆうのが書いてありますが、一番に優しい気質をもちなさいとあります。まさに実践している僧侶でした。
マハーガンダーヨン僧院は、国内最大級、最高位の僧院の一つで、全国から集まった1000人近い僧侶が修行生活を送っています。10時20分くらいから、托鉢を終えた僧侶が食事に集まってきます。
その前の準備です。
1000人分の食事ですから、用意するのも大変です。
着々と準備が整っていきます。
時間が来て僧侶が、ぞろぞろぞろぞろと食事に集まってきます。
ご飯を配る人、飲み物を配る人、パンを配る人と3班に分かれています。僧侶以外の人は旅行者などのボランティアのようです。欧米人もパンを配っていました。1000人の僧侶が集まってくる姿は圧巻で感動すら覚えます。
食事中は、しゃべったらあかんとゆうことはないですが、ほとんどしゃべっていません。食べることも修行の内なのでしょう。
子供の僧侶はかわいいです。
僧院を設立した高僧ザナカビウンタの住居跡です。
ぶらぶら歩いていたら、おじさんに声をかけられて、インワ(町の名前)に行かへんかとゆうてきます。おじさんのバイクで、ただで乗せてってやると言います。なんぼ、ミャンマー人が親切でも、へんなとこに連れていかれたらかないませんし、ただはちょっと危なそうなので断りました。
ウー・ベイン橋です。
ウー・ベインとは、インワからアマラプラへ遷都された際の、市長にあたる人物(ウーは敬称なので、ベイン氏)です。
彼は、さびれかけたインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために全長1.2kmの橋をかけました。160年前にかけられた橋が現役で頑張っています。
橋には途中に何ヶ所か屋根のついたところがあり、休憩できるようになっています。
橋から見える風景ものんびりしていて、ええ感じです。
チャウットーヂー・パヤーです。
バガンのアーナンダー寺院をモデルにしています。
入口を守っているのは、ライオンではなくて、上半身が女性、下半身がライオンの伝説の生き物「マヌーシア」です。紅をさして、マニキュア?を塗っているのが面白いです。
東西南北の入口の天井にはフレスコ画が残されています。
橋を戻って、ぶらぶら歩きます。
この辺りは、あんまり観光ずれしていなくて、子供がハローハローと声をかけてきて、可愛らしいです。
パトドーヂー・パヤーです。
1820年にバヂードー王によって建てられた仏塔です。
このあと旧王宮に行こうと思ったのですが、場所が分かりませんでした。
諦めて、マンダレーに戻ります。
帰りもピックアップに乗ろうと思います。走っているピックアップはあるのですが、どこで乗ったらええのか分かりません。始発とちゃうので止まっているピックアップはありません。
しばらく歩いていたら、ピックアップに乗るお姉さんがいてて便乗して乗れました。満員なので、後ろに立って手摺につかまって乗ります。道はでこぼこありで、振り落とされへんようにつかまってやなあきません。気分はダイハード(古い)です。10kmちょっとの道のりなのでいいですけど、何十キロとなるとしんどいと思います。
周りは僧侶ばっかりで、僧侶のいがぐり頭が私の手に当たって、ちくちくして痛いです。優しい心で我慢です。
夕食は84番通りの屋台街に行きます。
流行っている店を見つけて、麺にします。
麺の名前は分かりません。
汁なし麺です。タレや薬味を6~7種類かけてくれます。これをよくかき混ぜて食べます。美味いです。今まで食べたミャンマーの食事で一番美味しいです。やっぱり、どこの国でも流行っている屋台めしに外れはないです。
辛くはなくて、唐辛子を入れてちょうどええくらいです。付け合せが、スグキみたいで美味しいです。白ご飯が欲しくなります。料金は500Kです。
コーラはBLUE MOUNTAIN Colaです。コーラは300Kです。
マンダレーから南へ約11kmのところにあるアマラプラへ行きます。
マンダレーの29番通りと84番通りの交差点で、8番バスを待ちます。
バス会社の人がいてたので、アマラプラ行きのバスはここで待ってたらええんかと聞いたら間違いないです。
バスは時刻表なんてものはないので、いつ来るか分かりません。
ぼーっと立ってたら、どこ行くんやと何人か声をかけてきます。アマラプラとゆうと、乗合ピックアップ(トラックの荷台を改造して座席をつけたもの)があると教えてくれて、それで行くことにします。料金は200Kです。
乗り心地はトラックの荷台ですので、よくはないです。また満員で、ぎゅうぎゅう詰めです。ボロボロのトラックにミャンマー人と押し合いへし合いして乗っていると、人によって感じることは違うでしょうが、私はいつも人間の逞しさを感じて好きな時間です。これで地元の人としゃべれたら最高なんですが・・・。
料金は乗ってすぐに払う方式です。私もまねてすぐに払ったのですが、車掌がもう一度請求してきます。そしたら横に座っていたおばさんが、この人は払ったでとゆうてくれて助かりました。ミャンマー人やっぱり親切やなと思います。
運もあるのでしょうが、ミャンマーに来てから一度もぼられたこともなく、非常に旅しやすい国です。
9時前にアマラプラに到着。
アマラプラは、パーリ語で「不死の町」とゆう意味です。1783年、ボードパヤー王の手によってインワからこの地に遷都が行われましたが、1823年、バヂードー王によって都はインワへ移されました。
1841年にはターラーワディー王が再びアマラプラへ遷都しましたが、1857年にミンドン王がマンダレーへの遷都を決め、また移ってしまいました。
まずはマハーガンダーヨン僧院に行きます。
歩いていたら僧侶に声をかけられて、マハーガンダーヨン僧院を道案内してくれます。10時くらいに行ったらええとゆうことで、時間が早いので他の寺院を案内して説明してくれます。
日本の町では、長崎、広島を知っているとゆうてました。たぶん原爆のことで知ったんやと思います。日本人が思っている以上に長崎、広島のことを知っている外国人は多いです。
あと以外なのは札幌ドームが有名です。
全天候型ドームで、野球もサッカーも出来るとゆうのが珍しいそうです。
道案内してくれた僧侶とマハーガンダーヨン僧院に行きます。
この僧侶も、ここで修行をしています。自分が住んでいる部屋にも案内してくれました。ドミトリーみたいな部屋で、ベッドは10以上あります。自分のスペースは限られていて、修行は大変やなと思います。
本を見せてくれて、マハーガンダーヨン僧院の成り立ちなんかを説明してくれました。ほんま親切に案内してくれて、ありがとうございました。
僧院の看板には10の行いのルールとゆうのが書いてありますが、一番に優しい気質をもちなさいとあります。まさに実践している僧侶でした。
マハーガンダーヨン僧院は、国内最大級、最高位の僧院の一つで、全国から集まった1000人近い僧侶が修行生活を送っています。10時20分くらいから、托鉢を終えた僧侶が食事に集まってきます。
その前の準備です。
1000人分の食事ですから、用意するのも大変です。
着々と準備が整っていきます。
時間が来て僧侶が、ぞろぞろぞろぞろと食事に集まってきます。
ご飯を配る人、飲み物を配る人、パンを配る人と3班に分かれています。僧侶以外の人は旅行者などのボランティアのようです。欧米人もパンを配っていました。1000人の僧侶が集まってくる姿は圧巻で感動すら覚えます。
食事中は、しゃべったらあかんとゆうことはないですが、ほとんどしゃべっていません。食べることも修行の内なのでしょう。
子供の僧侶はかわいいです。
僧院を設立した高僧ザナカビウンタの住居跡です。
ぶらぶら歩いていたら、おじさんに声をかけられて、インワ(町の名前)に行かへんかとゆうてきます。おじさんのバイクで、ただで乗せてってやると言います。なんぼ、ミャンマー人が親切でも、へんなとこに連れていかれたらかないませんし、ただはちょっと危なそうなので断りました。
ウー・ベイン橋です。
ウー・ベインとは、インワからアマラプラへ遷都された際の、市長にあたる人物(ウーは敬称なので、ベイン氏)です。
彼は、さびれかけたインワの旧王宮からチーク材を運び、アマラプラの東に広がるタウンタマン湖を渡るために全長1.2kmの橋をかけました。160年前にかけられた橋が現役で頑張っています。
橋には途中に何ヶ所か屋根のついたところがあり、休憩できるようになっています。
橋から見える風景ものんびりしていて、ええ感じです。
チャウットーヂー・パヤーです。
バガンのアーナンダー寺院をモデルにしています。
入口を守っているのは、ライオンではなくて、上半身が女性、下半身がライオンの伝説の生き物「マヌーシア」です。紅をさして、マニキュア?を塗っているのが面白いです。
東西南北の入口の天井にはフレスコ画が残されています。
橋を戻って、ぶらぶら歩きます。
この辺りは、あんまり観光ずれしていなくて、子供がハローハローと声をかけてきて、可愛らしいです。
パトドーヂー・パヤーです。
1820年にバヂードー王によって建てられた仏塔です。
このあと旧王宮に行こうと思ったのですが、場所が分かりませんでした。
諦めて、マンダレーに戻ります。
帰りもピックアップに乗ろうと思います。走っているピックアップはあるのですが、どこで乗ったらええのか分かりません。始発とちゃうので止まっているピックアップはありません。
しばらく歩いていたら、ピックアップに乗るお姉さんがいてて便乗して乗れました。満員なので、後ろに立って手摺につかまって乗ります。道はでこぼこありで、振り落とされへんようにつかまってやなあきません。気分はダイハード(古い)です。10kmちょっとの道のりなのでいいですけど、何十キロとなるとしんどいと思います。
周りは僧侶ばっかりで、僧侶のいがぐり頭が私の手に当たって、ちくちくして痛いです。優しい心で我慢です。
夕食は84番通りの屋台街に行きます。
流行っている店を見つけて、麺にします。
麺の名前は分かりません。
汁なし麺です。タレや薬味を6~7種類かけてくれます。これをよくかき混ぜて食べます。美味いです。今まで食べたミャンマーの食事で一番美味しいです。やっぱり、どこの国でも流行っている屋台めしに外れはないです。
辛くはなくて、唐辛子を入れてちょうどええくらいです。付け合せが、スグキみたいで美味しいです。白ご飯が欲しくなります。料金は500Kです。
コーラはBLUE MOUNTAIN Colaです。コーラは300Kです。
2011-01-05 22:58
nice!(0)
コメント(0)
トラックバック(0)
コメント 0