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クラクフ観光part2 [ポーランド]

2010年8月18日(水)曇

クラフク中央駅東バスターミナルからバスに乗ってオシフィエンチムに行きます。オシフィエンチムとゆうてもピンときませんが、ドイツ名はアウシュヴィッツです。クラクフから西へ約54kmのところにあります。運賃はPLN10。

8時25分に出発して約2時間で、オシフィエンチム博物館に到着。

アウシュビッツでは28の民族、150万人以上の人々が殺害されたとされています。現在、この強制収用所跡は、博物館として公開されています。

ガイドツアーを利用することも出来ますし、個人で見学するとこも出来ます。私は言葉が分からないのとゆっくり見学したかったので、個人で見学することにしました。

記録映画が上映されていますので、映画を先に見ました。約15分の映画を見てから収容所に入ります。

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少し進むと収容所の入口のゲートです。「ARBEIT MACHT FREI(働けば自由になる)」と書かれています。自由になることなんてないのに、どんな思いでこのゲートをくぐっていったのでしょう。

よく見るとBの文字が上下逆さまになっています。これを作らされた収容者の、せめてもの抵抗の証だとの説もあります。

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アウシュヴィッツには28棟の収容所があり、一時は28,000人の囚人が収容されていました。収容所の囚人ブロックには、収容所の歴史を現す展示と、元囚人の国籍別の展示があります。

個人で周る人のために、案内書が販売されています。案内書を見ながら見学すれば、迷うこともないのですが、見学者がむちゃくちゃ多いです。ほとんどがガイドツアーなのですが、ツアーの団体が間をおかずに見学するので混んでしまいます。個人やったら、ゆっくり見学できると考えたのが甘かったです。

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元囚人棟だった建物では、収容者から没収した生活用品が公開されています。ものすごい量の衣服の山、身の回りの物を入れてきたトランク、眼鏡、ブラシ、靴、さらには遺体からはずされた義足や義手まであります。

殺すだけでは飽き足らず、遺体などから切り取った毛髪で生地を造ったり、金歯は金の延べ棒にしてドイツ中央衛生局へ運ばれました。

アウシュヴィッツが開放された時、ソレン軍は倉庫で袋に入った約7トンの毛髪を発見しました。その毛髪も展示されています。

どれもこれも主を失った悲しい品々ですが、とくに子供の服や、小さな靴を見ていると、それまで歩いとったのにと胸が締め付けられる思いです。

見学しているあいだ、背中がぞわぞわして寒気が止まりませんでした。なんでこんな事が起こったんやろ、なんで人間は人間を殺すんやろ、人はどこまで残酷になれるんやろ、殺す側の人間は何も感じひんかったんやろか、いくつものなんでが頭を巡ります。

胸が苦しいですが、私は生きています。忘れん坊ですが、心の奥底に刻んで忘れんでおこうと思います。それが、ここを訪れた者の義務だと考えます。

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アウシュヴィッツから2kmほど離れた所に、さらに広大な強制収用所がありました。敷地面積は1.4k㎡、300棟以上のバラックが建ち並んでいました。第2アウシュヴィッツといわれるビルケナウです。

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その入口「死の門」です。その門をくぐって引込み線が敷かれています。

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線路が尽きる所には大きな石碑があります。ナチス政権下犠牲者国際記念碑です。周囲には400万個の石が敷き詰められています。

アウシュヴィッツとビルケナウ間は、無料のシャトルバスが30分間隔で走っています。


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