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ヤンゴン~ニャウンウー移動(飛行機) [ミャンマー]

2010年12月28日(火)ヤンゴン晴 ニャウンウー晴

宿でタクシーを呼んでもらいました。
4時前にチェックアウトしたら、宿の外でもうタクシーが待ってくれていました。ミャンマー人、なかなか親切です。

タクシーのドライバーは、空港まで建物の説明をしてくれます。これまた親切なことです。

窓も閉まらないぼろぼろタクシーで、ゆっくりと走っていきます。早朝にもかかわらず、空港まで40分くらいかかりました。

空港に入るときに200Kが必要です。
まだ空港は閉まっていて、空港の前で開くのを待ちます。

今回の航空会社はエアバガンです。
紙のエアチケットなので、紙の乗客名簿と照らし合わせます。私の名前がないとゆうので、ちょっと焦りましたが、ちゃんとありました。日本人の名前は分かりにくいのかもしれません。

機内預け荷物は、大きな体重計のような秤で重さを量って、手で運びます。
昔の飛行機は、こんなんやったんでしょうね。

早朝にも関わらず、空港のロビーは人だらけです。
とゆうか、早朝のフライトが多いです。ミャンマー国内便に3回乗りますが、すべて早朝便です。

搭乗案内は電光掲示板はなくて、おじさんがプラカードに搭乗便ナンバーを書いて案内してくれます。

定刻どおり6時30分に出発。
隣が日本人のおじさんで、ミャンマーは5~6回来ているミャンマー通のおじさんです。今回は日本人が行ったことがないところに行くそうで張り切ってはりました。Hさん、ええ旅をして下さい。

定刻どおり7時25分にニャウンウー空港に到着。
空港でバガン入域料を払わないといけません。料金は$10です。

ニャウンウー空港では、機内預け荷物を係りの人が一人一つずつ持ってきてくれます。機内預けの半券を渡して照合し、空港の外まで運んでくれます。

タクシーでニャウンウーのセントロまで行きます。料金は5000K、高いと思いますが、しんどいしそのまま乗りました。

ヤンゴンの情報ノートに、Pyinsa Rupa Guest Houseがええでと書いてあったので、そこに行きます。ヤンゴンでも言われましたが、タクシードライバーに部屋空いてへんのんとちゃうと、また言われました。確かに年末年始で、その可能性はあるでしょうね。

宿に着いて確かめたら、空室がありました。悪運が強いのでしょう。
部屋を見せてもらって、ここに決めました。シングル、バス・トイレ・エアコン付きで1泊$7です。昨日まで団体で満室やったとゆうてたので、ラッキーです。

宿ではミャンマーのフジイフミヤが日本語ペラペラで、いろいろと親切にしてくれます。宿の前にネットショップがあって、自分のPCを使えるかどうか聞いてくれましたが、あきませんでした。店のPCは日本語不可です。

ニャウンウー町から遺跡のあるバガンまでは5kmほど離れていて、しかも遺跡は広範囲に散らばっているので徒歩での観光は無理です。

で、選択肢としてはタクシーか馬車、自転車となります。
これまた情報ノートでは、馬車を1日$5でチャーターしたと書いてあります。フミヤに聞いたら、15,000Kと言います。ちょっと古い情報でドルのレートが下がっているとはいえ、4倍ちかくに跳ね上がっています。ひえーです。

3日乗ったら、45,000Kです。チャットがなくなってしまいます。

残るはレンタサイクルしかありませんが、フミヤに聞いたらレンタサイクルはないと言われました。最近は人気がないのでなくなったそうです。

どっか探したらレンタサイクルあるかもしれんと思って出かけようとしたら、宿の自転車を貸してあげるとゆうてくれます。ミャンマー人、親切です。

ヤンゴンは暑かったですが、ニャウンウーは朝は寒いくらいです。日中も思っていたほど上がらず、日本の初夏くらいの陽気です。自転車には、ちょうどええ感じです。

道路はだいたい舗装されています。舗装の状態は、まあまあです。

タラバー門を通って、オールドバガンに入りました。
遺跡だらけで、遺跡好きにはたまらない風景です。自転車好きですから、さらに嬉しいです。ランラランラン~♪(漫画トリオ風で)です。

バガンの遺跡は仏教三大遺跡の一つと言われています。
あとの二つは、カンボジアのアンコールワットと、インドネシアのボロブドゥールです。この二つは行ったことがあって、バガンも是非行きたいと思っていた所です。ほんま来てよかったです。

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ブーパヤー・パヤーです。
川岸に建っています。言い伝えによると7~8世紀頃、ピュー族によって建てられたと言われています。1975年の地震で仏塔は大きな被害を受けて、その後修復されました。

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ゴドーパリィン寺院です。
バガンで2番目に古い寺院です。1174~1211年にかけて建てられました。ナラパティスィードゥー王が建て始めましたが途中で亡くなり、息子のティーローミィンロー王によって完成されました。

バガンはミャンマー一の観光地ですので、物売りが激しいです。
学校が休みとゆうこともあり、子供の物売りもめっちゃ多いです。うっとうしいくらい付きまとわれることもありますが、これも旅の思い出です。

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マヌーハ寺院です。
マヌーハはタトォン国の王で、捕虜となってこの地に連行されました。マヌーハは1059年、許されてこの寺院を建てましたが、囚われの身の鬱屈した気持ちが、この窮屈な建物を造ったと言われています。

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ナガーヨン寺院です。
後にバガン王朝44代目の王となるチャンスィッターが造らせました。この寺院は、ミャンマー人が好きな形だそうです。

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セィンニェ・アマ寺院とセィンニェ・ニィーマ・パヤーです。
11世紀の王妃セィンニェが建立しました。アマが姉でニィーマが妹とゆう意味です。角型のアマのほうが寺院です。

ニィーマ内部には階段があって上ることが出来ます。
ここでも子供が寄ってきて道案内をしてくれました。

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上ると吹く風が心地よく、バガン遺跡が一望に眺められて、ええ気持ちです。

道案内してくれたので、チップをあげました。
他人の子供であれ、人種や国が違っても、子供は大人が躾けるもんやと考えていますので、チップをあげるのも難しいです。ぎょうさんあげて、楽してお金を稼ぐことを覚えたら、ええことないですから、きちんと労働の報酬として受け取ってくれたらええのですが・・・。

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ミャー・ゼディ・パヤーです。
看板には、なぜか日本人の名前が二人書いてありました。理由は分からないです。看板を寄付でもしたのでしょうか。

傷みが激しく観光禁止になっている遺跡もありました。看板を見て入られへんようになったんやと思っていたら、バイクがやってきて絵を買わへんかとゆうてきます。ミャンマー人商魂たくましいです。ってゆうか、どっから見とったんと不思議に思います。

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シュエズィーゴォン・パヤーです。
バガンを代表する仏塔です。アノーヤター王がタトォン国を征服した後、建設に着手しましたが在位中には完成せず、次王チャンスィッターの治世に完成しました。シュェは金、ズィーゴォはパーリ語で勝利、栄光、祝福の土地とゆう意味です。

夕食は昨日食べられなかったミャンマーカレーにします。

ミャンマーのカレーは、日本のカレーともインドのカレーとも全く異なります。タマネギをスパイスと炒めたものに具を加えて煮込み、水分を蒸発させて具の表面が油で覆われるように仕上げます。

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チキンカレーにしました。
ミャンマーでカレーを注文するとご飯はもちろん、スープと副菜が出てきます。ここのレストランでは、副菜は7種類出てきました。生野菜が出てくる店もあるようです。分かりにくいですが、ご飯の左側のちょっと大きめの皿がチキンカレーです。カレー自体は量が少ないですが、副菜が多いので量が足りないとゆうことはないと思います。ご飯、副菜はお替り自由です。

カレーの味は、めっちゃ油っこいです。辛さは、ありません。
副菜は、酸っぱい味付けが多いです、今まで味わったことのない不思議な味付けです。どんな調味料とか使っているのか見てみたいです。

カレーは2000K、ビールが1600Kでした。


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